特殊部隊CVC -1-
翌日、杉田と未来が各々の車に乗り込んだのは、まだ夜の寒気がそこここに残っている早朝6時前だった。杉田は通い慣れた道だが、未来は週に一度メンテナンスに通っているだけで不慣れだ。だから、自然と彼のシボレーの後をついていくことになる。
郊外に向かう朝の道路は混雑と無縁で、杉田は未来が運転するフォードを常にバックミラーで確認することができた。二人の自宅があるフレデリックスバーグの住宅街には、ささやかな木造の平屋から鉄の門を構えた煉瓦造りの邸宅まで大小様々な家が建っていたが、ハイウェイに入ると景色は途端に単調になる。
どこまでも広がる鈍い色の枯れかけた野原に、道路際まで迫る黒い森。実りの時期を過ぎて冬支度を整えているヴァージニアの晩秋は、からりと澄んだ空を除いた自然の色も極めて控え目になっていた。
クワンティコにあるFBI犯罪科学研究所は、フレデリックスバーグから車でだいたい1時間くらいかかる距離にある。施設自体は海兵隊基地の中にあり、クワンティコの街の住人たちはほとんどが基地関係者かその家族だ。
インターステート95(州間道路)の出口から暫く森の中の道を進むと、480エーカーという広大な敷地を持つFBIの施設が忽然と姿を現す。職員専用の入口で守衛に身分証を提示して屋外駐車場に車を止めると、二人は連れだって簡素な正門をくぐり、噴水広場を抜けて茶色い煉瓦造りの建物へと入った。
FBIやDEA(麻薬捜査局)が共同で使う射撃場や演習場、運動場といった野外フィールドの片隅に建つ大学のキャンパスのように見える建物こそが、アカデミー兼犯罪科学研究所である。未来と杉田は受付のカウンターに今一度身分証を提示して奥へ進んだ。
朝日が射し込むロビーの向こうは教室や研究室、幾つものオフィスがガラス張りの廊下で繋がれたつくりになっており、今日の目的地である地下の会議室には杉田の案内で行くことになっている。
未来が耳の感度を上げると、遠くから自動小銃の連続した発砲音が聞こえ、装甲車のキャタピラが軋みを上げて土の上を走っているのがわかった。その中に非常時でも決して冷静さを失わない、抑えた号令と命令の声が混ざっている。
HRTと海兵隊の合同演習だろうか。
彼女はアメリカでの研修の話を聞いたとき、てっきり諜報機関であるCIAか、FBIが擁する特殊部隊である人質救出チームのHRT所属になるのかと思ったものである。
考えてみれば、もう1年近く重武装した兵士たちとの軍事演習をやっていない。
それだけに、アカデミーの廊下で擦れ違う新米捜査官や隊員たちが振りまく硝煙や銃器の手入れ用溶剤の匂いを吸うと、未来は身体のあちこちが疼き出すような気さえしていた。
ここ3年で心と身体に徹底的に叩き込まれた戦場での戦い方は、全身に余すところなく染みついていた。ドアの向こうに人の気配を感じたり、窓の外で物音がした時などは、意識せずに行動しやすい姿勢で構えてしまうほどだ。
「未来?今日はこっちだぞ」
やや歩みが遅くなった未来を振り返り、杉田が怪訝そうにする。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと懐かしくなっちゃって」
列をなしてきびきびと廊下を行く新人たちをいちいち目で追っていた未来が、立ち止まっている杉田に慌てて追いついた。
アカデミーでは協力関係にある複数の法執行機関の候補生たちが訓練を受けており、彼らは服装で所属が判別できるようになっていた。警察、麻薬取締局、人質救出チーム。それぞれ身なりは違うが、合衆国の法を守ると言う使命感を抱いた彼らは皆、厳しい訓練の最中にありながらも誇らしげに胸を張り、期待に瞳を輝かせながらしっかりと歩いている。
まだ朝も早く、寄宿生活を営む候補生たちは皆起き出したばかりだのだろうが、行き交う男女の行動の節々に統制が行き届いた様子が窺える。
その中でブルーのシャツとカーキ色のパンツといういでたちのFBI新人捜査官たちを見かけると、半年前に自分がそこに混ざっていた時のことが、つい昨日のことのようにまざまざと思い出された。
