兵器廠
「なぁ、あのー…誰だっけ、ほらー…あの緑のやつ、いたじゃん。昨日のさ。」
少し焦げた色の肌と焦げ茶色の髪をもつ青年は、先日の光景を頭の中に思い浮かべながら、そう口にした。
ほぼほぼ独り言のようなその言葉のキャッチボールは、ある男によって続く。
「あー、フィリップか。」
「そーそー、そいつそいつ。」
列車の窓から差し込み、二人の目を刺す黎明の日光。
レフは、まだ眠そうに大きなあくびをかましながら言葉を続ける。
「どうかしたのか?」
「いやなんつーか、めちゃめちゃ怖かったんだよ俺。だってさ、血とか肉とかヤバかったじゃん?俺マジであいつ乗せんのかよって思っててさー、これからやっていけるのか不安で──」
「僕がどうかしましたか。」
今までなかった声の主を探そうと、ふと座席の後ろを見ると、そこにはフィリップが立っていた。
突然の出現に、青年は文字通り座ったままの姿勢で飛び上がる。
「うおあびっくりしたぁ?!?!??!」
その青年が次に始めたのは、焦りからくる早口での弁明だった。
「いや、そのな?別にお前が嫌いってわけじゃ──」
「…誰だってそう思いますよ、あんなの見せられちゃ。」
来るなり早々どんよりとした雰囲気を出しながら俯く彼を見て、青年は再び口を開く。
「…あれお前、その服。」
「ああ、これですか。レフさんから車両ごとの案内を受けた後、僕の個室に入る前に渡されたんです。」
彼は現在、列車に乗る前の、あの血と肉に汚れた薄いボロ布の服ではなく、他に乗っている者、つまり車掌達が着ている黒い制服と同じものを着用していた。
特に彼のそれは、首全体と顎先が隠れるほどに高い襟をしたものだった。
「んで、あの剣は?」
「…剣?」
服から身なりへ、そして身なりから件の黒い剣へと考えが移った青年はそう尋ねるが、どうもフィリップ本人には心当たりがなかったようだ。
「ほら、あの真っ黒い剣だよ、お前が持ってたヤツ。」
「…何を言っているのか、よくわかりません。」
これを言うのは二回目だと何かのデジャヴを覚えながら、彼はそう返答する。
すると、レフが話に割り込んだ。
「そりゃオメーの『特異体質』の一部だな。」
「特異体質?」
「昨日も言っただろ?もう忘れちまったのかよ?」
「…記憶が曖昧です。この人の言ってる「黒い剣」も、特異体質についても、何も覚えてません。はっきりしてるのは、ただ──」
「言うな言うな、ヤな気持ちになるだけだろ。」
先ほどの青年がフィリップを制する。
彼なりの思いやりだった。
「あんな事があった後じゃ仕方ねえよ。」
「…知ってるんですか?」
シャノンの殺害と、村人の鏖殺。
そのうち、青耀列車の車掌達が知っているのは後者だけのはず。
事の発端を知らなければ出てこない労いの言葉に、フィリップが疑問を抱くのは当然だった。
「ウチに人の過去見れるヤツがいるんだ。勝手に覗いて悪かったが、どうせオレらは同じ穴の狢なんだ。いずれ他のヤツらのも見せてやるから、堪忍してくれ。」
レフの、現実と慈悲とを混ぜ合わせたその発言に対し、フィリップはこう返す。
「…いいですよ、見られようが見られまいが、過去は消えません。」
その後、彼の生い立ちに対する何ともいえない感情からか、沈黙が続く。
それを破ったのは、あの焦げ茶色の髪をした青年だった。
「…なぁ、フィリップ。俺、テリーってんだ。さっきはあんなこと言っちまったけど、これからよろしくな。」
テリーと名乗った彼は、手を前に出して握手を求める。
対しフィリップは、手を出しかけて一瞬躊躇い、それでも彼の手を握ろうとする。
その瞬間、鉄が叩かれるような甲高い音と共に、列車がじわじわと止まった。
「…なんか轢いたみてェだな、マチルダ…。」
レフがそう鬱陶しそうに呟くと、彼の予想が当たっていたのか、あからさまに語気の強い言葉と、再び鉄を叩く音が外から聞こえてきた。
「めんどくせェが、他の奴はまだ起きてねーみてェだし、オレらでやるか。」
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「クソが!何やらかしてくれてんだこの野郎!」
「うちの親分を轢きやがったツケェ払ってもらうぞ!!」
「…案の定、みてェな奴らだな。」
怒りに任せて怒鳴るごろつきを一目見て、レフはそう呟いた。
その一方で、テリーは自信ありげに拳を握っては離してを繰り返しながら言う。
「あいつら全員、ぶっ飛ばせばいいんだろ?」
「あんまやりすぎんなよ。」
「…今から戦うんですか。」
様子を見ていたフィリップが、今度は少し困惑した表情で割り込んだ。
レフはその問いに、にやりと笑いながら答えた。
「無理そうなら下がってろ?」
その発言に含まれる複数の意図を汲み切れたのかはわからないが、フィリップは返答することなく、その目を再びごろつきへと向ける。
その瞬間、そのごろつきの内の一人が、鉄パイプを高く掲げながらテリーの方へと走り向かっていった。
