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蜘蛛の巣 -17-

「よくもまあ、ここまで派手に暴れたな。人間技とはとても思えねえよ」

 操縦席から漏れてくる純粋に感心しているらしいアンディの声には、今はあまり嘲るような色が見えていない。彼は、ロボットのボディに開いた前方確認用の窓のすぐ前でうなだれている女の姿をじっと見つめていた。

 血と埃で汚れた服を纏う東洋人の若い女は、肩から腰にかけてを無人ロボットのアームに掴み上げられている。彼女の力が抜けた足先は、床から5フィート(約1.5メートル)上にあった。

 鉄のアームに腕の上から拘束された細い身体は、つい先ほどまでこの冷凍室を縦横無尽に駆け回り、妙な銃まで撃ってこちらを攻撃してきていたのだ。アンディが2台のロボットで応戦した痕跡は、床のそこかしこに散乱する砕けたプラスチックコンテナの欠片や、ロボットの破壊された視点カメラなどに生々しく残されている。

 彼女はマイナス24度という低温の室内に濡れた服で侵入し、本来は道路工事に使われる重機ロボット2体を相手に立ち回りを演じた。

 普通に考えれば正気の沙汰ではない。

 しかしこの女は低体温症に陥らず、鉄の柱さえ薙ぎ倒すロボットのアームの殴打を何度喰らっても死ななかった。こちらが精神的に普通でないのなら、彼女は明らかに肉体的に普通ではないのだ。

 そのことは、捕らえられて無様な姿を晒している今もそうであった。

「おまけに、恐ろしくタフときた。ま、諦めたところで楽になれるわけでもないが」

 再び素直な感想を口にしたアンディの言葉を受けても、女は顔すら上げず、肩を震わせるばかりだった。

 それも当然で、女を掴んでいる無人ロボットのアームが今も力を込め続けているからだった。屈強な筋肉を誇る男でも鉛筆のように骨を折られ、内臓を握り潰されるぐらいの圧力がかかっている。それを、彼女は必死に肘を張って食い止めているのだ。

 女は、常識では考えられない腕力の持ち主だった。

「お前、本当に人間の女なのか。エイリアンとか、ミュータントが化けてるんじゃねえだろうな?」

 最初は彼女を大人しくさせる目的で両腕と肋骨を折ろうと、無人ロボットにその身体を掴ませた。事実、今までちぎってきた人間の体は、少し強めの力を込めさせればあっけなく骨が砕け、腹に詰まっていた臓器も簡単にひしゃげていたのだ。

 ところが今のアンディは、目の前の女がどの程度の力まで耐えられるのか、試してみたいという好奇心に駆られていた。

 女が荒い息をつきながら僅かに視線を上げ、窓から見えるアンディの顔を睨みつけてくる。

「……うるさい」

 低く掠れ、喘ぐような一言ではあったが、細められた黒い瞳に宿る光は少しも衰えていない。

 幾度も蹴られたり、床に叩きつけられた時の打撲傷で、未来の頬はすっかり腫れ上がっていた。唇の端も裂けて血が滲み、愛らしい顔は痣だらけで見るも無惨な状態だったが、ただそれだけだ。セラミックコーティングと強化プラスチックで強化された骨に響くような傷はなく、それらに守られた臓器も無事であることはわかる。

 しかし、体温の維持に使えるエネルギーは明らかに枯渇してきている上に、今は身体がロボットに握り潰されないように踏ん張ることしかできない。少しでも力を抜けば、その瞬間に腕と胴体を砕かれそうだった。

 みしみしと身体が上げる悲鳴が聞こえてきそうな今、悔しくもこれが精一杯だ。

 未来はアンディから目を逸らし、万力のような力で絞め上げてくるロボットの手に注意を向けた。指を始めとして、関節部分の奥に鮮やかなコードの束が走っているのが見える。そこに直接触れてありったけの電撃を喰らわせれば、いくらアームの内側が絶縁体に覆われていても意味をなさず、絶大な効果が期待できるだろう。

