表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/74

FNG(新米捜査官) -2-

「今朝の一面、見たか?」

「ああ、また例の殺人事件があったらしいな。うちの管轄であったんじゃなくて良かったよ。じゃなけりゃ今頃、ウジ虫記者どもがロビーに溢れ返ってたろうさ」

 一般用窓口にほど近い秘書兼受付係のデスクに捜査官たちが椅子を持ち寄り始めたとき、アーロンの問いかけにウィリアムが声楽家もかくや、という豊かなバリトンの声を響かせて答えた。

「例の殺人事件って、あのアジア人男性の?」

 アメリカ人にしては小柄だが、がっしりとした体格をしたウィリアムの隣に椅子を引きずってきた未来が眉根を寄せた。

「まだ見てないのか?今朝の新聞もニュースも、事件のことで一色だぞ」

「ポストは持ってきましたけど、まだ見てなくて」

 未来が自宅から持参したワシントン・ポストは、まだデスクの上に置いたままだ。いつも朝のミーティングが終わってから読むようにしており、今朝はランチェスターに絡まれたので見出しすら読んでいない。

 話題になっている殺人事件は、ここ2年ほどでアジア系の若い男性ばかりが何人も暴行された末に銃で撃たれて殺害され、全裸の死体を遺棄されるという連続殺人である。最初の死体発見現場はメリーランド州だったが、それ以外はいずれもヴァージニア州のハイウェイに近い路地裏やごみ捨て場だ。

 同一人物の犯行と思われる連続殺人が州を跨いで起こっているため、事件の捜査は州警察からFBIへ管轄が移っている。しかし、捜査の仕切りはあくまでヴァージニア州全域を統括するリッチモンド支局だ。未来のいるフレデリックスバーグ駐在事務所は管轄下の郡で死体が発見されたり、リッチモンド支局から協力依頼でもない限り、直接捜査に当たることはない。

 当然ながら事件と無関係の駐在所には当局も情報を流さないし、問い合わせても必要以上の情報を寄越すことはない。よってここにいる捜査官は新聞やテレビ、インターネットなどのメディアを通して発表されたことしか知らなかった。

「今回で確か被害者は5人目だ。多分リッチモンドの連中も検死局も、対応に追われてるだろう。もし俺たちのところにでも回されたりしたら、朝っぱらからタマを掻いてる暇も……おっと、ミキには掻くタマがないんだっけな」

 最近未来が実感したことだが、警察官出身の捜査官ほどこういう発言が多いような気がする。ウィリアムは彼女にじろりと睨まれても、悪びれている様子は全くない。

「まぁ、男ってのは不便ですよね。急所を一つ余計に抱えてるわけなんだし。女もそれなりに不便だから、結局はどっちもどっちですけど」

 そしてこういうことにいちいち目くじらを立てて、セクハラだの何だのと喚き立てるのは疲れるだけだった。犯罪捜査の現場にいれば誰かにそんな口を叩かれることもしょっちゅうだし、それなら相手に同調しない程度に流しておけばいい。

 性別の違いをやり玉に上げることなく返した未来の隣に、ただ一人スーツをばっちり着込んだ特別捜査官、オリヴァー・ブラウンが椅子を引っ張ってきて座った。

「私は今日これから裁判なんだ。早く済ませよう」

 オリヴァーは元会計士のヒスパニック系男性で、10月に37歳になったばかりだ。他の捜査官のように銀行強盗や逃亡犯を追い回すよりも、詐欺やマネー・ロンダリングのような知的犯罪の捜査や裁判を得意とする変わり種である。

「ええと。僕は、情報提供者との約束が午前中に何件かあります。午後はハイウェイ・パトロールの連中に、轢き逃げ事件絡みの不審車両の件で話を聞きに行くので、戻ってくるのは夕方です」

「私は証言が立て込んでるから、一日連邦裁判所にいる。何かあったら携帯に連絡をもらえれば、時間を見てかけ直すようにする」

 ランチェスターが駐在所のデータベース専用携帯端末の画面で予定を確認しながら先に言うと、オリヴァーがむっつりと続けた。オリヴァーはミーティングが済み次第すぐに連邦裁判所に出かけるつもりらしく、書類がぱんぱんに詰まったブリーフケースを椅子の脇に置いている。