だが未来は、その彼らからも値踏みするような視線が飛んできていたのをひしひしと感じていた。見学者の中学生にしか見えない自分が捜査官であることを示すカードを胸に留め、研究所へとずんずん進んでいくのが奇妙なのだろう。
一部アカデミーの施設を通り抜け、廊下のかなり奥に位置する業務用エレベーターに辿り着くと、杉田が「LL」のボタンを押した。二人は陽の光が届かない、「防空壕」の異名を取る地下3階へと下りていく。
エレベーターを下りてすぐは殺風景なアイボリーの廊下になっており、地上よりもみすぼらしく見える。杉田は更に廊下をまっすぐ行き、突き当たりにあったドアを開けた。このフロアは特にセキュリティを考慮していないらしく、ドアには普通の鍵がついているだけのようだ。
「僕は荷物を置いて白衣を取ってくるから、未来はここで待っててくれ」
「……まだ誰も来てないの?」
古いが磨かれた机が置かれた、10人以上は入れそうな会議室を未来が覗き込む。
「ちょっと早かったからね。でも、マックスがもう来る頃だよ。他のみんなもすぐに来ると思うから、座って待ってるといい」
杉田は未来にコートとバッグは隅に置いておくように言ってから、慌ただしく会議室を後にした。
彼が出て行ってしまうと、急に会議室に残されたことが不安になった。
ここで、今までどれだけ捜査に関するミーティングが行われたのだろう。
その中には何人もの犠牲者を出したテロや、被害者を苦しめるためだけに拷問した異常者が犯人の殺人事件も当然あっただろう。
自分もこれからそんな事件に、捜査官として立ち向かわねばならないのだ。
未来は短く息を吐いて、意識せずにやや縮こまってしまった背筋を伸ばした。
CVC本部は、以前「プロファイリング課」と呼ばれていた行動科学課と同じ場所に配置されている。杉田は自分のオフィスをこのフロアに持っていたが、主な仕事であるDNA分析は別のフロアにある分析室でしかできない。だからいちいち移動が面倒だと、よく未来にもこぼしていた。
そう言えば、CVCに正式配属されたら、自分もこのフロアに個人オフィスが与えられるのだろうか。今までメンテナンスは地下1階の研究室に設置されている機器でやっていたが、それよりも下のフロアに足を踏み入れるのは今日が初めてだった。
彼女がもう一度入口のドアを振り返ったとき、誰かがノブを回して部屋に入ってきた。
「マックス、お久しぶりです」
同時に椅子から立ち上がると、入室してきた人物に笑顔を作って会釈する。
「おはよう、ミキ。アカデミー修了以来のご無沙汰だな。暫く会わないうちに、すっかり捜査官らしくなってきたじゃないか」
「いえ、まだまだヒヨッコの身の上です。お恥ずかしい」
頭を上げた未来に手を差し出したマックスは、彼女と固い握手を交わした。
CVC戦闘チームの責任者であるマックス・レイヤードは、精悍さが何にも勝る印象をもたらす50代の大柄な白人男性だ。髪はすっかり色が抜けているが、贅肉が全くないすっきりとした体格の持ち主で、HRT隊員だった頃の活躍ぶりを思わせる威厳と迫力を全身に纏っている。そのいかめしい空気は、地味なスーツぐらいではとても隠せないほどだ。
穏やかな笑顔を作っている今さえ、立ち姿にも全くと言っていいほど隙がない。加えて、先に廊下で捜査官の卵たちが浴びせてきたような分析の視線を未来の全てに巡らせていることを、嫌でも感じさせる。
FBIの施設にいる限り、この男の前では決して気を抜くまい。そう思わせる人物だ。
「仮のものになるが、後で君のオフィスに案内しよう。ミーティングが長引くかも知れんから、その後にでもな」
「そう言えば、何の事件を担当するのかもまだ聞いてないんですけど」
「詳しいことは、君を他のメンバーに紹介してからにする。とりあえず、座って待っているといい」
「……はい」
それ以上は追及せず、未来は素直に従った。
日本のAWPにいた頃は上司にも容赦なく突っ込んでいたが、FBIのような歴史ある警察関係の組織では上下関係が特に厳しい。基本的には上司や先輩には逆らえないし、マナーを欠いた態度一つが左遷や降格の原因になることもあるのだ。
