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安息なき夜 -22-

 ジャクソンが乱暴にカウンターの上のビール瓶を取ってグラスに注ごうとしたが、とっくに空になっていたことを失念していたようだった。鋭い舌打ちを漏らし、彼はカクテルのグラスを運んでいたルイを呼び止める。

「ビール、もう一本くれよ」

「あんた、この後運転して帰るんでしょ?あたしは儲かるからいいけど」

 立派な黒人男性であるルイは一度たしなめはしたものの、すぐにジャクソンのために追加のビールをカウンターに持ってきた。肩に届く豊かな髪をひっつめたルイが手を伸ばして空のビール瓶を取ると、かすかなコロンの香りが未来の鼻をくすぐる。

「もうちょっと頭に血を回さねえと、いい考えが浮かんでこねえんだよ」

 確かにジャクソンは、まだ酔っているようには見えない。だから敢えて、ルイも本気で止めようとは思わないのだろう。客が少し減って手が空いたのか、ルイは未来たちのいるカウンターの向こう側にそのまま回った。

「でも、お嬢ちゃんとジャクソンだけって言うのは初めての組み合わせよね」

「最近は時間帯が合わなくなっちゃったからね」

 天井近くを彩るネオンに照らされたルイが、ボストン・クーラーをもう一杯作ろうとラムのボトルを取り上げる。苦笑を浮かべている未来は、控え目に彼を制した。

「あ、私はもうアルコールはいいよ。ダイエットジンジャーエールがあれば嬉しいんだけど」

「コークとか普通のジンジャーエールでいいじゃないの。お嬢ちゃんも、もうちょっと脂肪をつけた方がセクシーなのに」

「ミキは、余計な男を引っ掛けようとしなくても生きていける女だからな。これ以上セクシーになる必要なんかねえんだよ」

「うるさいな、悪かったね」

 ルイに続いて、未来がジャクソンのからかいに口を尖らせる。

 未来も、自分が欧米人に比べてずっと幼く見えることが話の種にされるのにもう慣れていたし、いつまでもジャクソンと2人で重苦しい空気を抱えていたくはない。そこにルイが混ざったことで、多少なりとも周囲の喧騒に馴染む雰囲気に変わったようだった。

「でも、恋愛より夢中になれることがある強い女って素敵じゃないの。あたしなんか、いつも恋してなきゃ苦しくなっちゃうってのに」

「ルイに似合う相手って、相当ガタイが良くなきゃ無理なんじゃないの?」

 未来はルイの広い肩と、白いブラウスを捲り上げた袖から突き出た、筋肉が目立つ腕に目をやって笑った。彼が未来の見た目に関した発言をしたことへの、軽いお返しだ。

「あたしは可愛い子も、男らしい大人の男もどっちも好きよ」

 ルイも笑顔で返してくれるが、濃いルージュとアイシャドウ、くっきりとしたマスカラが暗い中でもわかるメイクで女言葉に乗せられたこの台詞は、多分冗談ではないのだろう。

 異性装嗜好者であり同性愛者でもあるルイは、遅い時間で席が空きつつもまだまだ賑わっている店内をぐるりと見渡した。

「この辺りには、色んなタイプがいるわ。軍の施設が多いからね。もともと彼らのために開いてるような店でもあるわけだし」

「やっぱり、趣味と実用を兼ねてるってわけなんだ」

 未来も何気なく、ルイの視線を追った。

 ホワイトクロウは地下にあるこの手の店としてはかなり広く、7、80人分程度の席数はあるだろうか。客は若い男性が中心だが、老紳士と言っていいくらいの年齢の二人組みがテーブルの下で指を絡ませていることも、よく見ることができる。

 彼らの人種は様々だが、きっと職業や家庭事情も個々で違うはずだ。

 ティアーズで一番最近の被害者であるエミリオも多分、同じような店で自分を一晩だけ買ってくれる相手を探していたのだろう。

「ここでひと商売してる連中もいるのかもな」

「そりゃ、いるでしょうよ。あたしは、お客さん同士のことには首を突っ込まない主義だけど。ただ、変な連中が入り込まないようだけ気を使ってるわ。だから、ここまでやってこられたのよ」

