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溝 -5-

 パワードスーツ姿のサイボーグ二人と小太りな東洋人という珍妙な取り合わせの一団は、賑やかなやりとりの余韻をルームに残しながら屋外射撃場へと向かっていった。

 3人が目指す屋外射撃場は銃保管庫のすぐ隣にある施設で、射座の数は50以上に上る。射撃場としては、かなり規模が大きいものだと言えるだろう。そしてここが一般の射撃場と異なるのは、フェンスや廃車となった車両、バリケードが設置された一角があり、そこでも実弾を使用した訓練ができることだ。

 ジャクソンと未来が候補生だった頃、ここで幾度となく教官の罵声を浴び、あらゆる天候の下で昼夜問わず訓練を受けたものである。

 未来はアカデミー卒業以降CVC配属になるまで、射撃訓練をリッチモンドの民間射撃場でやっていた。そしてCVCに所属してからは、ホーガンズ・アレイで取り組むHRTとの共同訓練が中心だった。そのため、アカデミーの射撃場に来ること自体が久しぶりだ。

 そして、パワードスーツを纏って他人の目に晒されながらの射撃は初めてだった。

 派手な光沢を放つジャクソンも、鈍く沈んだ蒼色に包まれた未来も、一般の捜査官からは当然、奇異の目で見られることになる。まるでコミックヒーローの仮装をしたマニアがPRイベントのため紛れ込んでいるようで、居心地が悪いことこの上ない。普段着でここに来ればぴんと張り詰めた独特の空気に背筋が伸びただろうが、今は何だか赤面して身を縮めたくなるような思いだ。

 未来はこんなことならヘルメットをルームに置いてくるべきではなかったと、真面目に後悔した。それでも身体中がむず痒くなるような視線を浴びている中で、まともに目を合わせようとする者がいないのがまだ救いだろうか。

 それに観光客よろしくいつまでもにやついていたり、凝視したままの者がいないのも、自己を厳しく律することを要求される法執行機関の職員ならではと言えるだろう。

「このホーネットは、お前の相棒の一人になるんだからな。まずは保存用のグリースを拭き取って、潤滑油を塗り込むんだ」

 片や、ジャクソンは慣れているのかお構いなしだ。自分の銃を脚の隠しホルスターから取り出してから壁際にある木の長椅子に座り、その横に山積みになっているぼろ布で擦る仕草を勿体ぶってやってみせる。

「いいか?できれば300発は試射しろよ。新品の銃の場合は可動部分を磨耗させて、部品を馴染ませなきゃならないからな。十分に動作の特徴を掴んでからじゃないと、いざって時にまともに撃てないんだぜ」

 そして、ラバー・ショック弾を装填したマガジンを装填してから未来の方を向いて顔を上げる。彼の得意げな顔に、未来は早くも呆れ気味だった。

「わかってるってば。私だって、素人じゃないんだからさ。拳銃だけじゃなくて、アサルトライフルや機関砲だって使ってたんだよ」

 未来がぼろ布を一枚取り上げ、ホーネット本体のグリースを拭いながらジャクソンの隣に座る。すると、付き添いで来たトリスと入れ違いになって彼は立ち上がった。

「撃つときは左腕を曲げて構えるウィーバー・スタンスだ。試射は立射だけじゃなく、伏せ撃ちや膝射もやるんだぞ。有効射程は50ヤード(約50メートル弱)程度だが、俺たちならそれでも命中させることはできるはずだからな」

「はいはい」

 ジャクソンは未来の言うことなど全く聞かず、偉そうに講釈を垂れ続けている。

 実戦的とされるウィーバー・スタンスで射座に構えたジャクソンであったが、実際には発砲せず腕を下ろした。そしてすかさず、苦笑と共にマガジンを装填しつつ歩み寄って来た未来に場所を譲る。

