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エスタランド共和国。人口一万五千人、面積二・五平方キロメートルの小国で、ヨーロッパの何処かに存在する。とある事情から人口減少が留まることを知らない事以外は、至って普通の国である。
そんな日常の最中から、この物語は始まる。
物語は何時だって、日常から始まるのだ。
「いらっしゃい」
エスタランドの郊外に位置する小さな酒場、『J&D』。がらんどうの店内に入れば、即座にそんな声が男を迎える。
「相変わらずね、安心したわ」
カウンターの向こうからする声は、歌手かと思える程のテノール・ボイス。中性的な顔立ちにイメージ通りの制服を着こなし、優雅にシェイカーを振る様子は実に芸術的だが、無論男である。
そんな声にも一切反応せず、カウンターに一直線に向かった男は丸椅子に腰掛け、
「...グリューワイン」
と無愛想に言った。
「そう言えばごめんなさいね、この間の仕事。急な上に試射もしないでいきなり、なんて」
出されたカップを一息で空け、「それはいい」と、少しばかり酔いの回った口調で、男は言った。
「払いはまだか」
そう言うと、バーテンダーは懐から厚めの封筒を取り出すと、男の方へ寄越した。
「米ドルで十万ドル、確かめて頂戴」
「...確かに」
僅かな物音を耳にしながら、器用に札束を数えた男は、唐突に空のカップを突き出した。
「そろそろ、店じまいにした方がいい」
「どうしてよ、アラン。バーはこれからが稼ぎ時なのよ」
アラン、と呼ばれた男は顔を渋くする。
「...今夜、団体の予約は?」
「無いけど?」
「じゃあ尚更だ、グレイク。この店の飛び入り客には、ろくな奴は一人も居ないからな」
「...ああ、そういう事」
いそいそとカウンターを片付け始める背中に、「あと一つ」とアランは話しかける。
「どうしたのよ」
「いや、何...飛び入りのお客様へのサービスもいるかと思って、な」
その顔には、僅かに笑みが浮かんでいた。