安息なき夜 -20-
「住民が彼を最後に目撃したのはいつなんですか?」
また溜息をつきたくなるのを抑え、未来が質問を続けた。
「ええと、11月25日の13時頃だな。車が走っていくのを、隣の家の奥さんが窓から見ていたそうだ。旦那が海軍の職員で朝早くから仕事だってのに、あいつはいい身分だと思ったからよく覚えてるそうだ」
「そう言えば、エミリオの車はガレージにあったんですか?」
捜査情報専用端末を片手で器用に操って証言内容を確認していたニコラスに、未来が確認する。
「いや、ガレージは空だった。まだどこかに停めっぱなしになってるんだろうが、そっちはまだ捜索中で、ナンバーがつけ替えられてないことを祈ってるんだが」
11月25日は、死体が発見される5日前だ。
エミリオのものらしい車は、死体発見現場周辺でも発見されていない。運がよければまだどこかの駐車場に停めっぱなしになっているだろうが、恐らくもう盗まれているだろう。
そして車がないと言うことは、エミリオは自宅以外の場所で殺されたと思っていい筈だ。先に未来が室内に入ったところでは、血痕も血の臭いも確認できなかったのだ。
「念のために確認しますけど、室内で被害者が殺害された形跡はなかったんですよね?」
「ああ、見たところは全くなかった。周辺住民も、この辺りで銃声がした覚えはないと確認は取れている。それに血液の痕跡を消すのには、手間も時間もものすごくかかるんだ。被害者が殺害されたのは、別の場所なんだろう」
「第一、この家で彼が殺害されてその痕跡を跡形もなく消そうと思ったら、周辺住民に気づかれないわけないですしね」
確認のための質問に答えたニコラスの返答に、未来も呟きながら頷いた。
エミリオは胸と頭を撃たれて死んだ。
死体から流れていた血の跡を見ても、かなり大量の出血に見舞われた筈だ。室内で撃たれた場合は専門の業者に依頼でもしなければ、フローリングの床や壁紙から血痕を短時間で完璧に洗い流すことは不可能なのだ。
そして、大型のロボットをここまで運んで死体を引きちぎるというのも不自然だった。これは屋外でやるほかがなかっただろうが、大型ロボットが住宅街に置かれていれば嫌でも人目を引くだろうし、ロボットを他所から持って来るためにはトラックかローダーが必要になる。
いくら近所づきあいがなかったとは言っても、そんなものが運ばれていれば一人ぐらいは見たと言う者がいてもおかしくない筈なのだ。
「死亡推定時刻はいつごろだったっけ?」
「11月28日、23時頃とされてはいますけど。検死報告書にも記載がありましたよ」
それとなく聞いてきたニコラスへ、未来は不思議そうな表情で答えた。
「検死報告書、ご覧になってるんですよね?」
「一通りはな。僕は細かい数字を覚えておくのが苦手なんだ」
ニコラスはばつが悪そうにコートの袖をまくって腕時計を見ると、頭を掻いた。
そのまま短くなったタバコを携帯灰皿に押し込み、背後にある窓から家の中をもう一度覗く。
「でも、大雑把なことは流石に忘れてないよ。エミリオは同性愛者の可能性が高いということだったから、そのことは頭に置いて捜査はしたつもりだ」
いつものことだが、未来は被害者の最もプライベートな部分に立ち入ることに抵抗があった。自分がもっと詮索好きな性格なら良かったのにと、真剣に感じることがある。
努めて事務的に、彼女は話の先を促した。
「何か気になったことはあります?」
「生活が荒れていたということ以外、特に変わった点はないように僕には思える。バスルームの引き出しに、ドラッグらしい包みも見つかったよ。それから、開封したコンドームの箱。1グロス入りだったけど、何個かは使ってあるようだったな」
この点もエミリオが同性愛者であり売春を生業としていたのなら、周辺住民の証言とも矛盾はなかった。彼にドラッグ絡みの逮捕歴があることを考えれば、現在も足を洗えていないことは別に不思議ではない。
残念なことに、アメリカ社会において薬物とセックスは切っても切れない関係にある。
エミリオが殺される前に薬物を使用していたかどうかはまだ毒物検査の結果が出ていなかったが、発見された薬剤らしきものを分析し、入手方法も調べる必要があった。
そして未来にとって気になったのは、エミリオが商売相手にも薬物を使用していなかったかどうかと言うことだった。もし彼に恋人がいたのなら、恋人に対して使用することもあったかも知れない。
彼女の口に疑問が自然と出た。
「そう言えば彼、恋人はいなかったのかな」
「もう少し詳しく調べないとはっきりしないが、特定の誰かと付き合ったりはしてなかったようだ。男でも、女でもな」
