温泉施設のタトゥー論争
今回はいきなり、クイズ問題からスタートします。
Q:温泉など入浴施設などで、刺青やタトゥーをした人の入湯を断るところがありますが、これをどう思いますか。
A:タトゥーをした外国人観光客が入浴施設を利用できるよう、特に2020年の東京五輪までにはこうした制限はやめるべき
B:現状のままでよい
さて、みなさんの”富士山”回答はいかがですか?
この回答例Aは観光庁が入湯施設の関連民間企業に通達した内容です。
確かに刺青をした人を人種差別するのはよくない、という理屈はあるでしょう。ただこの問題もいろいろ奥が深そうです。
そもそも私たち日本人を差し置いて、なぜ(タトゥーをした)外国人観光客の利便を日本の行政は第一に考えるのでしょうか。
1.観光立国論は観光亡国論
観光立国論という言葉があります。米国大手証券会社ゴールドマンサックス社が提唱する、これからの日本経済の方向性――日本は製造業でなく外国人向け観光業に注力してGDP向上を目指すべき、という考えです。
私自身は観光立国論に反対です。
日本はバブル時代、ものづくり大国、電子立国と呼ばれていました。なぜこうした日本の一番の長所を捨てて、産業を観光業にシフトしなくてはならないのでしょうか。
ここでいきなりディープ・ステートの陰謀論が浮上します。バブル時代、日本の経済力、そしてエレクトニクス分野などの技術力は、米国またはディープ・ステートにとり脅威でした。これを叩くためにも日本を外国人向け観光地にしてしまう、というのが観光立国論ではないでしょうか。
そもそも現行の金融資本主義は、経済効果と称して、生活必需物資と関係ない第三次産業、サービス業を次々に生み出し、世の中の富をほとんどを大企業などの巨大組織に集中させる仕組みです。そして大企業に集中した富は株主や債権者、つまり金融業界に集中します。
これは一国で見ればメガバンクなどの大手金融業界、世界市場で見ればニューヨーク・ウォール街の金融業界に富が集中するということを意味します。
日本が観光立国になれば日本国民でなくゴールドマンサックス社が潤います。これが彼らが観光立国論を唱える本音だと思います。
現行の経済学ではGDP向上が経済政策の一つの目標ですが、私は国民の豊かさはGDPと直結しないと思います。GDPとは別の定量評価の指標が必要だと思うのです。
具体的にはまず国(政府)と国民を分け、国ではなく国民の豊かさを行政の目標にします。国民の豊かさは従来の所得や資産の数字に加え、①国民の所有する土地の面積、②非自由(非社長)労働時間、③実質的参政権、の指標で評価します。
①はより大きい方が、②はより短い方が国民は豊かだと考えます。
②はたとえば民間企業では社長以外の労働時間です。社長は何時間労働してもここには含まれません。また社長には自営業者や個人商店主も含みます。こう考えれは、社長の数を増やせば自動的に②は小さくなります。産業を大企業中心から中小零細中心へ、労働人口を勤め人から自営業へシフトしただけでも②は小さくなります。
③は定量評価が難しいですが、住民が使用する上下水道やエネルギーなど社会インフラの建設や自分たちが払う税金に対して、国民がより決定権を持てる方が望ましい社会と考えます。
話が脱線してしまいましたが、上記の理由から観光立国論はとりもなおざす観光亡国論だと思います。
2.暴力団をどうするか
私は以前、「マフィア・暴力団解体論」というエッセーを書きました。
暴力団は絶滅すべきですが現実的対応として、現行の暴力団を日本政府のスパイ工作下請け業など合法的な民間企業に改組して、暴力団員を会社員として吸収するという考えです。
刺青をした人が入浴施設に入ってくると私たちが怖がるのは、そもそも暴力団の存在があるからです。
社会の支配者階層が複雑な形で暴力団と癒着しているから暴力団解体は不可能と主張する人は、私に言わせれば思考停止状態の人か、さもなければ裏社会の回し者のどちらかです。
行政、大企業、第三セクター、宗教団体、その他巨大組織など、暴力団と何らかの形で癒着した組織は、改変が必要です。
刺青はファッションであって、悪い人ではないから怖がらなくていい。
こういう感覚を私たちが持つためには、まず暴力団の完全解体が必須です。
3.自宅に温泉を
ところで米国では自宅にプールのある家がよくあります。平均より裕福な家庭の話かもしれませんが、アリゾナ州フェニックスのような砂漠にある街では、わりと平均的家庭の自宅にプールがあるようです(また聞きなので正確なデータではありません。詳細をご存じの方、感想ください)。
ここで提案ですが、日本では自宅の庭に露天風呂温泉を作るのはいかがでしょうか。わざわざ健康ランドや旅館に行かなくても、自宅で温泉が楽しめるのです。
都市生活者にとっては庭自体を確保することが難しいですが、地方限定で話を進めます。
現在、マイ温泉の施工費は6000万円かかるとのこと。これでは一般的な庶民では手が出ない価格です。しかしながら、農家をはじめ、地方に住む平均より少し裕福な家庭の多くが、屋根に太陽光発電施設を設置する感覚で庭に露天風呂温泉を作り出したらどうでしょう。
需要が高騰すれば、量産効果が働き、部材の標準化が進み、施工費はすぐ半額以下になるでしょう。またこの分野の技術革新が進めば、さらなる施工費削減が可能です。
地方自治体が村おこしで、温泉施設の建設を助成することがあります。
しかしその助成費を一般家庭の自宅温泉露天風呂建設に回したらどうでしょう。こうすれば現実的に普通の人がマイ温泉を所有できる可能性が一気に高まります。
ここに住めば自宅にマイ温泉が持てるとなれば、過疎地でもたちまち住民の人口が増えるでしょう。
彼ら新住民の仕事はどうするの、と心配する必要はありません。
ITバブル時代、若いIT技術者たちが東京から長野の別荘地に多く移り住んだことを思い出してください。IT技術を駆使すればテレワークが可能な時代。ブロードバンドさえ開通すれば、いかなる僻地でも情報生活では大都会と同等なのです......。
こう書くと嘘だと反論が出そうです。テレワークでそこそこの給料をもらって田舎に住んでいる人は、労働人口全体のうち、ごく一部の人の話ではないか。
しかしそのへんも思考停止せず、解決策を考えてみてください。テレワーク労働人口を増やしたり、自営業者を増やしたり、東京一極集中をやめ、企業の本社を地方に分散したり......いろいろ方法論はあります。
日本人が自宅に温泉を持ったら、既存の旅館や温泉施設は商売上がったりになるのでは。こうした反論も出てきそうです。
しかしながらこれからは企業より消費者を優先した経済を考えるべきです。
温泉施設は外国人観光客向け。日本人は自宅の温泉に入る。こうしたライフスタイルを確立してこそ日本国民は豊かになれるのです。
4.結論として
観光庁は民間企業の入湯施設に対して「タトゥー入湯規制」に口をはさむべきではありません。
タトゥーをした人や外国人観光客をターゲットにした入湯施設もあっていいし、逆にそういう人と一緒に入浴するのを嫌がる人をターゲットに、タトゥー規制した入湯施設があってもいいと思います。
今回はかなり脱線しましたが、いずれにせよ、入湯施設の「タトゥー入湯規制」問題も、観光亡国論、暴力団解体論などを踏まえて議論すべきだと思います。
そして自宅のマイ温泉建設は本論とは別の議論ですが、夢のある話なので、本論以上にみなさんに考えてもらいたいテーマではあります。