 未来は防護眼鏡だけをかけると、聴力を落としてホーネットを構えた。

 やや大きな銃身を両手で目の高さに固定し、安全装置を外してゆっくりと引き金を絞る。

 日常的に腋の下に携えているグロッグの発砲時よりも大きな破裂音がざわめいた空気を打ち、他の射座から上がるショットガンや拳銃の射撃音と混ざった。

 火を噴いた銃口から吐き出された弾丸が、ターゲットに描かれた黒い人影の中心へ吸い込まれるように命中する。注意して見ると、潰れたゴムが木製の板に放射状の模様をかたどっているのがわかる。普通の弾丸ならターゲットに穴を穿つが、ホーネットに装填されたラバー・ショック弾は木の的を貫いていないのが大きな特徴だった。

 そして発砲時の反動を全て押さえ込んだ未来の腕が微動だにしないのも、この場にいる者たちと違うところであろう。ベースがSWATに正式採用されている45口径の拳銃なのだから、本来なら鍛え上げた男性捜査官でも全く腕が跳ね上がらないことはありえないのだ。

 未来はそのまま、マガジン1つ分に当る7発分を撃ち終えた。

 全ての弾丸は、マンターゲット中央の数センチ以内に命中していた。

「どうだい?」

 腕を下ろした未来の横に、ヘッドホンを首まで下ろしたトリスがやってくる。

「普通のガバメントよりも、やっぱりちょっと軽いみたいだね。それに引き金の絞りが少し甘いみたいだから、これは自分で直しておくよ。新品だから、サイトにも問題はないと思う。あとは練習を慣れるまで何回もやるだけかな」

 未来は安全装置をかけたホーネットから空のマガジンを取り出すと、射座の先にあるマンターゲットを見た。

「撃った感じは普通の拳銃とあんまり変わらないんだね。それより、マンターゲットに穴が開かないのにちょっとびっくりしたよ。こんなので本当に、犯人を一撃で行動不能にできるの?」

 彼女が渡米するまで愛銃としていたのは、自動拳銃の中で最高の威力を誇るとされるデザートイーグルだった。その強力さは身に沁みてわかっているだけに、木の板ですら撃ち抜けないこのホーネットにはいささか不安を感じるのだ。

 トリスは全く問題ない、と言いたげな顔で首を振った。

「ラバー・ショック弾に当ったらどうなるか知ってるかい?身体に穴こそ開かないけど、潰れた弾丸がある程度まで皮膚にめり込むのさ。酷い内出血を起こして傷が3倍くらいに腫れ上がるし、どこに当っても我慢できないぐらいの激痛が走る。ただの打撲傷じゃ済まないんだ。一発でも撃ち込めば、大人の男だってショックで気絶するのは確実なんだよ」

 ぽっちゃり体系の日系人男性が説明する口調は得意げだ。

 だからこそ名前通りのラバー・ショック弾なのであるが、それ故に注意しなければならないこともある。先のジャクソンと同じように、トリスは真面目な顔で続けた。

「一つ言い忘れたけど、こいつは非致死性兵器とは言え拳銃なんだ。5ヤード(約5メートル)以内から撃った場合、当たりどころによっては相手が死ぬ可能性もあるから気をつけてくれ。それから、心臓や脳は不意の衝撃に弱い。離れていても狙わないようにね」

 通常、FBIの捜査官は容疑者の急所を故意に外して発砲することは許可されていない。

 しかし人間離れした正確さの射撃が可能なサイボーグのジャクソンと未来は、このホーネットで発砲するときのみその例外が適用される。逆に急所を外して犯人を撃つからには、取り逃がすことや死に至らしめることが断じて許されない。

 肝に銘じて、この新しい相棒を手なずける必要があった。

「癖で狙わないように気をつけるよ。手足とか肩に当てろってことだよね」

 説明に納得した未来が頷いたが、気まずそうに辺りを見回した。

 少し離れた射座へ射撃訓練にやってきたアカデミーの訓練生たちの集団が、好奇心を隠し切れない視線でちくちくと身体をつつき回しているのだ。

「それにしても、CVC専用の射撃場ってないの?これじゃ、目立ってしょうがないよ」

「贅沢言うな。そんな予算があると思ってんのか?」

 ジャクソンが、軽く未来の後頭部を指先で小突く。

「ホーネット1丁作るのだって、カスタムオーダーなんだから高いんだぞ」

 確かに、ベースとなっているスプリングフィールドも1丁2500ドルは下らない。それを使用者の手に合うように型から起こして改造も加えていくのだから、コストは青天井のはずだ。

