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安息なき夜 -10-

 フレデリックスバーグの自宅に到着した未来の胃は、あまり飲み慣れない甘めのカクテルで少し重かった。

 家に辿り着くまでの間にアルコールはすっかり抜けてしまい、暖房で暖まっていた部屋が冷気に晒されたように、内側がじわじわと冷えつつある。寒く深い夜が訪れ、他に待つ者も帰ってくる者も恐らくいないであろう空っぽの部屋には、温もりのかけらもない。

 ホワイトクロウでもらったルイからの心遣いには、心底から感謝していた。しかしその効力は、いつまでも続くわけではないのだ。

 この日の出来事だけでも十分に未来を凹ませていたが、これから待ち受けている仕事のせいでまた、気分がどんよりと曇ってくる気がしていた。22時半から、日本との緊急テレビ会議があるのだ。

 杉田が隣にいる状態でしかやったことがないケーブル接続やチャンネル設定、カメラ位置の調整をのろのろと片付けて、リビングに据えられたモニターの前に椅子を引っ張っていく。彼女が座ってからモニターに日本のAWP棟会議室の様子が表示されるまで、1分もかからなかった。

 毎週水曜日の定期ミーティング時と同じように、モニターにはアイボリーの壁とオフィス用デスクが映し出されている。画面外に誰かいるようで、ファイルか書類がこすれるような雑音が流れ出してきていた。

『……未来、大丈夫か?』

 先に画面に現れた生沢が、椅子に腰を落ち着ける前から気遣わしげな様子を見せる。数日ぶりに聞いた気がする母国語の響きはひどく懐かしく、未来の心を悲しく揺さぶった。

 帰宅した未来はまだ化粧も落としておらず、いかにも疲労したように見えるのだろう。それだけ、心理的なダメージを受けているということだ。

 FBIやCVCの仲間たちよりも付き合いが長く身近だった男の顔と声は、日本にいて日々を共にしていた頃の記憶を、嫌でも呼び起こさせる。

 その中には勿論、杉田の生き生きとした表情も揺らいでいた。

 未来は弱く頷いた。彼女がそのまま目を伏せたため、生沢は何と言葉をかければいいのか図りかねているようだった。

『では緊急ですが、ミーティングを始めましょうか』

 事務的なリューの声が響き、未来が顔を上げる。

 日本時間では朝8時半で勤務時間直前の筈だったが、並んで席についている様子がモニターに映っているリューと生沢は、出勤したてのようには思えない。生沢はいつものことだが、リューまで無精髭が濃いし、服も薄汚れて見える。

 彼らも未来と同じように疲れ、身だしなみに気を配る余裕を失っているようだった。

 考えてみればこの男性二人は、杉田と過ごした時間は未来よりも長い。女にはわからない、男同士の強い絆も持っているのだろう。

 杉田の行方不明に強く動揺し、辛さを胸に抱いているのは皆同じなのだ。

『早速なのですが杉田先生の失踪について、何か新たにわかったことはありますか?』

 ただ、その中にあってもリューの口調は普段と変わらない。元アメリカ海兵隊の特殊部隊員であるだけに、どんな時でも心の揺れを抑えることができる強靱な精神力を身につけているのだ。

 組織は違えど同じように治安のために働く者として、未来は彼のことを見習わざるをえない。彼女も極めて平静に答えを返した。

「今日の午前中、先生の乗り捨てられた車が見つかったけど……そっちには、どの程度情報が行ってるの?」

 一時的に国籍をアメリカに変えているとは言え、未来と杉田は日本政府から特殊な任務を帯びている身だ。連絡は通常、AWPに直接行かないと思って差し支えはない筈である。

 リューは首を横に振った。

『細かいことはあまり来ませんね。機密漏洩を防ぐ目的もあると思いますが、大使館からは大したことを聞けていませんよ』

「このミーティングの内容について、特に制限されてることは?」

『いや、そんなのは聞いちゃいねえな。まあ、この回線自体が監視されてるんだろうが、そんなことは知ったこっちゃない』

 未来が続けた質問に、今度は生沢が答えた。

 行方不明者が出たというのに、参加者がいつものメンバーしかいないのも、考えてみれば妙な話だった。恐らく生沢が言った通り、このテレビ会議の通信は国防軍か警察の管理下にあるのだろう。盗聴されているのはいい気分ではないが、必要な情報を日本のメンバーに渡さないわけにはいかなかった。

