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FNG(新米捜査官) -1-

 移民人口が爆発的に増加し、それに伴って壊滅的なまでに治安が悪化した嘗ての安全大国、日本。国が慌てて時代の変化に明らかに合致していなかった法律を変え、国民に自衛のための武器を持つことを許したが、それも焼け石に水だった。

 武装グループによるテロ紛いの大量殺人事件や暴動、レイプ殺人、誘拐などの凶悪犯罪に充分に対応するだけの余力は、最早警察には残されていない。

 各都道府県の管轄を越える独自の捜査権限と強力な武器を持ち、必要とあらば軍とも連動できるだけの機動力をも兼ね備えた法執行機関が必要と判断されるまで、それでも数年の時間がかかっていた。

 警察と国防軍及び民間の軍事企業が手を携え、秘密裏にその準備を開始したのが2年前、2039年のことである。同じ頃、国内の巨大企業グループたるセラフィムがプロジェクト「AWP」で開発・製造した軍事サイボーグ実験体で、初の成功例が出て注目を集めた。

 この実験体であるプロトタイプ3、つまり未来は実戦を経験し、行方不明となっていた旧型サイボーグとの戦いにも勝利した。が、その直後に同グループが所有する総合研究施設であるC-SOLで「ある不幸な事故」があり、当時の責任者だった大月玲華が巻き込まれて死亡した。

 AWPは軍、警察と連動したプロジェクトであったが、サイボーグの軍事転用推進派筆頭であった大月が死亡したことがきっかけとなって、プロジェクトの方針がサイボーグの軍事利用から保安利用へと大きく転換した。これは、AWPと関わりが強かった国防軍陸戦部隊幕僚長、横山の発言に依るところも大きい。

 主な理由は、未来がこれまでの戦闘と事故のショックから精神に大きなダメージを負っていたこと、サイボーグを本格的に軍事利用に組み込むには施設の移設等の下地を整える必要があり、それには莫大な費用と時間がかかること、サイボーグを戦闘に投入するには独自の特殊部隊を作るしかないが、一人の戦闘員しかいない特殊部隊は前例がなく現実的でない、といったことであった。

 しかし実際のところは横山が一民間企業の女役員の口車に乗せられるのを断固として許さなかった、いや、体勢がきちんと整いさえすれば、彼はサイボーグの採用にやる気満々だが、軍の古い体制を壊すようなことをしては他の幕僚の心象を悪くするからだ……といった、様々な憶測が囁かれている。

 保安機構設立補助という新たな役目を、未来は戸惑いながらも承諾した。

 その手始めが、雛形となる組織に一時的に所属して現場のノウハウを学ぶことだった。

 即ち今回の渡米であり、FBIの特別捜査官として5年間鍛えられてくることである。

 世界最高峰の法執行機関であるアメリカ合衆国連邦捜査局、FBI。

 未来と、彼女と同じく日本の機構設立サポート役の任を帯びた元AWPメンバーであり、サイボーグ手術執刀医でもある杉田。彼らは国からの命令を受けて一時的に国籍も変え、FBIに籍を置くこととなった特例中の特例だ。

 通常FBIの捜査官は合衆国国民であり、且つ厳しい選考をくぐり抜けた一握りの者にのみ許される特殊な職業である。無論未来とて特別待遇などではなく、スタートラインは他の捜査官と同じで、FBIアカデミーから始まった。

 アカデミーはヴァージニア州クワンティコにある施設で1990年代に一度閉鎖されたが、この10年ほどで再びその門戸を研究所と共に開け放っていた。競争率100倍以上の選考を勝ち抜いた新人捜査官がここで4ヶ月間寝食を共にし、捜査官の心得から合衆国憲法を始めとした様々な法令、捜査車両のドライビングテクニック、FBIが建設した訓練用の市街たるホーガンズ・アレイでの模擬戦闘を通した逮捕術、重要参考人の面接や尋問について学ぶ。

 未来はFBIアカデミーのカリキュラム開始から1ヶ月後に編入したが、本来ならここに遅れて入学することなどまずあり得ないため、同窓生たちから奇異の目で見られるのも仕方がないことだった。

