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安息なき夜 -6-

 自分はこのCVC戦闘チームで、本当にいい仲間に恵まれている。

 そう思ったからには、未来はいつまでも落ち込んではいるわけにはいかなかった。愛すべき仲間たちは皆、行方不明となった杉田のことが心配でならないのは同じなのだ。

 先程ジャズのクリスマスライブチケットを返すためにオフィスを訪れた際、優しく抱きしめてくれたエマ。

 廊下で顔を合わせたとき、やつれ気味の印象がある未来の労わってくれ、落ち着くまで個人武器のメンテナンスまで引き受けると申し出てくれたトリス。

 敢えて事件のことは何も言わなかったが、必要があれば緊急出動をいつでも受けると呟いたバーニィ。

 パートナーであるジャクソンや責任者のマックスは言わずもがなである。

 チーム全員のことを考えて、自分は動くべきだ。

 自分のオフィスに戻ってデスクに腰を落ち着けた未来はきつく腕を組み、前方に位置するドアを睨みながら考えを巡らせた。

 杉田はブラックヘア被害者の可能性ありとして捜索されているが、あくまで可能性であってそれに固執するべきではない。これまでの事件の全貌を頭に入れておく程度にして、まずは通常の行方不明者と同じように捜査を進めていくべきだろう。

 未来はデスクに据えてあるパソコンの電源を投入すると、個人仮想端末にログインしてブラウザを起動し、CVCのポータルサイトにログインした。ここを通せばCVCが担当している事件の情報は全て閲覧でき、最新情報も担当の捜査官により随時書き込まれていく仕組みとなっている。

 検索用のテキストボックスから事件のコードネームでデータベースをスキャニングすると、「各種報告書」「被害者情報」「容疑者情報」「証拠物品一覧」「遺体発見現場画像」などの項目に分かれた詳細な情報が一覧表形式で表示された。

 とりあえずは検死報告書と被害者の情報について閲覧し、頭に入れていくことに決めた。

 ブラックヘア事件第一の被害者はスコット・ヤン。今から2年前の2039年4月中旬に死体が発見された、当時21歳の中国系アメリカ人である。職業は大学生で、遺体発見場所はハンプトンのチャイナレストランの駐車場にあるダンプスターの裏とされている。

 死因は至近距離から胸を撃たれたことによる失血死で、薬莢は回収されていなかった。死体は全裸で仰向けに寝かされた状態で発見されており、足を大きく広げるという屈辱的な体勢を取らされていた。犯人の精液は口腔部と肛門から検出されており、複数回に渡って性的暴行を受けた形跡があったが、不可解なのはわざわざ眼鏡をきちんとかけさせられているという点である。

 続く第二の被害者は日系人で17歳の学生ケビン・ヤマダだった。2039年11月下旬に死体が発見されている。遺体発見場所はコロニアルハイツのごみ捨て場だ。

 彼はメカニクスビル・ハイスクールの生徒であったが、素行は極めて真面目で女子生徒にも人気があった。しかし胸を撃たれ、全裸に眼鏡をかけた彼の遺体からも精液が検出され、尻を突き出すポーズを取らされていたことが、彼と親しい生徒たちにも大きなショックを与えた。

 第三の被害者であるフィリップ・チャオは、翌年の2040年8月下旬に死体が発見されている。彼は25歳の中国系で、リッチモンドにある雑貨屋に勤めていた。遺体発見場所はホープウェルの路地裏で、やはり胸部に弾丸を受けて全裸に眼鏡のみを着用、尻を突き出すポーズを取らされている。フィリップについては勤務中に何度かスピード違反で罰金刑に処されているところから、あまり勤務態度が良くなかったのかも知れない。

 第四の被害者、ブライアン・リーは今年、2041年4月中旬にグロスターのごみ捨て場で死体が発見された。彼は中国系で30歳のエンジニアだったが、遺体からは精液と共にアルコールとドラッグが検出されているため、交友関係について詳細な調査が現在も進行中となっている。また、この時から犯人による遺体への暴力もエスカレートする傾向が出ていて、撃たれた上に眼鏡をつけてポーズを取らされているのは今までと同じだが、肛門にデッキブラシの柄が突き刺されていたとある。

