表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/37

那覇の小さな手(Little Hands) #04-後編

夕刻の那覇港、黒い影が沖で線になりはじめる中、番号札と白線、“一次保護”の手で列を太く保ちます。

【場所:那覇港・壺屋・小禄 時間:1960-07-15 15:20 JST】


 15時すぎ、列の先頭で揉める声。男が声を荒げ、配給を2つ掴む。さっき数字を書いた「軍属」の男だ。彼の手は大きいが、疲れて震えている。MPが1歩進む。新垣が男の前に自分の名札を突き出した。「教師」と書いてある。肩書は強くないが、字は揺れない。

「2つはいりません。あなたの字で列が進んでいます」

 男は黙って握り飯を1つ戻し、もう1つを胸に押し当てた。押し当てられた米は、すこしだけ形を変える。形を変えても、米は米だ。美佐子は、男の手の甲の鉛筆の線を見た。汗に滲み、灰色が皮膚の溝に沿って広がっていた。印は消えかけるが、消えるまでの時間が秩序になる。秩序は永遠ではなく、午後のあいだだけ保てば十分だ。


 16時、迷子の掲示板の前で足が止まる。板には名前が増えていく。名前のある者と、ない者。新垣が白墨で「見つかった」と書いては横線を引く。横線は嬉しい線だが、余白を減らす。余白が減ると、まだ見つからない名前の居場所が狭くなる。そこで美佐子は、掲示板の隣に紙を足した。紙には「待っています」とだけ書いた。名前のない少年「手」が、その紙をしばらく見つめ、指で縁をなぞった。


 16時半、港のラジオが割れて流れる。女声のアナウンスは、運動会のプログラムみたいに落ち着いている。

「本日17時以降、港内への不要不急の立ち入りを控えてください。海上では軍の訓練音が聞こえることがあります。驚かず、指示に従ってください」

 驚かない、は難しい。驚かないフリなら、学べる。美佐子は紙コップの水を飲み干し、空になったコップを胸に押し当てた。米と同じように、胸に当てると形が少し変わる。自分の形で受け止める。受け止め方は、各自でいい。


 17時過ぎ、港のクレーンが朱に染まる。鉄の梁の影が岸壁に長く落ち、影の中に子どもが入って遊ぶ。名のない少年は、影の中で手を開閉し、影の手が自分より大きくなるのを見て笑った。彼は影の手を、何度も何度も握った。握るたびに、影が少し遅れてついてくるのが面白いのだ。

 遠く、沖に黒い点。3つ、5つ、7つ。数えようとすると、数は指からこぼれた。新垣が近づいてきて、子どもたちに背を向けたまま小声で言う。

「翔さん、あれは?」

「船だろう。味方かもしれないし、そうでないかもしれない。いずれにせよ、数は増える」

 数は膨らむ。言葉にすると、腹の奥が少し冷える。だが、冷えは判断を細くする。細くしたくない。美佐子は自分の手を見た。軍手をはめ直し、指の根元まで押し込む。手はきょう、たくさんの手を握り、引き、結んだ。まだ握るべき手が残っている。


 名のない少年が、沖の黒い点を指さした。彼の札には「手」とある。彼は数を言わない。指を1つ立て、次にもう1つ立て、3つ目を立てる前に、手を握った。握った手の中に、彼なりの数え方がしまわれる。しまった数は、次に必要になるまで出さないでおける。彼は賢い。


 笛が鳴る。港の音が、夕方の形に組み直される。列はまだ2列で、太く保たれている。陸揚げの台車が少しずつ軽くなり、空の縄が風に鳴る。壺屋の水瓶は、割れた口縁のところで別の音を出すようになった。こつ、という短い音が、合図のように耳に残る。

 美佐子は黒い点を見ながら、胸のポケットから、汗で丸まった名簿を取り出した。名のある者と、ない者。紙は濡れて重くなっている。指で角を伸ばし、鉛筆の先を削る。削った粉が風に乗って、沖へ飛んだ。


 夕焼けの中で、黒い点はいくつか黒い線に変わった。まだ遠いが、音になる気配だけが残る。

17時半過ぎ、美佐子はしゃがんで言った。

「今夜はうちに来る? 朝になったら、また探そう」

少年は迷ってから、軍手の端をつまむように握った。東江が1枚の紙に「一次保護」と書き、MPが頷く。

手が2つつながると、不思議と列は崩れない。


読了ありがとうございます、幻彗(gensui)です。

今日は「影が線に変わる前に、手で秩序をつなぐ」。

面白ければブクマ&評価(☆☆☆☆☆)をお願いします。

誤字・事実・表記ゆれのご指摘も歓迎です。

4章完。次回:第5章――細い鉛筆線が海図へ移り、西太の列が起き上がる。

更新は一日空けて、あさって19:30頃(JST)に公開予定(章が変わるので推敲してます)。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