 未来と同じことを考えたらしいジャクソンが何気なく話を振ると、ルイは肩をすくめて見せた。

「まぁ、うちみたいな店って意外と多いのよ。人目につかないだけでね」

「でもお前んとこは、結構な老舗だろ?」

「そうね。近くにあるお店のことは、大体耳に入ってくるわ」

 ルイの口調が、僅かに緊張を帯びたものに変わった。ジャクソンと未来がそれとなく視線を交わし合うのを視界の隅に留めたのだろう。彼らの纏う気配がくつろいだものでなく、仕事のそれに変わったことも察しているようだった。流石にジャクソンの信頼を勝ち取っている情報提供者だと、未来は素直に感心した。

 ルイがカウンターに肘をついて、2人の捜査官の方へ半身を寄せた。

 黒い瞳が、無言で質問を促してくる。

 ジャクソンはジャケットの内ポケットからハンドターミナルを指で挟んで取り出すと、エミリオの顔写真を画面に素早く呼び出してカウンターの上に置いた。

「なぁ、この男は見たことあるか?」

 小さな液晶画面に現れた黒人の若者の顔を見ても、ルイの表情は動かない。

 生前のエミリオは鼻筋が細く唇も薄めで、繊細な印象がある顔立ちだった。同年代の黒人たちに混ざると、かなり目立つ存在だったに違いなかっただろう。

 ルイはマスカラを塗りたくった睫毛の隙間で視線をゆっくり巡らせているが、懸命に思い出そうとしているような素振りは見せなかった。本当に見たことがないのかどうか、それとも誤魔化そうとしているのか、未来には判断がつかない。

「そうねぇ……」

 溜息をつくようにルイが一言こぼすと、ジャクソンが片方の眉をぴくりと動かし、濃いメイクの顔を至近距離からずっと見つめた。

 彼もルイの考えを探っているのだ。

 が、二人のサイボーグの四つの目でじろじろ顔を見られている当の本人は、平然としたものだ。ルイが口を開いてから数十秒の間、ジャクソンと未来それぞれの瞳を見返す余裕すらあるのである。ルイは日頃から強烈な個性を持つ人間を大勢相手にしているのだ。度胸の据わりっぷりは、その辺の警官よりも上なのかも知れない。

 しかし、時間が経過するにつれてジャクソンの肩が徐々に下がっていくことに、未来は気がついた。ルイのしぐさが、望み通りの回答が用意できないときのそれなのであろう。

 息をついたジャクソンが、ハンドターミナルを引っ込めようとした。

「もちろん、見たことあるわよ」

 その太い声で反射的にジャクソンのハンドターミナルを握った手が跳ねて、丸まっていた未来の背筋が一瞬でまっすぐになる。

 ルイは彼らの反応には殆ど気を留めず、店の中ほどにある二人がけのテーブルをそっと指差して見せた。

「彼、ふらっと一人で来ることが多かったのよね。だから、あたしもよく覚えてるの。いつもあの辺りに座って、同じような相手を探してたわ」

 引き伸ばされたセピア色の風景写真が後ろにかけられているそのボックス席は、店のドアをくぐるとすぐに目に入る場所にあった。きっとエミリオはドアが開く度に顔を上げ、客の顔を見ていたのだろう。

「確か、甘めのカクテルをよく飲んでたわ。それに、来たときはいつもキスチョコとナッツを頼んでてね。事件のことは一応知ってたけど、あの子が被害者だったってのは今日のニュースで知ったところよ」

 バラバラ殺人事件であるティアーズのことは当然各メディアでセンセーショナルに報道され、身元が判明した被害者の顔写真も公開されている。空の席を見つめるルイは、何も言わずに深く頷いていた。だんだんはっきりと思い出してきたのだ。

 思わず視線を交し合ったジャクソンと未来が、更にルイへと半身を寄せる。

「知ってるかも知れないが、彼の名前はエミリオ・ハンソン。住んでたのはキングジョージ郡だ。個人で売春をやって生活してたらしい。でも、恋人がいるような様子はなかった」

「彼を見かけだしたのって、いつごろからだったの?」

 ルイはまず未来の方を見て、質問に答えた。

「彼がうちに来るようになったのは、ここ2か月くらいかしらね。多いときは週に2回か3回は来てたわよ。大体夜の10時くらいが多かったと思うけど」

「彼を最後にここで見かけたのって、いつ?」

「11月25日かそこらだったと思うわ」

 ルイの答えに、未来とジャクソンは目配せし合った。

 エミリオが自宅付近で最後に目撃された日、彼はそのままここに来ていたのだ。そうなれば、ここで犯人と接触した可能性は高い。

 未来がメモを取るために一旦質問を止め、膝に置いていたバッグを探る。彼女がハンドターミナルを取り出したのと入れ替わりで、ジャクソンがカウンターに肘をついて更に身を乗り出した。

