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安息なき夜 -8-

「……ラルフ!」

 ソフィーの身体が恐怖で竦み上がり、息を詰まらせたのがわかる。

 未来とソフィーがいる石造りのポーチは地面から数段階段を上がったところにあり、玄関ホールの暖かな明かりに照らし出されていた。そこへ薄闇の中からラルフが踏み込んでくる。

「何だよ、まだいたんだ。懲りない奴だね」

 未来が咄嗟に両者の間に割って入り、毒づいた。横に片腕を突き出しつつソフィーを背後に庇い、ヘンダーソン・ホールの別の出口から逃げるよう目配せする。友人の意図を察したソフィーは慌てて頷くと、今来た道を取って返し、もう一度木の重厚な扉を開けた。

「おい待て、ソフィー!」

 玄関ホールに消えた元恋人の背を追おうとしたラルフの前に、険しい顔を隠さない未来が立ちはだかる。ラルフの太い腕が子どものように小柄な彼女を懸命に突き飛ばそうとしたが、どれだけ力を込めて押しのけようとしても、その細い体はびくともしなかった。

「またお前が邪魔するか。このクソガキめ」

 そんなことは意にも介さず、ラルフが淀んだ視線を向けてくる。未来を力任せにどかそうとするのは諦めたのか、彼は数歩の間をおいて未来と正面から向き合う格好となった。

 クソガキとは失礼な、と未来が言い返そうとしたところで、再び押し殺した脅し文句が大柄な男の発せられる。

「いい加減にしないと、俺にも考えがあるぞ」

「考えって何だよ。彼女を拉致でもしようっての?」

 いちいち突っ込みを入れるのは面倒な気がしたが、この男がティアーズの容疑者であると疑う要素が出てきた以上、情報収集を可能な限り行う必要がある。未来は演技も織り混ぜ、なるべく多くの情報をしゃべらせる舌戦に誘導することに専念するようにした。

「横槍が入らない場所で、2人で話そうとしてるだけだろ!俺がこれだけあいつを愛してやってるのに、お前はそれを見て何とも思わないのか」

「ああ。普通の人間から見て、あんたはつくづく怖い奴だって思うよ」

 これだけ、というのはいかほどのことなのだろうか。

 相手の行動を逐一監視したり、言うことを聞かなければ殺すと脅したり、嫌がることをしたりするのが愛情の成せる業だという常識を、少なくとも未来は備えていない。

 そして性別は関係なく、そんな行動の数々に恐怖心を抱くのが普通のはずだ。

「それは、あいつが俺の愛情に十分に応えてないからそう見えるだけだ」

 未来が放った冷たい言葉にも、ラルフは全く動揺を見せない。

 自分の思い通りに対象者が動かないとき、全てをその人物のせいにして自分は正しい、と主張する。これもストーカーに多いとされる自己愛性人格障害の特徴だ。彼らは自分を愛する気持ちが強い余り、意のままにならないことを心から締め出し、他人の責任にすることで自分のプライドを保とうとする。

 そこに相手の意思など存在しないものとして振る舞い、自分すら騙してしまうのだ。

 この激しい思い込み故、一度暴走すると手がつけられなくなるのである。

「あいつは本当はまだ俺のことを愛してるんだぞ」

「何を根拠にそんな……」

 自己愛性人格障害の詳しい特徴を思い出した未来にへ、更にラルフの自分勝手な台詞が飛んできた。相手の性格を知るために効果的な言葉を狙って話しているとは言え、本気で呆れたくもなってくる。

「そもそも、あいつがあのフィットネスにいるなんて俺は知らなかったんだ。でも、俺が先月会員になったら、あいつがいた。俺とあいつは離れられない運命なんだよ」

 殆ど自己陶酔としか思えない妄想を、未来は聞き流すことしかできなかった。

 「運命」をややこしい話の中で持ち出されると、こちらがどう返しても、本人の只でさえ手に負えないくらい強固な思い込みが、ますます強くなるだけなのだ。

「とにかくだ。この後、ソフィーに2人で話をさせろ」

「断る。あんたは、このままだと彼女に何をするかわからないからね」

 再び未来の身体を押しのけようとしたラルフに、今度はまともに言い返すことができた。

 未来は軍の特殊部隊の屈強な大男が束になってかかっても敵わない、強靭な肉体を持つサイボーグだ。ラルフ如きなど怖くも何ともないが、この男に対する生理的な嫌悪感は拭えない。彼女は肘を張り、ラルフの進路をなるべく少ない接触で阻んでいた。 