 そして最後の被害者であるハンク・ナカノは3ヶ月ほど前の2041年8月上旬、ヒースズビルのサンドイッチチェーン店駐車場で死体が発見されていた。彼は24歳の日系人で文具メーカーに勤めるごく普通のビジネスマンだったが、死の様態は他の被害者と同様に無残なものであった。胸を撃ち抜かれて絶命し、全裸に眼鏡をつけ仰向けに寝かされた上、肛門に所持品と思しきボールペンが何本も突き刺された状態になっていたことが、報告書に記されている。

 未来が一気にこれらの情報に目を通したところでは、各被害者の共通事項はアジア系の外見で、22口径の銃弾で胸を撃たれていること、失血死した後に屈辱的なポーズをさせられ、眼鏡をかけさせられているということぐらいだ。全ての遺体から弾丸は回収されており、線条痕が酷似している点から、全て同一の銃から発射されたものと断定されている。

 被害者の年齢は17歳から30歳の間でばらつきがあるため、少年愛好者であるとは一概に言えそうもない。

 そして、遺体発見場所は全てヴァージニア州内のウェストポイントを中心とした半径40マイル以内だが、被害者の住居はこの範囲から外れているものもある。それにこの被害者たちは職業もまちまちなため、互いに面識があるとも到底思えなかった。

 杉田がブラックヘアの被害者の疑いがあるとされていることの判断基準も、「眼鏡をかけたアジア人男性」ということだけだ。果たして本当にこれが正しいのかどうか、首を傾げたくなってくる。何せ、アメリカ全体での失踪者は年間80万人にも達しているのだ。

 しかしいくら前日に喧嘩をしたと言っても、生真面目を絵に描いたような性格の杉田が仕事を投げ出し、家出をするつもりで外出したとはどうしても思えない。もしそうならきちんと準備を整えた上で、未来に残す書置きも内容がもっと違ったものになっていただろう。

 問題は、どの時点で彼が行方不明になったかだ。

 とりあえず未来が最初にできることと言えば、その日の足取りを辿ることぐらいだろう。既に他の担当者がやったことではあるだろうが、彼の癖をよく知っている者が見れば、意外なことに気づくかも知れない。

 ジャクソンに予定だけ知らせてから動こうと、デスクの充電器に差し込んであった業務用携帯電話に手を伸ばしかけたときである。その隣にある内線電話が鳴った。2コール目が鳴る前に、受話器を素早く取る。

「CVC戦闘チームのミキ・ハザマですが」

『クラークだ』

 ぶっきらぼうに名乗ったウォーリー・クラークは、特殊捜査チームの責任者である。

 どくん、と未来の心臓が高鳴った。

『今日の午前中、予定は空いてるか?』

「うん。特にまだ決まってないけど」

 これまでに、ウォーリーが戦闘チームの捜査官に直接連絡を取ってくることは一度もなかった。戦闘や集団での銃撃戦が予想される場合は別だが、ウォーリーの落ち着いた口調からはそのどちらでもないことが窺える。

 嫌な予感に、未来の大きくなった鼓動は乱れた調子を刻み始めていた。

『ドクター・スギタの乗っていた車のことだが。シボレーのオプトラワゴン、色は黒で間違いないか?』

「そう。中古車だから、全体的にちょっとくたびれた感じで。特徴とナンバーは、ドキュメントにして出したと思うけど」

 杉田の車のことを尋ねてくるウォーリーの声は、まるで違う世界から響いてくるように頭に入ってこない。それでも何とか内容を理解して返した自分の声はきっと、心の不安定さがそのまま出たようなものだろう。次の彼の言葉を聞きたい気持ちと、電話を叩き切りたい衝動が一瞬、未来の中でぶつかった。

『リッチモンド・タバハノック・ハイウェイ沿いにある雑貨屋の駐車場で、乗り捨てられた同型の車が発見されたんだ。つい30分ほど前に、店員から駐車しっ放しの車があると通報されたらしい。ナンバーは一致してるが、現物を確認してもらおうと思ってな』

 ウォーリーの言葉は淡々としたものだったが、杉田の死体が発見されたという最悪な結果を伝えるものではなかった。力が入って上がってしまった肩を落とし、未来がメモとボールペンをつまみ上げる。