マックスのように嫌でも実力を感じさせる相手には喜んで従うが、フレデリックスバーグ駐在事務所のジェイコブのような輩にはどうしても言い返したくなる。
未来自身も悪い癖だと自覚はしているが、戦闘チームのメンバーにはそんな仲間がいないことを祈るばかりだ。
「おはよう、マックス」
そんなことを考えていた未来の耳に届いたのは、ドアが開く音に混ざった落ち着いた感じの女性の声だった。
「おはようございます。本日よりCVC配属となりました、特別捜査官のミキ・ハザマです」
未来が跳ねるように立ち上がり、入口に向かって反射的に笑いかける。
彼女の視線の先に小型の端末を抱えて立っていたのは、背が高い白人の女性だった。
軽く波打った豊かな金髪を頭の後ろで捻ってまとめ、フレームの細い眼鏡をかけた顔は彫りが深く、薄化粧なのに整っていて美しいと素直に思える。
茶色のコーデュロイのパンツに黒いセーターとカーディガン、足元が医療用サンダルという色気がない服の上に白衣を着込んだ冴えないいでたちでいても、この女性が理知的な光を濃いブルーの瞳に閃かせていることは、一目でわかった。
「FBI流の挨拶ね」
微かな微笑みを浮かべ、女性は目の前に歩いてきた未来の全身を眺めた。
「でも、そんなに気負わないでもらえるかしら?私はエマ・ドレイクよ。CVCへようこそ、日本のサイボーグさん……いえ、ミキ」
FBI流の挨拶とは、初対面の相手に何か言うよりも先に笑いかけ、席にかけたり名刺を交換する際にもう一度笑いかけるコミュニケーション術のことだ。相手に好印象を刷り込ませるためにこれもアカデミーで叩き込まれることだが、このエマという女性は未来のそんな緊張をも見抜いているのだ。
「私はこのチームにいるサイボーグの改造と、メンテナンスをメインで担当してるの。貴女のことは、ドクター・スギタから色々と聞いているわ。そのうち、貴女のメンテナンスも手伝うことになると思うから」
「そうなんですか。よろしくお願いします、ドクター・ドレイク」
「エマでいいわよ」
エマはにこやかに微笑んで、未来へと右手を差し出して握手を交わした。
しかし、目線が10センチほど上にあるこの美しい女性もまた、慎重な色を全身に薄く纏っていることを隠し切れていない。握手は手のひら全体でしてくれているが、どこか突き放したような冷たさが感じられるようだった。
そりゃ、異国のサイボーグなんて最初から信頼できなくて当たり前だよね。
まして私は、捜査官になるための書類審査を免除されたも同然なんだから。身元だって他の捜査官と違って、怪しいところがあると思われてもしょうがないか。
未来は勝手に自分を納得させ、握手を終えたエマが席につく様子を見守っていた。
「……実際に見てみれば、トリスも驚くと思うよ」
再び椅子に腰を落ち着けようとした未来の耳に、今度は誰かと話をしているらしい杉田の声が届いた。間髪入れず、ドアが開いて彼が会議室に入ってくる。
「やあ、やあやあ!君がミス・ハザマ……日本から来たサイボーグの捜査官か。よくCVCに来てくれた!僕はトリスタン・ケンジ・オノだ。トリスって呼んでくれ。よろしくな!」
その杉田を突き飛ばさんばかりの勢いで入ってきたのは、未来とあまり背丈が変わらないくらいの小柄な東洋人男性だった。
「本日よりCVC配属になりました、特別捜査官のミキ・ハザマです」
彼の勢いに気圧されそうになりながらも立ち上がり直した未来は、完璧な笑顔を作り手を差し出した。
「へえ、見た目は本当に可愛い女の子なのに。確かに、ドクター・スギタが言った通りだ。君が拳銃一丁でテロリストの一団を壊滅させた戦闘用サイボーグだなんて、本当に驚きだ」
未来の小さな手を力強く握り返したトリスは、まじまじと未来の顔や手足を見つめてくる。それに、未来がサイボーグだということをあからさまに口にして、好奇の目を全力で向けてくる人物は初めてだ。
しかし本人に全く悪気はないようで、まるで見たことがない昆虫を捕まえたときの子どものように瞳を生き生きと輝かせていた。
彼が会議室にいるメンバーの中で一番ふくよかな体型と言える。
