北岬ミサイル決戦 (OPERATION NORTH CAPE SALVO) #16-後編
前編の等時戦から一転、後編は救助・照明・撤収の三叉路。
チャフ帯/角反射器筏で“時間”を稼ぎ、撃たない判断で線を繋ぎます。
最後に残るのは救助灯の小さな光。霧の粒感まで、耳で読んでください。
【場所:北岬—バレンツ海南縁 時間:1963-06-24 10:22 CEST】
10:22 霧は薄皮を1枚剥いだように明るくなり、波の稜線だけが鋭く見える。ヴィクトルは双眼鏡の焦点を回し、中破した護衛駆逐艦の消火線を追った。白い水柱が甲板を洗い、星弾の残光が昼の端を引き伸ばす。砲の口は黙り、代わりにホースと担架が甲板を往復している。上空のBARCAPは2機1対の輪を保ち、翼の影が霧に楕円を描く。
「敵、救助作業に移行。内層砲、沈黙」
測的士官の声は低い。ヴィクトルも同じはずなのに、喉の渇きだけが残る。救助艇の舷側に赤十字が一瞬光った。400yd外で4.5インチの砲身が空を向いたまま微動し、照準器だけが小刻みに震える。
10:28。 無線に短い破片が走る。NOR掃海艇のコールサイン。逆探の方位が読み上げられる。こちらのサイトA撤収に絡む電鍵が、どこかで長く鳴りすぎた。
「方位298°、距離不明。照明弾、準備している」
星弾が上がれば、霧は味方を裏切る。ヴィクトルは舌打ちを飲み込み、海図に小さく×印を付けた。
「サイトAは台船の離脱完了。曳航速度4kt、曳索長70yd」
沿岸警備艇からの報告。鉛筆で地図に退避針路を引く。真方位125°、入江の岩陰。星弾が上がるまでに、角を1つ曲がればいい。風はNW16kt。煙幕は東へ、ちょうど良い角度で流れる。
「北群1番、護衛に回る。煙幕、層で敷け。チャフは帯厚200ydを維持」
Komar2隻が台船の左右に張り付く。ロケット式チャフを1段、台船の後ろに撒き、角反射器を結んだ小筏を放流。レーダ表示は+2目盛の幅で太る。海面には細かい金属片が雪のように漂い、陽光で銀粉に見えた。
10:34。 NORの掃海艇が星弾を撃つ。霧の天蓋に橙が咲き、台船の影が1度だけ海図の上と同じ形になって、また壊れた。遠くでSeacatが飛ぶ音。こちらではない。沈黙していた敵の内層砲が再び咆哮を始め、中破艦の脇で救助艇が上下する。担架が3枚続けて運ばれるのが見えた。
「……撃てば、沈む」
測的士官が呟く。ヴィクトルは答えない。残弾は0。あったとしても、星弾と救助の光に向けて牙を使うべきか、彼は決めきれただろうか。
「見なかったことにする。任務は通過阻止だ。復讐は任務じゃない」
言葉にして初めて、喉の渇きが小さく引いた。海図の端で鉛筆が1mmだけ震え、そのまま止まる。
10:41。 逆探がもう1度吠え、今度は台船の向こうで水柱が上がる。追撃が来る。USのDDが外弧から踏み込んだか、あるいはNORの指示で照明線が伸びたか。
「北群2番、誘引に回る。真方位240°へ半速、チャフ2段。星弾を食う。距離1.8nmで回頭」
2番艇が壁のような光の下へ身を投げ、チャフの雲を残して斜めに落ちる。星弾の視線はそちらへ向かい、台船の影は1息、薄くなる。4.5インチの榴弾が水面で割れて、衝撃波が50yd四方に輪を作った。
10:50。 沿岸警備艇が「切り離し」を告げる。台船から作業員が跳び、短艇がロープを刃で断つ。角反射器を積んだ筏は意図的に遅れ、後追いするDDのレーダに強い偽像を打った。
「サイトA、放棄。箱は海没。人員は入江へ。信号弾=緑1」
それでいい、とヴィクトルは頷く。前進サイトに残すのは弾ではなく、時間だ。第2斉射で役目は終わる。
10:58。 北群3番の救難信号。先ほど被弾した艇だ。漂う筏に2名、海面に1名。
「拾えるか?」
「BARCAP接近、照明続行。拾えば、死ぬ」
計器の端に翼音の爪痕。ヴィクトルは一瞬だけ海図から目を離し、霧の切れ間を見た。
「位置を記録。黄色救難灯を投下。無線沈黙のまま通過。方位312°、距離不明で再標記」
彼は命じ、胸の内で言葉を足す。——誰かが拾えるように。
11:07。 入江の口が暗い刃のように現れる。岩肌に海鳥が叫び、潮流が舵を押す。曳航は終わっている。Komarは真方位140°で退避線に乗り、屈曲を1つ、2つ。背後で星弾が尽きて、光が低くなった。岸壁の苔が湿った布の匂いを放つ。
11:14。
湾口に小波が立つ。風が+1kt強まった。煙幕帯がほどけ、チャフは水面で鈍い膜に変わる。無線員が囁く。「NORの針、+1目盛右」——つまり、こちらを見失いつつある。
11:19。 敵の追撃線がほどける。USのDDは中破艦の護りへ戻り、NOR掃海艇は逆探の針を内湾に振り切ったまま、こちらを見失う。霧が再び厚みを増し、世界は音だけになる。
「全艇、燃料と機関温度を報告。輪形で仮泊。機関温度+5℃超の艇は5分のアイドル」
返る声は短い。失ったものの数は、あとで数える。艦橋の金属に指先を当てると、塩が乾いて砂の感触になっていた。
11:40。 海面に黒い筋が漂っていた。焦げた木片、破れたキャンバス、白く焼けた救命胴衣。ヴィクトルは双眼鏡を降ろし、顔を拭う。油の匂いに消毒薬の幻が混じるのは、きっと気のせいだ。
「通信、記録。通過一時停止=達せず。損害——艦艇2、サイト1。敵:護衛1中破、商船1炎上。作戦、終結」
鉛筆の先が止まる。紙の上では、等価と書ける。海は、どちらの手も握らない。
12:10。 霧の端で、小さな灯が揺れた。救難灯だ。さっき投げた色とは違う。誰か別の手が灯した。方位312°にもう1つ、弱い光。
ヴィクトルは短く座標を読み上げ、地図の余白に丸を2つ描いた。こちらの丸と、向こうの丸。線は引かない。引けば、どちらかが傷つく。
エンジンの振動が薄い霧へ沈む。北の空は長い昼のまま、色を手放さない。
ヴィクトルは最後に海を見た。次の段はここではない。彼らの外で、白衣の夜が始まる。
読了ありがとうございます。幻彗(gensui)です。
この回は「環境×時間×倫理」の結節点でした。星弾下での誘引→切離し→海没、そして救難灯だけを残す選択。
表記の気づき(時刻コロン/語の統一)や戦術判断への疑問も歓迎です。
面白ければブクマ&評価(☆☆☆☆☆)が次章の燃料に。
次は#17-1 ホルムズ海峡海戦。
次回更新は、明日 12:00 頃(JST)に公開予定。