「……いくら?」

 生唾を飲み込みかけた未来に、トリスが低くぼそりと呟いた。

「聞いたら多分、金庫にしまっておきたくなるような値段だよ」

「やっぱりやめとく」

 未来も意識せず真面目な顔になって、低く言っていた。

 知ってしまったら、きっと遠慮なく撃つことが罰当たりな気がして使えなくなってしまうだろう。もっとも、未来やジャクソンの肉体改造やパワードスーツ製作には何億ドルもかかっているのだから、今更気にするのも詮無きことではあったが。


 ジャクソンたちがホーネットの試射を終えてルームに戻ってきたのは、1時間後だった。

「お前たちも来たか。丁度いい、そのまま聞いてくれ」

 硝煙の臭いを振りまきながらルームに入ってきた3人の耳へ最初に届いたのは、戦闘チーム責任者であるマックスのいかめしい声だ。ルームには戦闘チームの面々に加えてポールとウォーリーもおり、皆ずっとここから動いていなかった様子だ。雑談から本格的なミーティングに、ずるずると話が続いてしまったのだろう。

「へえ、隊長がこんな時間にいるなんて珍しいな」

 他の者と一緒にマックスの方へ行きながら、ジャクソンが呟いた。

 マックスは戦闘チームの責任者でありCVC部隊長ではないから、隊長という呼び方は本当は正しくない。が、バーニィやジャクソンら軍隊出身者が「隊長」と呼んでいるため、徐々にそれが当たり前となりつつあった。

「よし、主な者は揃っているな。ティアーズ事件の捜査についての進展を簡単に説明する」

 周囲に集まった男女の顔を簡単に見渡してから切り出したマックスが、樹脂製の黒いクリップボードに挟んだ書類を見ながら説明を始めた。

「複数の遺体に付着していたクッキーのかけらだが、物質分析チームに依頼していた成分の分析結果から、マイスターフーズ社のオートミールクッキーであることが特定された。こいつは油脂の酸化具合や水分の含有量を見てみると、出荷されてから遺体に付着するまで、少なくとも3ヶ月以内であったことが推測される。そして遺留品のジューン人形だが、全て2039年の4月から6月に出荷されたものであることが判明した。以後は、この二つをごく最近まで扱っていたスーパーマーケット及びショッピングモールの倉庫を中心に、捜査を進めていくこととなる。他の果物の皮やクマネズミの糞は、大した特徴はない。だが、比較したところでは全て出所が同じ場所である可能性が極めて高いということだ」

 マックスが皆の前で言ったのは、先ほどウォーリーたちの話題に出たこととほぼ同じ内容だった。これで捜査対象となるスーパーの倉庫はある程度絞られるだろうが、それでもまだまだ絨毯爆撃方式で調べていくしかないことは変わらない。恐らくこれから先も、有力な目撃証言や新たな証拠物品が見つからない限りは、地道にやるしかないだろう。

「全体的な捜査の指揮は、引き続き特殊捜査チームが中心となって進めることになっている。戦闘チームの者は、ロボットとの戦闘の準備を万全にするようにしておいてくれ」

 その場にいた関係者全員に話の内容が伝わったことを表情で確認すると、マックスは本当に短い話をあっと言う間に終えて、ルームから退出した。

「いつものことだけど、忙しない人だよね」

「マックスは、予算や必要物資の確保のことでも忙しいからな。ただ戦ってればいい俺たちとは違う苦労があるんだよ。CVC部隊長との板挟みで、苦労する立場だからな」

 マックスがきびきびと廊下へ足を運んで行ったのを目で追っていた未来が呟くと、ジャクソンがやや気の毒そうに頷いた。

「マックスも元HRTの隊員だったんだ。本当なら現場で戦いながら指揮を執るのが性に合ってるんだろうが、経験が浅い他の奴には任せられないって言い張ってるらしいからな」

