最終話 朝日航空の終焉とその後
これで終わりとなります。尻切れトンボみたいになってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。
21世紀に入り極東危機の影響は弱まった事で、国内線については復調となった。スカイマークやスカイネットアジア航空(SNA:現・ソラシドエア)など新興航空会社が一定の認知を受け、それに危機感を持った大手が値下げ攻勢などを行った事で、今までより安く乗れる様になった事も、利用者が増加した一因だった。
尤も、大手の値下げ攻勢によって体力の無い新興航空会社は軒並み大手の軍門に下った。SNAや北海道国際国際航空(ADO:現・AIRDO)、スターフライヤー(SFJ)はANAに、オホーツク航空(OKA)とレキオス航空(LQS)はJIAにそれぞれ支援を求めて再建を果たしたが、コードシェア便の運航が行われるなどして独立色は弱くなった。現状、独立して残っているのはスカイマークとジャパン・ウイングス(JWI)の2社である。
国内線は回復に向かった一方、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが発生し、国際線は回復しかけの所で再び低迷した。その後にSARSの世界的大流行で、21世紀最初の数年間は国際線の需要は低下した。
その為、大手は政府系金融機関からの借入とリストラの実施によってなんとか経営を建て直した。JIAとJASの経営統合も、リストラの促進という一面もあった。
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AALだが、コミューター機としては需要がある路線を運航している為、世界的大事件があっても影響は小さかった。寧ろ、JALが国内に収益源を求めて注力してくれ、調布と八尾の発着枠の増加を要請していた(実現は2004年以降)。これにより、AALは就航都市数の増加と増便が、JALは羽田の発着枠を空ける事が出来、ローカル線と幹線双方の厚みが増した。
AALの経営は改善されつつあったが、本体である西武グループの経営が思わしくなかった。2004年に相次いだ不祥事によって西武鉄道と伊豆箱根鉄道が上場廃止となり、翌年から行われたグループの再編によってコクドは消滅し、新たに「西武ホールディングス(西武HD)」が設立され西武グループの新たな持株会社となった。
西武グループ再編の中で、事業の選択と集中も進められた。2004年に立案された再建計画の中で「AALとその子会社を3年以内に売却する」とされ、実際に2006年に全株式がJALグループに売却された。JALグループも経営合理化の中だったが、国内線の強化と他社に株を売却される事を嫌い、多少無理をする形で買収に応じた。
その後、完全にJALグループの一員となったAALと山陰航空(SIA)だが、経営合理化によって路線が重複するジェイエアとの統合が2009年に行われた。存続会社はジェイエアの為、半世紀以上の歴史を持つ朝日航空は幕を閉じた。
会社としては消滅したが、路線網は維持された。大型機との乗り継ぎが出来ないという欠点こそあるものの、羽田・伊丹の発着枠を使用する事無く東京・大阪への乗り入れが出来るという大きな利点がある為、寧ろ重宝された。
ジェット化が不可能な但馬、羽田の発着枠を利用したくない南紀白浜、増便を望んでいた庄内、東京・大阪への直行便を望んだ佐渡・能登など、調布・八尾を拠点とする事で実現した。以前から行われていた事だが、JALグループが運航する事となり信用性が増した。それにより利用者の増加が見られる様になり、自治体も利用者の引き留めと新規の需要の開拓の為、JALや他の企業と連携して新たな観光開発に着手した。
2010年のJALの経営破綻で鈍化したものの、ジェイエアの路線についてはそのままだった。その為、依然として路線網は維持され、再建が完了した2013年以降から再び連携が強化された。
2020年現在、旧・AALの路線は依然として残っている。JALグループとしてはANA、JIAと比較して地方路線は貧弱な為、ジェイエアと2012年から就航開始したジェットスター・ジャパンがその穴を埋めるべく努力している。
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かつてAALグループだったオリエンタルエアブリッジ(ORC)と新中央航空(CUK)だが、前者はJIAの、後者はANAの影響下にある。
ORCは資本的には独立しているものの、単独での運行は難しい事と集客の向上から、2007年からJIAとコードシェアを実施している。その後、天草エアライン(AMX)やリンク(※)とのコードシェアを実施し、九州におけるコミューター網を形成した。
CUKが伊豆諸島との路線を持っている為、ANAは大島便や八丈島便を廃止した。これによって羽田便は消滅したものの、本数については増加した為、寧ろ利便性は向上した。
だが、2010年にANAグループの再編が行われ、CUKはエアーニッポンネットワーク、エアーネクスト、エアーセントラルと合併し「ANAウイングス」となった(存続会社はエアーニッポンネットワーク)。会社としては消滅したが、路線網は維持された。伊豆諸島便の調布発着も依然として残っており、ANAの看板を背負った事で信頼性が増した。
2020年現在、地方における人口減少が俄かに問題となっていた。それに伴い利用者の減少も見られる様になり、コミューター路線の限界が見えつつあった。この問題に対処する為、大手3社とその提携先との連携が模索された。実現すればかつてのAAL以上の規模となり、一大コミューター航空網が形成される事になる。
AALは消滅したが、かつて構想していた「日本における一大コミューター航空の実現」が曲がりなりにも実現する可能性が出てきた。AALの構想は早過ぎたのかもしれないが、間違いでは無かったのである。
※:2012年に設立された航空会社。福岡と北九州を拠点とするコミューターLCCを予定していたが、資金集めに難航し、翌年末に破綻した。予定では2013年10月に就航開始、ATR72を使用し(就航していれば日本初のATR機だった)宮崎・松山へ就航、2年目に上場となっていた。