なんちゃってヤンキーガールとの邂逅
青葉二高での生活にも慣れてきたある日、それはつむじ風のように俺のもとへ飛び込んできた。
俺はいつものようにアイリさんとともに登校し、玄関で分かれてスニーカーを脱ぎ、上段から二つ目の自分の下駄箱を開いた。そこまではいつものルーティーンだったのだ。
いつもと違ったのは、その下駄箱の中に桃色の便箋が一封、俺の上履きの上に置かれていたことだった。
「あ?」
俺はとりあえず下駄箱の扉を閉め、周囲をキョロキョロ見回す。
誰も俺を見ている人間はおらず、近くで靴の履き替えをしている生徒もいない。
つまり誰にも見られる心配はないということだ。
俺は再び下駄箱を開く。
どっかの猫のように開けたら消えているのではないかと不安になったが、桃色の便箋は相も変わらず、俺を待ち構えている。
折り目のつかぬよう丁寧に取り出して封を切る。
中には、白色横長の手紙が一通封入されていた。
『放課後、屋上へ来てください。話したいことがあります』
俺でも分かる女文字だ。全体的に丸みがかっているし、横に書かれた文章は真横に綺麗に伸びている。上手くはないが、雑ではない、そんな文字。
からかわれているのではなかろうか? 最初に抱いたのはそのような懸念だった。
しかし俺を罠にはめて喜ぶような輩はそれこそ地元にはウジャウジャいてもこちらにはいない。まだ入学して間もないのだから、いじめの標的になるような軽率な行動だってとった覚えがない。
であれば、本物のラブレターか。
しかし、差出人は誰なのだろうか。
確かに俺は吉沢亮似のイケメンだし、吉沢亮よりも身長が高いし、運動は苦手だが勉強はできてしかもいざとなったら先の事件のように強い者に立ち向かう勇気がある。これで女が惚れない方がおかしい。
が、そんな俺のパーフェクト・パーソナリティっぷりを知っているのは、この学校ではアンリさんと――あと佐伯先生か。
アイリさんがこんなことを仕掛ける可能性はゼロだし、佐伯先生か?
マジか。
最初に篭絡したのが美人女教師とは、俺もずいぶん業が深い。
が、俺は生徒で佐伯――いや、美也子は教師。二人の間には越えてはいけない一線が、深淵よりもなお深くえぐられている。
断らねばなるまい。
俺は美也子の気持には応えられないと。
手紙を封筒の中へ戻して丁寧に封をして、ちょっとにおいをかいでから(普通に靴のにおいがした)恭しくカバンの中へしまった。
俺のヒロイン(童顔巨乳天然系)に思いをはせながら、俺は心持軽い足取りで教室へ急いだ。
* * *
放課後になり、俺は四階のさらに上へ続く階段を昇っている。
生徒たちは大方掃除を終えて部活に行くなり遊びに行くなりしているので、校内の、それも四階より上はほとんど人の気配がない。
俺が一段を踏むたび、とんという音が反響する。ゴムの靴底なのだが、そこから生じる足音がはっきりそれと分かるくらい、周囲は静かだった。
踊り場を通過し、さらに階段を昇る。
すると目に入ったのは、乱雑に積み重ねられた机と椅子の神殿、そしてその向こうにわずかに見える曇りガラスの屋上へ続く扉だった。
俺はようやく、屋上がもしかすると立ち入り禁止であるかもしれない可能性に思い至った。
ゼロ年代のエロゲーならともかく、今時屋上を開放している高校なんてあるのだろうか。日本の若者の自殺率は年々上がっているとも聞くし、そんなご時世わざわざ飛び降りてくださいとばかりに屋上を開け放っているなんてことが。
だまされたような気分に心の半分を占められながら、物言わず立ちはだかる机、椅子のタワーに近づく。
かなり埃っぽい。長い間掃除をされていないようで、積載物にはこすると指につくくらい埃が溜まっている。
やはりだまされたのだろうか。
なおも未練がましく周囲を見回していると、曇りガラス越しに差し込む陽光が照らす床に、俺のとは別の足跡のようなものが浮いていることに気がついた。
しゃがみ込んで観察すると、間違いなくわが校指定の上履きの足跡である。自身の足裏を見て確認したのだから間違いない。どうやら、手紙を入れたのは先生ではなく生徒のようだ。
