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遊・女・回・廊


『あんたぁ、また来はりましたんねぇ』



 炎天下の真昼。いきなりそう背後から声をかけられたが、僕はただ近所の橋を渡っただけ。


 また来た、などと言われても困る。ここを渡らなければ街には行けない。


「別に通過するだけですよ」


そう言って背後を一瞥すると、声の主はさもおかしそうにケタケタと笑った。


『本当、好きなんやから』


 頭の上で大きく結った髪に、シャランと揺れる飾り櫛。


 錦糸で刺繍された大輪の菊は、真っ赤な生地から零れそうなほど肉感的だ。


 この平凡な住宅街に、艶やかな着物があまりに異様で毒々しくて。


「毎年毎年、いい加減にして下さいよ」


 毎年毎年、梅雨が明けると現れる橋の幽霊。


 毎年毎年言う台詞を、僕はまた今年も口にする。


『そう言われはれましてもなぁ』


 橋にもたれて含み笑うこの女は、生前は遊女だったらしい。毎日客が来るのを待ち、選ばれれば相手の男に一晩を捧げる、早い話が売春婦。


『わっちかて、早く成仏したいんよ』


「したらいいじゃないですか、勝手に。迷惑です」


『せやかて、まだ足りんのよ』


 真っ白な橋の欄干が陽の光を返し、ふわりと舞った遊女の白肌をより艶やかに照り上げる。


 着物をはだけた遊女の右足は、膝の辺りから下が綺麗に無くなっていた。


『なあ? こんな様じゃ、恥ずかしくて閻魔様に見せられませんわ』


 ブラブラと血を滲ませた足を揺らして見せ、それに、と続けようとする遊女を無理矢理遮る。


「僕が責任取るべきなんだから、でしょう?」


 この迷惑な幽霊いわく、こうなったのは全て僕のせいなのらしい。


 僕とは言っても、今現在の僕ではない。生まれる前の僕。記憶には残っていない、見知らぬ僕の、前世での血生臭い話。


『あんさん、わっちが武家様に身請けされるん、どうしても嫌がりましてなあ』


 この橋を挟んで、僕の自宅側にずらりと遊郭が並んでいた頃の事。


 遊女として働いていた彼女と、刀師だった(らしい)僕とのありがちな悲恋物語。


『しがない刀職人のあんさんが、よぅ頑張って通ってくれはりましてなあ』


 金のやり取りでしか触れ合えない間柄。


 月に見下ろされながら、人目を忍んでそっとくぐる遊郭の門。外界には無い独特な香の匂いが、そっと鼻を撫でては客を誘う。


 人には言えない、秘密の逢瀬であっただろう。


 それでもそこには、確かな愛があったのだと遊女は言う。


 でも。


『どうあがいてもわっちは売り物。大金はたいて買いたい言うもんがおりましたら、買われるしかありません』


 で、結果的に、彼女の輿入れ(要するに結婚?)に絶望した僕がかなり派手に暴走。自分で磨いだピッカピカの刀を奮い。


『ひどかったわあ、もぉう滅多斬りもいいとこ』


 橋にバラ撒かれた、美しかった元彼女だったモノ。


 激情の一斬一斬に呪いがかかり。


 彼女の血に濡れた刃が僕自らの心臓を貫いた時、固い呪縛が完成した。


『お蔭でわっちは、何百年も橋の上。生まれ変わったあんさん見付けた時は、ほんに嬉しかったわぁ』


「嫉妬の揚句に無理心中とか、前世の僕って最低ですね。でも今の僕とは関係ないと思いますけど」


『毎年同じことを言いはりますなぁ』



 くすくすくすくす。



 煙みたいに遊女が消えたので、僕はゆっくりと橋を歩き出した。


 いつもの見慣れた道。


 橋を渡ってすぐに郵便局があり、そこを曲がると広い大通りに出る。


 道に沿って植えられた常緑樹の鮮やかな緑は、学生時代から見慣れた色。


 見慣れたいつもの景色の中を歩いているのに、僕を取り巻く空気が奇妙な違和感を帯びてくる。


「あら、こんにちは」


 よく昼飯を買う弁当屋の前を行く時、顔見知りのおばさんが声をかけてきた。


 挨拶を返そうとした僕は、いきなり顔前に差し出された物に声を失う。


「お弁当買って行きなさいなあ」


 白いケースに炊き立てのご飯がたっぷりと盛られ、その上に唐揚げが乗っていた。


 人の足の唐揚げだ。


 華奢な感じの足首から先が飴色にこんがり揚げられ、ご飯の上に乗っている。


「……。キモ」


 ああやっぱり違和感的中。


 ここはやはり、遊女の回廊の中なのだ。


「……ねちっこい真似する女」


 僕の舌打ちが聞こえたかのように、遊女のクスクス笑いが微かにそよいだ。


 僕は走って弁当屋から離れ、いつもの見慣れた、けれど不自然に人気の少ない街の中を進みに進む。


 バス停沿いの歩道は昨日の雨でしっとりと濡れ、乱雑に並べられた自転車はあるものの、いつもたむろしている持ち主達は見当たらない。


 スクランブル交差点で歩行の合図に合わせて歩き出すも、そこを渡るのは自分だけなので全く無意味。


 僕は交差点の真ん中で立ち止まり、目を細めて空を仰いだ。


 直視出来ない真っ白な太陽。オフィスビルの窓が鏡のようにギラギラと光り、雲を散らした空が異常なまでに碧い。


『二人が愛し合ってた頃の空やんねぇ』


 遊女がうっとりした調子で囁くと、空気の匂いまでが現代のものではなくなった。


 くすくすくす。


 どうしてなんだろう、と僕は思う。


 数年前からふと始まった、年に一度のこの奇妙なイベント。


 何百年分もの怨みが積み重なっているとはいえ、たかだか幽霊一人にここまでの力があるものなのか?