 そのためには何としてもアームを振りほどき、両腕を自由にしなければならなかった。

「まあ、お前が誰かなんて興味がねえよ。これ以上は……いや、さっきはFBIだって言ってたっけな。随分と間抜けな女がいたもんだ」

 所属機関のことに言い及んだアンディに、未来は僅かに片方の眉を上げる。が、何も答えずに沈黙を守った。

「見てたよな?」

「何を?」

 アンディのわかりきった問いに質問で返すのも馬鹿げている気がするが、未来は敢えてそう返す。

「このシートだよ」

 アンディのロボットが、傍らに置いたブルーシートの塊を指した。

 彼は自動運転のロボットに未来を捕まえさせた後に中央通路に移動させ、自分は奥に置きっぱなしになっていたシートを取りに行っていたのだ。

「あんたが、ここで人間の解体ショーをやってたって証拠のこと?」

 肘を外に向かって張り続けている未来は、歯を食いしばりながら呻いた。

 この状況を脱するために未だ抗い続ける彼女を見て、いかにも愚かしく無駄な努力だと言いたげに、アンディは溜息をついた。

「そりゃあ、見ないわきゃねえよな。いくら胡散臭くても、やっぱりFBI様ってことか……それにしても、よく頑張るじゃねえか。男でも、このアームを押し返せる筈がないんだが」

「今に、局からの増援がこっちに向かって来るよ。私の消息がわからなくなって、ある程度の時間が経ってるから。私を殺せば、あんたも蜂の巣にされて死ぬことは間違いないね」

 微妙に誇張した内容ではあったが、未来が脅すつもりでそれとなく口にしたことは間違いではない。ただしそれは、CVC本隊が未来の発する特殊通信の電波発信源を速やかに突き止め、迅速に対処を開始していればの話である。

 しかしアンディにとって、最も優先して考えるべきは目前の生け贄をどうするかということで、それ以外のことは耳にすら入れていないようだった。

「でもそこまで知ってるんなら、お前を生かしておくとやばいことになるか。お前が男だったら、何もかもめちゃくちゃに壊してやりたくなるくらいに、好みの顔なのに。死ぬ前に楽しませてやることもできたんだが、残念だったな」

 未来を横目で見ながらぶつぶつと続けるアンディには、およそ他人の意志や気持ちを読もうという空気が全く感じられない。興奮も高揚もせず、むごたらしく人の身体を引き裂くのが自分の仕事であり、仕方のないことだと思っている節さえあるのではないか、と錯覚してしまう。

 恐らく未来が自分の意に反する行動をとったせいで、楽しんで殺す気が失せたのだろう。

 だから、これから自分と同じ姿を持つ生き物を殺そうとしているというのに、まるでちょっとした手仕事を始めるくらいのつもりでしかいないのだ。

 この男の精神は、明らかに異質だ。

 良心をどこかに置き忘れた、人間とは別の生き物なのだ。

 アンディが持つ深淵なき心の闇に触った気がした未来は、背筋に寒さとは別の悪寒が走るのを改めて感じた。

 今までとは異なる方向から、しかし彼女のすぐ側で金属の軋みが上がった。

 はっと視線を下へ向けると、腹のすぐ下に無人ロボットのもう片方のアームが迫っていた。蹴りを見舞おうとしても、体温を失う寸前の脚はうまく力を入れることができず、主の言うことまるでを聞いてくれない。弱々しく宙でばたつくのがせいぜいだ。

 黒いゴムが貼られた鉄の三本指が、空しくもがく未来の腰から膝までを握る。

 凍ったデニムが肌に張りついて、更に体温が奪われた。

 このままロボットがアームを捻れば一巻の終わりだ。

「待てよ!私が女だって、どうしてわかる!」

「何だと?」

 苦し紛れに未来が叫んだのは、子どもに笑われてもおかしくないほどありえない嘘に繋がるものだった。

 この際、話の内容など問題ではない。

 何とかして会話を引き延ばし、意図する方向へアンディを誘導するのが、攻撃方法を封じられた未来に最後に残された手段なのだ。唯一頼れる言葉というツールを、そう簡単に手放すつもりはない。

