特殊部隊CVC -4-
ホーガンズ・アレイは、FBIアカデミーが有する広大な敷地の一角にある市街だ。綺麗に舗装された道路に沿って雑貨屋やレストランに劇場、モーテルなどが並び、銀行の裏手に現金輸送車がたまに来る街並みは、アメリカに散らばった小さな街の典型である。
とは言っても、ここに普段人は住んでいない。よく見ると、道路には普通に運転していたのでは決してつかない車のタイヤ跡が斜めや円形に走り、建物の壁は古いペイント弾のけばけばしいオレンジ色で汚れている。
ここはアカデミーの候補生や、場合によっては陸軍や海兵隊の兵士たちが実戦さながらの訓練で使用する半マイル(約800メートル)四方の箱庭だった。数ヶ月前の未来も、プロの俳優が演じる銀行強盗に習いたてのドライビング・テクニックで追いすがり、武装を解除させ、初めて手錠をかけた場所でもある。
街の入口に当たる煉瓦造りの門の横に、指令室の名目で3階建てのみすぼらしいプレハブ小屋が構えられている。その横に杉田が運転するピックアップ・トラックが止まると、ハヤテを着込んだ未来がヘルメットを抱えて荷台から飛び降りた。
彼らが10時50分にプレハブ小屋の一階のドアを開けると、ジャクソンとマックスを除いた戦闘チームのメンバーが、雁首を揃えていた。
「へえ!これが噂に聞く、日本の先端技術を集めた『ハヤテ』か!」
蒼い科学の鎧で武装した未来がドアを開けて杉田と共に入ってくるなり、トリスが歓声を上げた。素顔だけを晒している未来は、首から下の全てが硬質な輝きを放つ金属と、滑らかな人工繊維に覆われている。外見がほぼロボットだと言っていいだろう。
杉田にとっては見慣れた未来の姿だが、CVCメンバーが完全武装の彼女を目にするのは初めてだった。
「ジャクソンは?まだ来てないの?」
「彼なら、もう奥で待機してるわ。『オーディン』を着てね」
ヘルメットを脇に抱えた未来が戸惑ってきょろきょろと室内を見回すと、エマがクリップボードを胸に抱え直しつつ窓の外を向いた。
「オーディン?」
「ジャクソンが着てるスーツのコードネーム。貴女のハヤテと同じよ。見た目やつくりはかなり違うけど」
「オーディンか、確か北欧神話の神様でしたよね。強そうな名前なんだ」
微笑を浮かべたエマが、素直な感想を口にした未来に笑いかけてくる。
「あら、ハヤテだってかなりのものじゃないの。普通その状態の貴女を見れば、誰も勝てるって言う気がしないと思うわ。スーツの材質はチタン?随分頑丈そうに見えるけど」
「ええ。実戦では、9ミリ口径相当のガトリング砲をフルオートで浴びせられても、数秒間は大丈夫でしたよ。ちょっとは痛いけどそれだけで、怪我はしませんでした」
「ふうん。それなら、耐久度はオーディンよりもかなり高いことになる。流石は、軍事用に作られたスーツだなあ。装甲も厚いし、関節部分の露出は最小限。首から顎にかけての急所まで、しっかりカバーできてる。日本企業らしい、細部まで行き届いた配慮がある。実に見事だ」
未来の返答に対し、トリスはハヤテの細部までを頭に刷り込もうとするかのようにしげしげと見つめてくる。
ハヤテは、戦場で戦うサイボーグ専用の装甲強化服として開発されたパワードスーツだ。そのためチタン製の装甲は厚く、手榴弾や狙撃用ライフルの銃弾のような対人兵器からはほぼ完璧に防護してくれる。着用者の筋力も10倍程度に増強し、視覚や聴覚といった感覚能力も全面的に増幅するのだ。
更にこれも専用の武器である12.7ミリアサルトライフルと、35ミリ機関砲という2種類の重火器を装備すれば、単身でも軍の一個中隊に相当する戦闘力が期待できる。
加えて、通信が確保できればリアルタイムで視覚の映像を外部に送信でき、状況を見ながら仲間との連携が確実に取れるのも強みだ。まさに戦場を縦横無尽に駆け抜け、確実に軍務を遂行するための能力を秘めた科学技術力の結晶と言えるだろう。
それでいて流線型を多用した華麗とも言えるフォルムに、トリスは嘆息を漏らした。
「トリス、あまり事前情報を漏らすような感想は控えろ。それより早く訓練用の銃をミキに渡して、ターゲットを仕込んでおけ」
そこへ、無愛想にバーニィが低音の言葉を割り込ませた。広い背中は壁面にずらりと並んでいるモニターを調整するのに忙しそうで、皆の方を振り向きもしない。
「イエス・サー、指令殿。ミキ、ここではこの特殊警棒と、銃はこれを使ってくれ」
「……これが、訓練用の銃?光線銃を使うの?」
トリスに差し出した警棒とホルスターとを受け取った未来は、ホルスターに差し込まれた拳銃の方を確かめてやや高い声を上げた。
