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安息なき夜 -21-

 未来とジャクソンがホワイトクロウのカウンターで落ち合ったのは、ほろ酔い気分になった客たちが店を後にする、午後11時を回った頃だった。

 未来は捜索先から郡警察署に移動してニコラス、ジェイコブらと証拠品の検分を行ったが、証拠品の点数が多かった分時間を要し、終了した頃には9時半過ぎになった。

 一連の作業の主体となったのは郡警察のスタッフであり、証拠品を後で引き取ることになっているFBIの担当者2人は、手を貸したという程度である。未来は、今後の捜査についてニコラスら郡警察担当者と打ち合わせを行うのが主な仕事となり、証拠品に張り付いているわけにもいかなかった。

 当然その間別行動を取っているジェイコブの動きは気になったが、検分中に彼には気をつけるよう他のスタッフにこっそり耳打ちしていたものの、彼は特に怪しくはなかったとの言質を得たのみだった。

 この検分は、ジェイコブが証拠品をどうにかする最後の機会だったはずだ。

 そこで何かしたように見えなかったということは、彼はやはり捜索中に証拠を隠滅したか、改竄してしまったと言うことだったのだろうか。

「どうも、面白くねえ話になってるようだな」

 ホワイトクロウのカウンターで未来の説明を聞いていたジャクソンは、舌打ちを漏らしそうな顔でグラスに注いだビールをあおった。

「逆だよ。私のことを憎たらしく思ってる連中にとっては、さぞかし面白いんじゃない」

「まあ、ちょっと昔なら女でアジア人のお前をやっかむ奴らはいっぱいいただろうな。事件をちゃんと捜査できるだけ、今はましになってるってこった」

 ジャクソンがグラスから投げやりに言いつつ顔を上げたところで、未来が自分のボストン・クーラーに口をつける。ステーキサンドやミートローフプレートの夕食を終えた二人の間にはサルサを盛ったバスケットがあったが、お互い考え込むばかりであまり手をつけていなかった。

 ジャクソンは、事の顛末を未来から聞いてから未来以上に考え込んでいた。

 黙っていても内心の不快感がひしひしと伝わってくる彼の表情からは、ジェイコブの言動に対して激しい怒りを覚えていることが読み取れる。

 この黒人捜査官は勤務中にふざけることはあっても、根は極めて真面目であり、自分の職務に誇りを持ち、忠実であろうとする素朴な人柄だ。ジェイコブのように姑息な男は、許し難いのであろう。

 彼はきつく巻いた黒髪に指先を突っ込むと、タバコの煙でぼやけた宙を一瞬睨んでから視線を未来の方へ向けた。

「しかしわからねえのは、あのクソガキがどうやってエミリオの家の捜索予定を知ったかってことだな。お前は掲示板になんか、予定を書き込んじゃいなかったんだろう?」

「もちろん、それは誓ったっていいよ。私がランチェスターに教えるような真似、するわけないじゃない」

 ジャクソンにそう未来は断言したものの、未だにわけがわからず困惑が残っていた。

 ジェイコブが特に女である自分を見下しているのは日常茶飯事だったが、彼は5秒でばれるような嘘をつく男ではない。

 だからこそ、彼が話していたのが事実だったことを自分の目で確認してから、彼女は動揺してますます混乱したのだ。

「その掲示板の書き込み、お前が実際に見たんだってな?」

「確かに私の名前で、ちゃんとスケジュールが書き込まれてたのは確認したよ。ご丁寧に、私が緊急で行かなきゃならないって言ってる嘘の捜査のことまでね」

 未来もジェイコブに言われたことを信じる気など全くなかったし、スケジュールを入れた覚えが全くなかったのだが、掲示板で公開された情報をいざ見てみると、途端に自分の言動に疑いを持ちたくなってくる。

 捜査を妨害しかねないジェイコブに重要な情報を晒し、あまつさえ彼に一切を任せるなど、一時的に気が狂ったとしか思えない判断だ。いくら杉田のことがあって精神的に不安定とは言っても、記憶が欠落するほど混乱することなどありえない。

