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FNG(新米捜査官) -3-

 ウィリアムと未来がオフィスに戻ってきたのは、ランチタイムが終わってからだった。未来がやる予定だった電話番は、アーロンと受付係のマイケルがやってくれていたらしい。

 本当はもっと早く戻る予定でいたが、官憲への容疑者引き渡しから戻る途中、手配中の銀行強盗犯が1マイルと離れていない場所で逃亡中との一報が入り、そのまま地元警察の応援に駆けつけていたのだ。

「すいません、すっかり遅くなっちゃって」

「電話番くらいで謝るなよ。それより、そっちの方が大変だったんだろう?」

 未来がアーロンの個人オフィスに顔を出して申し訳なさそうにするが、当の本人は全く気にする様子を見せずに彼女を労った。

「でも、私は出歩いてるほうが好きですから。ビルなんか情報提供者との約束があるからって、もうまた出かけて行っちゃったんですよ。お昼は車でホットドッグでもかじるって」

「あいつは、一緒に機動捜査に行ける弟子ができて嬉しいんだろう。だから腹が減るのも気にならないんだな」

「こっちはちょっと低血糖気味ですよ。私より20歳くらい歳が上なのに、ビルの元気さには頭が下がります」

 未来は苦笑いを漏らしつつも、ウィリアムの優秀さには心底感心していた。

 彼は元警官と言うこともあるが、何より強く印象に残るのは、FBI捜査官という仕事を愛し、誇りを持っているということだ。

 無論仕事は機動捜査だけではない。しかしウィリアムは自分に適した役目を心得て振舞い、才能を余すところなく発揮している。彼ほど生き生きとしている捜査官はそういないだろう。

「ビルの足とまともにつき合えるのは、このオフィスでミキくらいしかいないからな。これからも、彼のお守りを頼むよ」

「そんなこと!私がまだアーロンの教育を受けきってないんですから。特に裁判については、教えてもらわなきゃならないことが山ほどあるのに」

「そうだな。日本の裁判とは違うところも山ほどあるが、是非腕利きの女性捜査官になってもらいたいよ。特にレイプ絡みの裁判では、陪審員の印象も違ってくるだろうから」

「……レイプ事件では何としても犯人を有罪にしてやりたいって、本当にそう思います」

 未来の表情が曇り、視線がアーロンの後ろにあるデスクにのった検死報告書に移る。

 最近新たにエセックス郡で発生したレイプ殺人事件のもので、リッチモンドの検死局から送られてきた検死報告書は関係書類の一部だ。

 強盗、殺人、レイプは合衆国で発生しない日がない犯罪である。

 未来の担当となった二つの郡、ウエストモアランドとキングジョージでは、担当以来FBI管轄のレイプ事件がまだ発生していない。しかし研修の一環で裁判の傍聴に行ったり、過去の事件ファイルを閲覧してはいる。事件のファイルには当然、生々しい現場や被害者の写真、詳細な報告書も含まれていた。

 未来は日本で便利屋という荒っぽい職業を営んではいたが、こういった犯罪の現実を目の当たりにするのは初めてだった。報告書には「真珠のピアス、ハートのモチーフがついたシルバーペンダント」といった被害者のありふれた所持品の記述欄と並べて、「頬の右側の擦傷」「膣部粘膜の擦傷、うっ血」などの身体状態所見をこと細かに示す法医学用語が並んでいる。

 被害者の身体の傷を写した写真とそれらを並べて見ると、犯人を許せない気持ちがいつも未来の中に強く渦巻いてくる。

 レイプは人の心を完全に無視して、自分の欲望を満たすためだけに行われる犯罪だ。

 セックスをしなくても人は死なないし、精神的に追い詰められることもないのだから。そういった意味では、金目当ての殺人よりも卑劣な行為だと言えるかも知れない。

 彼女が捜査官であるからには、いつか必ずレイプ事件を担当することになるだろう。

 そのときは、絶対に犯人を無罪放免になどしない。必ず証拠を握り、己の利己的な要求で被害者の心と身体を踏みにじった罪に相応しいだけの報いを与え、合衆国法の名の下に徹底的に叩きのめしてやる。

 そう誓わずにはいられなかった。

「いい心がけだが、決して感情には飲まれるなよ。いつでも冷静に自分を抑えるのが、私たちの役目の一つでもあるんだからな」

「わかってますよ。そういうストレスは、射撃訓練とかジムの運動で紛らわせますから」

 未来の表情を見たアーロンの声が若干低くなるが、彼女の応えはあくまで穏やかだ。

 自分たちは武装し、銃を撃ちまくって犯罪者を捕らえればいい、という存在ではない。生物の欲望にただ従うだけの人間の行動を理解し、それと向き合わねばならない自己を厳しく律することを要求される。

 同じ要求を持つ誰かを時には武器の力を借りて捕らえ、裁きの場へと突き出し、関係する者全ての人生を狂わせる権利を持つ者。それが連邦捜査官である。この仕事はストレスに弱かったり、自分に甘い者は絶対に向いていない。いつ、どんな時でもプロフェッショナルに徹することができる人間だけが、この権利を行使することができる。

