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沖縄海戦(Three-Layer Shield)#09-5

#9-5は余韻の章。

被害名簿と戦地郵便、病院船の代理記、砂に描く“太列”の旗――人の手で明日へ渡す回です。

空にはまだ銀のチャフ

【場所:沖縄本島東方〜宮古・久米島海面 時間:1961-06-27 17:30–23:50 JST】


 夕刻、那覇の埠頭は低い赤に染まり、帯のような風が倉庫の錆びた壁を撫でた。タグボートが息を吐き、損傷したタンカーは白いパッチで塞がれた側板を静かに港壁へ寄せる。油と塗料の匂いが混ざり、遠くで拡声器が1度だけ短く鳴った。


 「あやなみ」の艦橋では、薄い表紙の綴りが机に広げられている。上から順に判を押す。

 〈被害者名簿・第10船団〉

 ――軍人:戦死0、負傷0。

 ――船員:軽傷2(破片擦過)。

――避難民:骨折1(転倒)、擦過数名。

 ――艦艇・船舶:タンカー1、至近損傷(続航可)。

 文字は乾いていく。数字は少ない。少ないが、ひとつずつ重い。


 佐伯は綴りを閉じ、次の紙束に手を伸ばす。灰色の封筒に「戦地郵便」と印刷がある。艦内の簡易机には、鉛筆とスタンプ、切手の束。書くことが思いつかない顔、書きたいことが多すぎる顔、どちらも並ぶ。

若い砲側員は短く書いた。「母さんへ。こちらは思ったよりも、ご飯が温かい」

 機関科の古参は、もう少し長く書いた。「油の匂いは相変わらずですが、海は昨日より静かです。港に着いたら、靴を磨きます」

 佐伯は1枚だけ、宛名を書かずに机に置いた。言葉を選ぶより先に、次の便の表に指が伸びてしまう。

 〈次便・砲窓:第1 真070°–085°/第2 真090°–100°(短縮コール適用)〉

 〈列を太く:列間450yd/各艦間隔300yd〉

 〈チャフ:長短交互 30/15/30秒〉

 仕事のほうが言葉より先に来る。ここではそれが正しい。


 港の反対側、病院船の甲板で、山田は古いタイプライターに紙を通していた。押すたびに金属の歯が音を立てる。

 〈戦地郵便・代理記〉

 ――差出人:仲村 美佐子(避難民)

 ――宛先:那覇・○○小学校 3年1組

 文は丸く、しかし芯がある。

 「先生へ。港に着きました。銀色の雨が降ってきて、子どもたちが笑いました。あれは紙じゃなくて、空の切れ端みたいでした。次に降るときは、もう少し遠くで降ってください。ここではもう、十分です」

 タイプバーが跳ね、最後の句点が紙に穴を開けそうになる。山田は息をつき、紙を外す。甲板の端で、少年が拾った銀の帯を本のしおりにしている。風が吹くたびに、しおりが震え、文字の列の間で小さく音を立てる。


 米ミサイル巡洋艦の戦闘指揮所では、クルーが記録のコピーを封筒に入れていた。北へ向かう補給機に渡すためだ。封筒の端には、鉛筆で小さく“TRIDENT”と書かれている。

 「借り出しは明朝だ」

 幕僚は短く言い、受け取った返事も短い。「了解。こちらの列は、予定通り通す」

 短い言葉の行き交いが、夜の入口で余計な響きを残さない。必要な音だけが残る。


 日が沈み、倉庫の影が伸びる。埠頭の片隅では、掃海隊の若い兵が棒で砂利をならし、薄い棒切れで旗の形を描いている。2本の旗を重ねて掲げる“太列”の合図。遊びのように見えるが、彼は覚えている。合図が遅れたときに起こることを。

 「おい、飯だぞ」

 呼ばれて、彼は旗を書いた砂を足でならす。砂に残る線はすぐに崩れ、ただの地面に戻る。合図は紙の中に戻り、明日の朝まで静かに待つ。


 夜になっても港は暗くならない。作業灯が白い円を幾つも海面に落とし、浮いたチャフ片が光を拾う。銀の雨は、まだ小さく舞っている。拾い集める者もいれば、踏まずに避けて通る者もいる。

 山田は一日の最後の見回りで甲板を歩く。柵のところで立ち止まり、指先で細い帯をつまんだ。それは軽く、熱はない。彼女はそれをポケットに入れ、明日の昼に少年へ返そうと思う。別の子が欲しがったなら、半分に折って分ければいい。銀の雨は、半分にしても雨だ。


 深夜前、佐伯は艦橋に戻った。海図の端に紙片を重ね、鉛筆で小さな印を付ける。明日の風向、潮汐、砲窓の第1設定。どれも大きくは変わらない。変わらないからこそ、崩さずに続ける。

 「当直、交替。速力維持、針路そのまま」

 「了解」

 ガラス越しに港の灯が揺れる。遠くの無線が1度だけ鳴り、北の名が聞こえた。

 紙片の上で、鉛筆が止まる。佐伯は短く言う。

 「通した。明日も通す」


 夜風が薄く船体を撫で、銀の帯が1枚、空気の層を滑って海に落ちた。小さな輪が広がり、すぐに消えた。音はない。列の音だけが、海の底で続いている。


読了ありがとうございます。幻彗(gensui)です。

沖縄海戦編の締めは、数字と手紙で“通した一日”を記録する余韻にしました。

銀の雨=チャフ、太列旗、短縮コールなど運用面は次便にも継承します。

表記や用語の気づきがあればコメントでぜひ。

面白ければブクマ&評価(☆☆☆☆☆)で応援を。

次章はオマーン・マスカット湾。ファティマ再登場。

北ではTRIDENTが動き、ここでは桟橋の夜が“細い戦”になる。

次回更新は、明後日 9/24 00:00 頃(JST)に公開予定。

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