 しかし彼女は重い口を開き、触れたくない事実を口にせざるをえなかった。

「ただ、エミリオの自宅の捜索についての内容は、日時を除いた一言一句があんたに送ったメールと全く同じ内容だったみたいで」

「何だって?」

 ぎょっとしたジャクソンが、まだ髪に突っ込んでいた指をこわばらせる。

「掲示板の書き込みは、決まったメールのテンプレートを使ってもできるでしょ?」

 未来はジャクソンにグループウェアの特徴を思い出させるようにゆっくりと言った。そのままボストンクーラーのグラスを取り、嫌な緊張で乾きがちな口と喉を潤す。

「私、掲示板にスケジュールを書くときはいつもメールを使ってて。一昨日そっちにメールを送ったときも、同じテンプレートで宛先のアドレスだけをジャクソン宛に変えた奴を送ってたの」

 掲示板書き込み用のメールテンプレートは、日時や場所、参加者などの要点をまとめて書くように体裁が整えられている。通常の用件を伝えるのにも使えて便利なことから、こうした使い方をしている職員は多かった。

 ただし、テンプレートは宛先が自動的に指定されるため、必ず書き換える必要がある。これを忘れたために必要のない情報を掲示板に書き込んでしまうトラブルも日常的に発生しているが、閉鎖ネットワークでは大した問題にならないため、本部も特に対策をしていないのが現状だった。

「ひょっとして私、宛先から掲示板の書き込み用アドレスを消し忘れてたのかも」

 認めたくはないが、未来にはそうだとしか思えなかった。やり切れなさから深い溜息が漏れて、意識せずに瞳が閉じられる。

「本当かよ。まさか、送信先をミスしたのか?」

「予定を誰かに送るときは、いつも宛先を確認してから送ってるよ。でも、もしかしたら私がそう思ってるだけなのかも知れない」

 ジャクソンも信じられないようだったが、未来は自分の口から言えば言うほど、自信を失っていく羽目になっていた。普段は習慣であまり意識せずにやっていることのため、正確に思い返すことができないのだ。

 心底から困り果てている未来に、ジャクソンが決して豊富ではないネットワークセキュリティの知識を探って助け舟を出そうとする。

「実際の捜索の日時は、俺が見たメールに書いてあったのとは違うじゃねえか。お前が送ったメールは、送信ログが残ってるだろ?その本文を確認すればはっきりする」

「私、メールの送信ログは残してないんだよ。あっという間にディスクがいっぱいになっちゃうから」

 しかし、それも未来本人からあっさり否定されてしまった。

「けど、俺のとこに届いたメールには、掲示板のアドレスは含まれてなかったぞ」

「掲示板のアドレスは、BCCに入るように設定してたんだよ。ジャクソンにはToで送ってるから、見えない筈なの」

 再び救いの手を差し伸べてくれたジャクソンに頷けない未来は、指先で摘んだサルサを申し訳なさそうな様子で弄んでいる。チェダーチーズ味のチップスを所在なげに口に運んだ彼女を、ジャクソンはまだ見捨てていなかった。

「掲示板の書き込み時刻はどうなんだ?」

「ええと、確か11月30日のお昼くらい。その時間は私、事務所でまだ仕事してたから。何度かグループウェアにもログインしてたよ」

「でも、掲示板には書き込みしてないんだよな?」

「掲示板は見てもない。でも、それを証明できる簡単な方法はないと思う」

 それでもだんだん抑揚がなくなってきたジャクソンの質問に、未来が力なく頷く。

 そこで、両者の唇が動きを止めた。

 四つの強化された耳が、男たちの低いざわめきで満たされていく。

 そこに流れ込んできたのは、一晩の相手を見つけた者がこれからどこまで行くかとか、手っ取り早く相手を落とすにはどうするか、などという他愛のないことばかりだ。たまに海兵隊の隊員のものらしい話も混ざっているが、自分たちの話がどれだけ場違いであるのか、つくづく思い知らされる。