 しかし彼女はそんな周囲の反応に動じず、最初の遅れを取り戻すため週末も寮に缶詰になり、補講と追試を受けながら教官に罵声を浴びせられ、勉強と訓練に明け暮れた。もしアカデミーで捜査官として相応しくないと判断された場合は直ちに日本へ送還する、と通告を受けていたせいもあり、優秀な成績で他の新人捜査官に追いすがろうと躍起になった。

 授業が終わってから、未来はアカデミーのカフェテリアで夕食のチーズバーガーをかじり、連邦法や銀行法の分厚い参考書を睨んでいることがよくあった。これ見よがしに隣のテーブルで同窓生たちがビールを飲んで騒いでいたことも、お約束だった。苛立ちと情けなさに溜息をつきつつもペンをノートに走らせ続けたことは、多分50回は下らないだろう。

「やあ、ミキは日本人なだけあって、勉強好きだよな。本にばっかりかじりついてないで、たまにはこっちでフレンチフライをかじればいいじゃないか」

 と、男性の一部同窓生たちがビールの瓶を振りながら、よくからかっていたものだ。

「ううん、遠慮しとくよ。みんなに追いついたら、喜んで一緒に騒がせてもらうから」

 やかましいと怒鳴りたい本心を抑えに抑え、未来もにっこり笑っていつもそう答えていたものである。

 40人ほどの同窓生には白人が多かったが、黒人やヒスパニックもいた。彼らの出身地も北はミネソタから南はフロリダまで全米の各地に至り、女性もクラスの1割はいた。年齢も若い者で25歳、最年長者は37歳と幅が広かった。

 皆は最初こそよそよそしく、未来の英語がぎこちないことをあげつらったりもしたものの、もともとは連邦捜査官となって人々を守るという、同じ志を抱いて進むべく集まった男女だ。

 未来が自分の立場を弁えた振る舞いを心得ていて、素直で真面目な人柄だったことも大きかったのだろう。身の丈2メートルはあろうかというごつい黒人男性の同窓生がノートを見せてくれたり、ヒスパニックの女性同窓生が補填試験時に色々と教えてくれたりするようになるまで、そう時間はかからなかった。

 同窓生たちの顔と名前を全て覚えてクラスの一部になれたことは、未来を心の底から安堵させてくれた。

 最初の1ヶ月で落伍せずに差を埋め、勉強も訓練も何とか追いつけたのは、彼らの協力と励ましがなければ不可能だったと言っていいだろう。高校生の時に1年間だけ語学留学していた未来の英語力も、いつしかネイティブアメリカン並みになっていた。

 語学力については、通訳の母や外資系企業の専務だった父の才能を受け継いだことと、徹底した教育を受けたこともあり、問題になるのは時事英語と法令用語ぐらいだった。FBIでの研修は母の干渉を避ける目的もあるのに、何とも皮肉なものだ。

 そんなこんなで未来は16週のカリキュラムを見事にこなして、射撃の最終技倆検定では「最高点クラブ」の候補となり、銃保管庫外壁の人名簿にその名を刻んだ。

 そして7月最後の週、アカデミー広場で行われた卒業式で真新しい身分証明書、金色の徽章を受け取るに至った。家族として出席した杉田が見守る前で、国内外のあらゆる敵から合衆国憲法を守るという宣誓に、誇らしく小さな右手を揚げたのだ。

 その未来がアカデミーのカリキュラム中盤に受け取った辞令にあった任地が、ヴァージニア州リッチモンド支局だ。実際に配属されたのは、長期の仮住まいとなる借家があるフレデリックスバーグの駐在事務所で、借家から車で15分圏内という驚異的な近さだ。

 しかし、未来のメンテナンス設備がクワンティコのFBI犯罪科学研究所内に移設されているため、これはさして意外ではない。彼女は少なくとも週に1度はメンテナンスを受ける必要があったし、検査官兼メンテナンス担当となっている杉田の勤務地も研究所内だ。戦闘で負傷した場合などは緊急で行かなければならないこともあるし、未来は一般病院での治療が受けられないのだ。 

 もっとも、クワンティコからほど近いとされるそこそこに大きな街のフレデリックスバーグも、車では1時間ほどかかる距離である。

 実は研究所から最も近いのはワシントンDCにあるFBIの本拠地だが、ここは新米捜査官が勤務できるような場所ではない、と未来は勝手に思っていた。

 渡米してフレデリックスバーグに移動する前、杉田と一緒に長官のルーカス・D・ブライトに挨拶しに行ってはいる。が、あのお役所的な雰囲気と官僚的でどうにも堅苦しい空気は好きになれなかったのだ。

