空の車と歌
放課後の帰り道、街はまだ夕方の光を残していた。
交差点の手前、小さな駐車場の前を通りかかったときだった。
ふと、足を止めた。何かが、耳に触れたのだ。
──音楽。
誰も乗っていない車の中から、かすかに聞こえてくる。
ドアも閉まっていて、エンジンも止まっているのに、
まるで“そこ”に誰かがいるかのように。
流れていたのは、嵐の曲だった。
曲名は思い出せない。だけど、知っている旋律。
何度も聞いた、あたたかくて、どこか胸を締めつけるようなメロディ。
風もないのに、髪がふわりと揺れた。
目を閉じる。
その瞬間、記憶の奥から、忘れていたものが浮かび上がる。
幼い頃、テレビの前で踊っていた自分。
「いつかこの歌みたいに、誰かを元気にできる人になりたい」
そんな風に思っていたこと。
でも、大人になるにつれ、どこかにしまい込んでしまった。
──ねぇ、覚えてる?
誰かの声が、心の奥でささやいた気がした。
それはきっと、未来の自分か、
あるいは、過去の自分かもしれなかった。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉かわからないまま、つぶやく。
そしてもう一度、車の方を見た。
音楽は、止まっていた。
まるで、使命を果たしたかのように。
でも、胸の奥には確かに残っている。
あの歌の余韻と、もう一度歩き出す力が。
空っぽに見えた車は、
ほんとうは、誰かの“想い”で満ちていたのかもしれない。
そう思いながら、私は再び歩き出した。
今度は、少しだけ背筋を伸ばして。