「会って話をすれば、あいつは絶対にわかってくれる。あいつが俺のことを嫌うわけがないんだからな」

 風が吹けば飛んで行きそうなくらい頼りなげな若い娘の身体を、どうしても目の前からどかすことができない。その事実に苛立ちを覚えたラルフの口調は、再び荒々しいものになっていた。

「あいつはこれからどこに行くんだ?俺には知る権利がある」

「あるわけないでしょ。あんたがやってることは、立派に犯罪なんだよ」

 未来は頑としてラルフの前から退こうとしない。

 キャンパスを行く学生たちが、目の前の通りを不審そうな顔で横切っていく。仕方なかったとは言え、もう少し人目につかない場所にこの男を引っ張っていって話をするべきだった。

「あいつは俺が守るんだ」

 自分の軽率な行動を後悔した念と、ラルフの図々しさに覚えた怒りを覚えた未来の歯の間から、鋭い舌打ちの音が漏れた。

 この期に及んでソフィーを守るなど、どの口が言っているのだろう。

 今彼女に危害を加えそうな人物のリストのトップに記されるべき名前は、このラルフ・バーンズ本人だと言うのに。

「俺はリッチモンドの7デイズでも有名人なんだ」

 憎たらしさを隠せない様子の未来の表情などまるで無視して、ラルフは立てた親指で自分を指し示す。彼は続けて泥で汚れた作業ジャケットの片袖を脱ぐと、アンダーシャツの袖をまくり上げ、力こぶを作って見せた。

「どうだこれ、見てくれよ。すごいだろ?」

 ラルフが得意げに鼻を鳴らすが、どんなに好意的な目で見ても、彼の腕全体からは重力に負けた贅肉が下がってきているようにしか見えない。

 普通に見れば彼の腕はかなり太く、脂肪の下には多少鍛えた筋肉がついてはいるのだろう。しかしFBI、HRTの男たちやジャクソンのように、自らの生命を的にして生きている猛者たちをいつも見ている未来にとっては、ラルフなど小太りな中年がいきがっているぐらいにしか思えなかった。

 小汚いジャケットとくたびれたジーンズに手入れが行き届いていない髪という身なりも、本人はワイルドな男を気取っているのかも知れないが、みすぼらしさを増しているだけだ。

「現場でロボットに頼らないで作業できるのは、この俺ぐらいのもんなんだ。それに今は、トレーニングだって欠かさない。この身体があれば、どんなことからでもあいつを守れるって思うだろ?」

「私に聞くな、そんなこと……」

 うっとりと自分の筋肉を眺めているラルフにすっかり呆れて溜息をつき、こめかみに指先を当てた未来が目を伏せて軽く頭を振る。

 しかし彼を馬鹿にした振る舞いをする中でも、ラルフが唇に上らせた「ロボット」という単語に、彼女は鋭く反応していた。視線を地面へ乱雑に散らす仕草を続けながら、素早く視線だけをラルフの全身にくまなく巡らせて観察する。

 後で性格分析官のポールに相談するために、必要な情報は瞳に全て焼き付けておきたかった。

「あいつはうつ病なんだ。今日だって、1ヶ月くらいはさぼってた講義にやっと出てきたくらいなんだぞ」

「ちょっと待てよ。彼女の予定を一体どうやって知ったのさ?」

 ラルフの独演会は放っておけば翌朝まで続きそうな勢いではあったが、そろそろ切り上げさせるべきだろう。未来は彼の話す内容の要所を聞き咎めて攻撃し、反論できなくなる方向へとたたみかけた。

「夜はいつもいないんだ。リッチモンドの安いバーで売春して、その金は全部ヤクで消えちまう。どうしようもない中毒者なんだぜ」

「それは、ソフィーの行動を毎晩毎晩見張ってるってことなの?彼女にはヤク中患者の症状は何も出てないし、そもそも彼女のお金の流れを他人のあんたが把握してるってのが、おかしいじゃない」

 話題を変えようとしたラルフに、未来は容赦なく先回りした言葉を浴びせかける。

「あいつが俺を避けるのは、やましいところがあるからだ」

「見張られてたりしたら、普通は怖くて逃げ出すのが当たり前だろ。やましいのはあんたじゃない。弁護士に相談してみれば?10人が10人、絶対あんたがおかしいって言うから」