 それに未来自身、日本のプロジェクトメンバーに対して情報を与えるなと命令は受けていないし、リューや生沢も遠からず渡米してCVCに参加する。

 彼らもプロジェクトの機密性については熟知しているし、何も遠慮することはないだろう。

 心配なのは、世間にこのニュースが流れることだけだった。

「日本のマスコミは、まだ嗅ぎつけてないんだね?」

『それは大丈夫だ。ただ、杉田の家族はかなり気を揉んでるがな。もう、母親と姉の一人がアメリカに着いてるだろう』

 頷いた生沢が発した「家族」という単語に、未来の表情が曇った。

 彼女たちは確か、FBI本部近くのワシントンのホテルに滞在する筈である。

「先生の家族には、私から事情を説明しなきゃね」

『いえ、そこまでする必要はないでしょう』

 あっさりと断言したリューに、未来は僅かに眉を動かした。

「どうして?」

『杉田先生のご家族は未来が同じ職場にいることは知っていても、一緒に住んでいることは知らない筈です。そもそも先生の表向きの仕事は、犯罪科学研究所の検査官ですし。捜査官である貴女との接点は少ないと、当局も説明しているでしょう。アメリカ政府も、FBIのサイボーグ保有に関係する情報を漏らさないに越したことはない、と考えている筈ですから』

 言われてみれば、確かにそうだった。

 未来も渡米当初は杉田と別の居を構えるつもりでいたし、杉田の家族は未来がサイボーグであることなど全く知らないのだ。全ての経緯を明らかにするとなれば、国家機密を垂れ流すことになってしまう。

 自分から杉田の家族に伝えねばと気負っていた未来の肩からふっと力が抜けたが、被害者の家族に情報を与えないというのは理不尽な気がして、素直に安心することはできなかった。

 それに、その状況に甘えている自分も卑怯だと感じてしまう。

 しかし、個人の力ではどうすることもできない状況なのは変えられなかった。

「そっか……隊長からは、家族が望んだ場合は面会もあり得るって言われてたから」

 息をついた未来は、内面の葛藤を押し隠したままで呟いた。

『恐らく彼は、貴女の反応を見るためにそう言ったのではないかと思いますよ』

『そりゃ、どういうことだよ』

 まだ会ったことがない上官であるCVC戦闘チーム責任者の言動について述べたリューに、生沢が突っ込んだ。

『今回のような特殊な状況において冷静さを保てるかということは、公僕である捜査官において非常に重要です。もし未来が過度に取り乱していたり、犯人を殺害しかねないと判断した場合、何らかの対処が必要になりますからね。まあそれが特にないということは、捜査官の仕事に支障なしと思われたんでしょう』

 遙か太平洋を越えたところにいる同僚女性に向けたリューの言葉は、いつもながら的を得ていて優れた洞察に富んでいると感心する。

 未来は正規の試験を受けて特別捜査官に選ばれた人材ではない。そのため、周囲の目は自分が考えているよりもずっと厳しいと覚悟しておかねばならないのは、当たり前のことだ。

 未来はこの時、隊長のマックスが部下としての自分の度量を常時確かめているのだと、改めて思い知らされることとなった。

『ですが未来、日本へ強制送還される可能性は常にあると思っておいて下さい。我々にとっても、犯罪捜査は未知の領域です。私や生沢先生の力では、どうしようもないことだってある可能性もあるわけですから』

 強制送還は、即ち任務の失敗を意味する。

 一度捜査官としての実力に見切りをつけられて信用が失墜してしまえば、それを回復させることは極めて困難だ。日本へ戻ったら戻ったで、何らかの処分も下るであろう。

「……今回みたいに、ね」

 リューに釘を刺される格好となった未来が一言、漏らした。

 マックスは今朝彼のオフィスで話をしたとき、彼は杉田の失踪について未来に責任はないと確かに明言していた。

 しかしあの時、もし未来の反応を見るために敢えてそう言っていたのだとしたら?

 自らに責任を認め、杉田を助けるため捜査に加えて欲しいと懇願し、断固として主張を曲げない方が良かったのではないか?

 守りたいものを何も持っていない、人間に対する情と熱意を持っていないと受け取られたのではないか?