「私は午前中に裁判の準備の予定だ。午後にミキの研修の続きをやって、合間に主任に提出する報告書を作る」

 アーロンがやはり専用端末の画面を確認しながら言ったところで、未来が座ったまま辺りを見回した。

「あれ、そう言えば主任は?」

「取り込み中らしいが、ポストを読みながらの電話だから大した件じゃないな。ミキ、午前中の予定は空いてるか?」

「はい。データベース漁りと電話と、宣誓供述書を作る予定でしたから……」

 ウィリアムから突然話を振られた未来が意外そうに目をしばたかせると、彼は二重顎に皺を寄せてにやりと笑った。

「宣誓供述書は……そうだな、ジェイコブが作っとけ。これから88を捕まえに行くから、ミキはそのちゃらい靴を履き替えておくようにな」

「え?」

 異口同音に未来とランチェスターが声を上げたが、その後をむっとした口調で続けたのはランチェスターだけだった。

「どうして僕が?勉強になると思って、わざわざ彼女に頼んだっていうのに」

「お前の方こそ勉強しとけよ、ジェイコブ坊ちゃん。毎回どれだけケツが拭ける紙を無駄にしてると思ってるんだ?」

 相変わらず下品な物言いをするウィリアムに憮然となったランチェスターの肩へ、アーロンが手を軽く置いた。

「主任が尻拭いをしなくて済むよう、私がもう一度仕込んでやるよ」

 アーロンは元弁護士だけに、書類の作り方に関してはオフィス1細かい男だ。金髪の青年はプライドが傷ついたらしく、声を荒げて煩わしげにアーロンの手を払いのけた。

「余計なお世話です。それぐらい、僕一人で完璧にできますよ」

「完璧にできるってな、お手本の通りに内容を写せることを言うのか?」

 完全にからかう口調で言いながら、ウィリアムが立ち上がる。ランチェスターは無言だったが、小さな舌打ちが漏れたのを、未来の耳は捉えていた。

「じゃあミキは抗弾ベストを持って、俺の車まで来い。3分で支度しろ」

 ウィリアムは、無駄が嫌いな質だ。椅子を勢いよく床に滑らせて片付けると上着を取り、さっさとオフィスを後にする。未来が慌ててパンプスをスニーカーに履き替え、抗弾ベストとホルスターに突っ込んだ拳銃をひっ掴み、駐車場にあるウィリアムの公用車の助手席に駆け込んでドアをロックしたところで、丁度3分だった。

「よし。やっぱり元日本人は時間に正確だな」

 ウィリアムは、のりの取れた白いワイシャツにくたびれたベージュのジャケット、裾が擦り切れた黒のズボンという気を使わない身なりに、タグホイヤーの腕時計がアンバランスだ。文字盤をちらりと確認し、満足げに頷いている。

「後ろのやつに弾を込めとけ」

 アクセルを踏む直前に、彼がリアシートを親指で指す。見てみると、レミントン870ショットガンが一挺、開封した弾薬の紙箱と一緒に無造作な格好で放り出してあった。

「相手は武装してるんですか?」

 未来が二人分の抗弾ベストを後ろに放り、入れ替えでショットガンと弾薬を掴み上げる。

「ああ。二人組の強盗殺人容疑者で、奴らもショットガンを持ってる」

 彼女がシートベルトを締めたのを確認してから、ウィリアムは車を出した。

 88とは、FBI内部の用語でUFAP(訴追回避のための不法な逃避)を差す。州境を越えて逃げてきた逃亡犯を逮捕して最寄りの官憲に引き渡し、送還させるのが捜査官の役目だ。

「しかし、そいつはなるべく使わないつもりだ。奴らが郊外のハイウェイまで逃げて、撃ち合いにでもならない限りな。何せ、これから行くのは住宅密集地だ。治安はいまいちだから銃声なんかにゃ誰も驚かないだろうが、一般市民を巻き込みでもしたら厄介なことになる」