黒い金属製の訓練用光線銃は、44口径のセミ・オートマチック拳銃と同じくらいの大きさと重さがある。AWPでは威力を殺いだアサルトライフルに火薬を減らした実弾を使用していたため、彼女にとっては新鮮な驚きだった。
「光線銃を使うのは初めてか?」
「あるのは知ってましたけど、実際に使うのは初めてです」
胡散臭そうにバーニィがちらりと目線を未来へ送ると、彼女は銃を眺め回しながら答えた。確か、日本でも警察の特殊部隊であるSATの訓練では、同じタイプの光線中が採用されていると聞いたことがある。
「安全装置を外すと、電源が入るようになってるんだ。あとの扱い方は、普通の銃と同じだと思ってくれていい。でもそいつを使うには、光弾に反応するターゲットをつけないとだめなんだ。これをハヤテに貼るから、ちょっと待ってくれ」
言うが早いか、トリスがズボンのポケットから直径5センチ程度ある黒っぽいシールの束のようなものを取り出して、未来の後ろに回った。
「枚数が多いから、誰か手伝ってくれる?」
「私がやるわ。ドクター・スギタもお願い」
エマが二人に近寄りながら、杉田にも声をかける。未来は短くたたまれた金属の警棒を腰に下げ、光線銃を右の太股の装甲に仕込まれた隠しホルスターに収めてから、皆の作業がしやすいように両腕を肩の高さまで上げた。
「それがこの光線銃のターゲットになるの?」
「そう。それぞれのダメージ情報が銃を経由して、専用のサーバに送信される。そこで全体のダメージ量を計算する仕組みなんだ。それだけじゃなくて、直接の打撃で与えられたダメージも計測できるようになってる」
トリスが得意げに説明する横で、エマと杉田もシールの表面に書かれた配置場所に従い、黙々とターゲットをハヤテの表面に貼っていく。少なくとも、腕一本に対し5枚以上はつけているだろうか。全てが設置し終わると、まるで全身に黒い水玉模様がペイントされたかのようだった。
「なんか、変な感じ」
抱えていたヘルメットまでが水玉模様にされているのを見て、未来が口を尖らせる。
「でも、普通は顔に直接貼ったりとかするんだぞ?それに比べりゃ、かなりましだと思うけどね」
トリスがにやにやしながら言うと、未来の仏頂面に拍車がかかった。
「……で、今回の訓練って、何をやるんですか?まだ詳しく聞いてないんですけど」
「デスマッチだ」
「え?」
バーニィの一言に、アンダースーツのフードを髪の生え際まで引っ張り、長い髪をたくし込んでいる未来の手が一瞬止まった。
「ジャクソンも、オーディンにターゲットをつけている。各自のスーツの耐久度が限界に達したと見なされるまで、存分に戦ってもらう。銃は44口径のマグナム弾相当の威力だとして計算する。弾は16発で打ち止めだから、その後は格闘戦だ」
ようやく身体を振り返らせたバーニィが、杉田から呼気マスクを受け取って身につけている未来の仕草を目で追いかけた。
「ただし、実際の現場で使用する以外の武器は使うな。お前たちが今回持てるのは、その光線銃と特殊警棒だけだ」
「アサルトライフルも、ナイフも使うなと?」
「当然だ。いいか、ここは戦場じゃない。大勢の一般市民が暮らす街だ。それを常に忘れるなよ」
未来の低い声に対するバーニィの言葉は抑え気味で、そして鋭い。
「建物の内部に入って戦うのは?」
「最初から窓が壊れているところや、ドアがないビルは許可する。もしそれ以外を壊した場合は減点対象だ」
「……わかりました」
未来は口でそう答えたものの、やりにくさを感じずにはいられなかった。他の者も演習で使用する場所なのだから、なるべく壊すなということなのだろう。
彼女がジャクソンのオーディンを見たことがないように、ジャクソンもまたハヤテを見たことがないはずだった。スーツそのものの強度に差はあれど、使用する武器同じで、条件としては互角である。
この訓練が意味するところは、二人を戦わせることでその基礎的な能力を見ることにあった。戦えばお互いの癖や特性もわかるし、弱点を補い合うにはどうすればいいのかといった、今後の課題も見えてくる。
何と言っても、未来とジャクソンは以後行動を共にするバディー(二人組)だ。不要な危険を招かないために、相手のことはよく知っておく必要がある。
ならば、気遣いは無用だ。
バーニィが言ったとおり、遠慮なく戦うことにしよう。
得意のナイフコンバットやアサルトライフル、アサルトライフルにナイフを取り付けたバヨネットを使用する戦術が封じられるのは物足りないが、与えられた武器を使いこなすのも戦闘員に必要な技量の一つだ。
未来は特殊繊維でできた黒いフードの中に髪をまとめてマスクをつけ、頭をヘルメットに押し込むまでの短い間に腹を決めた。顎の上までを覆うハヤテ本体の、無数にあるケーブル結線部にヘルメットが触れ合うと、細い線の全てがコネクタで自動的に繋がる。かちり、と小さく金属的な響きが耳に届いた。