『それは愛の力ゆえ』


 くすくすくす。


「……ああ、そうか」


 怨みではなく愛の力だからか。変に納得して、僕は再び歩き出す。


 携帯ショップの陳列ケースの中には、カラフルに塗られたミニサイズの人の足。


 出来たばかりのお洒落な美容院では、美容師が血塗れになって人の足をカットしている。


 ペットショップの可愛い犬達が噛んでいるのも人の足。


 足、足、脚、足、脚。


 ワアンと耳鳴りに襲われて、少しだけ視界が歪む。


「おや、貧血ですかな。いい薬がありますよ」


 薬局の店主が出て来て僕を気遣うが、やっぱり勧めてくるのは人の足。


 吐きそうになりながら何とか走り、ようやく目当てのCDショップが見えた時には泣きそうになっていた。


「いらっしゃいませー」


 いつもの平淡な店員の声が、今日ばかりは素晴らしく耳に爽快。


 いらっしゃいましたよと声に出さずに返答して、よろめきながらも自動ドアを小走りに。


 小走りに抜ける……


『ゴールなんぞありゃしませんえ』


 くすくすくす。くすくすくすくす。


 元いた橋の上、欄干に腰掛けて笑う遊女。


「……」


 落胆してガックリと座り込む僕を見下ろし、遊女はゆったりとキセルなんて吹かしてみている。


 最低だ。本当に本当に最低だ。何でよりによって今日なんだ。


「D・Dの記念アルバム、各店20枚限定……、今日買い逃したら後が無いのにっ!」


『なら、早ようお勤めなんし』


 遊女がゆらりと空気に溶けて、引きずられるように辺りの様子も一変する。


 畜生、やっぱり今年もやるしかないのか。


 ゆるゆると形を変えていく橋を溜め息とともに眺めながら、諦めた僕の手には硬い感触。


 ああ、月が綺麗だ。昼間なのにな。


 今や見えるのは、何百年も前の美しき飾り橋。唐草や狛の彫られた欄干は、艶やかな朱色で鳥居のよう。


 木製の足場がギィと音を立てると、薄闇の向こうに見える人影がピクリと動いた。


 今年は、あれか。


 僕は手の中の刀をギュッと握り直し、迷わず相手に向かって走り出した。


 慌てたように踵を返し、小さく叫んで逃げ出す人影。


 月明かりに浮かび上がった人物はごく普通のOLで、これは過去の回想でも幻でもない。


 必死で逃げるOLは、現代から迷い込んだ普通の人。


 僕と幽霊と過去の僕、時空を歪めて作られたステージに招かれた、哀れな罪無き生贄なのだ。


 でも、仕方ない。


 イヤ、と引き攣った声が上がると同時に、僕の手がグレーのスーツを掴む。


 掴まれた衿を振り解こうと暴れ、OLの恐怖に見開かれた目が僕を、僕の構える刀を捕らえた。


 次の瞬間、ドスリと伝わる重い感触。


 パッと噴き上がるシャワー。


 生暖かい真っ赤なシャワーだ。


 再び容赦なく振り上げられた刀の切っ先が、キラリと鋭い光で闇を斬り。


 断末魔は聞こえなかった。


 ひどくあっさりとOLは崩れ、何度か弱々しく痙攣した後動かなくなった。


「……はぁ」


 血塗れの刀を地面に突き立て、僕は動かないOLの横に膝をつく。


 OLが絶命しているのを入念に確認すると、僕はその足からスカートとストッキングを取り払った。