「へえ、そうなんだ。今度一度呑みながら、ゆっくり話でもしてみたいもんだけど」

 未来も日本では経営者の立場であった故、様々な軋轢に揉まれた経験がある。マックスの話は他人事に思えなかった。

「やめとけ。ああ見えて隊長は絡み酒なんだ。一度捕まったら1時間は離さねえもんだから、俺なんかはその間ずっと呑みっぱなしなんだよ。まあ、そういうときは隊長の驕りだからいいんだけどな」

 黒人のサイボーグ青年が茶化して白い歯を見せると、未来は心底意外そうに目を丸くした。あの自制心の塊のようなマックスが酔っ払って饒舌になるところなど、想像もつかなかった。

「アルコールの摂り過ぎは身体に響くわよ。ミキもジャクソンも、肝臓まで強化されてるわけじゃないんだから」

 いかつい二人の隣に佇んでいたエマが、眼鏡を白い指で押し上げながら窘めと冗談を混ぜたような視線を送ってくる。姉に叱られた弟のように、ジャクソンが口を尖らせた。

「わかってるよ。わかってるけど、エマだって結構な酒豪じゃねえか。たまには俺と呑みに行こうぜ」

「そうね、今度娘の機嫌がいいときにね。最近忙しいものだから、あまり構えなくて色々と大変なのよ。その分、空いてる時間はなるべくあの子のために使いたいから」

「そういえば、エマの娘さんっていくつなんですか?」

 素朴な問いを、未来がエマに投げかける。

「5歳よ。昼の間はここの施設に預けられるけど、小学校に上がってからのほうが却って難しいわね。このご時勢だから、娘を一人で家に置いておくのも不安だし。信用できるベビーシッターを探すのも、結構時間がかかるから」

 未来が思っていたよりも、エマはすんなりと答えてくれた。

 エマは捜査官ではないとは言え、FBIの職員であることに変わりはない。プライベートな情報を表に出すことには神経質なはずだ。それでも未来の質問に答えてくれたのは、多少は気を許してくれるようになってきているということなのだろう。加えて、エマの眼鏡の奥にある青い瞳に、どこか母親らしい優しさがにじんできているような気さえした。

 未来も和んだ空気に触れて、マックスの残していった気配にまだ緊張していた肩の力が抜けていく。

 娘にも向けているのだろう、穏やかな笑顔でエマは二人のサイボーグに言った。

「でも、私にとっては貴方たちも手のかかる家族みたいなものよ。二人一緒にメンテナンスをやるから、ドクター・スギタと一緒にいらっしゃい」

「エマ、メンテナンスのことでちょっと提案があるんだけど」

 一緒にいたポールやウォーリーが退出した後も残っていた杉田が、エマたち三人の方に歩み寄ってくる。

「そろそろ担当をたまに入れ替えて、個人でのメンテナンスをやり始めた方がいいと思うんだ。さっきもそういう話が出たけど、お互いに未来とジャクソンの二人を診られるのが理想だからね」

 杉田が二人のサイボーグともう一人の生体メンテナンス担当者の顔を交互に見やりながら、やや遠慮がちに提案すると、エマが頷いた。

「そうね。設計図の内容は大体頭に入っているし、もう実際の作業で二人の違いを知っておいた方がいい頃かも知れないわ」

 ほっとしたように、杉田の眉尻が少し下がる。

「未来も、エマになら身体のことは相談しやすいだろ?同性なんだし」

「うん……まあね」

 メンテナンス時はいつも通りに二人で過ごせるものと思っていた未来も、彼の様子を見て反対意見を出し辛くなった。不承不承ながらも、同意して見せる。

「へえ。ドクターは男の身体にも興味があるのかい?」

「ああ、あるとも」

 早速ルームの外に足を運んでいくジャクソンに追いついて、杉田はからかいとも思える言葉を含み笑いで受け止めていた。

「勿論、医学的な意味でね。例えば、君の発電ユニットや電池ユニットが実際にはどんな感じで収まってるのかとか。骨の強化のやりかたがどんな風にされていて、移植後に男女間で差が出るのかとか。エマが日本の技術に興味があるのと同じように、僕もアメリカの技術には興味深々だよ」

