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安息なき夜 -5-

「了解しました」

 何とか納得して自分の口から出たことも、まるで他人の意識が口を借りて勝手に発した心地がする。マックスに一礼してから背を向けてオフィスを退出し、自分のデスクまで戻ってきてもまだ、身体が操られているようで実感がなかった。

 そして次に気がついた時、未来はアカデミーの演習場を見渡せるテラスにいた。

 テラスとは言っても、オフィスがある建物の最上階を貫く廊下の外側に当たるベランダ部分だ。椅子も何もないが、風が気持ちよく見晴らしもいいため、研修生時代にも気分が落ち込んだりしたときによく来た場所だった。

 2041年も、あと一か月少々で終わりを迎える。アメリカ全土がクリスマスで浮かれ始める頃だが、果たして自分は明るい気持ちでクリスマスを祝えるのだろうか?

 最後にここに来たのはアカデミー終了間際の暑い頃だったが、今は笛の音を思わせる鋭さで吹きつける風が、頬を冷たく刺してくる。思わず身震いしてデニムのポケットに手を突っ込むと、硬くて冷たい金属が指先に触れた。

 未来は鈍く光るステンレス製の小さな板がついたボールチェーンを引っ張り出し、目の前に翳した。お守り代わりにいつも持ち歩くのが習慣となっている、P2の認識票だ。

 P2はAWPのコードネームで、本名を岩元徹三という。AWPのプロトタイプ3号、つまりP3である未来よりも前に作られたサイボーグの男性だった。元軍人だった彼は破棄が決定された直後に開発者に連れられて逃亡し、未来の破壊を企てた。

 しかし未来に敗れ、結果として彼女を庇い命を落としたのである。

 未来にとって最強で最悪の敵だったP2だが、忘れることのできない人物として、その姿は今も彼女の中に生き続けている。彼は皮肉にも純粋な自分の意思で生きることの価値に気づいた途端、冥途へと誘われた。

 そのP2が今も生きていて仲間になっていたとしたら、この状況をどう思うだろう?

「命令には逆らうな」

 とでも冷たく言い放つだろうか。いや、彼は未来との戦いの最中、彼を作った人間に決然と逆らって見せたのだ。

「自分が後悔しないようにやれ」

 とでも言いそうな気がする。

 鼻先で強風に揺られる認識票の動きを目で追いながら、未来は呟いた。

「もういない人間のことをあてにするなんて、私もヤキが回ったかな」

 自暴自棄な、自身を嘲る調子だった。

 結局誰かの支えなしでは自分が何もできないことを、今更ながらに痛感させられる。情けなくて笑いたくなるぐらいだった。

「よ!暗い変な笑い声がすると思ったら、ミキだったのか。探したぜ」

 そこへいきなり場違いに陽気な男の声が割り込んできて、背中に誰かがどすんと体当たりしてきた。上半身が勢いに負けてつんのめり、認識票のチェーンが宙に躍る。

 実際は大きな手のひらで背中を強く叩かれただけなのだが、小柄な未来はテラスの柵の下に危うく身体を持って行かれるところだった。うっかり手から離しそうになってしまったP2の認識票を慌てて掴み直し、後ろを振り返る。