「住所はどこ?」

『マンキン、リッチモンド・タバハノック・ハイウェイ2159だ。州警察が見張って、現場の保存を先にやってる。俺も今から現場に向かうところだが、一緒に乗っていくか?』

「ううん、私も午後に自分の捜査があるから。自分の車で行くよ。また後で現場で会おう」

 くぐもって聞こえるウォーリーの声にきびきびとした調子で答え、未来は受話器を置いた。メモを取ったのは、ほとんど条件反射のようなものだ。普段の仕事で取るのと同じ、少し癖のある字体で書かれたメモを手早くたたんでデニムのポケットに押し込む。

 未来はポータルサイトの予定表に手早く予定を打ち込んでからパソコンを落とし、椅子を蹴るように立ち上がってからコートを取り上げた。

 杉田のものと思しき車が見つかった住所は、キングウィリアム郡である。FBIでは本来なら以前未来が勤めていた部署、フレデリックスバーグ駐在事務所の管轄だ。

 杉田の失踪について中心となって捜査を進めていくのはあくまでCVCだが、警察に最低限の情報しか提供しないこともあり、地方局との連携は必須事項である。

 しかし、誰がキングウィリアム郡を担当していたかまでは流石に未来も覚えていない。以前の勤務地の捜査官と現場で顔を合わせるのは気まずかったが、自分でも動くと決めた以上四の五の言ってはいられなかった。現場に誰がいても被害者の家族としてではなく、捜査官として振舞うべきなのだ。

 一度腹を決めれば、身体の中を通る空気も揺るぎがないものに変えられる気がする。

 捜査車両である黒のプリウスで現場に乗りつけるまでの3時間という時間は、彼女の気分を落ち着かせるだけの余裕を与えるのに十分だったと言えよう。11時を回る頃、未来はインターステート95を経てキング・ウィリアム・ロードに入り、リッチモンド・タバハノック・ハイウェイを走っていた。

 問題の雑貨屋は住宅も商業施設もまばらにしか見えない郊外にぽつんと佇み、ホットドッグやコーヒー、雑誌などを売っている、典型的なドライバー相手の小ぢんまりとした店だった。

 隣には煉瓦と化粧漆喰づくりの郵便局があるが、駐車場自体は雑貨屋と共有しているらしい。10台分のスペースも備えていない小さな駐車場は、本来なら駐車場所とされていないところまでパトカーと捜査用車両で埋まっていた。

 遅れて来た形となった未来は郵便局を通り越した道の脇に何とか車を停め、傷んだ埃っぽいアスファルトの駐車場に降り立った。FBI指定の青いブルゾンを着用した捜査員や制服の警察官が車の間でせわしなく歩き回り、その奥では犯罪現場であることを示す黄色いテープが風に揺れているのが見える。

「お嬢ちゃん、近所の子かい?済まないけど、今日ここは閉鎖されてるんだよ」

 コートを羽織りながら雑貨屋の駐車場を目指す途中、縦も横も幅の広い警官が人の良さそうな笑顔を浮かべ、彼女の進路に割って入ってきた。顔は筋肉だけで笑っているのが見てわかるほどで、何が何でもこの先には行かせないとその目が語っている。

「連邦特別捜査官のミキ・ハザマです」

 20センチほどは上にある警官のくすんだグレーの瞳を見上げつつ、未来はコートの内ポケットから身分証を取り出して名乗った。警官は言おうとしていた言葉を飲み込み、未来の顔と身分証の写真を交互に見比べる。彼はたっぷり5秒ほどかかってから、ようやくこの子どものような女性が同僚に近い人間であることを認識したらしかった。

 未来は黒っぽいデニムに真新しいベージュのコート、赤いタータンチェックのマフラーとスニーカーといういでたちである。近所の中学生が親に頼まれてお使いに来た、と思われても仕方がないだろう。

 警官は未来の立場を把握してからも、か細い全身を穴があくほど無遠慮に眺めた。

「あんた、この事件の担当かい?」

「そうとも言えますけど、おまけみたいなもんですよ」

「なら、あそこの連中に言ってくれ。こっちにいい加減な情報しか寄越さねえんなら、威張り腐った顔するなってな」

 中年の警官は未来についてくるよう手を振ると、駐車場の奥へと顎をしゃくる。大股で歩く彼の後に未来が追いついたのを確認し、黄色いテープの端を持ち上げて中へと通してくれた。

