第三十四話
今日は、初めて市営バスに乗る。
そう考えてたらドキドキして、ゆうべはなんだかよく眠れなかった。
隆之介や蓮が乗り方を教えてくれてるし、おばあちゃんも一緒に行ってくれるから間違うはずはないんだけど、やっぱり初めてのことだとドキドキしちゃう。
だからつい、約束よりずっと早い時間に着いちゃったんだけど。
「おーい。遅いぞ!」
「え?なんで智生がもう来てるの?」
なんと、いちばん遅刻が多い智生がぼくよりも先に来ている!
「智生だけじゃないぞ!」
「めずらしいね、悠斗が一番最後なんてさ」
……蓮と隆之介も、もう来ていた。
「みんな早すぎるよ」
「だって……な!」蓮が言って、あとのふたりがウンウンとうなづく。
「「「こんな楽しいことに、遅刻するわけにはいかないからね」」」
ハモんないでよ、もう。
そこに見なれた車が入ってきて、駐車スペースに停めた。
おばあちゃんだ。
車から降りてドアをロックしてから、ぼくたちの方に近づいてくる。
「あら、私が一番最後?こんにちは。今日はよろしくね」
「「「こんにちは!今日は、よろしくお願いします」」」
「おばあちゃん、ありがとう」
「……」
「みやさん、今日はありがとう」
「はい、よろしい」
「あの、おばあさま。今日の予定について打ち合わせたいのですが、よろしいですか?」
「はい、いいですよ」
隆之介がおばあさまと呼ぶのはいいんだ。
隆之介がおばあちゃんと打合せをしていると、智生が小声で聞いてきた。
「なあ、あの人ほんとに悠斗のばあちゃん?」
「そうだけど?」
「若けえ~うらやましい!今、何歳だよ?」
「えーと……あと何年かしたら六十五歳だったと思うけど?」
「うそだろ?おれのばあちゃんより年上?!ぜってー見えねえ!」
ゴツッ「いてっ!」
ゴツッ「いたっ!」
「ふたりとも……女性の年齢の話なんてするもんじゃないよ」隆之介が呆れた顔で言った……ゲンコツした当のおばあちゃんは、素知らぬ顔をして言った。
「そろそろバスが来るわよ。忘れ物はないわね?」
「はい!」
バスは思ったよりも小さかった。
もちろんママやおばあちゃんの車よりはずっと大きいけれど、社会見学とかで乗る、扉がひとつしかないバスよりは小さかった……そして扉が片側だけにふたつあった。
真ん中あたりにある扉から入って整理券を一枚とり、空いている座席に座った。
ふたりずつ座れる座席で、ぼくは蓮と、隆之介と智生が一緒に座った。
おばあちゃんは、一人用の座席に座った。
いつもより高い位置から見る風景はなんだか新鮮でワクワクしたけれど、『さわがないこと』と隆之介からクギを刺されていたので、さすがの智生もおとなしく窓の外を見ているようだった。
いつも見ているような家ばかりの景色からだんだんと田んぼと家が同じくらいの景色に変わり、田んぼの割合のほうが多くなって、ちょっと退屈したなと思っていたらに下りる予定のバス停名をアナウンスする声が聞こえた。
ピンポーン!
待ってましたとばかりに降車ボタンを押したのは、智生ではなく蓮だった。
バスを降りて、水風呂までちょっとの距離を歩いた。
「なあ、いい加減機嫌なおせよ。悪かったって言ってるだろ?前の学校でバス通だったから、その時のくせが出たんだってば」
歩いている間、蓮は智生にずっと謝っていた。
智生はずっとふくれっ面のままだ。
バスの降車ボタンを蓮が押しちゃったからなんだけど、智生ってばそんなに押したかったんだ。
「まあ、気持ちはわからないでもないわね」
いつの間にか隣に来ていたおばあちゃんが言った。
「通学で毎日バスに乗ってても、誰よりも早く押したくなるんだもの。初めてバスに乗ったのに押せなくて、今後も押すチャンスがほとんどないとなったら……ね」
そうか……中学校も校区の学校に行くなら歩くか自転車だもん、バスに乗るなんて機会は滅多にない。
高校も市内だと自転車だし、隣の市だとJRになるから……貴重な機会だったんだ。
「帰りのバスは智生に押してもらうようにできないかな?」
「そうねえ。市役所が終点でないバスだったら、できると思うけど」
そんな会話をしながら歩くうちに目的の施設に着いた。
思っていたのと違う、普通の家みたいな建物……。
「ここかぁ」蓮が言った。
「じゃあ、おばあちゃん、ぼくたち入りに行って来るね」
「はいはい、いってらっしゃい。と、その前に」
建物に向かって駆けだそうとしていたぼくたちを、おばあちゃんが呼び止めた。
「この中に、お財布とか大事なものを入れなさい」そういってエコバッグみたいなものを差しだした。
「え?どうして?」
「友達が昔、銭湯に行った時にコインロッカーがなくて。脱いだ服の間にかくしていたネックレスを盗られたことがあったそうなのよ。お財布は車に置いてて無事だったんだけど、ネックレスは外すの忘れて行っちゃったって。気づいたのが服を脱いだあとだったから仕方なく隠したらしいんだけど、誰かが見てたのね。だから、用心のために。私は入らないから持っていてあげる。あ、利用料だけは持っていくのよ」
ぼくたちは、ワクワクしながら利用料を払って、脱衣場で服を脱いだ。
初めての水風呂は……すっごく冷たかった!
銭湯とか温泉では、湯船に入る前に“かかり湯”をするんだけど、ここではお湯のかわりに水をかぶって。
その水も結構冷たかったんだけど、湯船の水はもっともっと冷たかった。
去年まで入ってたプールの水も冷たいと思ってたけれど、それとは比べ物にならなかった。
なんたって入った途端、隆之介ですら『ひゃあっっ!!』って叫んだんだもの。
そして、智生の叔父さんが言ってたというちぢみあがるも、すっごくよくわかった。
「……叔父さんが言ってたのって、コレかぁ。……クラスの女子たちにはぜってぇわかんねぇよな」智生がつぶやいた。
冷たすぎるから上がってサウナ室に行って、のぼせそうになって水に入る。
たったそれだけのことなんだけど、ぼくたちは楽しくって、なんどもなんども繰り返した。
……サウナも水風呂も、一回に入ってるのは一~二分くらいだけどね。
「そろそろあがる?」隆之介が言ったときは、指先がふやけてだしていた。
「おかえり、楽しめたようね」
着替えて建物の入り口を出ると、木かげのベンチにおばあちゃんが座ってお茶を飲んでいた。
「ただいま。すっごく気持ちよかったよ……子どもはぼくたちだけだったから、騒がないようにするのが大変だった」
そう。
ほんとはプールみたいに水のかけあいっことかしたかったんだけど、知らないおじさんたちもいたから我慢したんだ。
「それは偉かったわ。それじゃ、もう一つの目的を試しに行きましょうか」