 とにかく捜査官の朝が7時から始まることを考えれば、勤務地が近いのは有難いことだ。

 未来がブルーグレーのフォードでフレデリックスバーグ駐在事務所の駐車場に乗りつけたのは、6時45分ぴったりだった。その割に暗く感じるのは、厚い雲が空を覆い始めているせいだろう。強い風で、ポールに掲げられた星条旗が勢いよく翻っている。天気予報では晴れだと言っていたが、この時期はあまりあてにならないようだった。

 助手席のコートを取り上げて車を降りた未来は小走りに駐車場を横切り、白っぽいコンクリートと赤煉瓦風のタイルを組み合わせた、丸っこさが特徴の建物の裏を目指した。

小さな合皮のハンドバッグから胸に留めるクリップのついたカード入れを出すと、関係者入口脇の壁にあるスロットにセキュリティカードを通してロックを外し、重い金属の扉を開けて、まだ暖房が効いていない廊下へと足を踏み入れる。

「おはよう、ミキ。相変わらず早いな」

 建物に入るなり、薄暗い廊下をのんびりとモップがけしていた初老の白人に声をかけられてぎょっとした未来だったが、明るく挨拶を返した。

「おはよ、ベン。これも新人の仕事のうちだから、仕方ないんだよ」

「オフィスのごみは、通用口の手前にでもまとめておいてくれればいいよ。外は寒いし、ダンプスターに移すのは僕がやっておくから」

「ありがとう。いつも助かるよ」

 片手を上げて掃除夫のベンに礼を言い、べっ甲のバレッタのまとめ髪にベージュ系の薄化粧、黒いパンツスーツといういでたちの未来はオフィスへと急いだ。

 FBIフレデリックスバーグ駐在事務所は病院や児童館、各種公共サービス事務局のオフィスが入っている複合ビルの一角にある。地方局の中には立派な外観を持つ建物全体をFBIが所有していることもあるようだが、少ない予算をやりくりせねばならない駐在事務所ではありえない。だから、ごみ捨てや観葉植物の手入れは新米捜査官(FNG)の仕事だ。

 未来は誰もいないオフィスに入ると、ランチボックスが入ったキャンバス地の手提げとハンドバッグをデスクに置き、スニーカーから黒いパンプスに履き替えた。共用のキャビネットからごみ袋を出し、高さ5フィート(約153センチ)程の移動式パーティションで仕切られた個人スペースを回っていく。片手にしたビニールのごみ袋は、捜査官各自が小さなごみ箱に押し込んだくずであっと言う間にぱんぱんになった。

 日本の一般的なオフィスなら、こんな雑用はロボットにやらせるのが普通だ。軽作業用ロボットがとてつもない贅沢品だった時代ならいざ知らず、今はHARのように小型で安価な、頭のいい制御プログラムを積んだアシストロボットが世界中で販売されている。日本で未来が開いている便利屋「ユースフル」の小さなオフィスでさえ、4台のロボットを使っているのだ。

 しかしこのFBIの地方駐在事務所では、夜中に辛うじて絨毯敷きの床掃除専用ロボットを稼働させている程度だ。タンクにパッキングしたごみを自動でダンプスターに捨てに行くほどの知能も授けられていないため、最後のごみ捨ては結局、人間の仕事になる。

 先進国の中でも特にアメリカは、一般社会へのロボット導入が目立って遅れていた。

 世界各国のロボット工場や研究所が多数にあるのに、オフィスの簡単な掃除や特に危険な場所での作業、宇宙開発、災害現場くらいでしか活躍の場は与えられていない。アメリカ製のロボットは、もっぱら輸出専門と言う印象すらある。

 掃除や判断力を必要としない単純作業は、ブルーカラーの雇用機会を数多く生み出す。ロボットの導入によって、低所得層から仕事の機会を奪ってはならないと言うのが、ロボットの普及を阻む主な理由だ。

 これはかなり前から議論されている社会的な問題でもあり、アメリカの議会でも度々保守派とロボット導入推進派とで意見を衝突させている。労働と格差の問題が一緒に解消されるのでなければ、恐らくロボット問題も片がつくことはないだろう。