「情報提供者からそこに潜伏してるって、たれ込みがあったんですか?」

「いや、リッチモンド支局からの情報だ。俺も奴らの詳しいことを調べてるわけじゃないが、生粋のワルだってことは逮捕歴を見ればわかる。遠慮はいらんぞ」

 未来の問いに答えつつ、公用車であるプリウスのナビに合わせてウィリアムがハンドルを切ると、やや使い込んだタイヤが軋みを上げる。道の舗装は酷いが彼が全くスピードを落とさないため、ナビの音声がぶれるほど揺れが激しい。

 彼の捜査に何度も同行している未来は、その中でショットガンの弾を装填するのにも慣れていたが、来月入ってくるだろう新米は、車酔いを堪えるだけで精一杯だろう。ロボットが社会にあまり浸透していないアメリカでは、車の装備が最新式でも自動運転の機能がついていない、ヒューマンドライビング仕様のものも多い。

 安全装置をかけたショットガンを凹んだリアシートに戻してから、次に未来は自分のホルスターを取り上げた。

「でもこんな時間に踏み込んで、大丈夫なんですか?相手は二人で武装してるんでしょう」

「交代で一人ずつが寝て、入れ替わりに外へ出てるらしい。だから、今はどっちかが一人で高いびきの筈だ。そりゃ、女を引っかけちゃあヤクを決めてれば、疲れるだろうさ」

 ある程度の期間同じ場所に滞在しているということは、現場に様々な証拠品があることになる。先に一人を逮捕したら現場に監視をつけ、夜にもう一人が戻ってきたところを逮捕するのだろう。

 未来は日本で便利屋を経営していた頃、麻薬絡みの事件に巻き込まれそうになったことがあるのを思い出した。ウィリアムのジャケットから覗いているスミス・アンド・ウェッソンのリボルバーに、ちらりと目をやる。

「麻薬も常習犯なんですね」

「強盗もヤクも同じだ。一度やったら、そう簡単にはやめられない」

 吐き捨てるように言ってから、ウィリアムは大分短くなったタバコを灰皿に押し込んだ。警察官出身の彼はそんな現実を飽きるほど見て、感じてきたに違いない。

 未来はシートベルトをつけたまま上着を脱いで、白いタートルの上にショルダーホルスターをつけながら頷いた。

 彼女の身の上が、軍事用サイボーグからFBI特別捜査官へと変わってから数ヶ月。

 単身で犯罪者の潜伏先や犯罪現場に急行し、犯人を組み伏せて手錠をかけたことも何度もある。いざそういったものに出くわすと、AWPにいた頃とはまた違った緊張感が漲った。

 以前は手段を問わずただ敵を確実に殺し、倒すことだけを考えれば良かった。

 しかし今は合衆国法の下、ある程度の権利を保障された相手の身柄を確保し、調査し、裁くことが目的だ。単なる戦闘よりもずっと複雑な手続きがつきまとい、何倍も頭を使う。

 やっていることは警察と変わらないように見えても、FBI捜査官には警察官にない様々な特権が与えられている。ただし特権を駆使するには、その内容を暗誦できるぐらいに把握していなければ、痛い目に遭うだけだ。

 それだけに最初は何もかもがうまくいかず、同僚たちを困らせることが多かった。

 加えて、法執行官はアメリカでも男の世界だ。未だに女性捜査官に対しての偏見もあるし、未来の場合はアジア人だということもある。好奇の目で見られることも珍しくなかった。

「おい、アジアン・ドワーフ(東洋人のチビ)。ここはガールスカウトの遊び場じゃねえんだぞ!」

 と、ウィリアムにもよく怒鳴られたものだった。

 しかし未来が捜査の下地を掴み始めた頃、戦闘と銃火器の扱いに長け、状況判断や思考の柔軟さに優れていることをいち早く見抜いたのもまた、彼だった。

 未来は元軍事用サイボーグなのだから当然と言えばそうなのだが、ウィリアムはそれ以来、ある種の使命感に目覚めたようだった。

 即ち、未来を一人前の捜査官に育て上げることである。

 彼は主に銀行強盗犯の追跡や殺人事件の犯人確保のような機動捜査、つまりはドアを蹴破って容疑者のところへ踏み込み、もみ合って手錠をかけるような現場によく未来を連れ出すようになった。本当はアーロンが未来の教育係だったが、そんなことはお構いなしだ。