 次から次へと悔いが胸に沸き上がり、未来の内側に渦巻いていく。

『言っておきますが、杉田先生の失踪について、未来が責任を感じることはありませんよ。四六時中一緒にいられたわけでもなかったんですから』

 そこへ未来の心の内を読んだかのようなリューの一言が、モニターの中から発された。

 何気なく、悪気の全くないそれである。しかし彼の声は、崩れかかっていた未来の精神の脆い側面に鋭く音を立てて突き刺さり、重く鈍い痛みの波を深奥まで及ばせることとなった。

「違うよ、私のせいなんだよ!」

 自身に対する激しい怒りに突き動かされた未来は、瞬間的にプロフェッショナルの仮面を捨てた。その後も、反射に近い早さで口から飛び出てくる怒声を止めることができなかった。

「先生がいなくなる前の日の夜に、つまんないことで喧嘩して……次の日に私が起きてきたら、先生はもう一人で出掛けちゃってたんだよ。喧嘩なんかしなきゃ、一人でどこかに行くこともなかったのに。そうすれば、こんなことにならなかったのに!」

 言葉の終わりに、苦い後悔の念が滲む。

 激情に任せて大声を上げた未来であったが、今まで胸の中でくすぶっていた気持ちをぶちまけても、まだ彼女の感情ははけ口を求めてやまなかった。言葉では足りない思いが、今度は熱く込み上げてくる塊となって、瞳に涙という形で現れてくる。

 モニターの中から未来を静かに見つめる二人の男は、じっと動かない。

 彼女は目を逸らし、呻くように低く呟いた。

「もし……もし、先生が死体になって発見されたりしたら……私、どうすればいいの?」

 ジャクソンやエマの前でも決して口にしなかった不安を、未来は初めて打ち明けた。

 自分が何よりも恐れ、信じたくない、拒否したいと願う最悪の結果。

 それに直面したとき、彼女は正気を保っていられる自信がなかった。

 自分が杉田と険悪な雰囲気になることを避けていれば、こんな事態には陥らなかったのだ。

 多分、一生悔やんでも悔やみきれない罪悪感から逃れられず、自分だけが生きていることに耐えられなくなるだろう。

 未来は歯を食いしばって拳を握り、これ以上感情を表に出すことを堪えた。

 涙が湧き上がり、押し殺した嗚咽で圧迫された胸が、酸素を求めて喘ぐ。しかし無理に息をしたら、胃の中の夕食と酒を吐いてしまいそうだった。

『……未来、お前のせいじゃない。いや、誰も悪くなんてないんだ。犯人を除いてな』

『生沢先生の言う通りです。原因が自分にあると思っていれば、怒りのやり場があるだけ幾らかはましな気持ちになるのでしょうが……自分をわざと傷つけるような真似は、やめた方がいいですよ』

 俯いた未来が、膝の上で骨が浮くほどきつく両手を握りしめているのを見て、二人の男が静かに言葉を唇へと上らせた。

 本当なら、彼らも泣きたい気持ちは未来と一緒だった。

 が、杉田の安否が不明の今、自分たちが崩れてしまっては、更に未来の不安を煽ることになってしまう。そうなってしまっては、誰も異国の地で一人戦う彼女を支えられない。

 強くはあっても精神的な脆さを抱えた未来を、自分たちが助けてやらなくてどうするのか。

 日本に残っているリューと生沢の自覚を強固にしているのは、仲間としてのそんな意志であった。

『私も軍にいた時代は、よく自分のせいで部下や同僚を死に追いやったのではないかと、気に病んだものですよ』

 不意にぽつりと昔を語り出したリューに、未来は驚いて顔を上げた。ハーフの美青年の横では、生沢も意外そうな目を彼に向けている。

『フォース・リーコンにいた頃、主に中東が任地でしたからね。私はそこで多くの仲間を失ったし、作戦途中に大勢の行方不明者が出たこともありました。ですが……』

 過去を噛みしめているリューは懐かしそうで、だがあくまで静かな口調は乱さない。

 以前、彼はアメリカ海兵隊時代に21歳の若さで中尉という、異例の出世を遂げたと聞いた。軍では通常、上官のポストが空かねばそうそう昇進することはない。つまり出世が早いということは、それだけ味方の犠牲が多く出る戦いを強いられたということだ。

 世界第二次大戦以降のアメリカ軍は、イラン・イラク戦争以来大規模な海外派兵を実施していないが、中東は未だ混乱が収まっておらず、情勢は泥沼化の一方を辿っている。

 彼はそんな場所で10代の頃から戦い、生き残ってきたのだ。

 普段はとぼけて飄々としていても、その下には地獄の最中で自らを厳格に律する心と、鍛え抜かれた鋼の肉体とを隠している。それが、リューという男の真の姿であった。

 そんなタフガイが発する言葉は難しくなくとも、端々に重みが感じられることが多い。

 しかし、今彼が口にしていることは、その分だけ仲間を助けようとする厚い情が込められていた。

『ですが、死体が見つかるまでは決して諦めてはなりません。そうしなければ、今自分ができることすらわからなくなってしまいますからね。今目に見えている事実を信じると言うことは、何よりも大切なんですよ』