「ちょっと、いきなり何すんの!びっくりさせないでよ!」

 大切な遺品が紛失寸前になったことにかっとなった未来の剣幕に、同じ男の声が慌てたようだった。

「わ、悪かったよ。謝るから、そんなに怒るなって」

 元気なくうなだれていた彼女に喝を入れようとしたらしいジャクソンは、怒りをストレートに顔に出し、拳を振り上げかねない小柄な同僚に全力で謝罪した。

「あれ?そのドッグ・タグ、アメリカ軍のじゃないみたいだな。仲間の形見か?」

 と、自らを庇おう上げた手の隙間から見えた未来の認識票が、彼の注意を引いたらしい。はたと気づいた未来は、銀色のプレートを頭上に翳す格好になっていた腕を下ろした。

「違うよ」

「じゃあ、もしかして恋人か?」

「そんなわけないでしょ」

 拗ねるような口調から不機嫌なそれ変えて、未来はジャクソンを横目で睨みつけた。

 些細な茶目っ気からやったことに対し、いちいち反応が過剰な未来に抗議しようとしているのか、今度はジャクソンが拗ねて見せる。

「なら、何だよ」

「……私が倒した敵。いや、ライバルかな」

 認識票のチェーンを手繰り寄せ、未来は右手の中に傷だらけのプレートを収めた。故人の品を見つめる黒い瞳は寂しげで、見る者を切ない、落ち着かない気分にさせる。

 未来をからかって元気にさせようというジャクソンの目論見は、相手のテンションが一向に上がってこないことで早々に取りやめられたらしい。

「で?そいつの声は聞こえたのか?」

 気持ちの切り替えが早いジャクソンは、言うことを切り替えるのも早い。意外そうに、未来は隣に並んだジャクソンの顔を見上げた。

「そんなセンチなこと言うの、初めて聞いたよ」

「いくら俺でも、たまには感傷に浸ることだってあるんだよ。それよりお前、そいつは何て言ってると思うんだ?」

 同僚の黒人は、アカデミーの敷地に広がっている常緑樹が生い茂った森の端を見つめている。未来も彼と同じ方角を視界に入れ、何気なく耳を澄ました。静寂の中からはっきりと、自動小銃の発砲音や低い声の短い会話が聞こえてくる。本来ならば未来も参加している筈の、NOTS訓練だろう。

 マックスから未来の処遇について話を聞いたかどうかは知らないが、ジャクソンは彼女が杉田の捜索のために動きたいと願っていることを察しているのだ。

 しかし、だからと言って何になると言うのだろう。

 彼もまた捜査官だ。やりたいこととやらねばならないことが別なのは、未来以上に知っているはずだ。

「さあ。本人はもういないんだから、聞くわけにいかないんだし」

 小さく息をつき、未来は認識票をポケットにしまった。

「でも、お前の心にはまだ生きてるんだろ」

 その仕草を見守るジャクソンが続けたことは、やはりセンチだ。

 が、未来も茶化す気になれないのはジャクソンと一緒だった。

「多分、お前がやりたいようにやってみろって言ってるかもね」

「じゃあ、決まりだな。そうしてみろよ」

「え?」

 未来の目が丸く見開かれ、驚きの色を浮かべた顔がジャクソンに向けられる。

 まさか、堂々と命令に背けとでも言うのか。

 ジャクソンはただ、白い歯を見せて笑っていた。いつものように、いたずらっ子を思わせる邪心のなさが見て取れる笑顔だ。

「そいつが言ったのは、今ミキが一番言って欲しいと願ってることだ。誰かに聞くまでもなく、お前の取るべき道はもう決まってたんだよ」

「そんなこと……私、ブラックヘアの担当じゃないんだよ。どうやって捜査しろって言うの?」

「やっぱりそうなんだな。本音が出たか」

 戸惑いを隠し切れないのと、ジャクソンが言ったことをにわかに信じがたい気持ちをない混ぜにした未来は、落ち着かなげにテラスの床へ視線を彷徨わせている。

「いいことを教えてやるよ。確かにお前は担当じゃないが、担当外の事件の捜査に関する罰則は、CVCじゃどこにも規定されてないんだ。隊長は、お前が動くのを止めさせようとしてるわけじゃない。ただ、大っぴらに背中を押すことができないだけってことだ」

 ジャクソンの言葉に、未来ははっとした。

 確かにマックスからは「通常の捜査に戻れ」と命令された。戦闘チームではブラックヘアの調査に直接関与しない、未来を担当にしないと言われただけである。捜査活動をするなとは一言も聞いていないのだ。

 ジャクソンは再び顔を正面に向け、森の木々と夜が明けて間もない空の境目を見つめている。彼の顔からは先までの少年っぽい笑顔が引っ込み、代わりに翳りがある男が持つ厚みがうかがえるようだ。

「ここから先は俺の独り言だ。黙って聞いてろよ」

 未来の方を向かない彼は、彼女が頷いたことを気配で察してから口を開いた。

「俺には、5つ年上の姉貴がいた。俺とは違って頭が良くて、レンセラー工科大学の工学部に奨学金で通ってた。理屈っぽくて、口喧嘩じゃ俺が勝てたことはなかったんだが、いつも俺が落第しないように心配してくれてた。そんじょそこらの家庭教師に勉強を習うよりも、よっぽど教え方が上手かった」

 ジャクソンは息をつくと、テラスの手すりに肘をつき体重を乗せた。彼の視線が、地平線から早い速度で動いている雲へと移る。

「俺がハイスクールの学生だった時だ。姉貴は、地元の友達のバースデーパーティに行くから帰りは遅くなるって、8月の暑い土曜日の昼に家を出て行ったんだ。それが、生きてる姉貴を見た最後になった」