「エミリオは売春をしてたんだ」

 強調して、ジャクソンは繰り返した。

「この店でも、もしかしたら相手を探してたのかもしれねえ。いつも一人で来てたってことなんだからな」

 表情を変えずに軽く頷いたルイの視線を正面からとらえ、未来も新たな質問を投げかけた。

「彼、出て行くときも一人だったの?誰かと一緒だったこともあった?」

「流石にあたしも、そこまでは覚えてないわよ。担当はいつもあたしがしてたわけじゃないしね。まあ、あたしからお嬢ちゃんへのサービスはここまでよ」

 女装の黒人店主は、そこで未来たち2人の顔から視線を意図的に外して呟いた。

「そうねえ。カメラに映ってる可能性があるわ」

 彼が動かした視線の先を、2人の捜査官が素早く追う。

 店内の天井近くを見渡してみると、幾つかの赤い点が弱々しく光を放っているのが見えた。防犯カメラの作動ランプである。注意して見なければわからないほど暗い灯りだが、全ての席の様子が映るように工夫して配置してあるのだろう。

 未来が赤外線フィルタをオンにして見直してみると、カメラは透明なドーム状のアクリルに覆われている旧型のものであることが判別できた。

「カメラ映像のコピーを渡してもらえねえか?」

「急ぐならすぐ誰かにやってもらうけど、生憎機械の扱い方がわかるのはうちの若い子だけでね。彼、お店の看板なのよ。後ろに引っ込めなきゃならないかしら」

 ジャクソンの要求には勿体ぶった応答をまず返す辺りに、ルイが情報提供者であることを改めて感じさせる。ルイにとってここから先は善良な一般市民のボランティアではなく、立派なビジネスになるのだ。

 早々に諦めたジャクソンが、やれやれと両手を上げて溜息をついた。

「わかったよ、そいつの給料分だけだぞ」

「彼の時給、高いわよ」

 ジャクソンは映像をダビングできる店員の給料分を、情報料としてルイに支払うと提示したわけだ。捜査上は極めて重要な情報になるため、その程度の金銭のやりとりが発生するのは当然だったが、ルイは首を縦に振りつつもまだ言いたいことがあるようだった。

「今すぐ、25日の分だけでも渡せるけど?あたしにも、チップを弾んでくれるならね」

 意味ありげに含み笑いをして見せたルイを、ジャクソンがじろりと睨む。

 その気になりさえすれば、ルイも映像のコピーができるのだ。こうなると、先に話が出た看板店員が実際にいるのかどうかすら怪しくなってくる。

「くそ、人の弱味につけ込みやがって」

 ジャクソンが舌打ちしてデニムのポケットから付箋紙とボールペンを取り出し、走り書きしてルイに手渡した。そこに書かれた金額を目にしたルイが、一呼吸置いてから笑顔を返す。

「あんたみたいな、懐の広い男は大好きよ」

 一番上の付箋を剥がした女装の店主の目はしかし、まだ笑ってない。彼の目はジャクソンや未来の背後の客に怪しい動きがないかどうかを、さり気なく確認していたようだった。

 まだ仕事の顔を保っているルイに、今度は未来が低く言う。

「防犯カメラの映像って、どれぐらいあるの?」

「いつからの分が欲しいのかしら?とりあえず、3ヶ月分は残してあるけど」

 ルイがビジネスの姿勢を崩していないことに、未来も便乗することにしたのだ。とりあえず、無難と思われる要求を提示する。

「ここ1か月の分、全部もらえる?」

「あら、お嬢ちゃんも要求がちょっと激しくなってきたわね」

 ルイが唇の端を皮肉っぽく曲げて笑ったが、決して困らせる意図でそうしたわけではないようだった。彼が捜査官として成長しつつある未来のことを好意的に見ているのは、もうわかっている。

「勿論、私からもチップは弾ませてもらうから。2人分ね」

 そして未来も、ルイへの初めての依頼にやや高い報酬を支払うことを約束した。

 監視カメラの映像がすぐに手に入るとは言っても、全てを確認するのには時間がかかるし、映像解析用の特殊な設備も必要だ。

 今日はこれからクワンティコのCVC本部へジャクソンと取って返し、早朝から作業する必要があるだろう。既に日付けは12月2日に変わっていたが、地下の暖房の効きすぎた部屋で無機質な映像を見続ける夜は、まだこれから訪れようとしていた。


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