知らぬが仏、言わぬが花
自分しか知らない1次創作のスピンオフ小説です。
本編は複雑かつ現代色が強く、下手に書いて粗を突かれたくないので世に出してません。私以外が知る必要はありません。物語上出さざるを得ない情報は出ますし、それはいわばネタバレなのですが、一生本編が出ることはないので、お気になさらないでください。
この作品は健全な恋愛ものです。
才能や特殊能力の話は出てきます。
現代風異世界が舞台です。
まさか名前を呼ばれるとは。
昼下がりの図書館。15の数字を振られた本たちは、多様な論理や道徳のあり方を示しているらしい。こんなにあって、私は何を信じればいいのだろう。私の倫理観や道徳観も、どこかで肯定されているのだろうか。
そんな卑屈を抱えながら、私は何を探していたのだったか。ふと、誰かが私の名前を呼んだ。
「リリィ、」
知らない声だった。しかし、知らない人に呼ばれる筈はない。声の主を確かめるべく、私は背表紙から視線を逸らした。
逸らした先にいたのは、知らない人だった。若いというよりどこか幼さの残る顔は、20代前半だろうか。と言っても、男性にしてはやや長い、恐らく伸ばしっぱなしの髪が、そのほとんどを隠している。背丈は恐らく180cm前後。スウェット地の服越しに、骨張った体躯がうかがえる。デコルテに付けられた2つのピアスが印象的だ。
果たして、こんな人を私は忘れるだろうか。私の人との関わりは、非常に少ない。仕事の関係で会っているなら忘れないし、そうでなければ名前を知ることはないだろう。
もしかして、私の感知していないところで、情報を握られているのだろうか。それはまずい。非常にまずい。どれくらいまずいかって、場合によっては始末をも辞さないくらいには。
「どこかで、お会いしましたか」
こういった時の決まり文句。物語ではよく見るが、まさか現実で使うとは。私が言うと、男は慌てたように口をパクパクとさせる。
「あ、いや、あの……へへ、すいません、はははっ」
男は床へ視線を這わせながら、下手くそな愛想笑いをした。そして、半笑いと俯きがちの猫背のまま、ピタリと静止してしまった。私とてコミュニケーションの経験値は乏しいが、これは向こうのコミュニケーション能力が低過ぎる気がする。会話として成立していない。こうなれば、下手に会話をしようとするより、欲しい情報だけを聞いた方が早い気がする。私は愛想笑いを返すこともせず、単刀直入に、疑問だけを投げかけた。
「私の名前、どこで知ったんですか?」
「あ、いや、夢……」
私の疑問に、パッと顔を上げた男は、半端な笑みのままそう言った。言ってから、しまった、というような顔をして、顔色を真っ青にした。なんだか忙しない人だ。
男は、夢、と言った。夢で、私の名前を知ったと。いや、名前を知っただけではない筈だ。私の顔も見ている。それも、きっとかなりじっくりと。そうでなければ、今の私をリリィと呼ぶ筈がない。いったい夢で、何を見たというのだろう。この男は、何を知っているのだ。
「夢、ロマンチックですね。その話、詳しく聞かせてください」
男の瞳をじっと見つめて、一歩近付く。少しだけ微笑んで、小首を傾げて、囁くように、でもはっきりと。
ぎこちなく、しかし確かに頷いた男に、今度は笑顔で告げる。
「ありがとうございます。私、大山田百合です」
もう、男は視線を逸らさなかった。