特殊部隊CVC -8-
オレンジは東を平原、西を森で囲まれた内陸の小さな街だ。コンスティテューション・ハイウェイの周辺は、街のすぐ手前まで何もない草地が続き、中心部で少しだけ建物の密度が高くなるという塩梅である。
大型スーパーマーケットや衣料品店が入った郊外型のショッピングモールがある以外、商業施設も密集していない。同じヴァージニアの街でも、未来の住むフレデリックスバーグとは全く違った雰囲気があった。時刻は午後3時で道は空いており、吹きすさぶ乾いた寒風が、裸の木の枝と小さなカフェや雑貨屋の看板を揺らしている。
ティアーズ最後の被害者であるヘレン・ホワイトが通っていたハイスクールは、東の外れに位置していた。広い敷地を構えている割には質素なコンクリートの門を車のままくぐり、ジャクソンが詰め所にいる守衛に身分証を提示して、用向きを告げる。
「来客用の駐車場は、ここをまっすぐ行って左だ。校長にはあんたたちが来たことを連絡しておくから、通用口から校舎に入ってくれ」
プリウスの下ろした窓から運転席を覗き込んだ浅黒い肌の守衛は、白髪混じりの頭にのった帽子を直しながらぶっきらぼうに言った。珍客を通した後は、黒いコートの襟を立ててすぐに詰め所の窓を閉めて引っ込んでしまう。ジャクソンは言われた通り、スクールバスが通ってくる傷んだアスファルトの道を暫く進んだ後、安いフォードやシボレーが並ぶ駐車場の隅に車を停めた。
「ふうん。小さな街の高校なのに、結構立派なんだね」
「アメリカじゃ、地方の学校でもこれぐらいが普通だ。日本が狭すぎるだけだろ」
「私も高校時代はアメリカに語学留学したけど、ウィスコンシンの高校はもっとこぢんまりとしてたんだよ」
辺りをちらちらと見回しながら車を降りた未来の先にジャクソンが立ち、二人のFBI特別捜査官はポーチのガラス扉から見える受付へと足を進めた。受付はガラスで仕切られたカウンターになっており、その内側で事務員の若い白人女性が熱心にパソコンを操っているのが見える。
「こんにちは。学校見学の方ですか?よろしければ、そちらの入学案内をお取り下さい。案内の者もお呼びしますが」
ジャクソンが受付の窓越しに声をかけようとしたところで、顔を上げた女性に営業用の笑顔で言われた。隠れるように彼の後ろにいた未来が、中学生の親戚にでも見えたのだろう。
「連邦特別捜査官のミキ・ハザマです。こちらはジャクソン・トルーマン特別捜査官。そちらの校長にお話を伺う旨、お伝えしてあると思うのですが」
笑いをこらえているジャクソンの横に進み出て、未来はスーツの内ポケットからつまみ出したFBIの身分証を提示した。何食わぬ顔できちんと礼儀を通した彼女とは反対に、一瞬呆気にとられた受付の女性のほうが、慌てた様子を覗かせている。
「それは、大変失礼し致しました。ええ、伺っております。校長は応接室で待っておりますので、どうぞお入り下さい」
女性は椅子から腰を浮かせて廊下の奥を差し示すと、小さく咳払いをしてからパソコンに向き直った。
「もし高校で何か事件が発生したら、お前は誰にも怪しまれずに潜入捜査ができるってわけだな」
「まあ、そういうこったね。あんたは、体育の教師にでもなっとけばいいんじゃない?」
にやにやしているジャクソンに、未来は別に腹を立てている様子はない。
「俺が体育なんて教えたら、ついて来られるのがお前だけになっちまうだろ」
まだにやけているジャクソンとアイボリーの廊下を進んで応接室の前まで来ると、自動でドアが開いて二人を迎え入れてくれた。校長がもう中におり、廊下を確認するモニターでこちらの様子を確認したのだろう。
ジャクソンと未来が中に入ると、大人5人が入れば一杯の小部屋で、黒いソファーに座っていた二人の白人男性が立ち上がるのがわかった。
「こんな辺鄙なところまで、お疲れ様です。校長のビリー・ニーミッツです。こちらは、ヘレンの担任だったロジャー・グレアム」
彼らと握手を交わしつつジャクソンと未来も自己紹介をするが、二人の教師もまた、未来が特別捜査官であることに少なからず驚きを覚えているのを、隠し切れないようだった。