 と、彼はジャクソンの横に並んでオーディンを纏った胸板を右手でぽんと叩く。

 歩幅がかなり違うため、ジャクソンの歩みに杉田がついていくのは大変そうだったが、それでも杉田は笑顔を絶やさないでいる。

「それにジャクソン以外にも、部分的な改造を施されたサイボーグたちもいるんだろ?そもそも、プロジェクトとしての観点が僕らとは全く違うからね。その点も興味深い」

「ドクター・スギタは、どうも学者っぽいところが抜けてないみたいだな」

 眼鏡の青年医師につられたのか、ジャクソンも少年ぽさが抜け切らない笑顔を返していた。

「抜けてないんじゃなくて、僕の本質は研究者だよ。医者なのはその手前の段階みたいなもんさ。だから、一つのことをとことん追究していきたくてね」

「そんなもんか?じゃあ、俺を題材にしたらいい論文が書けそうかい?」

「論文か。もうかなりご無沙汰だな」

 子供っぽい面が要所に見受けられるジャクソンだが、杉田も一つのことに熱中してしまうと周りが見えなくなるほうだ。この二人には、目立たないところで共通するところも多いのかも知れない。だから話も合わせやすいのだろう。

 人種も職業も違う二人の男は、テンポが良い会話を続けている。

 彼らの後ろをゆっくりと歩くエマと未来は男性二人の背中を眺めながら、同じようにメンテナンスルームを目指していた。

「何だかんだであの二人、意外とうまが合ってるみたい」

「そうね。ドクターは私みたいな女が苦手なようだから、ほっとしてるのかも知れないけど」

 意外なエマの言葉に、未来は思わず隣を振り向いた。

 端正で美しく、知的な白人女性の横顔がまっすぐに前を向いているのが、未来の視界に入ってくる。

 そう言えば、エマの印象には故人である大月玲華にどことなく似た香りを見つけることができる。

 大月は、サイボーグたる未来を生み出したプロジェクトたるAWPの責任者であり、未来や杉田の直属の上司に当たった。知性と美貌を武器として、国内有数の製薬会社で役職の地位にあった女性である。

 彼女はキャリア志向気も強くとっつきにくかったが、気の強い姉3人に小さい頃からいいように使われていた杉田が最も苦手とする女性でもあった。

 杉田の苦手意識をとことんまで利用していたのもまた大月だったが、エマは自分を強く持っているという点が共通するだけで、決して彼のことを蔑ろにしているわけではない。

 エマが芯のしっかりした女性であることは未来も感じていただけに、この美しい白人女性と接する時間が未来よりも長いはずの杉田が苦手意識を未だに残しているのは驚きだった。

「どうしてそう思うんですか?」

 思わず素に戻ってしまったらしい未来の甲高い声を、エマは落ち着いて受け止めた。

「彼は私とあまり打ち解けようとしないと言うか、いつも緊張してたみたいなの。少し慣れてからも、仕事のこと以外は殆ど話さなかったしね。だから彼、いつもミキのことばかり話してたわ」

 未来にとっては、これも意外なことだった。

 やはり杉田は、未来以外の女性に対して心のガードが極端に固いということなのだろうか。

 が、そこで引っかかってくるのは、最近フィットネスクラブで出会ったソフィーのことだ。

 彼女に対してのみ杉田はとことん饒舌になっているように見えたし、ほとんど緊張もしていなかったかのような感じさえある。

 面白くもないことを思い出してしまった未来は、軽く視線を逸らして心の中に広がりそうになった醜い感情の雲を払った。

「それに男同士の仲って、女の私たちにはわからないところもあるから」

 ふとこぼすような口調になったエマは、どこか寂しそうになっている。

 いくら彼女が担当医であると言っても、性別が違う以上、ジャクソンの心根を奥底から理解することは難しい。勿論、それは杉田にも言えることだ。

 つい先ほど、彼女は未来とジャクソンのことを「手間がかかる家族のようなもの」と言っていた。付き合いの長いジャクソンが自分の手から少し離れたところに行った気でもしたのだろう。