小太りな背格好で童顔に眼鏡、チェックのシャツの下に重ねたハイネックと色褪せたジーンズ、スニーカーというファッションは、一昔前の「オタク」スタイルそのものだ。ケンジというミドルネームと少し伸ばした硬そうな黒髪からして、日系人なのだろう。
「え……ちょっと、先生!そんなことまで話してるの?」
「未来の戦闘データは、予めFBIに渡されてるよ。知らなかったのか?」
相変わらずハイテンションのまま手を離さないトリスに初めて自分の身一つで戦ったときのことをさらりと言われ、憮然とした未来が声を荒げる。が、白衣を羽織った杉田は困ったように肩をすくめただけだ。
「ところでミキ、君は武器を内蔵してたりはしないのか?」
「……は?」
「ああ、いや。僕はこのチームで、戦闘用ボディスーツと武器開発と管理を担当してるんだ。君がどんな武器を使ってるのかとか、すごく興味があってね」
未来が面食らい笑顔を引きつらせて半歩退いたところへ、トリスが更に踏み込んでくる。
未来は体内の電池ユニットに蓄積された電力を両手から放出することができ、それが生身のときの強力な隠し武器だと言えるだろう。スタンガンを内蔵しているのと同じだ。
しかし、今それをトリスの前で口にするのは憚られるような気がした。
「トリス、それぐらいにしとけ。ミキがびっくりしてるだろう」
やれやれ、と言いたげにマックスが頭を振った。
「えと……また後で、そういうことは話しますから」
「うん、是非ともね。ミキにも僕が準備した武器を使ってもらうことになるから、時間があるときにじっくりと話をさせてくれよ」
まだ引き気味の未来へ、目を細めて人なつこさたっぷりの笑顔をもう一度投げかけてから、トリスが会議室の奥の方の席に移動していった。
「あいつはいつもあんな調子だが、毎日会ってればすぐ慣れる。あまり気にするな」
そこへ、不意に威圧感がある低い声がごく近くからかけられた。驚いた未来が振り向くと、いつの間にかすぐ後ろに別の男性が控えていた。
「ベルナルド・スペンサーだ。ここでは戦術コンサルタントをやっている。何かあるときはバーニィと呼んでくれ」
他の仲間と違った、心地よいが感情をあまり乗せていない声だ。
彫りが深めの顔だが黒っぽい髪と瞳から察するに、白人ではないようだった。歳は40代くらいに見え、エマよりは年上でマックスより若い、という辺りだろうか。
未来は今日何度目かになる笑顔に自己紹介の言葉を添え、改めてバーニィの方を向いた。
「特別捜査官のミキ・ハザマです」
二人は同じタイミングで右手を差し出したが、未来はバーニィが室内なのに白い布の手袋を外していないことに気がついた。だからと言って特に構うことなく、握手を交わす。
彼女の手を握ってきたのは人間の皮膚と明らかに違う、硬質で冷たい感触だった。
「そんなに驚くことはないだろう?俺の両手は、お前と同じだよ」
僅かに表情を変えた未来に、バーニィは平坦な調子で言い放って手を離した。
彼の両手は、金属製の義手なのだ。だから室内でも手袋を外さないのだろう。
「そうですか、貴方が……」
「いや。残念ながら、俺はサイボーグじゃない。期待を裏切って悪いがな」
未来はてっきり、完全に気配を殺す技を平気でやってのけたバーニィがサイボーグなのだと思ったが、彼はあっさりと片手を振って否定した。
「いえ、そんなこと!すいません、失礼しました」
慌てて彼女は頭を下げる。
それでも彼が戦術コンサルタントということは、実戦の際に指揮を取るはずだ。FBIの特殊部隊に当たるCVCにいるのだから、バーニィも他のメンバーと同じかそれ以上のスペシャリストであることの予測はついた。マックスと同じく特殊部隊隊長クラスか、それ以上の出身と考えられる。
しかしバーニィは、そんな輝かしい戦歴を残している者に特有の闊達さが、どこか欠けている印象だった。それは彼が黒いジャケットと黒のデニムにグレーのハイネックシャツという沈んだ色調の服に身を包んでいるからでも、話し方が抑え気味だからでもない気がする。
未来は握手を終えたバーニィの考えを図るかのように、大きな瞳でその仕草を追った。
確かに椅子にかける動作一つにも無駄がなく、軍出身者によく見られるぴりっとした空気があり、未来に気づかれないくらい見事に気配を殺す術も身につけている。