 未来は大勢の男たちや車の間を縫って、でこぼこしたアスファルトの駐車場を歩いていく。雑貨屋の前に数台固まって停まっている車の中に、見慣れた黒いワゴン車が見えた。

 ずきん、と彼女の胸は痛みを訴えた。

 やや歩く速度を落として車に近づいていくと、運転席のドアの側にウォーリーが立っていた。彼は制服警官の一人と、もう一人の捜査官と思しき白人男性と何事かを話している。

「来たか、ミキ。早かったな」

 ウォーリーが気づいて、未来の方を振り返る。

「あれ……驚いたな。被害者の家族って、ミキのことだったのか?」

 不躾な言葉と半ばからかうような調子を混ぜた言いように、未来の足が止まりかける。

 ウォーリーと話していた白人男性はフレデリックスバーグ駐在事務所の捜査官、ジェイコブ・ランチェスターだった。

「うわ、マジ最悪なんだけど」

 駐在事務所を離れる前日に聞いた、彼の女性と有色人種への差別感情が込められた嫌味が耳に蘇る。思わず顔を背けて悪態を日本語のスラングに乗せた未来は、瞬間的に嫌悪感を露にしていた。

 この時ジェイコブが日本語を全く理解しなかったのは、幸運だったと言えよう。

「この車なんだが、昨日の朝にこの店の店員が出勤してきた時には既に停まってたんだそうだ。今朝になっても誰も戻ってくる様子がないから、不審に思って警察に通報した」

 未来の反応は気に留めず、シボレーの側まで来た未来へウォーリーが状況を説明し始めた。

「この車両は、州警察にもナンバーが送られていたからね。すぐに警官が駆けつけたけれど、僕らが来るまでは殆ど触っていないそうだ」

 ジェイコブはその場から動かず、親指を立てて運転席の方を指して見せる。

「キーは挿しっ放しになってるんだ。こんなところに置いたままで、よく盗まれなかったもんだよ」

 彼は未来が運転席に近寄ると、場所を譲ると言うようりはあからさまに彼女を避けるように身を引きつつ続けた。

「警察連中はこの駐車場付近を封鎖するのと、近くにドクター・スギタがいないかどうか捜索を開始してるよ。今はそれ以上のことはできないからね」

「お前には、なるべく誰も手を触れてない状態の車を見てもらおうと思ってな」

 ジェイコブがどいた場所にウォーリーが立ち、念のため未来に白い布製の手袋を渡す。彼女は頷いて手袋をつけ、普段は助手席から眺めてばかりいた運転席を左側の窓から覗いた。

 薄いグレーを基調とした革張りの内装はやや汚れた感じがしているが、フロントガラスに僅かについている傷の形、ダッシュボードに浮かんだ白っぽいファンデーションの跡には、確かに見覚えがある。

 リアシートには見たところ何もなく、ひっかき回したり争ったりしたような形跡は見当たらない。

 少し身体をずらし、違う角度から改めて運転席を覗く。

 視界のやや下に入ってきた挿しっ放しのエンジンキーに、彼女の注意が一気に向けられた。

 エンジンキーからは、鮮やかなブルーに染められた本革の洒落たキーホルダーが下がっている。それは紛れもなく、今年1月に杉田の退院祝いとして未来が贈ったものだった。

 ひゅっ、と鋭い音を立てて未来の息が吸い込まれた。

 頭の中が真っ白になり、上半身が反射的にびくっと震える。

 空気の流れが、自分の周りだけ止まってしまったように感じた。

「ドクター・スギタの車に間違いないんだな?」

 未来の様子を見て取ったウォーリーが低い声でそっと尋ねると、彼女は黙って頷いた。

 見たところシートに血痕や銃痕、切り傷はないし、荒らされたような跡もない。

 この車の持ち主である杉田は、ここから離れた時点で出血するような傷を負っていたわけではない。そんなことは気休めにしかならないとわかっていながらも、未来は自分を鎮める材料としてその事実にすがるしかなかった。