校長のニーミッツは恰幅のいい中年男性で、せり出した腹がベルトの上に乗っており、ワイシャツのボタンがはち切れんばかりになっている。耳の上の金髪を残して禿げ上がった頭をしているが、顔には黙っていても温かみがにじみ出てくる印象があった。笑えば、さぞかし優しげに見えるのだろう。
しかし今は彼の顔はやや青ざめて、心労から若干やつれている様子だった。
「まさか、あの事件の被害者がこの学校の生徒から出るなんて、夢にも思っていませんでした。今は多少落ち着いていますが、先週は生徒も教員も動揺が激しくて、授業どころの騒ぎではなかったのです」
4人が古い木のテーブルを挟み向かい合って座るなり、校長が溜息混じりに切り出した。
「事件以降、全体のカリキュラムや人員配置に変更はありますか?」
「授業は平常通りですが、ショックを受けている生徒たちのために、スクールカウンセラーを3倍に増やしています。放課後の部活動も4時で切り上げさせて、その後は校内に残っている生徒が誰もいないことを確認してから、教員たちの帰宅を開始するようにしました」
未来の質問に、ニーミッツが頷いて答えた。彼女は、テーブルに置いた携帯端末のボイスレコーダー機能が正常に作動しているのを確認してから顔を上げて質問を続けた。
「学校の周囲で、これまでに不審者の目撃情報はありましたか?」
「全校生徒にアンケートを取っていますが、事件前後は特にこれといった不審者の情報はありません。ここは、そのう、ご覧のように小さな街ですから。もし良からぬことを企んでいる余所者が入り込んだりしたら、すぐに噂になったり、不審者リストのトップに出たりするんですよ」
小さく、ぼそぼそと返してきたのはグレアムである。
彼は長身だが痩せて血色が悪く、薄手のセーターにコーデュロイのパンツを合わせたひょろ長い身体からは、如何にも不健康そうな空気が漂ってくる。高めの声なのにはっきりしない話し方も、おどおどして神経質そうな印象を強めていた。
「その不審者リストが最後に更新されたのは?」
「ええと、半年くらい前ですね。うちの学生に乱暴されたとしょっちゅう喚き立てていた、虚言癖があった女です。今は別の街にある精神病院に収容されていますよ」
「なるほど。では次に、ヘレンについてお聞きします。彼女は学校生活ではどんな学生だったんです?」
今度はジャクソンが話の矛先を変えた。
「どちらかと言えば大人しくて、あまり目立たない子でした。人前で意見したりするのを見たことがありませんし、彼女が他の学生と騒いだりするのも、やっぱり見たことがなかった気がします。友達もさほど多くなかったようですが、いつも仲のいい女の子と一緒にいましたね。あんな静かな子がこんなことになるなんて……今でも信じられないくらいで」
ヘレンの担任だったグレアムが組んでいる手が震えている。彼は辛そうに目を伏せると、指先で目頭を拭った。
穏やかな調子で、ジャクソンが質問を続ける。
「彼女が何かトラブルを抱えていたような様子は?友達と喧嘩をしたとか、誰かにつきまとわれて困ってるとか、家族ともめたとか。最近の出来事で気づいたことがあれば、何でも結構ですから、教えて頂きたいんですが」
「特に、私の耳に入ってくるようなことはありませんでした。ヘレンは少ない友達を本当に大切にしていたようですから、もめごとを起こさないように気を使っていたんじゃないかと思います。それに何かあれば、彼女はまず友達に先に相談していたでしょうし」
グレアムはそこでもう一度目をこすると、軽く鼻をすすった。グラウンドからは、フットボールや野球などの部活動に打ち込んでいる生徒たちの元気な声が響いてくる。
今度は未来が質問をつないだ。
「ヘレンは、部活動を何かやっていたんですか?」
「いいえ。体育の成績もいい方ではなくて、運動は苦手だったようです。それでも、図書館で本を読んだり、友達と一緒にいたりして、遅くまで学校にいることはよくありましたね」
「文化系の部活もやってなかったんですね?」