その一方で何を考えているかわからない、因縁めいた陰のようなものが表情の裏にある気がしてならない。
それにしても、一番しっくりきそうなバーニィがサイボーグではないのだとしたら、一体どんな人物がサイボーグなのだろうか。
「あとここにいないのは、ジャクソンだけか?」
「そうみたいね。今日は遅れないように散々注意しておいたのに、寝坊でもしたのかしら?まあ、いつものことではあるけど」
持ち込んだ端末をデスクに置いてから再び立ち上がり、未来の隣まで来たバーニィが会議室の中をぐるっと見回すと、エマが眼鏡を上げつつ困ったように溜息をついた。
「ジャクソンって?」
「ああ、戦闘員のサイボーグだ。今日は奴をミキと会わせるのが一番の目的だと言うのに、また遅刻のようだ。後でしごかなければならんな」
未来がバーニィの顔を見上げたとき、彼もエマと同じく溜息を漏らした。
「遅刻ですか?捜査官なのに」
決められた時間を守れないなど、捜査官として言語道断だ。他の事件の捜査などの納得が行く理由があるなら仕方ないかも知れないが、エマやバーニィの様子を見ると、ジャクソンなる人物はどうもそうではないらしい。未来は眉をひそめざるをえなかった。
「不良捜査官がいるとすれば、あいつはそれにぴったり当てはまるだろう。しかしFBIでは唯一のサイボーグだからクビになることもないし、実際の捜査のときは目立った違反行為もしない。あれで普段の態度をもう少し……」
バーニィの言葉が途切れる。
そこにいる一同の耳へ平等に、廊下をどたばた走ってくる賑やかな足音が届けられていた。皆が顔を上げて、ドアへ注目する。
「おっ!まだ、ミーティングは始まってないようだな。やれやれ、セーフってことか」
「安心する前に、遅れたことをまず反省するのが先だ。今日は遅刻するなとみんながあれほど言っただろう、ジャクソン」
呆れて首を振ったマックスの視線の先で、会議室のドアを荒っぽく開けてきた黒人男性が息を弾ませながら、茶目っ気のある笑顔を振りまいていた。
「……でかっ」
ジャクソンと呼ばれたその人のすぐ脇に立った恰好になった未来が、思わず目を丸くして呟いた。
ジーンズに襟元を開けたシャツ、Vネックのセーターを重ねた身の丈は、優に6.5フィート(約193センチ)を超えているだろう。未来の背丈は、彼の顎よりも下だ。
黒人特有のしなやかで細く、むらのない筋肉に覆われた体つきは、草原を疾走する猫科の獣を思い描かせる。しかしその顔は迫力よりもどこか少年っぽさが抜けておらず、明るさを溢れさせている表情の上には、優しい瞳が温かく笑っているかのような印象が勝っていた。
「まぁ、堅いこと言うなよ、マックス?結局はぎりぎりで間に合ったんだから、いいじゃないか。ところで」
額に浮かんだ汗を拭い、ジャクソンは会議室全体に黒い瞳を巡らせた。
「今日は日本から来たサイボーグの捜査官が、初めて来るんだろ。日本人なら、時間には正確なんだよな。どこだ?どこにいるんだ?」
相変わらずジャクソンはきょろきょろと部屋の中を端から端まで見渡すが、彼の視線は全てが見事に未来の頭上を通り越していた。
「お前のすぐ横だ。気づかんのか?」
「……ん?」
バーニィに無表情に言われてからようやく、ジャクソンが顎を下げて自分の近くを視界に入れる。その中に、明るい茶色の髪に包まれた未来の頭のてっぺんがあった。
彼女は目一杯上を向き、驚いたようなジャクソンの顔を正面から覗き込むようにして笑顔を作った。
「貴方が、CVCのサイボーグ……」
「おいおい、ここはお嬢ちゃんみたいな中学生が来ていい場所じゃない。誰に頼み込んでここまで入ってきたのか知らないけど、警備員に見つかる前に、とっとと見学者コースに戻ったほうが身のためだぞ」
今度はジャクソンが何てこった、言いたげに自らの顔をぺちんと叩いて首を振った。一方的に言葉を遮られた未来は、一瞬唖然としてそのまま固まりかけたが、彼女の口から漏れたのは鋭い怒号だった。
「ちょっと、何すんの!このスーツが破けたら、弁償ものなんだからね!」