 未来の切り返しに答えようとはせずラルフの責任転嫁は続くが、彼女は攻撃の手を緩めようとしない。1言われれば3返すくらいでないと、この手の人間に効果はないのだ。

 それでもし逆上してラルフが手を出して来ようものなら、堂々と正当防衛を主張できる。どう転んでも、こちらの不利にはならない状況を作っておくべきだ。

「あいつくらいどうしようもない女の面倒を見られるのは、俺しかいない」

「ああ、あんたの相手をできるのは最終的に警察しかいないみたいだね」

 そして最終的には国家権力に頼るという姿勢を強く見せて、未来は有無を言わさない態度であることを改めて示して見せた。

「本当にいい加減にしないと、今すぐ警察呼ぶからね」

 そしてラルフが口を開く前にコートのポケットから携帯電話を取り出し、緊急電話番号である「911」をディスプレイに表示させてから突きつけた。

「バカの一つ覚えか?二言目には警察警察って言いやがって」

 彼女が本当に通報するという態度をはっきりと見せると、ラルフはあからさまに不快な顔で罵り文句を口にした。

 が、この100倍は酷い脅し文句を未来は犯罪現場で何十回も耳にしている。修羅場をくぐり抜けてきた経験は彼女に十分、心理的な余裕をもたらしていた。

「バカで結構。言っとくけど、私を殴ったりしたら暴行と傷害の現行犯になるからね。大人しく逮捕されてくれるなら、それもいいけど」

 そこで初めて意地悪な笑みを浮かべた未来が、ラルフを茶化す態度を露にして携帯電話をわざとらしく振って見せた。

 若い東洋人の娘による正当な脅しを耳にした大柄な白人の男は、はっきりしない英語を口にこもらせながら踵を返した。迫り来る夕闇の中へ去る男が芝生へ盛大に吐いて見せた唾は、彼が怒りを表すのに野卑な手段しか知らないことを証明していた。


 リッチモンドのダウンタウンからクワンティコへ通ずるインターステート95を時速60マイル(約96キロ)で疾走する未来の頭にあるのは、本当は思い出したくもないラルフのことであった。彼は粗野で乱暴な白人男性だが、ある一つのことに対しては異常なほどの執着を見せ、その上に自己顕示欲が強い傾向も認められる。

 そして肉体労働、つまりは大型のロボットを操縦する機会に恵まれる仕事に従事していていることも判明した。

 そして何よりも、彼がソフィーに渡したジューン人形のことがある。

 非常に多くの点でティアーズ事件犯人の状況的な証拠との一致が見られるのが、やはり気がかりだった。

 が、決定的なものが何も挙がっていないのも事実だ。

 ここで彼に任意の聴取を求めたり、警察署に連行するような行動を取るべきではない。

 それはわかっているのだが、このまま何もせずにいたら、また罪もない人間の命が無惨に奪われてしまう可能性も否定できないのだ。

 この何かするべきなのに何もできないという状況は、一人で対処するのには手に余るし、胃が痛くなるぐらいのストレスになる。あまり長く自分だけの腹に収めておくべきことではない。

 そう判断した未来がクワンティコのCVC本部に辿り着いて真っ先に向かったのは、自分のオフィスではなく行動分析チームのチーフ、ポール・アンダーソンのもとだった。

 ポールのオフィスのドアをノックした後に入室すると、まず目に入ってきたのは床やキャビネット、デスクの上に積み上げられた本の塔の群れだった。精神医学や心理学、行動認知学や社会学など、電子化されていない諸々の分厚い専門書たちが、個人空間としては広めのオフィス半分以上を占有しているのではないかと思うほどだ。

 一番奥に据えられたデスクには、林立する本の柱の間から辛うじて入口の方を覗けるくらいの隙間が開いており、そこからくしゃくしゃの金髪と眼鏡に囲まれたポールの瞳がちらりと見えた。

「やあ、ミキか。こっちだよ。僕のオフィスにわざわざ来るなんて、珍しいじゃないか」

 どことなくのんびりした口調のけだるい英語がそこから上がって、本の群れのてっぺんから突き出された右手が手招きした。未来は絶妙なバランスを保っている本の建造物を崩さないように注意しながら奥に進み、ポールがいる奥のデスクへ近づく。