 未来が僅かに眉を動かしたが、口を挟むことはしない。

「姉貴は、家からも友達の家からもかなり離れた森の中で、裸にされて死んでたんだ」

 僅かに鼻をすすりつつも、ジャクソンは感情を完全に抑制していた。

 しかし、その黒い瞳には決して癒えない悲しみと苦痛とが宿り、今なお彼を苦しめる記憶を心の奥にしまいこんでいたことがわかる。

 未来が促さずとも、黒人の青年は淡々と語り続けていった。

「でも警察は姉貴が殺されたのを、薬物セックス絡みの事件として片付けようとしやがった。その当時は似たような事件が周辺で頻繁にあったし、姉貴の死体からコカインが検出されたからってな。親父やお袋、俺だって、姉貴がドラッグなんかやってたって信じなかった。姉貴の部屋からは、その痕跡は一切発見されなかったんだ。なのに」

 言葉を切る直前、ジャクソンの声がほんの僅かに揺らいだ。

 彼の話は理不尽極まりないが、実はアメリカでそう珍しい話ではない。

 アメリカでは担当の警官が白人で被害者が黒人だった場合、それが例え殺人事件であっても、おざなりな捜査しかしないことが多々あるのだ。奴隷解放宣言から180年程度経つと言うのに人種差別は完全になくなっておらず、未だまかり通ることが許されている、忌まわしき社会的暴力の最たるものという認識なのである。

 ジャクソンは一旦息を深くついた後に空を仰いでから、もう一度視線をまっすぐに戻した。

「その後に、姉貴は連続レイプ殺人事件の被害者だってわかった。姉貴の遺体の残留物と犯人のDNAが一致したし、ヤクも無理やりやらされた可能性が極めて高いとされたんだ。でも、俺の姉貴は死んでからもなお傷つけられた。俺たち家族は、それでどんなに苦しんだかわからねえ」

 未来はとっさに何も言うことができなかった。

 何と言うことなのだろう。

 いつも陽気なジャクソンも、愛する家族を奪われた過去を抱えていたのだ。

 しかも彼の姉はむごたらしく殺された上に売女として扱われ、警察からも半ば見捨てられたのだ。社会的に二回殺されたと言ってもいい。

 家族であるジャクソンの苦しみと悲しみ、そして憤りは、察するに余りある。

 若くて将来もあった彼の姉は、どれだけ無念だったことだろう。

 彼女を愛した人たちは、まともに対応しようとしなかった警察をどんなに恨んだだろう。

 未来は胸に圧迫感を覚えて呼吸が苦しくなったが、ジャクソンの顔から視線を逸らすことはできなかった。

 彼の横顔は静かなる強さを湛えている。強靭な精神を宿して前を見据える瞳には、自分の守るべきものを悟り、戦う者が内に秘めている覚悟が垣間見える気がした。

「だから、陸軍からFBIに来るときに思ったんだ。被害者が誰であろうと、無念は絶対に晴らしてやるべきだと。俺の目に見える範囲の事件では、同じような人間を二度と出さないようにしようってな」

 そして過去を語り終えたとき、ジャクソンには普段の明るさが戻ってきていた。

 力んでいた両肩から力を抜いて、ゆっくりと未来の方を向く。

 まだ言うべき言葉を見つけられないでいる彼女に、彼は暖かな視線と手のひらを送った。

「だから、ミキ。お前にできることをまずやってみろよ。俺もあんまり目立った動きはできないけど、何とか応援するから」

 大きな手が置かれた肩に、優しい温もりが感じられる。

 ジャクソンは何があっても味方でいてくれようとする、信頼すべき仲間だ。この瞬間に心からそう思えた未来は、ここ数日間は完全に忘れ去っていた安心感が戻ってきたことを感じた。

 心底から安堵する、というのはこういう気持ちなのだろう。

 未来はせり上がってくる涙を堪え、笑顔を作って頷いた。



こんばんわ。

作者の日吉舞です。

今回は話の流れ上、少し短めの掲載とさせて頂きました。

以降もこういった感じで一回の掲載分量にばらつきが生じるかと

思いますが、温かく見守って頂ければ嬉しいです。


これからも、よろしくお願い致します。

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