特殊部隊CVC -3-
「そんなことで、人を殺したりするようになるの?」
未来が再び疑問を口にすると、ポールは厳めしい表情を崩さずに頷いた。
「人間はストレスがたまってくると、本当に些細なことが引き金になって爆発することがあるからな。一般の殺人事件の犯行のきっかけだって、ちょっとした口論から発展していくことが実に多いんだ。ミキだって、苛ついてるときに誰かから気に障ることを言われて、怒鳴ったことぐらいはあるだろう?」
「そりゃ、まぁ……」
未来がちらりと杉田を見やると、ポールはゆるんだネクタイを片手で直しながら端末の画像を次々と切り替え、遺体発見現場の画像にざっと目を走らせた。
「死体発見現場の様子から見ると、処刑とか殺人の儀式とか、そういった類の感情も読み取れる。抑圧された感情を被害者にぶつけて誇示し、自分の存在を世間に知らしめてやろうとしてるんだ。ただ……」
「ただ、何だよ?」
ジャクソンが焦らされているように、ポールの先を促す。そろそろ、ポールの講義じみた口調に退屈してきているのだろう。
「どうも犯人の内面に、色々と矛盾するところがあるみたいなんだよ。この事件は、自分の欲望を実現させるためのセックス殺人的な要素が強いことは間違いないんだが」
「そうね。確かにこういう事件で一番多いケースのような、犯人の異性に対する激しい怒りみたいな感情を被害者にぶつけているのとは、ちょっと性質が違うような気がするわ」
そこでエマが初めて口を開いた。
「そう言えば、エマは法医学もやってたんだっけ?」
「少しだけね。昔、検死官をやってたこともあるし。ただし、プロファイリングはちょっと講義を受けたことがある程度よ。あくまで私個人の感じたことを言っただけ」
トリスが思い出したようにエマの方を向くと、彼女は自然と窘めるような口調になった。
「でも、少し知識があるくらいの貴女がそう感じるくらいに不自然なところがあるのなら、恐らくそれは正しいと言えると思う」
一旦エマの瞳を覗いたポールは、彼女が眼鏡を押し上げて視線を逸らしたのを合図にまた、端末の画面を見つめた。
「例えば死体の損壊や、ジェニー人形みたいに象徴的な遺物を残したり、被害者のタイプが決まっていなかったり、殺人の方法がばらばらだったりするのは、行き当たりばったりで犯行後何も対処をしない、無秩序型の犯人の特徴なんだ」
「無秩序型か……」
未来が、再びアカデミーでの講義内容を頭の隅から引っ張り出しつつ呟いた。
確かプロファイリングの講義で、殺人のタイプは無計画で現場に多数の証拠を残すことや、自分の犯行であることがばれるのを全く気にかけない無秩序型と、綿密な計画を立てて被害者を選び、周到に準備をして犯行に及ぶ秩序型、両者の特徴の双方を併せ持つ混合型に分類されると習った。
もちろんこれは、時の犯罪心理学や社会学の研究者たちが犯罪者たちに面接を行い、統計学的なデータを取った上で、ある程度の傾向を示したものに過ぎない。だから絶対にそれが正しいということはないが、犯罪捜査の上である程度の指針を打ち出すため、必要なものにもなっているのだ。
未来は続いて秩序型の例を説明し出したポールの言葉に、注意深く耳を傾け続けた。
「……しかしその一方で、証拠になるようなもの……例えば指紋とか精液とか、そういったものは何も残されていないだろう?」
「確かにな。どの被害者にも犯人の体液はついていなかったが、被害者全員は酷い出血を伴う傷を負ってる。服や皮膚から、潜在指紋の一つくらいは検出できてもおかしくはないが」
ウォーリーが、ポールとさり気なく目を合わせて頷いている。
「そうなんだ。恐らく犯人は、最初から指紋を残さないように細心の注意を払っているか、被害者を殺してから死体を処理するまでの間に、証拠隠滅を図っているんだろう」
自分のハンドターミナルの画面を切り替えたポールは、フリッツの検死結果に視線を走らせた。
「それと、被害者はフリッツ・ウッドエンドを除いて防御創がない。ここからは犯人が被害者をコントロールして、抵抗できないようにした上で殺害していることがわかる。周到に準備をして綿密な計画を立てた上で犯行に及んだような、非常に秩序だった印象があるんだ」
「犯人の気まぐれで、犯行のパターンを変えているだけじゃないんですか?」
