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才能は誤差であり。努力がすべてを決めます。

作者: 涙袋 開花

この世は努力がすべてだ。


スポーツではサッカーでも野球でもバスケットボールでも毎日、長い時間を練習に注ぎこめば嫌でもうまくなりメジャーでもワールドカップでもどんな大会にでも出ることができる。


ただし、毎日欠かさずドリブルをすればワールドカップに出れると言ってるのではない。ちゃんと先人の知恵をお借りして適切な場面で適切な練習をしないといけない。先人の知恵は本を読んだり、コーチに相談をすることで簡単に手に入る。要約すると、ちゃんと先人の知恵から得たものを利用し長時間練習をすればものすごい大会へ簡単に出ることができるのだ。


これはスポーツだけに言えたことではない。料理でも絵でも小説でもどのようなことでも、先人の知恵をうまく利用して長時間努力すれば実る。


勉強という分野ではそのことが特に言える。勉強は教科書をじっくりと読めば数学や国語などの教科を理解できるようになっている。なぜなら、出版社同士はわかりやすくて取り組みやすい教科書を誰よりも早く作り、多くの学校に採用され莫大なお金を手に入れたいと思いながら日々切磋琢磨をしているからだ。


そのため、ほとんどの生徒が先生に聞く問題は教科書に解説が掲載しておらず、問題集で初めて見る応用問題というものばかりなのだろう。


だからと言って、教科書に掲載している問題を聞いてはいけないというわけではない。なぜなら、人には苦手分野というものがあるからだ。苦手分野を克服するためには教科書とは違う方法を先生に教わる必要があるためである。


このように勉強は先人の知恵によってできるかぎり才能の差が少なくなっているため。長時間勉強という努力をすればするだけ最も目に見えた成果が出やすい。言うなれば努力をしなかったらしなかった分だけ差が生まれてしまう。そんなものだ。


別に努力をすれば伸びるのは勉強とは一言も言っていない。ただ、才能という誤差があるだけでそれは簡単に努力でカバーできる。


ある時、このように発言するものがいた。「お前、勉強できるんだな。才能があっていいよなー」と。

違う。この発言者は努力をしたくなくて勉強を放棄した愚か者だ。その怠惰を才能がないからと言い、自分を正当化したおかしい者だ。

 


なので、この世は努力がすべてだ。




〜〜〜〜〜〜〜〜




僕はそのことを知らず、中学2年生になり努力の偉大さに気がついた。僕は愚か者であった。それから僕は受験という人生の第一関門まで努力をしたが時間が足りなかった。入りたい進学高校ではなくなんちゃって進学高校に入ることになってしまった。


だが、僕は同じ過ちを犯す愚か者ではない。人生にはまだ大学という第ニの関門が待っている。なら、それに対して努力を欠かせない。今は努力の偉大さに気がついている。なら、努力をするまでだ。


僕は一年生ずっと努力をしてどうにか全校生徒275人中50位という今までで一番良い成績を叩き出した。だが、僕が行きたい大学にはまだまだ努力は足りない。二年生ではより一層勉強をしようと心に決めた。






だが、歯車が崩れてしまった。春休みという長期休暇に入ると僕はやる気をなくしてしまうことは知っていた。僕は学校の帰りに塾へ入り二十二時まで自習室を借りてわからない問題があれば暇をしている塾の先生に聞くということをしていたからだ。


僕はその対策として、春休みに行くのは正直行くのは嫌なのだがどうにか塾へ行くと決意した。自宅では【どうして】勉強ができない理由があるからだ。高校生になり、初めての夏休みでは全ての期間と言えないが5割程度塾の自習室へ足を運んだ。なので春休みの8割は塾へ行き、さらなる学力アップをしたいと目論んだ。





しかし、最初の期間は塾へ行ってたのだが行かなくなった。


いや、行けなくなったと言うのが正確だろう。




中央国という国から新しい感染症が出たのだ。その感染症は中央国内では抑えきれず、パンデミックとなってしまった。

その、パンデミックの対策の一つとして。塾の施設が一時休止をしてしまったのである。



絶望だった。しかし、諦めたくない。その思いから家で勉強をしようとした。





無理だった。



僕は勉強をするときにプライドがある。

それは【わからない問題は明日中に聞く】というものだ。こうしないと、そのときに何故わからなかったのかを忘れる。それを知りたいという熱意を忘れる。僕はこの気持ちがないと先生へ問題を聞いても頭に入ることがなく、覚えることを自分はしないと考えていたからだ。自宅では高校の勉強を僕に教える人はいないため、だいぶきついものがあった。


そして、自宅でできない要因として最大のものがある。

それは【わからない問題があると絶望してしまう】僕の思想があるからだ。


勉強をしていてできない問題があると、まず、僕はこう考えてしまう。

「ああ、こんなに簡単な問題でも引っかかるのか」と。

僕が引っかかる問題は大体の人が難なくこなせる問題なのだ。

その事実から察するにいつも痛感してしまう。


僕には才能がない、、と。


しかし、才能は誤差だ。努力をすれば、努力をすれば、


 

わからなかった。


一時間考えて教科書を見て、ニ時間考えて教科書を見て、三時間考えて教科書を見て、深夜になっても考えて教科書を見て、わからない。


それがうざい。ものすごくうざい。



教えてもらえる人はいない。だからこの才能の誤差は埋められない。


そして、再び絶望する。高校生一年間の努力が感染症という不可抗力によって崩れていく音が聞こえて。


ん?、不可抗力か?違う、絶対に違う。中央国がもっと頑張れば、もっと頑張れば。

感染症を……。



いや、今はそのようなことを考えても無駄だ。とりあえず、この問題を考えて、考えて、考えて、


やっぱりわからない。


なんで。



なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。



皆ならわかるのに皆ならわかるのに皆ならわかるのに皆ならわかるのに皆ならわかるのに皆ならわかるのに皆ならわかるのに皆ならわかるのに皆ならわかるのに皆ならわかるのに皆ならわかるのに皆ならわかるのに




おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい



才能がないのが悪いのか才能がないのが悪いのか才能がないのが悪いのか才能がないのが悪いのか才能がないのが悪いのか才能がないのが悪いのか才能がないのが悪いのか才能がないのが悪いのか才能がないのが悪いのか




頑張っているのに、、、なんで、、、


「なんで!!!!」


大声で一言これを声に出して言ってしまうと。もうこの気持ちが押さえられなくなった。


壁を蹴った。机を殴った。シャーペンを壊した。暴れた。体の節々が痛いと感じた。


その行為が何かしらの解決になるわけではない。それを知っていてもやってしまう。


ストレスが溜まってしまうから。



親からは「頑張ろう」とか言ってくれるけど、僕は知っている。ただ、なだめて発狂している僕を止めようとしているだけだと。決して僕の思いを汲み取っていないのだと。


だから、勉強するのをやめてしまう。

そして、僕は気づく。

自分が前に言っていたおかしい者になったのだと。

才能がないからと理由をつけて勉強をしていないおかしい者になったと。



才能があれば努力をある程度するだけでいいと気がついていた。苦労しなくても才能があればどうにでもなるとわかっていた。

けれど、僕は今までで気がつかないふり、わからないふりをしていたのだ。




僕は自分に嘘を言った。


才能は誤差である、と。


しかし、それは違う。


才能は才能である。これが真実だ。



そして、僕は世界中の人々へ質問をするため全力の大声でこう叫ぶ。



「「「才能がないって罪かよ!!!!」」」


と。










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