 逆に、未来は杉田が自分だけを見てくれなくなったという幼稚な錯覚を覚えており、少し胸の中がと口が重くなっていた。

 二人の女性はどちらからともなく会話をそこで終わらせて、変わらないペースで殺風景な廊下を進んでいく。

 その奥にある業務用のエレベーター前に辿り着いたところで、エマは再び口を開いて未来の顔を見つめた。

「私たちも、そろそろお互いをきちんとしたパートナーと思わなきゃならない時期に来てるんじゃないかと思うわ」

「え……」

 エマから言葉の不意打ちを食らった未来は今一度、驚きの色を目に浮かべることとなった。エレベーターを呼ぶボタンを押す指も、その直前で止まる。

「私も今まではちょっと離れた場所からミキのことを見てたけど、流石に貴女は日本で何回もの実戦を生き抜いてきただけのことはあるわね。自分の身体のことがよくわかってて、精神的にもタフなようだし。何より、ドクター・スギタとは強い信頼の絆で結ばれてるのがよくわかるわ」

 エマの顔を見て目をしばたかせた未来は、何も答えずにエレベーターのボタンを押した。

 この生体メンテナンス担当女性の目は、研究者のそれであることがよくわかる。

 しかし、部分的に大月と同じ印象があっても、彼女の青い瞳には優しさと穏やかさがあった。そして今しがたの言葉が示すように、相手のことをきちんと認めてくれている。

 実験動物を見る、自分自身を必要悪として断罪し冷めたそれではない。

 そこが一番の違いだった。

 未来が考えを図りかねていると思ったのか、エマは更に続けた。

「もし、今まで意図的に貴女との距離を置いていたことに気を悪くしてるのなら、謝るわ。でも、初対面の相手といきなり親しくならないのは、法執行機関に身を置く人間の癖みたいなものなの。たとえ捜査官でなくても、私たちは信用している人から暴力を振るわれたような、悲惨な事件に巻き込まれた人たちのことを知っているものだから」

「いえ、そんなことは……貴女は小さな娘さんの母親なんですし、私は得体の知れない東洋人なんですから。警戒されるのは当然だと思ってましたよ。それに他人をまず疑ってかかるって言うのは、私だって同じです」

 職業柄、疑り深くなるのはどうしようもないことだ。逆に未来は、杉田のほうが警戒心がなさ過ぎるのではないかと不安に思っていることもある。

 地下3階に下りてきたエレベーターの扉が開き、二人の女性は一旦口をつぐんで中に乗り込んだ。が、今度は沈黙が続いてしまわないように、未来が先に口を開いた。

「でも、そうやって話して頂けたのは嬉しいです。こういう場では数少ない女同士になるんですから、仲良くやっていきたいとずっと思ってましたし」

 笑顔と共に出た未来の言葉も、落ち着いた声に乗せられている。

 エレベーターはすぐにメンテナンスルームがある地下1階に着き、彼女らは連れ立って下りた。少し遅いペースで再び歩き出した未来に、エマが歩調を合わせる。

 そして、やや高い位置にあるパワードスーツの肩に優しく手を置いた。

「ありがとう。なら、そんなかしこまった言い方はしなくていいわよ。普通に話してごらんなさい。丁寧な口の利き方は、マックスに対してだけでいいから」

「ええ。じゃあ……わかった。そうするようにするよ、エマ」

「これからは、ドクター・スギタに言い辛いことは私に話してくれたら嬉しいわ」

 ぎこちない未来のしゃべりかたに、エマがくすりと笑ってみせる。

「もちろん、彼との間に何かあったときに相談してくれても結構よ。女性としては私の方が先輩だから」

「うん。困ったことがあったらね」

 頷いて見せつつも、面倒見がいい部活の先輩を思わせるエマの態度の変わりように、未来はまだ違和感を覚えていた。

 どうやら彼女は一度信用した相手のことはとことんまで、という性質らしい。

 その点でいけば、非常にアメリカ人らしいとも言えるだろう。

 未来は戸惑いながら、まずはエマに対して気を使わない話し方をしないようにするのが先決なような気がしていた。


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