 そのくせ、人間を半分ロボット化したサイボーグやサイバーパーツの受け入れには柔軟なのだから、基準がよくわからない。サイボーグは臓器移植の進化版、とでも見なされているのだろうか。

 未来は同じビルにあるホットドッグスタンドや、コンビニエンスストアで売っている食品のプラスチックパックで膨れ上がったごみ袋を、ベンに直接渡した。次に給湯室で加湿器の注水用カップに水を注ぎ、濡れ布巾も掴みあげて急いでオフィスに戻る。

「デスクはもう拭いたのか?」

 各捜査官のデスクを拭き、窓際に並んでいる鉢植えに水をやっているところへ、オフィス入口の方から大柄な男性が声をかけてきた。

「おはようございます。まだ主任室はやっていないんです。ちょっと待ってて頂けますか」

 直属の上司である上級主任捜査官、デイビット・ノートンの方を振り返ってにっこり笑った未来は、カップと布巾を持ち替えてガラスで仕切られた主任室に入っていった。この駐在事務所では、ここが唯一一般の捜査官と責任者とを分けている部屋になる。

 デイビッドはやや腹のせり出した50代の白人男性で、耳の横に黒っぽい髪が申し訳程度に残っているのを除いて、頭は禿げ上がっている。その頭と口髭をたくわえたせいか年齢よりも老けた印象を抱かせる一方、淡いブラウンの瞳はベテラン捜査官らしく、鋭い光を閃かせることがよくあった。

 基本的には無駄なお喋りを嫌う気難しい上司だが、オフィスに誰もいないときは気さくに声をかけてくれる意外な一面もある。

 それは、この始業前のひとときに一番よく見られた。時折娘と話す父親のような調子になることから、ひょっとしたら24歳の未来と同じ年頃の娘がいるのかもしれない。が、配属されてまだ日の浅い未来は、デイビッドとそこまで個人的な話をするに至っていなかった。

 FBI捜査官は例え自分のオフィスであろうとも、プライベートな情報が人目に晒されることに極端に気を遣う。だから家族がいても、デスクの上に写真を飾ったりするようなことはない。彼らがデスクの保護シートの下に挟むのは過去に自分、もしくは仕事仲間と撮影した記念写真や、局に関係した新聞記事の切り抜きなどだ。

 一般捜査官のそれより少しだけ凝ったつくりのデスクを上を簡単に片付け、きびきびと拭き掃除をする未来を、デイビッドが目で追っていた。

「来月にはもうまた新米が入ってくる。そうすれば朝一番で出てこなくてもいいし、多少は旦那に手をかけられるようになってくるだろうからな」

「ドクター・スギタは夫じゃありませんよ。パートナーです」

「ふむ、そう言われると微妙に違うか」

 素っ気ない未来の返答にデイビッドが肉付きのいい顎を撫でつつ、デスクを拭き終えた彼女と入れ替わりに椅子の前へと足を進める。

 デイビッドは恐らくこの駐在事務所で、未来が普通の人間ではないことを知っている唯一の捜査官だろう。FBI本部がどう説明したかは不明だが、そうでなければ今後の仕事に不都合が生じてくることもあるからだ。

 故に、未来と検査官の杉田が同居していることも知っている。もっとも、これも本部がどう説明しているかは定かでない。

 足元のパソコンの電源を入れ、脇に避けられていた書類の束へ手を伸ばしながら、彼は主任室から出て行こうとする未来を呼び止めた。

「ミキ。近々、CVCからの支援要請が入るかも知れんらしい。誰か他の奴に、今担当してる事件を引き継げるようにしておいた方がいいようだ」

「……近々って、どの程度です?」

 振り返った未来の声は、緊張と訝しむ調子を含んでいる。

「さあな。いつ要請が入ってもいいようにしておくのも、仕事のうちだろう」

 それに反して、デイビッドの口調はぶっきらぼうだ。上司の言葉に肩の緊張を解くと、未来は落ち着き払って答えた。

「わかりました。私の担当事件は、得意そうな人に振れるように考えておきます。後でメールを流しますね」

 デイビッドが無表情に頷いたのを確認してから、彼女は主任室から退出した。その足で給湯室に布巾を置きに行き、自分のデスクに早足で戻る。

「やあミキ。今日も朝の掃除、ご苦労様」

 その途中、日本の会社のオフィスと違ってパーティションで囲まれ、広さが取られた個人スペースの間を抜けようとした未来の前を塞ぐように、金髪の男が立ちはだかった。

 淡いブルーのワイシャツに黒いVネックのセーター、軽くプレスしたベージュのズボンというややラフないでたちに、腰のリボルバーが釣り合っていないように見える。ぴかぴかの革のホルスターに納められたそれが、ベテラン捜査官が好む類の銃だからだろう。