未来が両手を組んでその上に顎を乗せ、素直な疑問をポールに投げかける。
「うん、勿論その可能性もある。フリッツだけに防御創があるのも、何か不測の事態が発生して、激しく抵抗されただけだったのかも知れないしね」
「被害者が、何か犯人の逆鱗に触れるようなことを言ったとか」
未来に続いてウォーリーが発言し、ポールの方を向いた。
「もし犯人が被害者の遺体を破壊することにしか興奮しないんなら、その前段階のことはどうでもいいってことになるな。だから被害者の人種や性別にもこだわっていない、と言うのなら、それはそれで筋が通るかも知れない」
「そうかも知れない。ただ、いずれにしても言えるのは、犯人は頭が良くて狡猾で、慎重な人物だってことだ」
ポールが犯人像の一つの形を導き出そうとしたところで、ジャクソンが怪訝そうに眉根を寄せた。
「死体を見つかりやすい場所に捨てたり、妙な人形を手がかりとして残しているのにか?」
顔を上げたポールと視線が合ったところで、ジャクソンは続ける。
「本当に頭が良くて警察に捕まらないようにするなら、死体は絶対に見つからないように処分したり、隠すなりするんじゃないのか?それに被害者だって、もっと身元がわかりにくそうな奴だけを狙うようにするだろう。少なくとも、俺だったらそうするぞ」
「それが普通の殺人事件とは違うところなんだよ、ジャクソン」
大げさに首を振って、ポールは溜息を一つ挟んだ。
「犯人には、絶対に捕まらないという自信があるんだろう。現実問題として、最初の殺人からもう2年も経っているのに、警察やFBIはまだ決定的な手がかりは何も掴んでいない。奴は殺人を通して自分の価値を世間に認めさせるために、逮捕されるか自分が死ぬかするまで人を殺し続けるかも知れないんだ」
不快なポールの分析を聞いて、今までに一度も発言していないバーニィが顔をしかめた。年齢の割に皺が多く寄った顔の眉間に、更に深い筋ができる。
「それにあの人形は手がかりには違いないけど、あそこからは指紋も出なければ、犯人特定につながるような証拠は何一つ出てこない。あれは犯人のマーキングであると同時に、僕らを挑発する姿勢を示すものでもあるんだ。ここまでやっているんだから捕まえてみろ、とね」
「反吐の出る最低野郎だ。これじゃ、俺たちは世間から後ろ指を指されっぱなしだな」
ポールが行動分析チーム全体の見解でもある描いた犯人像を受け、ウォーリーは端末の画面から顔を逸らして吐き捨てた。
そこへ、未来が捜査情報を頭の中で整理しつつ質問を投げかける。
「他に何か現場に残されてなかったんですか?確か最初の説明では、発見された微物の一部に一致が見られたってことのようですけど」
「ああ……そうだな。何種類かの繊維と被害者の衣服から検出された植物の種、砂利の成分、それに動物の糞。それと全員から出た訳じゃないが、変わったところでは野菜の皮と食品の屑、ホチキスの芯くらいか」
「食品に……野菜の皮と、ホチキスの芯?」
捜査情報に一番詳しいウォーリーから答えを受けた未来は、意外な答えに目を丸くした。
「そう。他の微物類はさして珍しくもないが、この3つについてはちょっと驚きだよな。こいつは、5人中3人の被害者の傷口から採取されたものだ」
ウォーリーは端末を操り、微物類に関したドキュメントのページを開いた。
「ええと。詳しくは、玉ねぎの皮とキウィの皮の一部にブロッコリーのかけら。クッキーの粉にオーツ。ホチキスの芯は、スリーエム社のものだってことはわかってる」
「どれも、一般的なものばっかりですね」
決定打と言うには内容が薄い検出物に、未来の声の調子が落ちる。
「被害者は、ごみ捨て場みたいなところで殺されたのかな?」
ジャクソンが両腕を組んだところで、ウォーリーは顔を上げた。
「いや。それなら誰のかわからない髪の毛とかティッシュの屑とか、微物担当の連中が嫌になるぐらいの別なごみがもっとくっついてるはずだ。だからもう少し違う場所だろうというのが、俺たちの見解だ。今はずっと、事件現場周辺の食品倉庫を調べてる」
聞くだけでげんなりするような捜査内容だ。
ヴァージニア州全体で、一体何万軒の食品倉庫があるのだろう?そして、玉ねぎとブロッコリーとキウィを売っていて、伝票をまとめるのにスリーエム社のホチキスを使っているところなど、そのほぼ全てに当てはまるのではないか。