 未来のほうも新しい刺激に満ち、かつ便利屋時代の交渉術や調査方法が生かせるFBIの仕事に、確かな手応えを感じていた。何よりも社会のため、人のために役に立っているという充実感が大きい。もし戦闘用サイボーグとして軍に入れられていたなら、恐らく得られなかったであろう感覚だ。

「もうすぐだ。準備はいいか?」

「イエス・サー。いつでもどうぞ」

 もう一度行き先の番地を確認したウィリアムの声が、若干低くなっている。

 膝に置いたグロッグ17を腋の下に納めると、未来はおどけた答えに緊張を乗せてリアシートの抗弾ベストを取り上げた。

 えんじ色のプリウスは、リーランド地区の狭い道をすり抜けるように進んでいく。

 オフィスから30分ほど走った住宅街の片隅に、目指す場所はあった。細い路地から更に狭い砂利道の私道が奥へと続くところに車を止め、黒い抗弾ベストを身につけた捜査官たちが降り立つ。

 ぴりぴりと尖った空気が、彼らを包んでいるのが目に見えるようだった。体格も年齢も違う二人の男女は狭い私道を進み、小さな家を囲んだ木製の塀に身を寄せた。

 逃亡犯たちがいるのは、未来の借家と同じような羽目板張りの平屋だった。しかしこちらは外見がかなりみすぼらしく、壁を彩る薄いブルーのペンキが半分ほど剥がれ落ちており、玄関前のポーチに据えられたランプ型の照明は、ガラスにひびがが入っている。

 ウィリアムと未来は無言で各々のホルスターから拳銃を抜いて、荒れ放題の庭を抜けて玄関へ走った。ドアの右側でしゃがみ込んで眉間に皺を寄せたウィリアムが、反対側にいる未来に家の中の様子を探るよう、身振りで合図を送ってくる。彼は未来の戦闘能力の他に、優れた索敵力についても一目置いているのだ。

 頷いて、彼女は左耳をドアに当てた。

 常人のおよそ500倍という強化された聴覚は、こう言ったときに非常に有用だ。最初の頃は単に物音で誰かいるかを確認する程度しかできなかったが、何回も捜査に出るうち、呼吸音や心臓の鼓動が実に多くの情報を含んでいることに気づいた。

 例えば浅く早く、空気が漏れるような息は相手が酷く負傷している可能性が高く、篭もるような呼吸はどこか狭い場所にいることが多い。また、あちこちに動き回る早い鼓動は子どもの特徴だし、音の位置でその主の身長もだいたいわかる。

 鼓膜の感度を上げていくと、家の中の離れた場所に呼吸音が一つあるのがわかった。調子は一定で低い位置から発せられ、それも極めて安定している。他に衣擦れや摩擦音もないことから、相手がベッドで熟睡中で、そう簡単には目を覚まさないであろうことが予測できた。

 念のために右耳の感度も調整し、他の呼吸音がないかどうかも探ってみる。

 するとほど近い場所にもう一つ、呼吸音があることに気づいた。

 しかもそれは徐々に移動しているらしく、次第に場所がずれていくのがわかる。興奮しているのか荒い印象だが、柔らかい芝生に落ちた枯れ葉を踏みしめる足音はやけに遅い。硬い音がしないところを考えると、相手の靴はスニーカーだろう。