 瓶に残っていたビールを一気にグラスに注ぎ、飲み干したジャクソンが話を再開させた。

「そもそも、俺に送ったメールの内容が間違いだったってことはないよな?」

「それはないよ」

 こうなると、自分に送られたメール内容がもともと間違っていたのでは、と疑い出しているジャクソンに、未来が今度は即答した。

「私、電話で話をするときは、いつも電子付箋を使ってメモを取ることにしてるの」

 彼女の頭の中は、個人仮想端末のデスクトップ画面に新しく作成した電子付箋の派手なレモンイエローに彩られていた。

 電子付箋は、文房具の付箋紙と同じコンセプトのソフトだ。パソコンのデスクトップ画面に色や形などを好きなように作成して貼り付ける台紙のようなもので、そこに文字を打ち込むことができる。

 未来はこの便利なソフトを日本にいる頃から使っていた。

「今回もそれから内容を全部コピーして貼り付けたから、送ったメールの情報が間違ってたってことはない。絶対に」

 絶対、とまで言い切った未来を前に、ジャクソンは呻くしかない。

「しかしランチェスターが捜索の情報を知るためには、メールか電話の盗聴しかないわけだろう。もしくは、個人端末への不正侵入とか」

「もし不正侵入や電話の盗聴なんかがあったとしたら、もうとっくに本部で騒ぎになってるんじゃない?それに、彼はそんなに情報技術に精通してるわけじゃないみたいだし」

 コンピューターのセキュリティに詳しくないジャクソンは、頭痛を覚えているかのようにこめかみに指を当てていたが、対する未来はしれっとしている。

「しかしだ。現実としてあのクソガキが予定変更のことをお前から聞いて、郡警察の連中に指示を出して、掲示板に書かれた予定通りに動いてる」

 そんな彼女を尻目にして頭を抱えて唸り、ジャクソンは先を続けた。

「それで、土曜日は事務所にいたのがミキ一人だって言うじゃねえか。それじゃ、お前が俺に間違った情報を書いたメールを送ってかつ、掲示板に正しい情報を書いたんだってことになっちまう。何とか、メールや掲示板のログを確認する方法はねえのかよ」

「問題はそこなんだよね。本部から許可を取ってサーバのログを取り寄せるしかないけど、何があったのか怪しまれるから。あんまりことが大きくなると、隊長が出なきゃいけなくなるのかも」

 未来の声がどんどん低く小さくなってくる。

 メールサーバやグループウェアサーバのログには、BCCに書かれていたアドレスや掲示板に書き込みを行った端末のIPアドレスが記録されている。

 ただし、サーバはフレデリックスバーグ駐在事務所ではなく、ERF(技術開発研究所)があるクワンティコのサーバルームにあるのだ。そこには許可を受けた者しか入れないのは勿論のこと、情報の持ち出しに関しても厳重な管理が敷かれていた。

 冷静に言えば言うほど、彼女は自分を追い詰めている自虐的な気分になった。

「そいつは駄目だ、なるべく大事にはしたくねえ。もしこれでCVCの危機管理能力が問われるようなことにでもなったら、どこに皺寄せが来るかわかったもんじゃないからな」

 そして今度は未来の呟きにジャクソンが即答する番であったが、それには未来も同意だった。

 CVCはFBIでも本格運用が始まったばかりの部署ではあるが、専用武器の開発やサイボーグのメンテナンス施設の保有などで金食い虫な上、化学・毒物学課や成分分析部などの主要部門から優秀な人材を引き抜いていた。

 どこも人員と予算が削られている中、CVCが特別扱いを受けていることを腹立たしく思っている者は大勢いる。今回のようなトラブルが表に出た場合、CVC全体がどのような打撃を受けるか予想もつかない。

「くそ!これ以上、俺たちだけじゃどうしようもねえじゃんか」

「だから、困ってるんだってば」

 八方塞りな状態にジャクソンが吐き捨て、未来が溜息をついた。


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