だが、こういった地道な捜査が実は一番大切だった。例え得られるものが宝くじに当たるよりも低い確率でしかないとわかっていても、現場に残された手がかりと同じものは、どこかに確かに存在するはずなのだ。
未来は特別捜査チームのメンバーが背負う苦労を考えると、思わず低めの天井を仰がずにはいられなくなった。
「傷口にごみがくっついてるってことは、被害者は身体をちぎられてから床の上に倒れたか、引きずられたかしたんだな。怪しそうなスーパーの倉庫で、片っ端からルミノールをぶっかけてやりたくなる」
「殺人現場がはっきりと特定できれば、是非やってみたいところだな。夜になればきっと、それは見事なミルキー・ウェイが見えるだろうさ」
ジャクソンの推測に頷くと、ウォーリーは再び報告書の画面を睨んだ。
ルミノールは血液中のヘモグロビンに反応し、暗い場所で青白く発光する化合物だ。古くから科学捜査で使用されている薬品で、現場の血痕が洗い流されている場合などは特に有効とされる。一度床や壁に染み込んだ血液を洗浄だけで完全に除去することは不可能であり、ルミノールは分解が進んだ古い血液のほうがよく反応するのだ。
「でも、結局は地道に捜査していくしかないわけですね。やっぱりさしあたっては、食料品倉庫の捜査を続けることですか」
「ミキには途方もなく思えるかも知らんが、この事件はまだましな方だぞ。砂漠の真ん中で白骨化したた死体が見つかった場合なんざ、何もなさすぎて泣けてくるくらいだ」
「まぁ、この事件はまだCVCの担当になったばかりだからね。僕らで捜査を進めれば、もっと色々見えてくるようになるさ」
ウォーリーに続き、ポールも両肩から力を抜いて椅子の背もたれに体重を預けた。
「では、特殊捜査チームは引き続き倉庫を中心に調べてくれ。戦闘チームでは主にジャクソンとミキで死体発見現場を回って、何か取り残した手がかりがないか調べることにしよう」
最後にマックスが頷いて立ち上がると、他のメンバーも端末の電源を切り、机の上を片付け始めた。未来も、背が高いメンバーたちに埋もれるようにしながら立ち上がったが、どこに行けばいいのかがわからず視線が泳いでしまう。
「ドクター・スギタは、ミキをオフィスに案内してやってくれ」
彼女がきょろきょろしているのを見て、マックスが杉田を促してくれた。
「じゃあ未来。一通り教えることがあるから、一緒に行こうか」
杉田の声は優しかったが、フレデリックスバーグの自宅にいるときと違ってどことなく他人行儀な響きだ。
その様子にこくんと頷いて、未来は白衣姿の背中のあとについた。
「へえ。ここが今日から私の部屋なんだ」
未来が杉田に案内されて入ったのは、スチールの事務机と小さな本棚が奥にぽつんと置かれた殺風景な部屋だった。地下にある古い壁紙のオフィスには窓がなく、天井は低いが、その分電灯は明るい。
部屋の広さは10畳程度だろうか。個人用オフィスとしては十分な空間がある。アイボリーの机にはディスプレイとキーボードが置かれ、やや型式の落ちたデスクトップ型のパソコンが脇にあった。
「こいつの初期導入はもう終わってるから、あとは仮想端末接続用のソフトをインストールして、個人パスワードだけ設定すればいい。マニュアルがそこに置いてあるから」
「事件の情報も、ここから閲覧できるの?」
「ああ。CVCが受け持ってる事件の情報は、ポータルサイトを通れば全部見られるようになってるよ。内容の編集は、自分の担当以外はできないけどね」
未来は杉田が指し示してくれた紙ファイルに挟まった薄いマニュアルに手を伸ばし、早速モニターとパソコンの電源を投入した。
しかし画面に落とされた黒い瞳は、やや萎れているように見える。
「どうかした?何だか、いつもみたいな元気がないように見えるけど」
「……うん」
未来は落ちてきた前髪を指で梳きながら呟いた。
「もう大分慣れたつもりだったんだけど……あんな酷い事件もあるんだなって」
未来は、ティアーズの事件がヴァージニア中を騒がせているのは地元のニュースで知ってはいたが、報道されていない詳細を知ったのは今日が初めてだったのだ。
「そうか。フレデリックスバーグ駐在所の管轄外での事件だから、未来は今まで全部を知らなかったんだよな」
「うん。そう言えば、戦闘チームの他のみんなもそんな感じだったけど……先生は知ってたの?」