「そのまま手のものをゆっくり上げろ。あまり力は入れるな。よし、そこで止まれ」

 アンディは無人ロボットに音声で命令し、未来の身体を少し上に持ち上げさせていた。すかさず、未来が覗き窓から見えるアンディへ懇願するような視線を向ける。

「実際に自分で見たわけでもないのに、何で性別がわかるのさ」

 幸い未来の声は女性としてはあまり高くない方で、変声期前の少年より低いくらいだ。

 アンディは、これまでアジア人男性ばかりを暴行し殺してきた。

 彼らの人種が実際の年齢よりずっと若く見え、自分たち白人から見たら皆、子どものような印象を持つことをよく知っている筈だ。それだけに、未来が唐突についた嘘も頭から否定できないところがあるのだろう。

 事実、彼はこれまでに見せなかった動揺を言葉の端にほんの少し滲ませていた。

「お前が薬で気絶した時、車に運んだのは俺だ。お前は確かに……」

「妙に重いとは感じなかったのか?」

 彼の戸惑いを利用して一気につけ入るため、未来は更に把握されているであろう事実を持ち出した。サイボーグである未来の身体には、強化のための金属や樹脂を始めとした様々な人工パーツが埋め込まれている。その比重は本来の器官よりもずっと重いものが多く、彼女の体重は高い密度に比例して体格と釣り合わなくなっているのだ。

「性転換でもしてるのか?」

 未来を拉致した時、気を失った身体が考えていたよりもずっと重く、持ち上げるのに苦心したことを思い出したのだろう。正面の未来から視線を外したアンディは、明らかに気持ちが揺らいでいるように見受けられた。

「近年のFBIでは、優秀で前科がなければ身体的特徴について差別はしないんだよ。それに、私はアジア系だ。見た目や声だけじゃ、性別なんてわかりゃしないだろ」

 少年っぽい口調を意識し、未来は命惜しさで必死に媚びているように見せかけた。

 先にあまり力を入れるなと命じられたせいで、肩から腰を掴んでいるロボットのアームが緩んでいるのが感じられる。彼女は肘を張りながら密かに呼吸を整え、上半身の筋力を一気に解き放つべく力を貯めていた。

「命を助けてくれるなら、あんたの相手でも何でもする。私なら、あんたを満足させられるよ。もうFBIにも戻るつもりもない。お願いだ」

 腕さえ自由になれば、この忌々しいロボットに電撃を叩き込んで破壊することができる。

 ただ一つの目的のため、未来は偽りの訴えにありったけの感情を込めた。

 同時に、両腕に意識を集中させて一気に腕を外側に開く。

「ぐ……あ、ああ!」

 しかし未来が発したのは気合いの声ではなく、大きな喘ぎと激しい咳であった。

 彼女の上半身を掴む鉄のアームが一息に握りしめられ、これまで以上の圧力が襲いかかってきたのだ。予想していなかった一撃を食い止めはしたものの、外側へ張っていた肘は最早身体に押しつけられ、肺と心臓が肋骨ごと絞め上げられている状態だった。

 呼吸すらままならなくなっても、歯を食いしばって耐え続ける未来に、アンディが無感情な言葉を投げつける。

「三文芝居だ。お前が本当に女だってことは、ソフィーから聞いてるよ。本当に助かりたいんなら、もっと巧い嘘を考えるべきだったな」

 そこで一旦言葉を切ったアンディの視線が、また正面へと戻される。

「ただ、こいつの最大出力でも潰れないお前が、普通の女じゃないのは確かみたいだな。まあ、ばらす間くらいは観察することにするか」

 アンディの口振りには、やはり感情のぶれが感じられない。

 かといって、氷のような冷酷さがあるわけでもない。

 彼にとっては人間をばらばらにするのが日常の一部であり、普通なのだ。

 他人に対して心理的ブレーキが働かず、他人の心を考えることができない。

 人がどこまで残酷になれるのかということを、このアンディという男が体現しているようにさえ思えた。

 普通の人間と全く相容れず、あまりにも異質な内面を持つという点において、アンディとソフィーは極めて近い者同士だと言えよう。

 その不気味さを間近に感じた未来の心に、ざわりと波が立つ。それに揺さぶられるように、彼女の呼吸は荒く切れ切れなものに変わっていった。

「なあ。この腹をちょん切ったら、一体何が出てくるんだ?まさか、お前がロボットな訳もねえだろうし。それとも、俺が今までに見たこともないもんでも詰まってるのか。青い腸とか、肺が金属でできてるとか。それでもここで腹ん中を漁ったら、肝臓から湯気が立つくらいのあったかさはあって欲しいね。うん……そう考えると、色々と面白いな」