 FBI犯罪科学研究所の職員は基本的に捜査官ではなく、各専門分野の学者や研究者たちが多い。犯罪捜査に役立つあらゆる分野の専門家が揃い踏みしていると言っていいだろう。

 そしてあまり外を出歩くことがない彼らは、身だしなみや部屋の整理にもあまり気を使わない。杉田のように几帳面な者もいるが、大体はオフィスを散らかし放題にして、普段着の延長線のような服装をしている。

 このポールはその最たるもので、彼が行動分析学の権威であり、幾人もの凶悪犯を刑務所に送ったとは、初対面の人間は誰も信じないだろう。彼は研究者という肩書きと不釣り合いにみすぼらしいい身なりで、骨ばった背中を丸めて歩く様は、威厳などというものと全くの無縁だった。

「その様子だと、何か言いたくてうずうずしてるみたいだな。君が抱えてる問題で、何か進展があったんだね?」

 未来が本の間から姿を現すなり、彼は話を切り出されるよりも早くその表情を読み取っていた。

 ポールが誰かに話しかけるときはいつも遠回しな言い方で、何を聞きたいのかはっきりさせないのが癖だ。そうやってまず相手の出方を探るのだが、未来が今置かれている精神の状態を誰よりもよく分析できるのもまた、彼だ。妹を労る兄のような気遣いが、そこはかとなくにじみ出ていた。

「そう。でも残念ながら、一番早く片づけたい件についてじゃないんだけど」

「とにかく座るといい。話はコーヒーを飲みながら聞こう」

 かぶりを振った小柄な女性捜査官に丸椅子を勧めながら、ポールはデスクの引き出しから紙コップを取り出した。安楽椅子のキャスターを引きずって、ポールがせかせかと2人分のコーヒーをブラックで淹れる。引き出しの中には粉末のクリームと砂糖のパックもあったが、彼は同僚の好みをきちんと覚えているのだ。

「一番早く解決させたい件じゃないって言うのは、ティアーズ事件についてなのかい?最近また捜査に行き詰まってて、ウォーリーの奴がよくぼやいてると思ったけど」

「それが、意外なところから進展しそうな可能性が出てきたんだよ」

 色褪せた薄いブルーの紙コップを受け取りながら、未来は人差し指の先をすぼめた唇の先に立てて見せた。内密の話であることを、ポールが受け取って頷く。

 未来はぬるめに淹れられたコーヒーに口をつけながら、杉田との共通の友人であるソフィーのこと、彼女につきまとっているラルフのこと、彼がティアーズ事件の犯人の特徴に数多く当てはまること、自分がラルフに対して見せた姿勢、そしてジューン人形のことをそれぞれ、まとめて話した。

 ポールも同じようにコーヒーを飲みながら熱心に耳を傾け、途中に一切口を挟まずに頷き続けていた。

「なるほど。話は大体わかったよ」

 そして未来の話が終わると同時に、彼は自分の紙コップにまたインスタントコーヒーとポットの湯を足して、取り出してあったマドラーでかき混ぜた。

「ポールは、ラルフについてどう思う?犯人の可能性が高いって言えるの?」

「そうだなあ。可能性がゼロじゃない、としか言えないな」

 ポールのもっと力強い言葉を期待していた未来は、危うく丸椅子から上半身を倒しそうになってしまうほどに肩すかしを喰らう格好になってしまった。

「ええ?そんなもんなの?」

「いいかい、ミキ。プロファイリングというのはあくまで参考、そこから犯人を断定できるようなものじゃない。単に一つの素材に過ぎないんだよ。僕が言うのも何だけど、そこまで頼るべきものじゃないんだ」

 自分の成績を評価しない教師に抗議する学生のように口を尖らせた未来を、ポールは手で制して宥めにかかってくる。

「事件に使われたのと同じ人形を持ってるからってだけでそう考えるのは、ちょっと乱暴過ぎるよ。それに犯人は現場に人形を残してはいたけど、被害者に渡していたという行動は今までに確認されていない。その違いはわかるだろう?」

 釈然としない様子の未来だが、性格分析担当者の指摘には頷いて見せた。

「ただ、気になる人物ではあるね。それにこの事件の犯人は犯行を色々なパターンで繰り返してきているから、途中で小道具の使い方を変える可能性だってあるかも知れない」

 そしてまた違った可能性を示し、ポールは顎に手を当てて宙を睨んだ。

 未来がまっすぐに、彼の青白い顔へ視線を合わせる。

「ラルフは今の段階じゃ犯人かどうかって区別はつかないかも知れないけど、このまま何もしないで放置するには危険だって、私は思ったの。だから警察に通報するとだけ言ったんだけどね」