 暖かく、そして穏やかに語りかけたリューのあとについて、生沢も固くなっていた肩から力を抜きつつ言った。

『俺も、医者の端くれだからな。自分が担当した患者が亡くなったときは、無力感と後悔で何日も眠れなかったこともよくあった。でも、少しでも可能性があるうちは絶対に諦めるべきじゃないってのは、リューと一緒だよ』

 職業は異なるが、生沢もリューと同じく多くの人の死を目の当たりにしてきていた。

 医師は苦しむ者を救う使命を負っており、それが果たせなかったときの悔しさと無念さとは、命を失わせたという拭いようがない罪悪感をもたらす。

 人の命を的にする者と、人の命を救う者。

 両極端の立場にある二者はしかし、その裏側に同質のものを抱えていると見られるかも知れなかった。

 生沢は、涙が乾きかけている未来を正面から見つめて低く続ける。

『とは言え、いつもいつも気を張ってるわけにはいかねえ。今みたいに、言いたいことを全部ぶちまけることだって必要だ。辛ければ、いつでも言ってこいよ』

「……でも、かっこ悪いよ。私ばっかり、泣いたり喚いたりして」

 激情を受け止めてくれた男たちにきまりが悪そうにしている未来の声は、もう泣いていない。つい涙を見せてしまったことに、視線を背けてもじもじと肩をすくめているようだ。

『気にするな、仲間だろ。それに、前にも言ったよな?俺たち医者は患者の抱えてることを分かち合って、一緒にどうにかしていく人種だって』

『未来。我々はこの三年、ずっと苦楽を共にしてきたじゃありませんか。自分が重荷を色々抱え込んでいるなら、こっちにも分けてくれないと寂しいですよ』

 ようやく定期ミーティングでも時折見せていた未来の姿を認め、生沢とリューもかすかな笑みを混ぜた言葉を送れるようになってきていた。

 未来がモニター越しに見せた子どもっぽさの残るしぐさは、普段の毅然とした態度からは想像もつかない。しかし無防備なときに意識せずやってしまう癖が出たということは、徐々に落ち着きを取り戻しているということでもあった。

「ありがとう、二人とも……」

 今度は未来が、感情を込めて低く言う。口許には二人の仲間と同じく、穏やかな微笑みを浮かんでいた。

『とにかく今は、杉田先生を助けるためにできることを探して、手を尽くすべきです。こんな時に私たちが本土へすぐ行けないのは、本当に歯がゆいですよ』

『未来にばかり負担を押しつけて正直済まないと、俺たちも思ってるんだ』

 彼女の礼を区切りとしたリューが具体的な話に内容を軌道修正すると、生沢が心底申し訳なさそうに声のトーンを落とした。

『こちらでも手はずを整えたら、上に渡米予定の繰り上げをかけ合います。今回のようなことが度々あっては、負担が大きくなるばかりですしね』

 リューの手元にあるスケジュール表らしいプリントには、きちんとした渡航時期についてはまだ未定としか書いていないようだった。

 未来と杉田がアメリカに来てから、7ヶ月が過ぎている。いい加減日本での残務整理や引継を終了し、AWPメインメンバーだった生沢とリューも合流すべき頃だ。この二人がCVCに加わることは技術的面では勿論、杉田と未来の精神的なバックアップという側面においても大きな意味がある。

 生沢もリューの意見に頷いたが、この対応の遅れに関して一番やきもきしているのもまた、彼であった。

『しかし未来、くれぐれも無茶はするなよ。お前は今慣れない環境にいて、とんでもないストレスがあるってことを忘れるな。お前には俺たちだってついてるんだ。たとえ、身体がそっちになくてもな』 

『仕事をこっちで受け持つことはできなくても、精神的な負担を分かち合うことはできるんです。こんな時だからこそ、私たちに頼るようにしてください』

「何だかミーティングって言うより、カウンセリングみたいだね」

 生沢とリューが口々に寄越すアドバイスに、未来が苦笑する。

『いいじゃねえか。お前や杉田は、ただでさえ気が滅入るようなものを毎日扱わなきゃならないんだからな。精神面での支えが必要だってのは、最初からわかってたことだ』

「確かに、どうして人間がここまで酷いことができるんだろうって、そう思わない日はないよ」

 その気が滅入るようなものを、生沢もFBIに来たなら日々手にしなければならないのである。わかってはいることだが、生沢の髭だらけの顔から視線を外した未来の声が温度を下げた。

「だから、良心を持たない人間って言うのが本当にいるんだって割り切らざるを得ないんだよね。他人を傷つけることに対して、何も感じない奴。人間の面をした鬼か悪魔で、自分たちとは違う存在なんだって思わないと、やっていけないんだよ」