朝日に輝くその鉄パイプが頭へと振り下ろされる、そう思えた瞬間。
それが当たる前にテリーはパイプを掴み、それをまるで職人が飴細工をいじるかのようにぐにゃりと曲げてしまった。
「なんだ、こんなもんか。」
そう呟いたすぐ後、彼の拳が、驚いた表情をしたごろつきの、そのがら空きの腹を襲う。
男は後ろのごろつきの集団まで吹き飛び、数人を巻き添えにしながら倒れ、動きを見せることが無くなった。
その一瞬を皮切りに、その集団は、レフ・テリー・そしてフィリップの三人の方へと、雄叫びと足音で轟音を鳴らしながら向かい始めた。
戦いの始まりである。
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ごろつきの一人が、再びテリーへとナイフを振る。
横に空を切るように振られたそれをテリーはひらりとかわし、お返しと言わんばかりに男の腕を掴む。
そして軽々とその体を持ち上げると、男を地面へと強く叩きつけた。
特異体質「力」────
テリー本人の膂力を倍増させるというシンプルな能力。
そして単純ながら強力で、常人であれば引き出すことのできない怪力は、彼にあらゆる事を可能にさせる。
テリーは男の腕を離すと、ある音に気が付く。
金属が斬られる、その異様な高音を聞くのは今回が初めてではなかった。
そしてその音の原因はレフである。
レフはどこからともなく彼の身の丈ほどある大剣を掴むと、それをごろつきの男へと振る。
男は躱すことを諦め、とっさに持っていた鉄板を構え、衝撃に備えた。
しかし、大剣は鉄板を凹ますどころか、まるでそれが柔らかい何かでできているかのように真っ二つに両断し、続いて男の体も丸ごと両断してしまった。
その異様で残酷な光景を目の当たりにした他のごろつきは、確実に怖気づいたような表情を見せた。
すると突然、レフの視界の端に何かが映った。
とっさにフィリップの方を見ると、彼の後ろから人影が近づいていた。
「フィリップ、後ろ!」
彼がとっさに後ろを振り向くと、そこには別の鉄パイプを持ったごろつきが。
パイプはすでに振り上げられており、後は落とすだけといったところ。
突然の急襲に対しフィリップは丸腰。
終わりかと思えた。
特異体質「兵器廠」────
フィリップ独自の、それぞれ特別な『能力』を持つ武器を、任意のタイミングで、彼だけがアクセスできる異空間から出し入れする特異体質。
そしてその中の一本の剣『カラドボルグ』。
その剣に秘められた能力は────。
「『受流』ッ!!」
フィリップがそう叫ぶ直前、彼の手には、あの黒い剣が現れた。
そして次の瞬間、一瞬で鉄パイプとフィリップとの間に剣を入れ込むように動いた彼の腕。
それが、瞬きもする間もなく、火花を散らしながら剣で鉄パイプを受け流し、そして男の胴体をがら空きにする形で跳ね除けた。
『受流』────
敵の攻撃が当たる直前に発動すると、全自動で、確実にその攻撃を受け流すという能力。
そして、受け流された相手は、2秒間の間、いかなる行動が不能になる。
フィリップは、両手で剣を持ち直すと同時に、斜め上に振られる形で上がった腕をそのまま斜め下へと振り、男の胴体を斬り裂いた。
血飛沫と断末魔が同時に上がり、男は倒れ、他のごろつき達の恐怖に恐怖を上乗せする。
じりじりと少し下がったのち、ごろつきの集団は尻尾を巻いて、列車とは反対方向に逃げ出していった。
後に残っているのは、立っている例の三人と、倒れたごろつき達だけ。
その光景を見て、テリーは言う。
「あんまりやりすぎるなって言ったの、誰だったっけな?」
「知らねェ。フィリップだろ。」
「…。」
フィリップには、レフに返答する気が無かった。
それよりも、今自分が行った事について、深く考えるように俯いていた。
黒い剣『カラドボルグ』を手に持ち、初めて実感した彼女の死と自らの殺戮。
しかし、その現実に狼狽えることなく、彼はただ俯き、深く考えていた。
何を考えているのかは、我ら傍観者にはわからないだろう。
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「ごめーん、やっちゃった!」
快活な、しかし申し訳なさそうな声色をしたマチルダの声が、列車内に響く。
「安心しな、もう終わらせたぞ。」
「すごい、早かったね!」
レフが彼女の返答を聞いた、その後の少しの沈黙ののち、彼はまた話し始める。
「あぁ、そういえば。」
「フィリップのことだけど、アイツやれそうだぞ。」
「ほんと!?やったぁ!!」
マチルダはそう聞き、ぴょんぴょんと飛びながら喜んでいた。
「…仲間が増えるたびにこれなんだぜ、マチルダって。」
テリーはフィリップに、少し呆れた様子でにやけながらそう言った。
「…悪い気分じゃありませんね。」
まんざらでもなさそうに、彼は返した。