「小さな学校ですからね。運動系はフットボールと野球とチアリーダーくらいしかありません。今季の活動も、そろそろ終わりですし。文化系の活動では、正式な部でも美術部と吹奏楽部くらいしかないんですよ。ヘレンは、そのどちらにも入っていませんでした。あとは、ボランティア活動をそこそこにやっていた程度かと思います。ただ、ボランティアは課外活動になるので、我々ではあまり詳しいことは把握していないんですが」
「では、男の子の友達との付き合いはどうだったんでしょうか」
未来がグレアムの顔を覗き込むように目線を上げると、彼は軽く首をひねった。
「さあ。生徒たちの噂話くらいしか耳に入ってきませんからね。ヘレンも誰かと付き合い出したとか、別れたとか、たまにそういうことを聞いたりする程度でした。これといって派手な話はなかったと思いますが」
「恋人とトラブルになっている、というようなことも?」
「彼女が入学してからこれまでに多少あったかも知れませんが、最近は聞いたことがありませんね」
グレアムは眉根を寄せて必死にヘレンの姿を思い出している風だが、何か重大なことが喉の手前まででかかっている、という様子ではない。
恐らく彼も、ごくごく平凡な生徒だったヘレンについてはあまり多くを知らないのだろう。もしまだここで聞くことがあるとすれば、趣味のヒッチハイクについてぐらいだろうか。
「ところで、彼女がヒッチハイク中に事件に巻き込まれた疑いが強い、というのは本当なんでしょうか?」
未来とジャクソンが同じ考えに至ったところへ、校長のニーミッツが割り込んできた。
ヘレンの事件については新聞やテレビ、各種ニュースサイトの記者たちがこぞって大々的に取り上げている。捜査の妨げになる恐れがあることから、警察やFBIでは捜査過程の詳細について一切を公表しない方針だ。
しかしそれでも無遠慮なマスコミ関係者たちは、情報提供者からの情報や近隣の住民たちの噂話など、正しいとは言えないこれらの話に勝手な憶測を加え、好きなように記事を書き散らしている。
報道が加熱してセンセーショナルになるほど犯人を刺激し、次の犯行へと駆り立てる可能性も高まる。そのためジャクソンや未来も、ニーミッツが振ってきた話について迂闊な返答をするわけにはいかなかった。
「まだそうと決まったわけではないですよ。歩いているところをいきなり襲われたのかも知れないし、口の巧い奴に騙されて車に乗せられたのかも知れない。この事件については、今の時点でまだはっきりわかっていることがあまりないんです」
「もう2年も前から似たような事件が起こっているのに?」
ジャクソンの丁寧な説明を流せなかったニーミッツの口調に皮肉な色が込められたが、黒人青年の丁寧な物腰は変わらない。
「どんな可能性も排除できないんです。我々は、様々な角度から事件の捜査に当たっています。考えられることには全て、疑いを持ってかからなければなりませんから」
「では、当面ヒッチハイクは禁止しなくてもいいと?」
「いいえ。ヒッチハイクは、素性がわからない人間と関わることになります。状況がはっきりしない以上、考えうる危険からはできる限り離れるように、生徒たちを指導してください。もし可能なら、家族の誰かに迎えに来て貰って下校するのが一番です」
まだ嫌味が抜けないニーミッツ校長に、今度は未来が答えた。
「一刻も早く、こんなことをしてる奴を捕まえて頂きたいものですね。またうちの生徒が襲われたりしたらと思うと、気が気じゃありません」
「それは勿論です。我々は全力で犯人の逮捕に取り組んでいます。ですから、ヘレンについて何か少しでも思い出したことがあったら、最寄りのFBIの窓口までご連絡頂けますか?あと、今日まだ学校に残っている生徒たちとも、少し話をしたいのですが」
頭を横に振って溜息を漏らしたグレアムに、ジャクソンはもうここで集める情報はないと踏んだらしい。グラウンドから聞こえてくる声を気にする素振りを見せながら、校長の顔を下から見上げるように姿勢を低くした。
「今日はもう運動部の生徒たちくらいしか残ってないと思いますが、それでもよろしければ構いません」
「運動部の学生に、ヘレンと仲が良かった子はいますか?」
同じ高さに視線を持ってきたジャクソンの横で、未来がジャケットのポケットからボールペンと手帳を取り出した。