 恐らく大丈夫だとは思うが、未来は生沢への警告も含めて語調を少し強めていた。

 僅か2、3歳の幼い子どもをレイプした挙げ句に頭を叩き割ったり、やはりレイプした女性をバイクで引きずり、硫酸を喉に流したりと、どんなに現場慣れした捜査官でも目を覆いたくなるような、悲惨な事件は後を絶たない。

 戦場で地獄に幾度も身を晒したリューと違い、生沢は医師だ。今まで苦労に満ちた人生を歩んできてはいるようだったが、基本は性善説を取る立場にある筈である。

 敢えて彼からの答えを待たず、未来は半呼吸の間を取った後に語気を静めていく。

「……色々話したら、少し落ち着けたみたい。ありがとう」

『礼なんていらねえよ。お前のやつれた顔を見てると、こっちまで落ち着かなくなってくるからな』

 その意図を汲んだかどうかはっきりとは示さず、モニターの中の生沢が照れくさそうに彼女からの視線をよけた。

『今のところ、我々が頼れる情報源は未来だけですからね。状態が何とかわかりましたし、良かったですよ』

 未来が話に込めた意味は、頷きながら言ったリューに強く伝わっていた。

 彼女が自分以外の人物に気を回す余裕を取り戻したのを確認したリューの態度もまた、普段と同じ明るさがあるそれに戻っていた。

 言いにくそうにしつつ、未来が溜息と共に本音を口こぼす。

「実は私、このミーティングが怖かったんだ。お前がついていながらどうしてこんなことになったのかって、二人から責められても仕方がないって思ってた」

『んなわけねえだろ。お前はもしリューが不治の病にかかったとして、一緒に仕事してる俺を責めるってのか?』

 大げさに呆れて見せた生沢は、ジャクソンが何てこった、と言いたげに肩をすくめる様子と重なって見えた。

 熊のように大柄で、一見するとがさつに見える担当医の問いに、未来は首を横に振って答えた。

 満足そうで軽い調子に言葉を乗せ、生沢が笑って見せる。

『それと同じってこった。むしろ、そんなに懐が浅い奴だと思われてたことの方が堪えるぞ』

『まあ、懐が寂しいのはいつものことのようですけどね』

『うるせえよ!』

 すかさず突っ込みを入れてきたリューに、ひねりがなく荒っぽい返しを生沢が叩きつける。

『未来には本当に申し訳ないですが、もう暫くそちらで踏ん張っていてください。私たちも、予定の先が見えたらすぐに知らせますから』

 そうかと思うと、次の瞬間にはもうリューが真面目くさった顔でまとめに入っていた。

 彼はミーティングを締めるこの話まで終始、落ち着いた物腰を崩すことはなかった。しかし仲間のために何もしてやれず、苛立ちを隠し切れないのは間違いない。

「二人が来てくれるのを、首を長くして待ってるよ。それまでも、頼りにしてるから」

 こんな時くらいは、彼らに遠慮などせずに頼るべきだ。

 以前の未来なら、こんな何気ない台詞を口にするのにも勇気を必要としていたが、今は違う。

 誇るべき、愛すべき仲間たちに力を貸してもらうのは、何も恥じることではない。

 心からそう思えるくらいに、生沢とリューの存在は未来の中で大きなものとなっていた。


 どこかで、携帯電話の呼び出し音が鳴っている。

 強化されている筈の鼓膜をちゃんと震わせないその電子音は小さなもので、どこから聞こえてくるのかもわからない。

 眠りにある意識から這い上がる途中にある感覚は、厚い岩壁に邪魔されているかのように、ぼやけた感触しか未来に届けてくれないようだった。

 だるい右腕をそれでも無理矢理伸ばし、側に置いてあった固くて小さな箱を握りしめる。

『ミキか?』

 手の中で受話ボタンを押す前に、特殊捜査チームのウォーリーの声が聞こえた気がした。

『……残念だよ。本当に残念だ』

 心なしか、彼の声が震えているのがわかる。

 同僚の捜査官が伝えんとしていることは、その先を聞く前からわかっていた。

 心臓が一瞬大きく跳ね上がり、止まり、次に激しい鼓動を打ち出した。

 胸の中で暴れる脈動は未来の背中に冷たい汗を噴き出させ、手足に沸騰しそうな思いに支配された血を瞬時に運んだ。

「待って、やめて!ウォーリー……!」

 絶叫に近い自らの声と、狂おしいほどに乱れた脈とが、耳の奥で重なった。


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