ニコラスが言葉を切ったとき、未来の頭の中をラルフの姿が一瞬横切った。
ここはリッチモンドから離れているわけでは決してなく、彼はここ最近は大人しくなっているという。それに彼は大柄な上、並の男より遥かに筋肉質だ。エミリオが海軍の兵士たちを相手にしていたのなら、タイプが似たラルフと付き合っていたとしてもおかしくはないだろう。
ラルフが両性愛者だという証拠はないが、エミリオの体内に精液を残した相手が犯人だとは限らないし、彼を殺すのにセックスをする必要があったかと言われれば、そうではない。
今の段階でもまだはっきりとしたことが言えない状況に、未来は軽い苛立ちを覚えていたが、やはりまだ軽々しく口にするべきことではないのはわかっていた。
逸る気持ちを振り切り、頭を素早く切り替えてから、未来は当たり障りがない質問を続けた。
「お客としても、常連はいなかったってことですか?」
「近所の住民も、どんな奴がどれぐらいの頻度で出入りしていたかまでは知らないようだ。知りたくもなかったんだろうしな」
「そうですよね。もし海軍の兵士に常連客がいたとしても、名乗り出てくれるとはとても思えないですし」
アメリカの軍隊において、個人の性的嗜好について不問にするとオバマ政権時代に宣言されてから、30年余りが経過していた。更にエイズの特効薬が開発されたことにも後押しされて、同性愛者に対する風当たりも徐々に弱まってきてはいる。それでも多くのゲイたちは、自らのことを積極的に曝け出そうとはしないのが普通だった。
「それにもし恋人がいても、エミリオが変なところで用心深い性格で、部屋に連れて来なかった可能性もありますよね」
「それは勿論そうだな。これからは彼の生前の行動を洗って、交友関係を徹底的に調べる必要がある」
冷えた両手を擦り合わせてコートのポケットに突っ込んだニコラスは、もう新しいたばこを取り出そうとはしなかった。捜索現場の最終確認が終了するのを待つばかりとなっている今、手持ちのごみを増やそうという気にならなかったのだろう。しかしニコラスのコートからは、長年に渡る喫煙の習慣ですっかり染みついたヤニの匂いがぷんぷんしている。
たばこの匂いは、未来にクワンティコのルームとジャクソンの情報提供者であるルイが経営する店、ホワイトクロウを思い出させる。どちらも常時人がいて話をしているイメージがあるため、不思議と重なるのだ。
考えてみれば、ホワイトクロウは異性装愛好者と同性愛者たちが集まる店だ。ヴァージニア全体でもそんな店は多くないし、ルイならリッチモンド周辺にある似たような店の情報にも詳しいかも知れない。
「どうかしたか?」
ニコラスが、未来の顎に細い指を当てて前方を睨んだ視線の先と顔を見比べる。
「私、その手の場所にちょっと心当たりがありますから、そっちを調べてみようかと思って。詳しそうな知り合いもいるし」
「ああ、そうしてくれるとありがたい。僕は行方不明の車の捜索と、財政記録について調べてみるよ。現金と一緒に、カードもあったから」
「そっちはよろしくお願いします。私の方も、何か新しいことがわかったらすぐにお伝えしますから」
未来とニコラスはどちらからともなくお互いの顔を見て頷き合った。
もうかなり陽が傾いているため、二人の後ろにあるポーチの明かりが自動的に灯り、暖かな光を冷え冷えとした空気の中に投げかけている。
彼らの姿が暖色の光で黒く浮かび上がっているところに、もう一つの影が近づいてきた。
ニコラスがなかなか自分の車に戻ろうとしないのを待ちかねたジェイコブだった。
「お取り込み中のところ悪いけど、証拠物品をとっとと署に運ばないか?また雪が降ってきそうだからね」
「うちの連中の片付けがもう少しで終わる。寒いのが嫌なら、あんたは僕の車に乗って待っててくれよ」
と、ニコラスはその場から動かずに捜査車両のキーだけをジェイコブに放った。手の中に飛び込んできたリモコンを受け取ると、まだ何か言いたそうにしながらも、ジェイコブは捜査車両の方へと引き返していく。
「ランチェスター捜査官は、いつもあんな調子なんだ。お陰で、僕の部下の間ではフレデリックスバーグ駐在事務所の印象が悪くなる一方だよ」
「そうなんですか」
またもげんなりする台詞を漏らしたニコラスに、未来は適当な返しを見つけかねた。丁度いい英語の言い回しが咄嗟に思いつかずに視線を泳がせている未来を見て、ニコラスが苦笑して見せる。
「正直僕も、ハザマ捜査官にずっといて欲しかった。君は知らないだろうけど、うちのスタッフの間じゃ結構人気があったんだぞ」
「そりゃ、どうもありがとうございます。でも、私も平の捜査官ですから。上からの命令にはどうしても逆らえないんですよ」