 そして足音が動く度に上がる、火器のものらしい僅かな金属の軋み。今までの捜査で何度も聞いた、武装した誰かの忍び足だ。

 未来の頭の中で警報がけたたましく鳴り響き、アドレナリンが血流に乗って全身を巡り始める。ドアに背中をこすりつけながら、未来はウィリアムに囁いた。

「家の中には一人だけで、寝てるのは間違いありません。ですがもう一人が、こっちの後ろに回り込もうとしてるようです」

 彼女の緊張した低い声に、ウィリアムは片方の眉を跳ね上げた。彼にとっても、予期しない容疑者の動きだ。

「……位置はわかるか?」

「塀伝いに、玄関の方へ忍び足で移動してます。恐らくショットガンも持ってるかと」

「そいつを押さえろ。俺は裏から突入して、中の奴を捕まえる」

 早急に、武装した相手を取り押さえねばならない。

 ウィリアムの命令は短かった。

 未来に武装した方を捕らえられるか、確認もしない。配属時の自己紹介で日本国防軍の特殊部隊出身だと説明しておいて、正解だったと言えるだろう。

「わかりました」

 頷いた未来の返事もまた、短い。

 目で合図を送ってきたウィリアムが、犯人が潜んでいるのとは反対側の方へ低い体勢のまま、足を滑らせていく。その背を見届けてから、未来は構えていたグロッグをホルスターに差し込んだ。周囲が住宅街で武装した容疑者がいるとなると、下手に発砲するわけにいかない。ただ、素手の格闘で相手を押さえるなら、常人離れした動きをウィリアムに見せるわけにはいかなかった。

「殺しちゃ、駄目なんだからね」

 自分に言い聞かせるように呟いてから、彼女は中腰でいきなり走り出した。

 AWPにいた頃に司令官兼戦術指導担当のリューから教わった格闘術は、戦場で相手を確実に、しかも短時間で仕留める軍隊式の殺人術だった。FBIで逮捕用の格闘も習得したが、先に身体に覚え込ませた格闘法とは全く違う。身体にしみついた癖はなかなか抜けてくれず、とっさの場合はうっかりしてやりすぎてしまい、相手を殺してしまう一歩手前まで行くことも多かった。

 今の自分はFBI捜査官だ。合衆国法を守り、やむを得ない場合を除いて相手を死に至らしめる攻撃手段を用いてはならない。

 意識して力みがちな肩から力を抜き、再び耳を犯人の足音に傾ける。

 板塀の向こうの足音が一定の調子で進んでいることから、犯人はまだこちらの動きに気づいていないようだった。

「3、2、1!」

 その音から相手との距離が7.6ヤード(約7メートル)程度であると推測し、タイミングを計った未来が芝生を蹴って跳んだ。4ヤードあまり上に跳躍して板塀の縁を下に見下ろし、飛び越す瞬間に犯人を素早く観察する。

 若い白人の男だ。

 これといって特徴がない顔に中肉中背、黒いフリースの上着とジーンズ。やはりショットガンを両手に構えている。

 男の正面から1ヤードと離れていない枯れ葉の上に着地した未来は、両足のばねを溜めて思い切り地面を蹴り、その面食らっている顔めがけて猫科の獣のように襲いかかった。

「何だこの……」

 男の言葉が途切れる。

 喚き声が上がる前に未来は彼の口を右手で塞ぎ、左手でロックがかかったたショットガンをもぎ取った。そして男の顔を右手で掴んだまま、筋肉質でがっちりした上半身を力任せに地面へ叩きつける。

 空中で男の身体が半回転して枯れた芝生に投げ出され、両足が縦に孤を描いた。

 一体こいつは、どこから現れた?

 こんなチビ女のどこに、こんな馬鹿力があるのか!