 全ての捜査官は、アカデミーでそのことを徹底的に叩き込まれている。無論、未来もその一人なのだ。

「おっと。もう一人の特別捜査官がお出ましのようだ」

 そのとき、受付係のマイケルが大げさに吐き出した溜息を、アーロンが聞きつけたようだった。立ち上がったアーロンと未来がオフィスの仕切りからひょいと顔を出してみると、受付けのカウンターの前で痩せた白人の男が一人、熱っぽい身振りを交えて唾を飛ばしているのが見えた。

「ああ。スポンジ・ボブの彼ですね」

 それを確認した未来の声が、ややげんなりしている。

 スポンジ・ボブとは、オフィスの誰かがつけたあだ名だ。月に一度、チーズの香りを纏ってとてつもないハイテンションで受付に現れ、宇宙人によるFBI長官の誘拐計画を短くても1時間はしゃべり続ける。

 無論、スポンジ・ボブは特別捜査官でも何でもない。

 いつの頃からか現れるようになったこの変人の相手を一度はすることが、新人捜査官の通過儀礼にもなっていた。

 マイケルのグレーの瞳が、助けを求めるように二人の方を向いている。

「もう……仕方ないなぁ」

 未来が半歩アーロンのオフィスから踏み出そうとしたところで、後ろから伸ばされた大きな手に肩を押さえられた。

「ミキはランチがまだなんだろう?とりあえず食べてくるといい。彼の相手くらい、私がしよう。なに、気分転換くらいにはなるからな」

 未来の小さな唇が「ここは私が」の一言を上らせるよりも早く、アーロンは笑って見せた。立ち上がると同時に、手に持ったプラスチックのパックを彼女に渡す。

「ついでにこれも食べておけ。君はどうも食が細いようだから」

 見てみると、彼が渡してくれたのはまだ封を開けていないピーナッツのクッキーだった。確かに身長160センチと小柄で細身の未来は、誰から見ても痩せすぎな体型に思えるのだろう。本当の体重は人工パーツと機械のせいで70キロあると言えないだけに、複雑な気持ちだ。

「ありがとうございます。休憩の時間まで、大事にとっときますね」

 しかし、気遣ってくれるアーロンの厚意は純粋に嬉しい。未来は笑顔を返し自分のオフィスに戻る足で、隅のコーヒーメーカーからプラスチックカップ一杯分の熱いコーヒーを注ぎ、仕切の中へと入った。

 デスクの上には個人用のパソコンと、まだ手をつけていない書類が無造作に投げ込まれたトレイが並んでいる。他は電話とペン立て、メモ、花をつけたサボテンの小さな鉢植えがある程度で、置いているものは他の捜査官より遙かに少なかった。ジェイコブやウィリアムは色とりどりのスポーツドリンクのペットボトルを乱立させているし、アーロンとオリヴァーは分厚い合衆国法関連の書籍で埋め尽くしている。

 彼女はやや型が古いデスクトップパソコンの電源を入れつつ、昼食用のサラダや果物を入れたタッパーを開けた。他に、ターキーのハムと野菜を挟んだベーグルも買ってきてある。男性捜査官たちはあまり食事に気を使わないようで、ちょっとしたスナックやステーキサンドをぱくついていることが多い。しかし、未来はビルの中にあるスタンドで売っているホットドッグやフレンチフライの大味に、早くも食傷気味になっていた。自分が普段持参している食事がオフィスの中で一番健康的だと、自信を持って言えるだろう。

 サラダのトマトやセロリを摘み、ベーグルサンドをかじりながら、未来はメールソフトを立ち上げて受信ボックスをチェックした。

 殆どが情報提供者からのたれ込みや、駐在所のホームページで情報提供を求めている未解決事件に関する一般市民からのものだった。その中に時々、フィルタリングをくぐり抜けてきたダイレクトメールが埋まっている。

