1話:朝日航空誕生
2020年現在、日本でコミューター航空会社として見られている会社は、JAL系のジェイエア(JLJ)、日本エアコミューター(JAC)、北海道エアシステム(HAC)、琉球エアコミューター(RAC)、ANA系のANAウイングス(AKX)、独立系のアイベックスエアラインズ(IBEX)、フジドリームエアラインズ(FDA)、オリエンタルエアブリッジ(ORC)、天草エアライン(AHX)、新中央航空(CUK)、東邦航空(THK)が存在する。
この内、独立系のIBEXとORCはANAと、FDAとAHXはJALとそれぞれコードシェア(※1)が行われている。また、THKは日本で唯一のヘリコプターによるコミューター輸送を行っている。
かつては上記以外にも、旭伸航空やエアードルフィンなどが存在したが、利用者の少なさや競合交通機関の存在、会社規模の小ささによる人員・機材・資金の不足などから撤退する会社も多かった。現状存続している企業も厳しいのは変わらず、大手系のコミューター会社と連携して存続する道を探っている所である。
さて、この世界では、調布と八尾を発着するコミューター便はある程度存在する。その為、両空港は東京と大阪におけるコミューター便のハブ空港(※2)として機能している。その中には、史実では撤退したり倒産した航空会社もあれば、史実では存在しなかった航空会社も存在するだろう。
これは、そんな一航空会社の話である。
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1960年2月8日、西武グループが中心となって「朝日航空(AAL)」を設立した。「朝日航空」の社名は、設立の前年に資本参加した「朝日ヘリコプター」の設立時の社名であった。
西武はこれを機に航空業への進出を狙った。当時、鉄道会社が航空会社に出資する例は多く、名鉄がANAと中日本航空(NNK)に、東急が富士航空(FAL)に、近鉄が日東航空(NAL)にそれぞれ出資している。西武の朝日航空への出資も、これと同様の目的であった。
尚、コミューター航空が充実するとヘリコプターや測量などとの分離が図られ、1982年に「朝日航洋」として分離した。また、八尾空港を本拠地とする史実の朝日航空は「大阪朝日航洋」と名乗った。
運輸省としては、これ以上の民間航空事業への進出は過当競争を招くとして反対の立場にあり、統廃合による整理を望んでいた。特に、資本的に貧弱な北日本航空(NJA)か、路線網が重複する東阪航空(THA)との統合を目論んでいた。
西武は統合に猛反対し、単独での存続を主張した。西武の主張は「AALは唯一調布を拠点としている」、「統合してしまえば全ての便は羽田へ移転となるが、国際便の増便で枠の限界が近付いている羽田へ移転しても増便処か減便となる」、「減便となれば利用者の利益にならない為、調布に留まった方が良い」、「その為には統合より単独での存続が望ましい」と述べた。
運輸省は、西武グループが8割以上の株式を保有するAALの体力は他の中小航空会社以上を有する事は把握しており、西武の主張も通っている事から、AALと他社との統合する事を諦めた。
その代わり、AALが離発着出来る空港を制限した。東京では調布を、大阪では八尾を拠点とする事として、羽田と伊丹への離発着を禁止した。また、中小航空会社を統合した東亜航空(TAW)、日本国内航空(JDA)、日邦航空(NAW)、THAの4社に対し、一部の便を調布・八尾発着とする様に提言した。
西武は最大の目的である羽田・伊丹への参入は閉ざされたものの、航空事業への参入は認められた。1963年から実際に就航を開始し、近江鉄道の関西急行鉄道(関急)への転換とそれに伴う関西地域への進出によって、1970年に八尾を第二の拠点とした。
途中、西武グループの分裂があったが、AALは西武鉄道グループと西武流通グループ(後のセゾングループ)で折半する事となった。以降、西武グループによる一大コミューター航空会社が形成される事となる。
※1;1つの便に複数の航空会社の便名が付与されて運行される便の事。単独運航よりもコストが低い事、中小航空会社側からは大手のチケット販売ルートを利用出来るなどのメリットがある。
※2:車輪の中央部に由来。多くの空港から乗り入れ、航空会社が拠点としている、乗り継ぎダイヤが組まれているなどが目安とされている。