「中も見てみたいんだけど、ドアは開けちゃいけないの?」

 彼女は努めて平静に振る舞おうとするが、声が震えるのはどうしても抑えられない。

 胃と心臓がしくしく痛み、手足に鉛の重りが括りつけられたかのように重い。鋭いはずの全身の感覚が全て鈍くなり、事務的な自分の言葉も他人が口を借りて言っているかのようだ。

 心が現実を拒否していることを、未来は理性でぼんやりと感じ取った。

「この後警察犬が来ることになってるんだ。残念だが、それまでは俺たちもドアを開けるわけにはいかないんだよ」

「見たところ、ドクターの財布がないみたいだけど。運転するときは、いつもシフトレバーの横に置いてたのに」

 まだ運転席から視線を動かそうとしない未来は、ウォーリーが隣に来ても姿勢を変えようとしない。

「彼、クレジットカード類は持ち歩いてたのか?」

「家を見てみないと、持って出たかどうかわからないけど。使われた形跡があるかどうか、カード会社に連絡して調べてみるよ」

 行方不明者の家族である未来が必死で取り乱すまいとしているのを、ウォーリーは長年の経験から感じ取っているのだろう。彼の口調は淡々としたものだが、感情が込められていない話しぶりは却ってありがたい。 

「しかし、東洋人の男ばっかりを狙うとは。物好きな殺人犯もいるもんだな」

 そこへ、離れた場所から2人の様子を見ていたジェイコブの声が割り込んできた。

 誰に向けたものでもない言葉だったが、彼の素振りは被害者のことを酒の肴にする下卑たごろつき警官と同じように、歪んだものに見える。

「まだそうと決まったわけじゃないでしょ」

 身を起こした未来は、突如として沸いた激しい怒りが、遠くに行きかけていた心を現実に引き戻してきた気すらした。ゆっくりと視線をジェイコブに向けるが、どう頑張ってみても睨みつけるような鋭さを含んでしまう。

「勿論さ。でも、あらゆる可能性を考えなきゃならないだろ?別の女と駆け落ちしたってことだって考えられるわけだしね」

「彼は、よく知りもしない相手についていくような人じゃないんだよ」

 身体ごとジェイコブに向き直った未来は、彼の軽い言葉を自分への敵意として受け取っていた。プロに徹しなければならないとはいえ、未来も人間だ。どうしても我慢ならないことはある。

 が、彼女が許せないのは、ジェイコブが自分をあげつらったからではない。彼の被害者をあからさまに貶め、蔑む態度だ。これは対象者が誰であろうと、現場に立つ捜査官として許せるものでは到底ない。

「へえ、ミキは随分と自分の魅力に自信があるみたいだね。自分よりずっと若くて色っぽい女が誘惑してきたとしても、男が見向きもしないと思ってるのか?結構なことだね」

 その未来の反応をむしろ面白がるように、ジェイコブの舌は回る。

 何故こんな男が連邦捜査官なのか、未来はこの時ほど審査官を責め立てたいと思ったことはなかった。 

「それに、捜査官の家族が犯罪に巻き込まれるなんてね。何より彼は検査官なんだろ?法執行機関に勤める人間としての自覚がなかったとしか言えないね。君の教育が足りなかったんじゃないのか?」

「個人情報を撒き散らすようなお喋りは控えて欲しいんですけどね、ランチェスター捜査官」

 しかし、彼と同じ目線で喧嘩をしては自分の器量もそこまでと思われて当然だ。

 未来は一つ息をつき、周りに警官たちがいるのをわからせることで、彼の茶化した言動が大きなリスクを孕んでいると思わせる戦法に切り替えた。

「ミキ、もうそれぐらいにしとけ」

 そこで彼女の後ろから、ウォーリーの抑えた声とともに小さな肩へ手がかけられた。

「お前の役目は、この車がドクター・スギタのものかどうか確認するってことだけなんだ。後は俺たちで進める。お前は自分の捜査に戻れ」

 そう、自分はこの事件の担当捜査官ではない。

 あくまで被害者の家族として呼ばれただけなのだ。

 警察犬が臭跡の追跡に使うためのものは予め渡してあるし、未来がもうここにいる必要はない。そして、ウォーリーは自分をこの現場から遠ざけたがっている。

 ここでやるべきことは、もう何もない。

 そう悟った未来はぐっと押し黙ってウォーリーとジェイコブに一礼すると、自分自身にそう言い聞かせながら踵を返した。

 ジェイコブの瞳が優越感に浸ったものに、ウォーリーのそれは気遣わしげなものになっていたことが、視界の隅にちらりと捉えられる。他の捜査官や警官たちは、振り返らずまっすぐに自分の車へと向かっていく小さな背中を、しげしげと見つめていた。