「彼はまだちょっと怪しいって程度だ。何かしたわけじゃないから人形を押収することもできないし、指紋やDNAの提出を求めることもできない。それに管轄外のいざこざについて、僕たちが直接関わるのはご法度だ。その程度だと、まず地元警察に連絡して対応してもらった方がいいだろう。ミキの判断は正しいよ」

 闇雲に身分証を振り翳し、国家権力をを行使するのがいつでも正しい、というわけではないのだ。自分のやるべきことを見誤らなかった若い同僚を、ポールは素直に認めていた。

「他に、私が何かやれそうなことってない?」

「そうだな。さっき言ったように、警察に情報を連携して身辺を調査することと、奴を監視下におくってことぐらいだ。もし奴がティアーズの事件に関わっているというはっきりした証拠が挙がったら、その時点で僕らも動けることになるからね」

 やはりもう少し積極的な内容に少しは期待していた未来だったが、あくまで慎重な姿勢を崩すべきではないというポールの態度は、学者ならではなのだろうか。

「問題なのは、君が担当外の事件の延長線上でこの情報を掴んだってことだ。結果は良くても、他のチームの連中は戦闘チームに対して良くは思わないだろう」

 と、未来が感じたところで、彼は自分の言葉が牽制であることを隠そうともせずはっきりと示して見せた。

 言われてみれば確かにその通りなのだ。

 戦闘チームは直接関わらない。そう言われているブラックヘア事件の被害者である可能性が示唆される人物の行方を探ろうとして、たまたま行き当たったことなのである。

 手がかりを掴んだ経緯を聞かれた場合、面子を重んじるFBIで、捜査を主に担当するチームからの不興を買うことは想像に難くない。一人の益を追求して全体の和を乱すような真似は、一番のタブーなのである。

 しかし、人の命がかかっている可能性が高いかも知れないのだ。今回ばかりは、動けるだけの手がかりを掴んだ者が先んじて動く方が賢明なのではないか。

「いずれにしても慎重に行動しなければならないよ、ミキ。下手をすれば、CVC内で君の立場が危うくなる。担当外の事件に手を出した上にトラブルを起こしたとあっては、隊長だって君を庇い切れないかも知れないから。最悪、もう捜査活動に参加できなくなる可能性だって、ないわけじゃないんだ。君はその若さで日本から特例としてFBIに入った上、普通の捜査官には許されていないような権利だって持っている。そのことをやっかんでる連中も大勢いるってことを、覚えておいた方がいい」

 口を開きかけていた未来であったがこうも穏やかに、しかも正論でたたみかけられては、言いたいことを飲み込むしかなかった。

 自分はプロフェッショナルだ。

 いくら身内に近い者のこととは言っても、感情に任せて暴挙に出たり、任務を放り出すような真似は決して許されない。そして、そんなことをやる子どもっぽいメンタリティの持ち主だとも思われたくない。

 未来は頭ごなしに怒鳴られるよりも、理屈でそう言い聞かされるほうが何倍も堪える質だった。

 その辺りをピンポイントに突いたポールの静かな言葉は、効果覿面と言えるだろう。

「わかった、そうするよ。下手に自分一人で動いたりしたら、チームのためにもならなそうだし」

 低く息をついた未来が顔を上げて、ポールに笑いかけた。

「また何かあったらすぐ教えてくれ。僕にとってドクター・スギタは大事な友人でもあるし、仲間でもあるんだ。可能な限り協力させてもらうよ」

 未来の顔から逸った色が失せているのを見て、ポールが優しく彼女の細い腕を叩く。彼がふとその手首につけていたダイバーズ・ウオッチを見ると、時刻は午後7時を回ったところだった。

「今日はもう帰って、旨い夕食と酒でも取るといいよ。何なら、クワンティコにある僕のお勧めの店を教えるけど」

「ううん、今日は会いたい人がいるから。是非また今度教えてよ」

 未来は丸椅子から立ち上がると、去り際に軽く手を振ってポールに挨拶を送った。

 今日は何故か、ごつい体格をした女性に見える黒人男性が立つカウンターで一人、呑みたい気分であった。


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