教室は防空壕(Classrooms as Shelters)#07-後編
後編は圓山地下壕の運用と“名を失わせない”手順です。
厚紙の表に赤い丸、配給の匙、夜の教室。制度=黒板/運用=列の太さを最後まで回し、通達「支援線を太くせよ」へ繋ぎます。
読後に「音・匂い」の手触りを一言いただけると嬉しいです。
【場所:台北市・圓山地下壕 時間:1961-04-19 14:10 TST】
「先生、鉛筆に、名前」
泣きそうな男の子の鉛筆には細い紙片が巻かれていた。片仮名の苗字が震えながら読める。
「えらいね。鉛筆は、持ち主に戻るために名前が要るの」
「ひと、も?」
「人も」
彼は少し考え、靴底の名札を親指で撫でた。列は太い。名前は細いが、途切れない。
14:20 圓山の地下壕へ移送開始。低学年優先。列は太いまま。坂の途中、1枚の絵が落ちる。描かれた家は屋根だけ色が塗られ、壁はまだ白い。
「色はあとで塗れるわ」
「家も?」
「家も」
列の後ろで赤十字の婦人が鼻歌を始める。歌詞はない。息を揃えるための、ゆっくりした波だけ。
地下壕は湿って冷たい。だが、その冷たさは安心の形だ。壁に触れると、空襲の音が遠のく。照明の下、名寄せを続ける。黒板の代わりに、厚紙の表を膝に置き、赤鉛筆の丸が増える。
「先生、あの音はこわくないの?」
「こわいよ」
「じゃあ、どうして、こわくない顔?」
「黒板は動かない――先生はそうしているの。ここに書いた通りになるように、落ち着かせる役目」
少女はうなずき、厚紙の太い列を指でなぞった。
夕方、外の音が薄くなる。地上に戻った教室には、午後の光。埃が綿のように舞う。鍋の底の粥をすくい、遅れてきた子に渡す。匙を持つ手は、朝より落ち着いている。
名寄せ表には赤い丸がびっしり並び、欠番の欄に3つだけ冷たい空白が残った。
「行方未着」――字は事務的なまま残す。温かな想像を足すと、紙が嘘を持つからだ。紙は、明日の点呼のために生きる。
日が落ち、警戒へ移行。宿直の布団を2枚余分に用意する。泣き疲れて眠った子が、夜半に汗で目を覚ますからだ。
静華は黒板の端に日付を書き、「欠番ゼロの練習」と添える。ここで勝ち負けは使わない。だが、今日1日を持ちこたえたことだけは確かだ。
窓を指先ぶんだけ開ける。外気が紙の匂いを薄め、蝉の声がようやく耳に入る。
「先生、ここにいていい?」
戸口に立つのは、靴底の名札の男の子。
「いいよ。椅子をもう1つ“列に”足そう」
2人で机を寄せ、列を太くした。彼はうつむいたまま、鉛筆の名前をなぞる。
「お父さんの船、強い?」
「強いよ」
「先生の黒板も?」
「強い」
「じゃあ、ぼくも」
「もちろん」
夜。台所の蛇口を固く締め、廊下の水瓶に布をかける。灯りを1つ落としてから、職員室の引き出しを開ける。底に古い電信用紙の束。
控えめなノック。防空団の隊員が紙を差し出す。局外線で受けた通達。
――明朝、宮古–沖縄船団の増強に伴い、南方支援線の臨時便を編成。列を太くせよ。
短い文が胸で音になる。線が太いほど、夜の灯りは戻る。
電信用紙を黒板の縁に挟み、教室を見渡す。机は窓から遠く、列は廊下側へ太く伸びる。黒板の白粉が誰かの肩に落ち、小さな星になる。
明日の出席は今日より難しい。だが、答えは同じだ――点呼・水・順番。列を太く。
静華は白墨を置き、両手の粉を払う。音が途切れる。遠い空の余韻が天井を撫でる。
教室は防空壕であり、黒板は夜のあいだも動かない。
読了ありがとうございます。幻彗(gensui)です。
後編は“紙と印が前線”でした。名寄せは物語の外務のようでいて、子どもの「居場所」を守る戦闘でもあります。欠番の欄に想像を足さない――紙を明日に生かす姿勢を描きました。
読みやすさ・情景(音/匂い)・運用手順の気づきをコメントでぜひ。
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次章は部隊がオマーンに移ります。粉乳と灯油の列、白い石灰線から始まります。
更新は、あさって9/13 12:00頃(JST)に公開予定(章が変わるので推敲してます)。