 一瞬、彼女の細い眉が僅かにしかめられた。

「……おはようございます、ジェイコブ・ランチェスター捜査官」

「おいおい、また朝の挨拶でフルネームかい?僕の名前は、日本人のミキには覚えやすいと思うんだけど」

 挨拶を返そうという気がなさそうなこの伊達男は、大袈裟に肩をすくめて笑って見せた。

「確かに、日本じゃ5音の名前はそうありませんからね」

 こちらの頭のてっぺんを見下ろすほど高い背丈、筋肉の厚みが目立つ上半身という欧米人らしい体格のランチェスターには、それに見合うだけの圧迫感がある。負けじと、未来は彼の青い瞳を正面から見返した。

「うん、ミキの名前もあっさりしてるからね。ラスト・ネームは……ハザマだっけ?おかげで、すぐに覚えられたよ。フレデリックスバーグじゃ、日本人は珍しいってこともあるし」

「元、ですよ。今も日本籍なら、私はここにいられない筈なんですから」

 FBIで研修するに当たり、国籍はどうしても変える必要があった。だから今の未来と杉田は、正確にはアメリカ人であって日本人ではない。

「けど、外見が日本人そのものって感じだろ?君が捜査官として初めてここに来たときは、どこの中学生が紛れ込んだのかと思ったもんだけどね。今じゃ、態度は立派にいっぱしの捜査官だから」

「ランチェスター捜査官ほどではありませんけどね。来月には後輩も入ってくるようですし、きちんとしておきたいと思いますから。外見で人を判断するとえらい目に遭うってことも、ちゃんと教えてあげたいかなって思ってます」

 未来は確かにまだ配属されて3ヶ月のFNGで、ようやく一人で満足に事件の捜査をこなし始めることができる程度だ。しかし、彼女の耳と目の良さを活かした現場での活躍に驚き、殊に犯人逮捕時はそれを期待して現場に連れ出そうとする同僚も多い。

 片やランチェスターは大学院を出てすぐ捜査官になったため、駐在事務所スタッフの間では「世間を舐めた小便小僧」とまで陰口を叩かれるようなメンタリティの持ち主だ。

 彼はベテランのような口を叩くが実際は未来の半年先輩でしかなく、年齢も26歳と、未来が配属されるまでは一番の若手だった。攻撃的な態度が単なる嫉妬と見栄に過ぎないことは、もうわかっている。

 日本では移民ばかりの便利屋事務所所長を務め、一方で戦闘用サイボーグとして実戦経験もある未来にとって、ランチェスターは単に矮小な男でしかない。だから彼女は人種偏見者の雑言を控えめな皮肉で返したつもりだったが、ランチェスターは絡むのを止めようとしなかった。

「新米が入ってきたら、朝はそいつの仕事を見ながら編み物でもしてるといい。君の小さな手には、銃の手入れをするよりもそのほうがお似合いだよ」

「生憎ですが、日本にいる時はデザートイーグルを愛用してたんです。逆にグロッグは小さくて軽すぎで、ちょっと扱いに困ってるんですよ」

「……はは、いつもながらジョークが上手いね。あんな大きな銃、それこそ日本人女性には不似合いじゃないか。日本って、銃の携帯が許可されてからそんなに経ってないんだろ?火遊びするのは、やめといた方がいいと思うよ」

 未来が口にした銃の名前を聞いたランチェスターは、短めの金髪に包まれた頭を軽く掻いてから再び肩をすくめた。

 デザートイーグルは世界最強の威力を誇る50口径の拳銃で、射撃時の反動はその破壊力に比例する凄まじさだ。大人の男でも使いこなすには相当な訓練が必要な扱いが難しい銃を、小柄な未来が愛用していたなど信じられないに違いない。