「ミキは門のところからスタートだ。何かあるときは無線で連絡する。外に出てから一度、こちらを呼ぶように」
「了解」
バーニィが最後まで不愛想な態度を崩さないのと同じように、未来もまた事務的な返答に終始した。蒼い金属に覆われた指先で左顎の下にあるセンサーに触れると、しゅっと軽い音がしてフェイスガードが飛び出し、呼気マスクの上を覆う。仕上げに右側の顎の下にあるセンサーに触れ、ヘルメットのバイザーを下ろした。気圧調整のためにマスクの中の空気が少し抜かれて、視界が真っ黒になる。
それも一瞬のことで、すぐに眼前のモニターに視点カメラの映像が映し出されてヘルメットの内部が明るくなり、様々な電子部品が起ち上がる駆動音で満たされていった。
人工的な音と光に全身が包まれて外界から遮断され、戦うためだけの要素が身体の中をニューロンのように駆け巡り、普段使っていない感覚が隅々まで呼び起こされていく刺激的な感覚。
一人の人間が戦士という別のものに変わっていく実感が、こころよい。
日本を離れて以来久しぶりに味わう、神経へ直接響いてくる興奮だった。
「じゃあ、位置につきますから」
ヘルメットに内蔵されたマイクに繋がった小型スピーカーが、未来の声を指令小屋にいる戦闘チームのメンバーたちに伝える。彼女は力を入れすぎないように細心の注意を払ってプレハブの床を歩き、ドアを開けた。靴の裏は大きな音がしないよう、金属板の上にもう一枚特殊な樹脂が貼られて加工されている。ホーガンズ・アレイの舗装道路を意識せずに歩いても、派手な足音が響くことはなかった。
彼女が足を踏み出すその度に、ハヤテの鈍く輝く装甲が秋の陽光を埃っぽい空気の中へ抑え目に跳ね返す。煉瓦づくりの門の脇まで来ると、未来は通信用に切り替えたマイクに向かって言った。
「門のところに出ました。私はもうスタートしていいですか?」
『ああ。今、ジャクソンにも開始を伝えた。お前たちの様子はこちらで全てモニタリングしているが、基本的に行動を指示することはない。行け』
「了解」
バーニィとの平坦な会話に、未来は頷いた。腰の装甲の陰に指を差し入れると、右脚の隠しホルスターが開いて銃のグリップが覗いた。デザートイーグルに比べ、やや小振りなそれを掴んで両手に構えてから、未来は聴覚の感度を上げた。
遠くのほうからだろう、装甲車らしいキャタピラの音が土を削り、号令の声が空気を震わせているのがわかる。加えて、様々な方向から複雑に響く人の話し声や足音が包み込んでくるように聴覚を刺激してきた。
そこから徐々に感度を下げていき、足音に近い調子にのみ意識を集中させる。すると、明らかに普通の靴音とは質が異なった鋭さを持つものが、程近い場所から広い空間に散っていっているのがわかった。
「……あっちか」
呟いてから踵を僅かに上げ、未来は左の路地へと走り出した。小さなスーパーマーケットと倉庫に挟まれた狭い道に入り、スーパーマーケットの屋上に飛び上がる。そこから更に、3階建ての劇場へと飛び移った。
先に捉えた足音は、まだ追跡したままだ。恐らくジャクソンもこちらの動きを探っているだろうが、建物の間から響いてくる足音の早いリズムは崩れていない。反響の具合から狭い路地を頻繁に曲がっているのはわかるが、音を特に抑えようと意識している様子はなさそうだ。
未来は徐々に近づいてくる音に向かい、再び走り出した。低いアパルトメントや雑居ビル、レストランの屋上に次々と足をついてはまた別の建物に跳ぶことを繰り返す。
「80キロのハヤテをつけてるのに、あの身軽さを保っていられるのね。日本で戦ったときは、更に専用装備を持っていたんでしょう?」
モニター画面の中を影のように横切っていく未来のシルエットから目を離さずに、指令室のエマが低い声で漏らした。無意識に頷きながら、彼女の隣で杉田が答える。
「ええ。12.7ミリアサルトライフルに予備の弾丸、それと35ミリ機関砲を同時に装備したこともありました」
普段のやかましさのかけらも見せないトリスが、杉田を挟んだエマの反対側で肉付きのいい両腕を組む。
「まるで走る砲台だな。でもあの動きは、アクション映画に出てくるニンジャみたいじゃないか」
「未来は、敵地における偵察と隠密行動、破壊工作に最も適した設計になっているんです。日本での訓練内容も、主に対テロを意識したものになっていました」
「だからハヤテなしでも、テロリストたちを叩きのめすことができたんだな。強化された感覚を頼りにして敵の位置を探って、普通の兵士では考えつかないような位置から正確な攻撃を行い、反撃から身を守る……なるほど」
顎に指先を当てたトリスの声は、心なしか警戒するような色を帯びていた。