「そうですね。チアリーダーに、そこそこ仲が良かった同級生のポリー・ウォードがいるかと思います。男子については特に親しい学生がいなかったようなので」
「わかりました。お忙しいところ、ご協力に感謝致します」
未来がヘレンの友人の名前と所属部を手帳にメモする間に、ジャクソンが頷いて机の上に手を伸ばし、携帯端末のボイスレコーダーを停止させる。彼らは軽くニーミッツとグレアムに頭を下げた後、ソファーから立ち上がった。
「チアリーダーは、体育館でトレーニングをやっている筈ですから。帰るときには受付に一言お願いします。私たちは、ここでもう少し話をしてからオフィスに戻るので」
大人と子どもほどに体格に差があり、しかも男女で人種も違う珍妙な組み合わせの捜査官二人をもう一度しげしげと眺めてから、ニーミッツも会釈を返してくる。教師たちは結局、ジャクソンらが廊下に出ても立ち上がろうとする気配を見せなかった。
「どうもヘレンは、大人しくて先生の印象にも強く残ってないって感じみたいだね」
応接室の前からワックスが綺麗にかかった廊下を奥に少し進み、未来が口を開いた。体育館に通じている出口があると思しき方へ進みながら、ジャクソンも頷く。
「友達も少なかったようだから、その分話を聞かなきゃならない奴も限られてくる。しかしそんな地味な子がチアリーダーの子と仲がいいなんて、ちょっと驚きだな」
「でも担任のグレアムの話じゃ、そこそこに仲が良かったってだけじゃない。ひょっとしたら、ヘレンはポリーって子の引き立て役だったのかもよ」
晩秋の陽光が射し込む廊下を二人が歩き、小声で言葉を交わしていると、時折テニスウェアやジャージ姿の生徒たちと擦れ違う。彼らは見慣れない男女の姿をじろじろ見たり、あるいは気にしないふりをしながら、ロッカーに急いでいるように見えた。
未来が卒業以来久しぶりに足を踏み入れた高校という場所は、子どもたちの汗とグラウンド土の匂いに満ちているように感じられた。
「引き立て役か。つくづく、女ってのは怖い生き物だよな。自分の利益になるからってだけで、平然と友達を利用しようと思い至るんだから。それもこんなガキどもでさえ、そういうことをするってのは……」
「私はもののたとえで言っただけだよ。まだそうと決まったわけじゃないって」
未来が口を尖らせてジャクソンを見上げる。
主にスポーツの試合で華々しく活動するチアリーディング部は、アメリカの高校だと女子の花形になれる部活動だ。チアリーダーで活躍していたとなれば、卒業後も何かと優遇される。当然憧れて入部を希望する生徒は多いが、その際は基本的な運動能力のみならず、外見までもが厳しく問われるのが普通だ。
ポリーがどんな生徒かはわからないが、少なくとも並以上の容姿で運動もできることは間違いないし、学校の中でも目立つ存在だろう。そういう子が目立たないヘレンと仲がいいのは、正直未来にも意外だった。
「とにかく、会って話をしてみることにしようよ。でも、そうだね。彼女には私一人で話を聞きに行くことにしようかな」
「何でだよ?」
廊下の突き当たりの壁に貼られたカラフルな案内図で未来が体育館の場所を確認したとき、ジャクソンが素っ頓狂な声を返してきた。
「だって、あんたは女の神経を逆撫でするようなことばっかり言ってるんだもん。難しい年頃の女の子に、うまく話ができるわけ?」
「あのなあ。俺は相手がお前だから、遠慮せずに喋ってるだけだよ。考えてもみろ、捜査官歴は俺の方がずっと長いんだぞ」
未来からそんなことを言われるのは心外だ、と言いたげに、ジャクソンが大きな身体を縮めるような身振りをして見せた。
「……そう言えば、そうだっけ」
「まあ、黙って見てろよ。一通りの年代や人種の連中に、少なくとも一度は聴取したことがあるんだからな」
ジャクソンは白い歯を見せ、これまでに何度も浮かべた人なつっこい笑顔で自信ありげに言った。多分、似たような状況で似たような相手と話をしたこともあるのだろう。
が、どうもジャクソンは、自分が女性と話をするのがあまり上手くないということを自覚していないのではないか、と未来は直感的に思っていた。これもまた根拠がないことだが、とりあえず彼女は頷いて黒人の大男の後に従った。