〘十話〙漂着者
「それにしても昨日の嵐はひどかったですね」
朝の会合を終えたところで先ほどまでと違い、気の抜けた様子でアンヌが話しかけてきました。例の日記の件で少しばかり落ち込んでいた彼女でしたが、なんとか気持ちの切り替えができたようです。
「そうですね。午後から降り出して、そのまま夜更け過ぎまで降り続きましたからね。遅い夏も近いですし、これからは昨日のような嵐も時折あるでしょう。ふふっ、アンヌ? 雷も鳴っていましたし……、もしや怖くて眠れなかったのですか?」
私は彼女の言葉を受け、そう返しました。残念なことに笑みを抑えることが出来なかったかもしれません。
「もう副長! からかわないでください。子供じゃないんですから、雷くらいで怖がったりなんかしませんー」
アンヌが口をすぼめて抗議してきますが、それにプレッシャーなど感じるわけもなく、なんともかわいいものです。
「ええ、ええ、そうでしょう。我が隊の精鋭、アンヌに限って雷にびくついて寝具の中で頭を抱えて丸くなっていたなんてこと、あるわけがないですね」
「うくぅ……」
面白いのでもう少し追い打ちをかけたところ、今度は口を悔しそうにゆがめ言葉を詰まらせてしまいました。どうやら図星をついてしまったようです。
ふむ、これくらいにしておきましょう。
これ以上はご機嫌を損ねてしまいそうです。
「アンヌ。何してるんだ、巡回に行くぞ。剣士どもはもう出たし、僕らも行かないと」
レナートが軋むドアを開け、アンヌに声をかけてきました。
いいタイミングです。
しかしまぁ、彼は相変わらずです。クルトたちともまだ打ち解けることは出来ていない……というかそうする気もないようで、頭が痛いです。
「はーいレナートさん、待たせちゃいましたか。すぐ行きますから、あと少しだけ待ってください」
そんなレナートの様子を気に留める風でもなく、マイペースな対応を見せるアンヌ。気を緩めすぎるのも問題ですが、彼女の存在は隊においてはちょうどよい緩衝材です。
これからもその人柄には期待したいものです。
それで結局のところ、レナートが呼びに来てから出る準備が整ったのは、皆の報告書を二通ほど読んだ後のことでした。私たちとアンヌでは、時間の概念が少々異なっているのかもしれません。それでもあのレナートが愚痴の一つもこぼさないのですからアンヌは大物です。
ようやく巡回に出る二人を見送ろうと一緒に村長宅から出てみれば、外は実に良い天気となっていました。昨日の嵐のおかげか空気も澄んでいて非常に気持ちがよい。ここ数日の鬱々とした気分も晴れようというものです。
しかし、そんな空気はすぐ霧散することになりました。
「……ふくちょーー、……大変だー!」
入り江の方向。まだかなり離れているのですが、到着まで我慢できないのか、喉が張り裂けんばかりの勢い叫んでいる、クルトの声がここまで届いてきます。
ここソルヴェ村は崖の上の台地に広がっている村落ですが、そのおかげで砂浜はほとんどなく、あるのは点在する入り江や小規模な河口ばかりです。そんなところに小さな港が作られていて、ありし日であれば漁をする船や交易船などで小規模ながらも活気を見せてくれていたことでしょう。
残念ながら、そんな場所もワイバーンらの襲撃を受けていましたが……。
クルトたちにはそういった村の外周りを中心に巡回してもらっていました。
ということで、巡回中のはずの彼ら。にもかかわらず、朝日に輝く綺麗な海を背景に、急な勾配の道をクルトがなぜか一人、息を切らせながら駆け上ってきました。
「ふ、ふくちょぉ~。はぁ、はぁ、はぁ……」
普段飄々として、ふざけた姿しか印象に残らない、あのクルトが随分慌てた様子をみせていて、かなり意外です。アンヌとレナートも唖然とした様子でクルトを見ています。
「一体なにがあったのです。それにエリクはどうしたのです? まぁ、とにかく一旦落ち着きましょう。息を整えて水でも飲んで、それからしっかりと報告してください」
冷静になってもらうよう声をかけたわけですが、それをあっさり無視されまして、息も絶え絶えのクルトの口から吐き出すようにして出た言葉――。
「そ、そんな悠長なこと言ってられませんって! 砂浜に、ひ、人! それも子供っ、小さい子供が流れ着いてるんでさぁ!」
聞かされた言葉に、私たちは息を飲むしかありませんでした。
***
クルトの案内で、全員で入り江のわずかにある砂浜まで来ました。
エリクの姿がなかったのは漂着者保護のためだったようです。
漂着者はすでに波打ち際から引き揚げられ、今は木陰の下、警備隊支給の大振りなシートの上に横たえられていました。
「……意識は戻ってない、です。目視できる範囲、目立った傷なし。水を飲んだ様子も、なし、です。後は副長の判断、よろしく……す」
エリクがこの事態でマイペースすぎて呆れます。もう少しはっきりと話してほしいものです。荒事や戦闘時とのギャップがひどいです。
「わかりました。漂着者は以後私の方で対処しましょう。クルトとエリクは巡回任務に戻ってください」
そう告げたはずですが、当の二人に動く気配はありません。エリクも興味自体はあるようです。
「それはないですぜ、副長。俺たちもそのガキんちょのことが心配なんです。ご一緒させてくださいよ」
うう~ん。本来命令に反論を許すことは隊の規律上良くないのですが……。
とは言え、この状況で職務に戻れと強要するのもね。見つけたのもこの二人ですし……、特に緊急を要することがあるでもなし。
これがスヴェン隊長なら一蹴して終わりでしょう。そもそも隊長にはこんな発言しないでしょうね。
「まぁいいでしょう。許可します。ただし、このようなことは以降ないよう厳命します」
「はっ、了解であります!」
二人が胸の前に右腕を置いて、了承の意を示しますが胡散臭いことこの上ないです。まぁいいですが。
「うそ……、女の子? それもこんなに小さな……」
そんな私たちのやり取りを尻目に、アンヌが少々ショックを受けているようです。先日の件からようやく落ち着いたと思えば今度はこれです。
いったいどのような素性の子供で、どうしてここに漂着することになったのか?
特徴的な外見を見せるこの子供に、興味と疑問が湧き上がることを抑えるのは容易ではありません。
とはいえ、まず先にやることをやってからの話です。
「アンヌ。取り急ぎ漂着者の簡易的診断をお願いします」
「はい!」
体の状態把握が最優先。
エリクから簡単な報告は受けましたが、ここは専門であるアンヌの判断が必要です。
目の覚める様子は依然ありませんが、幼な子に何もないことをまずは祈りましょう。