かなりくっきりと浮かび上がっている。たとえば今朝ここへ来ていたとしても、この埃の海の中ではたちまち識別困難になるほどに足跡は埋められてしまうだろう。
つまり、ごく最近、俺の他にここへ訪れていた人物がいるということ。
さらによく見れば、机の群れも動かした形跡がある。
一縷の望みを抱いて障害物を動かし、ドアノブに手をかけて押すと――開いた。鉄のきしむような音を立てながら、屋上に向けて扉は開かれたのだ。
恐る恐る屋上へ出る。
上空を真っ青な天蓋に覆われている屋上は、人の背丈よりも高い柵に囲まれ、容易に飛び降りを企めないようにされている。
貯水槽はあるものの、アニメで観たベンチといったものはない。
……というか、いたるところに鳥の糞が白くこびりついてて、ぶっちゃけ汚いな。
「――来たな」
入り口付近でキョロキョロしていると、正面から声をかけられた。
中央に女子が一人立っている。
残念ながら童顔巨乳天然系の女の子ではなさそうだ。
髪を金色に染めており、学校指定のブレザーはボタンをはずしたりスカートを短くしたりと、校則違反じゃないのと思うくらい着崩している。
俺が彼女の方へ歩み寄っていくと、綺麗にまっすぐ伸びた金髪の間から覗く耳にピアスがつけられているのが目に入った。
一言で言って、ギャル。
さらに言えば、ヤンキーに片足突っ込んでるかもしれない。
ビジュアル面で判断すると、ギャルやヤンキーといった、陰キャと対極の位置にいる人種だ。もちろん俺は彼女のような種族にかかわったことはほぼ無い。つまり初対面ということ。
放課後は他校の彼氏の改造バイクに乗せられて公道をぶっ放し、そこらの河川敷でセックスしてそうな雰囲気だ。普通に見れば、県下トップの進学校にいるような輩ではない。
上履きの色から一年生だと分かるが、こんな子いたっけ。
「俺に手紙をくれた子猫ちゃんは、君かな?」
「アァン?」
ちょっとふざけただけなのにメンチを切られた。
「君が今朝、俺の下駄箱に手紙を入れたのか?」
「ああ、そーだよ。よく来たな」
「そっか」
そう言って、俺は黙り込む。
俺が言うことはもうない。
呼び出したのは向こうである。あっちから用件を切り出されなければ、俺は言葉を切り出せない。
しばしの沈黙。
やがて、向こうが口を開いた。
「……アタシは鬼島龍姫。1年B組だ」
「おお」
「今日アンタを呼んだのはほかでもねえ」
鬼島と名乗った少女は俺に近寄り、にやりと笑う。その様子からは、彼女が告白するなんていう雰囲気は微塵も感じられない。
鬼島は俺の方へ左こぶしを突き出す。そして、
「――やるじゃねえか、アンタ」
文脈の不明な言葉を発した。
「……え? なんのこと?」
気を引き締めていた俺は思わず驚きを浮かべる。鬼島はこぶしで俺の胸を軽く小突いた。
「しらばっくれんな。入学式の次の日、アンタ一人で東北工業高校の奴らに特攻かけてたじゃねえか」
「あ? ……ああ、あん時のね」
ってことは、彼女は俺が不良三人組にボコられているのを見ていたということか。めっちゃ恥ずかしい。
「アタシはアンタのあん時の姿見てカンドーしたよ。どう見ても勝てっこないのに、女のために喧嘩売る姿、ゲキマブだったぜ」
「ああ、そう」
だったら助けてくれてもよかったのになあ。
「だからよ、アタシはアンタにキョーミ持ったんだ。この高校の奴らはどいつも腑抜けでつまんねえと思ってたが、アンタみたいな骨のある奴もいるって分かってさ。高校なんか行かねえと決めてたが、アンタがいるならオモシレーかもなって思って」
つまり、俺は知らぬ間に不登校少女を闇から救ったということになる。元不登校生としても鼻が高い。
鬼島は照れくさそうに頬をかいて、
「今日呼んだのは面識持っこうと思ってさ。これからヨロシクな!」
俺に手を差し出し、ニカッと笑った。
よく見ればものすごい美少女である鬼島の笑顔を見て、俺は8割の下心を抱きながら彼女の手を取った。残りの2割は断ったらシメられるかもしれないという恐怖心だ。
「――シクヨロ」
どうやら俺は、ヤンキー美少女のオキニになってしまったらしい。