教室は防空壕(Classrooms as Shelters)#07-前編
軍から民間へカメラを切り替えます。
舞台は台北・大稻埕。林静華は黒板の表で“教室=防空壕”を運用し、合図は三つ――点呼・水・順番。混乱は列幅で制す、を合言葉に、圓山の地下壕へ移す前半戦です。
子ども目線の小さな手順が、都市の安全を支えます。
【場所:台北市・大稻埕第一国民小学校 時間:1961-04-19 07:40 TST】
チャイムは鳴らさない。サイレンの間の静けさのほうが、鐘より神経を尖らせるからだ。
林静華は黒板の「算数」を袖で拭き、太い白墨で表を引く。左から――番号/氏名/出身地/代理連絡先/配給印。机を窓から離し、廊下側へ向けて並べ替える。列は細いと風でほどける。太く。最初に決めた。
07:40 教職員の朝礼は2分で切り上げる。遮光幕の縁を砂嚢で押さえ、屋上の見張りを下ろし、半地下の水瓶に新しい水を張る。上履きの砂はここで落とす。泥は転倒を呼び、声は音になり、音は場所になる――静華は段取りだけを心の棚に置いた。
「今日からここは、防空壕です。声は小さく、目は黒板へ。いいですね」
三つ編みの少女が手を上げずに問う。「先生、黒板って、名前を書く黒板?」
「そうよ。きょうは“出席”がいちばん難しい科目」
08:05 甲種空襲警報。校庭のクスノキが裏葉を見せ、風が湿る。遠く010°、空で噴流の縞がほどけ、遅れて音が届く。静華は耳で数え、深く吸って、吐く。測距儀ではない。だが、音の向きは子どもの泣き声と同じように身体に刺さる。
廊下は白墨と古い出席簿の粉の匂い。赤十字の鍋から米粥の湯気が立ちのぼり、金属の蛇口が指先を冷やす。
「順番に。水を飲んで、手を洗って、名前を言えたら“合格”」
合格――その語で男の子が少し笑う。笑うと、身分証の写真と同じ顔になる。順番・水・点呼。列を太く。静華は同じ三つを心内で繰り返した。
11:10 第一便のトラックが校門に入る。荷台の幌から小さな手。袖や膝に砂。南の砂は少し赤い。名札を靴の裏に貼った子もいる。剥がれないように、そう習ったのだろう。
名寄せは紙の上では単純だ。紙は裏切らない――そう思いたい。だが紙は黙っている。印は人が押す。
「あなたの名字は?」
「……うしろ、の船」
男の子は黒板の右下――港のクレーンと灯台の落書きを指し、黙る。視線は“帰る道”に吸い寄せられている。
「いいよ、船は強いね。じゃあ、靴の名札を見せてくれる?」
男の子は靴を脱いで差し出す。白い紙片に、震えた二文字――「陳 家豪」。
静華は名寄せ票の該当欄に丸を付け、配給印を1つ押す。
「家豪くん、合格。あなたも強い」
窓がごく小さく鳴った。誰も顔を上げない。窓の外は見せ物ではない。
静華は列の太さを確認する。2人1組で手をつなぎ、点呼の返事は小さく2回。穴があれば、列の厚みの中に形が浮かぶ。
「番号、82。……はい、いい声」
13:00 青い塗りのバスが埃で灰色に変わって到着する。降車の足音が重なり、しばらく学校は音楽のように賑やかだ。直後、高空を切る乾いた吠え声。防空団の若い隊員が小声で言う――J-6。顔は子どもに向けない。サイレンが重なり、遮光幕の黒が1段濃くなる。
肩が一斉に硬くなる。硬さの向きが揃っているうちは大丈夫。ばらけ始めたら危ない。
「問題ないわ。ここは学校で、学校は答えを知っている」
答えは、点呼・水・順番。列を太く。黒板の白が視界を占めれば、泣きは遠のく。
サイレンが伸びる。静華は決める――圓山の地下壕へ、列を太いまま動かす。
読了ありがとうございます。幻彗(gensui)です。
前編は“制度=黒板”“運用=列の太さ”で民間防衛を描きました。戦闘描写の代わりに、名寄せ・配給印・名札という“紙と印”を前線に置いています。
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次回は圓山地下壕へ。更新は、明日 9/11 00:00頃(JST)に公開予定。