 彼女が戦闘用サイボーグであることなど知る由もない男は、そう思ったに違いない。彼と未来の体格は、筋骨逞しい成人男性と10代のか細い少女ほども違うのだ。

 未来は彼の顔を地面にこすりつけて悲鳴を上げられないようにし、首の後ろに膝を決めて組み伏せた。奪い取ったショットガンを芝生の上に放り、そのまま太い腕を捻り上げる。

「FBIだ。逮捕する」

 一言だけ威圧感を詰め込んだ声を発してから、未来は男の後ろ手に手錠をかけて錠を下ろした。

 すかさず、ジャケットのポケットからハンカチを出して悶える男の口に押し込む。大声を出されると残る一人に気づかれてしまうからだ。

 容疑者の逮捕は告知を読み上げて捜査官の身分証を提示してから行うものだが、それで大人しく縛につくのは余程の不意を突くか、諦めがいい者が相手の場合だけだ。緊急事態では、告知なしの逮捕もやむを得ない。

 未来が捜査官となってから様々なパターンの逮捕を経験しているが、容疑者が抵抗してこない場合の方がずっと少ない気がする。

 彼女は念のため金属探知フィルターをオンにした瞳で犯人の全身をチェックし、足にも手錠をかけると、暴れる身体を素早く右肩に担ぎ上げた。驚いた男が、逃れようとして更に身をよじる。

「下手に暴れたら、あんたの頭を蹴り潰すかもよ」

 未来がドスを効かせて凄むと、男はぴたりと動きを止めた。彼女の化け物じみた強さを身体に叩き込まれた後だけに、逮捕された怒りよりも恐怖心のほうが先に立つのだろう。

 未来はそれを合図にして、弾丸の如く走り出した。僅か数秒で車に辿り着いて、呟く。

「アンロック!」

 登録された未来の音声が車両の認識システムに検知され、ドアが開く。彼女はリアシートに立てておいたレミントンと入れ替えで容疑者を放り込み、ドアを閉めた。

「ロック」

 再び囁くと、自動で全てのドアにロックがかかる。

 捜査用車両は各捜査官個人に貸与されるものだが、音声ロックの声紋はオフィスの捜査官全員分が登録してあった。運転にはキーが必要でも、音声ロックを解除すればドアとトランクの開閉が可能なのだ。

 これでもう容疑者は逃げ出せない。

 未来はトランクにレミントンを収めてから自分の銃を抜き、ウィリアムを援護するべく家の裏手へと向かった。

 開け放たれた裏口のドアはウィリアムに蹴破られたらしく、錆びかけた錠の部分が壊れている。未来はグロッグを下段に構えたまま中を片目で覗き、聴覚の感度を上げようとした。

「立て。今頃、相棒がドライブをお待ちかねだぞ」

 が、そうするまでもなかった。聞き慣れた力強い声が、薄暗くて古いチーズのすえた臭いが漂う家の奥から聞こえてくる。ほっと息をついて、未来はバドワイザーの空き缶やピザの空箱で散らかっているリビングに足を踏み入れた。

「ビル?」

 彼女が声をかけると、若く黒っぽい髪の白人男性を引きずるように連行したウィリアムが、左手にあるドアから姿を現した。

「もう来たか。流石だな、レディー・コマンドー」

 銃を下ろした未来の姿を確認し、ウィリアムが白い歯を見せてにやりと笑った。傍らの容疑者は足が安定しない様子だ。まだ目が覚めていないのと、酒かドラッグのせいでぼやけた思考でいるのと半々なのだろう。虚ろなブルーの瞳はしかし、これから始まる刑務所での苛酷な日々を思い描いて愕然としているように見えた。

 このウィリアムが逮捕した相手も、先に確保した容疑者と同じくらいの体格のようだ。熟睡中のところに踏み込まれ、ろくに反撃もできなかったのだろう。未だ苦しげな喘ぎを漏らしている。

「そりゃ、お互い様ですよ。銃撃戦にならなくて良かった」

「しかしこんなでかい連中が二人増えたんじゃ、俺の車は狭いな。官憲の応援を呼ぶか」

 グロッグを腋の下のホルスターに収め、未来が幼さを残した笑顔で頷いた。

「イエス・サー」

 言い残して、彼女は荒れ放題の庭へと駆け出した。

 証拠品のショットガンを回収し、最寄りの官憲に無線で連絡を入れるためだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
web拍手始めました!お気に召しましたらポチしてください
★Web拍手を送る★


アンケート始めました!
★あなたの好きなキャラクターを教えてください★

ランキングに参加中です
小説家になろう 勝手にランキング
お気に召しましたら、ポチしてください
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