ジャクソンが彼女のスーツの襟を掴んで、強引に会議室からつまみ出そうとしたのだ。
「親切な俺が、エレベーターまでは連れてってやるよ。不審者として、撃ち殺されたくはないんだろ?」
「だから、私は!」
声を荒げる未来の言うことなど聞こうともせず、ジャクソンは彼女の襟首をがっちりと掴んだまま小さな身体を引きずろうとしている。杉田が慌てて席を立ち、二人の間に割り込もうと駆け寄った。
「よせ、ジャクソン!彼女は君と同じサイボーグ捜査官だ。一発食らう前に早く……」
杉田が事実を告げたそのとき、未来が下から思い切りジャクソンを睨みつけ、自分を押さえている太い右腕に手をかけた。
「ぎゃっ!」
突如、右腕全体が激痛に襲われ奇声を上げたジャクソンが、弾かれたように右手を上げて未来を解放する。
遅かったか、と諦めた杉田は足を止めて肩を落とした。
「人の言うことを聞こうともしないで手荒に扱うなんて、レディーに対する態度がなってないんじゃないの?失礼にもほどがあるでしょ!」
「……お前、一体俺に何をしたんだ?」
ジャクソンの右腕には未来の指先が少し触れただけなのに、思わず叫びを上げるほどの痛みと、逆らうことのできない衝撃が走っていたのだ。
怒りに任せて頬を上気させている未来は、彼女を捕まえていた右手を庇っているジャクソンに向き直って無意識のうちに身構えている。
「別に何も。あんたのおいたが過ぎる右手に、ちょっとお仕置きしてやっただけだよ」
むすっとして言葉を繋ぎ、未来はまだ仰天している様子の大男を睨んだ。
「彼女は電池ユニットのエネルギーを、外部に向けて手から好きなときに放電できるんだ」
「それは……スタンガンを食らったようなもんなのか?」
杉田が二人の方へゆっくりと歩み寄り、ジャクソンの右腕に軽く触れる。
「そう。かなり痛かっただろうけど一瞬のことだったし、彼女が意識しなければ電流もそんなに高くはならない。今ちゃんと動かせるなら、別に問題はないだろう。その程度で済んで良かったよ」
「昔のニンジャみたいに、隠し武器を持ってるってことか。こんなのが日本式の挨拶だとは思わないけど、こりゃまた随分ときついな」
未来から電撃の洗礼を浴びせられたことにはちっとも腹を立てず、ジャクソンはむしろ面白そうに目の前の小柄な女性を眺めた。
「どっちが?あんたこそ、いきなり私をつまみ出そうとしたくせに。私はれっきとした特別捜査官で、あんたと同じサイボーグなんだから」
「いやぁ、ミキがあんまりキュートなもんで。つい、小さな女の子扱いしちまった」
と、快活に笑うジャクソンの表情に全く悪気はなさそうだ。
「あ、俺の挨拶が遅れちまったな。俺は特別捜査官のジャクソン・トルーマン。CVC戦闘チームの戦闘員でサイボーグだ。これからは、捜査や戦闘のときにコンビを組むことになるよ。よろしくな」
そしてすかさず、手を差し出してくる。未来は大きな目をしばたかせると、軽く息をついた。一騒動起こしたことをここまで綺麗さっぱり流されてしまうと、怒りが募るのを通り越して毒気を抜かれた気分だった。
「ほら、未来。君もジャクソンに挨拶がまだだろう?」
ほっとしたように見える杉田が、苦笑しながら促してくる。吊り上っていた眉の端から力を抜いて、未来はジャクソンの手を握り返した。
「私は今日からCVCに配属になった、特別捜査官のミキ・ハザマ。まぁ、仲良くやって行きましょうか」
「すごいな!ミキは体内の電池ユニットから、自在に電気を引き出せるのか?そんなギミックをその小さな身体の中に持ってるなんて、流石は日本の最新技術を集結させたサイボーグだ。よし!こうなったらジャクソンにも、これに負けないような隠し武器を持たせるしかないな」
ひどく興奮し、椅子を蹴飛ばさんばかりの勢いで立ち上がってきたトリスタンが、未来とジャクソンとの間に割り込んでくる。先よりも明らかに高い調子で弾んでいる声を耳にして、しまった、と未来の顔が引きつった。
「お前たち、いい加減にしろ。それは後回しだ。もうミーティング始めるぞ」
怒鳴りたいのを抑えているのがわかるマックスの低い声は、未来にとっては天から響いてくる救いの声に聞こえた。