 足早に駐車場を横切った未来は口をきゅっと結び、険しい表情を隠そうともしていないが、その黒い瞳は決して逸ったものではなかった。

 ここでやることがないのなら、次にやることはもう決まってる。

 声に出さず呟いた彼女は、捜査車両の運転席に乗り込んでドアをロックし、個人用携帯電話をコートのポケットから引っ張り出していた。最近よく見る番号をディスプレイに呼び出して、本体を耳に当てる。

『もしもし?ヨーコなの?』

 5回程のコール音の後、やや躊躇っているようなソフィーの声が聞こえてきた。

「うん。突然ごめんね。今、電話は大丈夫?」

『別に構わないわ。どうかしたの?』

 未来が落ち込んでいる、浮かない気分であることを目一杯抑えた調子の声に込めるが、ソフィーの控え目な態度は変わらない。

 溜息を一つ挟み、未来は思い詰めた様子で言った。

「今日、会えないかな。どうしても、ソフィーと会って聞きたいことがあるの」

『ええ……いいわよ。あの、私はいいんだけど……貴女はその、大変なことがあったんじゃないの?大丈夫?』

 即答したソフィーは、元気が全くない未来のことを気にかけている様子だった。

 大丈夫か、と確認してきたと言うことは、ソフィーが未来の精神が酷い状態にあるのを知っていることを示している。つまりその「大変なこと」が、世間一般には公表されていないはずの杉田の失踪であることを認識しており、未来がそのショックを受けていることもわかっているのだ。

 ソフィーは杉田の失踪直前、最後まで一緒にいた人物だ。当然、警察かFBIの捜査官が昨日のうちに聴取済みなのだ。

「平気だよ」

 もう一度溜息をついて、未来は少し力強く言った。

 この時点でソフィーが何も知らなかったり、はぐらかしたりするようであれば、別の口実を使って彼女と会うつもりでいた。

 が、それはないようだ。不審な素振りを見せることなく会うのをすんなり了承したのだから、恐らく彼女が杉田と一緒にいるのを隠していることはありえないと見ていいだろう。

『じゃあ、また7デイズでいいかしら?』

「ううん。できれば、違う場所がいいんだけど。ソフィーの学校で、どこかいい場所はない?」

 ソフィーの提案に、未来は別案を持ち出した。

 この機会に、ソフィーの人となりをもう少し詳しく知っておきたかったこともある。

 彼女が自分の素性を隠したり、嘘をついていないか。本当に信用に足る人物であるのか。

 ソフィーと接したが故に、ラルフという面倒な男のことを知る羽目にもなってしまったのだ。新しい友人が出来たのは喜ぶべきことだが、諸手を挙げて歓迎するべきことではない、というのは未来も十分過ぎるほどわかっているのだ。

 正直、こんな状況なのにまだ冷静に考えられる頭を持っている自分が恨めしいと、本気で溜息をつきたくなる。FBI捜査官になってからと言うものの、心の底から本気で悲しんだり、怒ったりすることができなくなっているような気がするのだ。

『本当は、学生以外入っちゃいけないんだけど……でもまあ、ヨーコなら大丈夫かしら。メインダイニングだったら』

 ソフィーは二呼吸の間ほど考えを巡らせたらしかったが、あからさまな拒否はない。未来は頷いて、プリウスのナビ画面に手を触れた。

「ヴァージニア・ユニオン大学だったよね?」

『ええ。キャンパスに着いたらまた、電話してもらえるかしら』

 ソフィーに礼を言ってから終話ボタンを押し、未来は個人携帯電話をシフトレバーの横に置いた。ナビの画面に目的地の名称を打ち込みながら、今度は助手席のハンドバッグを探って偽装された学生証を取り出す。

 リッチモンド大学教養学部1年、ヨーコ・イシダの姿がそこにある。

 これをたまに眺めないと、「作られたもう一人の自分」の詳細を忘れそうになることが度々あった。

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