「ああ。戦闘チームにこの事件の担当が正式に回されたのは先週だけど、僕はDNA分析チームとの兼任だからね。前から現場の遺留品を検査してるし、アジア人男性の連続殺人事件も担当してるよ。そっちは、戦闘チームの担当じゃないけどな」
短く息を吐くと、未来は椅子を引いて座った。
「ティアーズの現場写真見て、ちょっと参っちゃって。暫くは、夜に眠れなくなるかもね。早く慣れないと」
「いや、無理に慣れる必要なんかないよ」
「え?」
OSが起動しかけているモニターの白い文字を見つめていた未来が、思い詰めたような杉田の口調に思わず顔を上げた。
「こういうことに慣れるっていうのは、それだけ被害者の痛みに鈍感になるって言うのと同じことなんだ。でもそれは、突き詰めれば感情の働きを鈍くして、誰かを思いやることを……」
「わかってる。大丈夫だよ、先生。被害者に感情移入し過ぎないように気をつけて、ストレスもちゃんと何とかできるように考えるから」
未来は杉田の苦しげな色を僅かに帯びた言葉に、落ち着いた口調で返した。
特別捜査官となってから3ヶ月間、彼女は悲惨な事故や殺人事件の犠牲者の死体をそれなりに見てきたし、遺族がモルグで遺体の身元確認をする現場に立ち会ったこともある。
モルグは冷たい壁に囲まれた、甘ったるい消毒薬の臭いと死臭に満ちている施設だ。その例えようもない無感情さは、人をあらゆる優しさから突き放すように、訪れる者に対して残酷な現実を見せつける。
愛する者を奪われた悲しみの慟哭に胸を抉られ、加害者に対する怨嗟の声が耳に響くその度に、人が持つ多くの負の面を痛感させられた。
残された者に、お気の毒です、としか言うべき言葉を見つけられないのが辛くて、一刻も早くその場から立ち去りたいと感じたことも、一度や二度ではない。
しかしだからこそ、彼らの役に立ちたいという気持ちも持ち続けることができるのだ。医者である杉田が患者のために全力を尽くすのと、同じ気持ちなのではないかとも思う。
未来は静かな調子を崩さず、目の前の優しい青年へ言葉を紡いだ。
「闇と戦う者は、その深淵から覗き返してくる邪悪な瞳があることを常に忘れてはならない」
「……え?」
「アカデミーで、プロファイリングの講義の時に口を酸っぱくして言われてたこと。凶悪な事件を扱うことで、捜査官はその影響を受けて、普通じゃ考えられないような精神的ストレスを抱えることになるって。だから、それとうまく付き合っていかなきゃならないんだってさ」
使い込まれた椅子を軽く軋ませて、未来は再びパソコンの方を向いた。
「私、自分が強くないってことぐらいわかってる。だからこそ、何とかコントロールできるようになりたいって思ってるんだ」
呟くように唇を動かしていた未来の腕に、杉田がふっと肩の力を抜いてから手を触れた。
「あまり一人で抱え込むなよ。僕だってついてるんだから」
「うん。先生もね。今度の休みには、どっかに出かけよう……」
未来が杉田の暖かい手に自らのそれを重ねたとき、ノックもなしにオフィスのドアが荒っぽく開けられた。
「ミキに、ドクター・スギタ。今日この後のスケジュールだが」
慌てて離れた二人の様子など目もくれず、入ってくるなりきびきびと用件を告げたのは、戦術コンサルタントのバーニィだった。
「10時から模擬戦闘訓練だ。それが終わってから、各々のタスクに手をつけるようにしてくれ」
「模擬戦闘訓練?僕もですか?」
杉田が首を傾げると、バーニィは白い手袋を嵌めた手に持った書類を確認しながら頷いた。
「ドクターは、俺たちと一緒にデータ収集だ。ミキは、ハヤテを着てからホーガンズ・アレイの指令所に来い。訓練用の武器を渡して、注意事項を頭に入れておいてもらわなきゃならん」
「ハヤテ(疾風)」は、未来の専用パワードスーツへ新たに与えられたコードネームだ。武装した上で模擬戦闘用の市街であるホーガンズ・アレイに来いと言うのだから、本格的にやる予定なのだろう。
渡米して以来、完全武装しての訓練はやっていない。未来は、身体に自然とアドレナリンが巡り始めたことを感じて軽く身震いした。
「わかりました。遅れずに行きます。先生、手伝ってくれる?」
瞬く間に戦士の顔になったアジア人の若い娘が、杉田の方を振り返る。
その凛々しさに一瞬見入ってから、彼は眼鏡を直し頷いた。