困ったように続けたニコラスに、未来も思わず苦笑を投げかける。
既に吐く息も白くなりかけてきた中、未来は一度身震いしてコートの襟を直した。周囲の家々の玄関先では雪だるまやサンタクロースのオブジェが光り出し、この時期ならではの美しい光景になり始めている。
彼女が現場に到着してから、少なくとも20分程度が経過していた。周囲では片づけを終えた捜査員たちが停めた車の側に集まり出していたが、最後の一人らしい捜査員が家の裏手にあるガレージからポーチに上がってきた。
「あの、カーター刑事」
「やあ、片付けは終わったか?そろそろ引き揚げよう。雪が降ってきたら、帰るのに苦労するからな」
「はい。立入禁止のテープはこのままにしておきますが、後はもう全部積み込みましたので」
おずおずと話しかけてきた捜査員は、未来には馴染みのない若い男性だった。
郡警察の所属である彼らは全員、お揃いの濃紺のナイロンジャケットにキャップを着用している。背中に反射塗料で警察の白いロゴが入っていなければ、たちまち闇に紛れて見失いそうだ。
「今頃すみません。追加の押収物があったので、報告に来ました」
彼が運んでいた4つの茶色い紙袋が、ニコラスの前に差し出される。
「ここじゃ暗くて、きちんと確認することもできないからな。署に戻ってから確認しよう。押収物はこれで最後だな?」
ニコラスが証拠品袋を受け取って穏やかに訊ねると、捜査員が緊張した様子で頷いた。
「すみません、遅くなって」
「いや。トム、お前はいつも仕事が丁寧だからな。感謝してるよ」
ニコラスが笑うと、トムと呼ばれた捜査員もほっとしたように口許をほころばせた。恐らく、ジェイコブに叱責されると思っていたのだろう。
ニコラスがついてくるように空いた手で合図をしてポーチから下りると、未来とトムが後についた。
「ガレージの中、徹底的に調べてくれたんですね」
未来が隣を歩くトムに明るい声をかけると、彼は照れたようにキャップのつばに触れた。
「はい。色々とものが多くて手こずりましたが」
はにかんだ笑顔を向けてくるトムは、未来よりも若そうな初々しい印象がある。彼女とは比較的歳が近いと思ったのか、彼の声には親しみが込められていた。
「貴女は、FBIの捜査官なんですか?」
「短い間だけど、ランチェスター捜査官の前にこの地区を担当してたの。特別捜査官のミキ・ハザマです」
「ああ!カーター刑事から、よく話を聞いてますよ。見た目は可愛らしいのに、ものすごくパワフルで凄腕の女性新人捜査官がいたって。貴女のことだったんですね」
弾んだ調子で言われた未来は頬を赤く上気させたが、「パワフルで凄腕」というニコラスの評価には何となく引っかかっていた。褒めてくれるのは嬉しいが、ちょっと聞き間違えると傍若無人な鬼捜査官という印象を与えるのではないだろうか。
微妙な空気になりかけたのを笑顔でごまかすと、未来はさり気なく訊ねた。
「私の後任のランチェスター捜査官ですけど、今日の現場ではどうでした?」
「ええ……」
トムは視線を未来の顔から外すと、先と逆の低い調子で言った。
「これまでは、じっくりやった現場での見落としがあった場合は怒っていたんです。でも、今日は私たちの仕事が遅いと嫌味を言われたんですよ。こっちもお返しのつもりで、最後まで粘ってたんですけどね」
3人で砂利を踏む音に紛れたが、トムの愚痴が混ざった言葉はきちんと聞き取れる。若い彼が負けん気を発揮して、見落とすかも知れなかった証拠品を回収してくれたのは感謝しなければならないだろう。
「じゃあ、その分の嫌味は私がお返しさせといてもらいますから」
「それはどうもありがとうございます……いえ、滅相もない」
未来流の礼である悪戯っぽい口調に乗せられかけたトムは、慌てて首を振って自らの発言を取り消した。そして未来とニコラスに一礼し、他の捜査員が分乗している車の方へ走っていく。
ニコラスと未来が証拠品を積んだバンの後ろに回ろうとした時、ニコラスの車の窓が開いて、ジェイコブの不審そうな顔が覗いた。
「何だい、それは?」
「追加の証拠品だよ」
それに対する未来の返答は、しごくそっけない。
「たった今、全部の捜索が終わったところ。随分丁寧にやってもらったみたいだからね」
捨て台詞を残した未来は、ジェイコブの顔を見ようともしなかった。
バンに詰まれた証拠品入りの紙袋やビニール袋の数は、大小合わせて50か60を上回るだろうか。ジェイコブが証拠隠滅を図った否かは別として、今日はこれから警察署まで戻り、これらの数を数えて最初の検分を行う必要がある。
この場にいる一同にとって、長い夜になりそうだった。