 地味な女だったが、足は適度に筋肉が付いて形が良く、手入れも充分でとても美しかった。遊女が気に入ったのも頷ける。


 僕はOLの服で刀の血を拭い、刄を垂直に足の付け根に当てた。


「ゴメンね」


 力を入れてグッと押し込むと、骨までは軽く進める。ここから先が力が必要なのだが、それを知っている自分が少しだけ気味悪い。


 僕は折るか斬るかという力を込め、無理矢理に骨を切断した。


 またシャワー。


「ほら、取ったよ」


 刀を捨て、のろのろと花束でも贈るように血塗れの足を掲げ持つ。


 ポタポタと滴り落ちる鮮血、淡い月光の下で、まるで散り落ちる花びらのようだ。


『あぁ』


 遊女が嬉しそうに目を細める。抱きつくようにそれを受け取ると、満ち足りた笑顔を浮かべて僕に背中を向けた。


「ちょ、待ってよ。ついでだから、この子から他の足りないパーツも取ればいいじゃん」


 新鮮な死体の活用法について真っ当な意見をしただけなのに、遊女はキッと僕を睨み付けた。


『不粋な。わっちが気に入ったんは、この女の足だけやわ』


 言うなり、いつの間にか再生していた足で、OLの死体を蹴り上げる。


 おいおい、それ、たった今当のOLから強奪した足ではないのか。


 落下した死体は、派手な音と飛沫を上げて川に消えた。


 これで何体目になったのだろう、パーツを取られて川に沈んだ女性は、不思議に一人も浮いてきていない。



『ほな、また来年なあ』



 着物の赤と淡黄の重なりを柔らかく揺らしながら、遊女は再びにっこりと微笑んで、橋の向こうに消えていった。こうなるとあっさりしたものだ。



 気付けば、いつも通りの近所の橋。


 相変わらず眩しい太陽が照り付けてはいるが、それはさっき街で見た濃い碧より、少しだけ掠れているように見える。


 何事も無かったように鳴き続ける蝉の合唱の中、僕はチッと舌打ちした。


「また来年て、まだ続くのか……」


 夏の暑さが麻痺させる奇妙な恒例行事。


 しかしながら遊女の成仏と同時に呪縛が解ければ、川底の死体が一気に浮かび上がるのは想像に難くない。


 それを考えると、元の面倒嫌いな性格と夏の熱気が頭を鈍くし、まあいいかという気持ちにさせられてしまうのだった。



 何はともあれ、今はCDショップに急がなくては。


 遊女の髪に飾られた飾り櫛。それがかつて自分が贈った物だった事を、何となく思い出した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 元々遊女モノが好きなのもあり、この短いお話の中にぐっと引き込まれた気がします。 主人公の見ている情景を私もそのまま見ているかのような、美しい描写がとても素敵でした。 これからも頑張って下さい…
[一言] 小説を拝見さしていただきました。 さくさくと読みやすかったです。 彼女は成仏できるのかな?
[一言] コミカルな味付けのお話に先を読み進めました。 夏の暑い盛りのひと時、幽霊のはずなのに何故か遊女がとても肉感的で。 CD買いに行く道すがらの殺人。時空をゆがめたステージに入り込んだ主人公と用意…
2009/08/14 05:47 退会済み
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