第三十六話
あいつ。
クラスメイトの拓也だ。
やだなぁ、こんなところで会うなんて。
「おまえたちも水汲み?っていうか、さっきなに見てたんだよ?」
「何にも見てないけど?」隆之介が答える。
「いーや、見てた。こうやって目の前に手を持ってきてたじゃないか。それもお前らみんな」
「じゃあ、見てたとしよう。それが古田になんの関係があるんだ?」
「おれにも見せろっていうことだよ」
「イヤだね」
「榊には聞いてないよ。見てたのって高橋の持ち物だろ?さっき渡してたからな。榊が答えるの違うんじゃね?」
そういって拓也はぼくの方を向いた。
「なにを見てたんだよ?おれにも見せてくれたっていいだろ?」
「ごめん、見せられない」
「なんでだよ?」
「大事なものだから」
「はあ?!なんだよそれ。榊たちには見せてるのに、おれにはダメだって言うのかよ?バカにしてんじゃねえぞ!」
ドンッ!
「あっ!」
突き飛ばされて転んだぼくは、その拍子に手に持っていた玉を落としてしまった。
玉はころころと、拓也の足元に転がっていった。
「なんだよ?これ」
「あ!だめ!!」
ぼくの制止を無視して、拓也は玉を拾い上げた。
「なんだ?ビー玉じゃねか。こんな小汚いビー玉のどこが大事なものなんだよ。こんなのどこにでもあるじゃねえか」
「そう、思うんだったら返してよ」
「やだね」
「返してってば!」
「古田、返してやれよ!」智生も言ってくれる。
「い・や・だ。どうしても返してほしいなら土下座するんだな。土下座して『返してください。お願いします』と言えよ」
それって……。
土下座なんて、それも拓也に対してそんなことしたくないけど。
天狗さんを取り戻すためなら、なんだってしなくちゃ!
「……わかったよ。土下座だってなんだってするから、そのかわり必ず返してよ!」
「ふん!ちゃんと土下座できたらな。できもしないことを言うんじゃねぇよ」
「できるよ!」
「古田!お前、ぶんなぐられたいのか!」と蓮が右手のこぶしを振り上げながら威嚇してるのを制して、ぼくは足元の石畳の上に正座した。
そしてまっすぐに拓也を見て言った。
「古田君。ぼくの大切なものなんだ。返してください。お願いします」そう言ってお辞儀の形で頭を石畳につけた。
悔しい……でも、天狗さんを取り戻せるならこんなことくらい!
「古田!約束だろ!」鋭く隆之介が言う。
ぼくからは見えてないけれど、蓮も智生も拓也をにらみつけていると思う。
「……くそ。わかったよ。返せばいいんだろ」
ぼくは玉を返してもらおうと立ち上がった。
そして拓也のところに行こうとしたとき。
「なんだよ!こんなもの!!」
拓也は玉を持った手を高く上げ、たたきつけるようにふりおろし、そのまま走っていった。
カツッ!
拓也の手をはなれた玉が石畳にあたって、乾いた音をたてる。
「ああっ!」
ぼくは叫んで、たたきつけられた玉のところにかけよった。
玉は……割れてなかった。
それどころか、傷ひとつついてなかった。
「よかった──」
ぼくは安心して、玉を抱きしめるように持った。
【おのれ、こわっぱ!愚弄しおって!!】
いきなり天狗さんの波動が伝わってきた。
ぶわぁっと髪の毛が逆立つような感覚が、ぼくを襲う。
天狗さん……すごく怒ってる?!
【小僧の知り人と思うたが故に堪えておったが、かような仕打ちは許しておけぬ!彼の者を、ぬしに代わり成敗してくれるわ】
荒れ狂う強風、叩きつけるような豪雨、そして稲妻の直撃……それらすべてが天狗さんの指先ひとつで拓也を襲う!
ずぶ濡れで地面に横たわる黒く焦げたモノ……そんなイメージが頭の中に流れ込んできた。
(ダメ──────ッ!!!そんなことしちゃ、ダメ!ぼくはいいから!ぼくは大丈夫だから、そんなことしないで!!)
頭の中に浮かんだ天狗さんに、ぼくは必死で訴えかけた。
天狗さんの目が、燃えるように赤く光ってる。
こんな姿の天狗さんを見るのは初めてだ……怖い!!。
いつも玉の中に小さくしか見えてなかったけれど、今見えてる天狗さんはすごく大きくて。
きっとこれが本当の天狗さんの姿なんだって、思った。
ぼくが必死に(やめて!)って頼み込んだからか、怒りに満ちた波動がだんだんいつもの天狗さんのものに戻ってきた。
赤い目も元に戻っていた。
「だいじょうぶか!」蓮たちがかけよってくる。
「あ、うん。玉は無事だったよ。割れてもないし傷もついてない」
「玉も心配だけど、悠斗の方がもっと心配だよ」智生が言った。
「あんなやつに土下座なんてすることなかったのに」
「ぼくは大丈夫だよ。そんなことより天狗さんを返してもらえなかったらって考えたら、もっとつらかったから」
天狗さんが怒り狂ってた時間……すっごく長く感じたけど、きっと数秒ぐらいのことだったみたい。
「あの野郎。やっぱり一発ぶんなぐってやればよかった」蓮が言った。
「あ、天狗さんもすごく怒ってて『成敗する』って言ってた……やめてってお願いしたけど」
「なんで!仕返ししてもらえばよかっただろ?」智生が言った。
「うん。でも、それでまた天狗さんが罰を受けたりしたらかわいそうだなって」
「悠斗はやさしいな」蓮が言った。
「仕返しなら、受けているみたいだよ」クスクスと笑いながら隆之介りゅうのすけが指さした。
そこには、どんなに進もうとしても前に進めない拓也の姿があった。
右に進もうとしても左に進もうとしても、三歩も歩くと進めなくなっている。
前後左右、どんなに方向を変えても三歩以上は進めないようだった。
「もしかして、天狗さん何かした?」
【……ぬしは何もしないでと申したが、それではわしがおさまらぬでの。風に頼んで“あの者しか立ち入られぬ空間”を作ってもらったのじゃ。呼吸はできるから、命にさわりはなかろう。ただし外の声は聞こえても、中の声は外に漏れぬようにしたがな】
「それって……」
「結界」
「だね」
天狗さん……やることが怖いよ。