 最近は英文のメールも殆ど日本語と同じように読めるが、それでも首を傾げるようなスラングはたまにある。

 やはりそういうものは、インターネットで調べるのが一番手っ取り早かった。

「ミキ、今空いてるか?」

 丁度インターネットブラウザを開いたところで、デイビッドが未来のオフィスに首を突っ込んできた。

「ええ。食事中ですけど」

「じゃあ、そのまま聞いてくれ」

 ベーグルサンドを頬張っている未来がデイビッドの方へ椅子を回しコーヒーを一口含んだが、彼は特に気にした様子はない。改めてオフィスに入って来ると、開口一番に告げた。

「今朝電話で、マックスからの伝言があった。明日の朝7時から、クワンティコの研究所へ出勤するようにとのお達しだ」

 それを聞いた未来は、危うくベーグルを気管に詰まらせるところだった。慌てて喉の塊を飲み下し、冷めてきたコーヒーを流し込む。

「マックスから?明日からって、本当ですか?」

「明日からだ。今日は他の仕事は後回しにして、引き継ぎの準備をしておけ」

「あと半年以上はここにいると思ってたのに、随分早いですね」

 頷いたデイビッドの言葉が信じられない様子で、コーヒーのカップをデスクに置いた未来は呆然と呟いた。 

「驚いてる暇はないぞ。明日からのお前は、もっと厳しい状況になるんだからな。CVCってのは、そういう部隊なんだろう」

「そりゃそうですけど……」

「心配するな。引き継ぎし切れなかった仕事は、資料さえあれば何とかなる」

 短い通告を未来に伝え終えた主任は、早々に仕切の向こうへ出ていこうとした。直前、もう一度新米女性捜査官の方を振り返る。

「今回は多分、助っ人の要請程度だろう。お前の席を削れとはまだ言われていないから、あまり心配するな。戻ってくる場所は残ってるんだ」

 と、言い残して立ち去ったデイビッドに、未来は自然と頭を下げていた。

 そう決まったからにはあまりのんびりとしてはいられない。

 彼女は食べるスピードはそのままにして、担当している事件の資料にしているドキュメントが入っているファイルサーバのフォルダを開き始めた。

 CVC。

 その名を耳にするのは、今日だけで2回目だった。

 2037年にFBIがプロジェクトをスタートさせた部隊、Special Mechanized Unit Correspond to Vicious Crime(凶悪犯罪対応特殊機動分隊)の略称だ。暴力性の強い連続猟奇殺人や危険な重火器を装備したテロリストによる犯罪、ロボット絡みの犯罪、生身の人間による対処が困難な場所で発生した事件を担当する特殊部隊であり、未来はここが擁する戦闘チームに配置されることが決まっていた。

 同じFBIの特殊部隊であるHRTが人質救出を目的としていることに対し、CVCは武力行使による対応が許可された場合においても犯人を極力生きたまま確保し、事件が「なぜ」「どのように」起こされたのかを徹底的に追求し、全貌を究明して、将来の安全管理に役立てることに重点を置いた部隊である。

 2040年以降は組織本格稼動を見据えた最終調整段階に入っており、試験運用として同年の年明けから幾つかの事件を担当していると聞いていた。

 ただ、未来は少なくとも1年間は地方局の駐在事務所で捜査官としての経験を積んだ後、正式配属されることになっていたはずだ。それが覆されたということは、何か余程の事態が起こったのだろう。戦闘チームは必要があると判断された場合しか、捜査活動に参加しない筈なのだ。

 CVCの本拠地はクワンティコにあるFBI犯罪科学研究所内で、戦闘チーム、証拠分析チーム、性格分析チームや特殊捜査チーム等、複数チームの総員数50名ほどがいる。杉田はFBI所属当初から証拠分析チームでDNA分析を担当しており、既に幾つかの事件を手がけていた。多分、明日からは彼と一緒に仕事をすることになるのだろう。

 そう考えると、不謹慎ながらも未来の気分は高揚した。

 未来は戦闘チームの責任者であるマックス・レイヤードとしか面識がなかったが、他にあと4人のメンバーがいる筈だった。彼らとも明日、初めて顔を合わせることになる。

 その中には未来と同じ存在、つまりサイボーグの捜査官が一人含まれているのだ。

 未来にとって初めての、一緒に戦うことができるサイボーグの仲間である。そのことが、杉田と一緒に仕事ができる嬉しさに更なる期待感を上乗せしていた。

 事前に情報は何も与えられていなかったが、どんな相手なのか考えを巡らせることは、いつの間にか彼女の楽しみの一つにもなっていた。

 男なのか?女だろうか?

 年齢はどれぐらいなのだろう?

 何年も捜査官として活躍しているベテランなんだろうか?

 もしP2が生きていたなら、どう思うだろう?

 そこまで考えて、未来はふとパンツのポケットに手を突っ込んだ。指先に触れた金属のチェーンを摘み、そのまま引っ張り出す。鈴のような音を立てて掌に収まったそれは、P2が残した唯一の遺品である認識票だった。

 P2は嘗て彼女にとって最強の敵サイボーグであり、忘れられない存在だった。

 幾度も未来を窮地に陥れ、苦しめた相手。なのに彼は、最期の瞬間に自らの命を盾として彼女を救ってくれた。生きていれば、恐らく唯一の理解者になっていたであろう男だ。

 彼は今も、未来の心に生きている。

 生粋の軍人で戦うことを生業としていた彼は、もし生き長らえていても、自分が保安用のサイボーグに立場を転ずることを承服しなかったかも知れない。それでも共に戦う戦友ができるのには、きっと心強さを感じたことだろう。

 未来は、亡きP2の分まで自分の意志で生き抜いていくと誓った。そのためには、FBIで新たに与えられた任務を責任を持って果たさねばならないのだ。

 どんな事件が待ち受けていようとも、必ず捜査官としての責務を果たして見せる。

 未来はP2の名が刻まれた無骨な銀色のプレートを握りしめて頷き、引き継ぎの書類をタイプする指先に逸る気持ちを乗せた。


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