 今未来が持っているグロッグは、アカデミーで支給されたFBI標準の拳銃だった。各配属先でどんな拳銃を持つかは個々の裁量によるが、他の捜査官の10人前くらいの肉体能力を持つ未来は、人間相手にわざわざ高価な拳銃を持つ必要性を感じなかったのだ。

「似合う似合わないの問題じゃなくて、デザートイーグルが一番使いやすかったんです。重さに見合う安定感もありましたし、あれぐらいの反動は気になりませんでしたから」

「そういうことをあんまり自慢しないほうがいいよ。ただ銃を撃って手柄を立てたいってだけの女だって、そういう勘違いをする奴らも多いことだし」

 自慢じゃありませんよ、銃の話を振ってきたのはそっちのくせに。

 それにそうやって日本人や女を散々コケにした挙句に勘違いしまくってるのって、自分自身のことなんじゃないですか?

 顎の筋肉をぴくぴく痙攣させているランチェスターに言い返したいところを堪えた未来の視界へ、別の人物が割り込んできた。彼の背後でそれ以上に大柄で幅のある肩が揺れ、その先に伸びている左手に摘まれたワシントン・ポストが、軽く金髪の頭を叩く。

「ジェイコブ、ミキに絡むのもそれぐらいにしとけ。そろそろミーティングを始めるぞ」

 反対の手にプラスチックのコーヒーカップを持った黒人の特別捜査官、アーロン・クーパーが穏やかだが、有無を言わさない口調でランチェスターをたしなめた。オメガの腕時計を確認したランチェスターが、慌てて自分のデスクへと小走りに去って行く。

 その背中を見送ってから、未来はアーロンの顔をほっとしたように見上げた。

「おはよう、アーロン。助かったよ」

「ジェイコブは相変わらず懲りない奴だな。まあ、ミキが本気で怒れば、あんなのは軽く一ひねりできるだろうが」

 呆れたように首を振って、アーロンは度の弱い近視用眼鏡を太い指で押し上げた。

「私も、着任当初の奴からは色々言われたもんだ。ここの地域じゃ黒人捜査官は目立ちますよね、とか、聞き込みをするのに支障がありませんか、僕が一緒に行かなくても大丈夫ですか、とかな」

 アーロンは元弁護士で今年44歳になる、FBI勤続15年のベテランだ。新人の分際でそんな口を利けるのだから、FBIはよほど白人に対して甘いのだろうか。

「オフィスの誰かに向かって本気で怒るのは、遠慮させて欲しいですよ。でもランチェスターって、どうしてあんな風に人の神経を逆撫でするのが上手いんでしょうね?捜査官じゃなくて、政治家にでもなればいいのに」

「差別主義者は政治家になれないよ、ミキ」

「極右勢力ならなれると思いますよ。それにあいつ、美形だってだけで第一印象が誰よりもいいんだから」

 未来が仏頂面で個人スペースに戻りながらぶつぶつと愚痴をこぼすと、アーロンも苦笑して頷いて見せた。

 確かにここフレデリックスバーグの住民は7割以上が白人で、黒人は2割程度だ。アジア系やヒスパニックに至ってはもっと少なく、1割以下しかいない。有色人種が目立つ地域だと言えばそうだろう。

 しかし近年のFBIはマイノリティーの人員採用に関して力を入れているし、仕事上で人種による待遇の差別は一切ない。とは言っても有色人種のエージェントは全体の3割もいないのだから、合衆国全体の人口比からすればまだまだだった。

 そして問題になるのはFBIという組織全体ではなく、現場の捜査官個人が人種や異性に対して偏見を持っている場合だ。ランチェスターなどは、その典型的な例だと言える。

 どうしてあんな男が捜査官になれたのか、未来には不思議でならなかった。書類審査や面接で引っかかっても良さそうなものだし、もし自分が面接官なら、あんな鼻持ちならない言いようをする受験者は真っ先に落としているだろう。

 だが、そういった人物とも一緒に仕事をしなければならないのもまた世の中だ。実に様々な個性を持った者が様々な国にいることは、日本で便利屋を営んでいるときに嫌というほど実感していた。

 こういったとき、未来は自分が日本人の国民性を持っていて良かったと心底から思うようにしている。「空気を読む」という独自の文化がなければ、自分の感情を遠慮なくぶちまけてランチェスターに喧嘩を吹っかけ、異国での礎を危うくすることになりかねないのだから。


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