 怪訝そうにして未来の全身をじろじろ眺めていたアンディの顔が、ふっと下へ沈んだ。がさりと乾いた音が、ロボットの関節から上がる金属的な軋みに重なる。先に運んできていたビニールシートをアームで摘み、床に広げているのだ。

 未来の下へおざなりに敷かれたれたブルーシートから、吐き気を覚える悪臭が上がってくる。

 元は人間の一部だっただろう、干からびて白茶け、くっつき合った肉と臓物の臭い。

 夏場に腐乱死体がある現場よりはましだったが、生理的な嫌悪感を際限なく煽る異臭だ。

 立ち上がってきたロボットのボディに覗くアンディの顔と向かい合うのを無意識に避け、未来は正面から目を逸らす。しかしその先であるシートの上に、茶色の血をこびりつかせてしわくちゃに乾いた皮膚の残骸が、大量に残されているのを見つける羽目になった。

 さしもの未来も、息を止めて反射的な嘔吐を堪えねばならなかった。

「この際だ。腹ん中も、腕や足もどうなってるのかじっくり見といてやるよ。そういうやり方で捨てるって決めておいて、大正解だったようだし」

 アンディの手元に、無人ロボットの遠隔操縦用コントロールパネルがあるらしい。彼の視線が再び下を向くと、手も足も出ない状態にされた未来の下半身を握るアームがぎゅっと絞まった。

 未来の大きな瞳が、絶望と恐怖に見開かれる。

 その顔を待ち望んでいた、とばかりにアンディが口の端を吊り上げて薄笑いを浮かべた。

「あんまり喚くなよ。俺はうるさい女の叫び声は好きじゃない。俺のために何でもするなら、静かにしろ」

 子どもに言い聞かせる口調を思わせる、囁きに近い声が未来の耳に忍び込んできた。

 不規則に息を吸い込んだ彼女の苦しげな喘ぎを耳にしたアンディの視線が、苦痛と戦慄に彩られた最期の表情をじっくり観察すべく、蛇のように絡みついてくる。

「両手で捻れ。ゆっくりやれよ」

 主人である殺人鬼が放つ酷薄な言葉に、従順な無人ロボットは頷きもしない。

 命令のまま、獲物の下半身を握り締めるアームの角度をゆっくりと変えていく。

「や……!」

 やめろ、と言いかけた未来の声が、腰がよじれていく異様な感覚に凍りついた息に飲まれる。必死で腹筋に力を入れて抵抗を試みても、無理やり腹をねじる不自然な力に対しては殆ど意味を持たなかった。

 腹の皮膚がつっぱり、引き伸ばされていく激痛が走る。もしここで腹に小さな傷を一つでもつけられれば、そこからあっさりと肌が裂け、血飛沫と破れた腸の内容物を噴き出させるであろう。

 最初に捜査資料で見た、まだ11歳のモイラ・マックスウェルのように。

 最後の現場で見た、上半身と下半身が外され、首と右脚をもがれたジューン人形のように。

 今まで見た被害者たちが晒した無残な死体と、無機質な肌をしたジューン人形の姿が未来の頭の中でぐるぐる回り出した。

 痛いのは嫌だ。

 死ぬ覚悟などできない。

 このまま終わりたくない!

 命ある全てのものが同じ考えを持つように、様々な思いが一気に未来の心に溢れる。

 彼女の口から迸ったのは、言葉を持たぬ獣の如き絶叫だった。

 死にたくない!

 生きたい!

 誰でもいいから助けてくれ!

 この上なく強い生への執着を滲ませた声が空気を震わせ、凍りついた空間に轟く。

 そこへ異様な音が響いた時、苦鳴は唐突に途切れた。


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