「生きた英語」と「死んだ英語」の再定義
初出:令和元年12月8日
学生時代、私は英語が苦手科目でした。その私が英語について上から目線で語るのは少々おこがましい気もしますが、日本人にとっての英語、または日本人にとっての英語教育について、日ごろから考えていることを述べます。
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大学入学共通テストの英語民間試験を国立大学82校中62校が取りやめました。ここで問題です。
Q:大学入学共通テストに英語民間試験を導入することをどう思いますか?
A:賛成
B:反対
ネットで調べると、民間試験導入の真相は、またしても利権がらみの政官財の陰謀論だったという意見を見つけました。およそ検定試験なるものには表向きの高尚な目的とは別に関係者に何らかの利権があるものです。しかしながら今回、私の関心は陰謀論にはありません。
私はかつて『学校不要論』というエッセーを「なろう」に発表しました(まだお読みでない方、是非お読みください)。学校自体が不要なのですから、民間試験導入以前の問題です。『学校不要論』で書いた内容、これが今回の私の「富士山回答」です。
1.「生きた英語」と「死んだ英語」の公式見解
ところで「生きた英語」という言葉があります。私たちが学ぶべきは「生きた英語」である。こういう論調が英語教育を論じるときによく出てきます。
一方、その反語であるはずの「死んだ英語」という語はあまり聞きませんが、「生きた英語」があるなら「死んだ英語」の概念を作るべきでしょう。
ところで「生きた英語」や「死んだ英語」とはどういう意味でしょう。ヤフー知恵袋を検索するとこんな解説がありました。
・生きた英語:現代の英語圏のネイティブスピーカーが使っている英語
・死んだ英語:日本の学校では習うが、ネイティブが使わない、古くなった英語
これに対し、大学入学共通テストの英語民間試験の導入を推進する文科省の見解は以下のようです。
・生きた英語:「読む、書く、聞く、話す」のすべてができる英語力
・死んだ英語:「読む、書く」だけ、または「読む、聞く」だけができる英語力で「話す」能力が欠如している
文科省は、この「話す」または「聞く、話す」能力を採点するために民間試験の方が望ましいとしているのです。
2.「生きた英語」と「死んだ英語」の再定義
次に私が提言する新しい「生きた英語」と「死んだ英語」の定義をご紹介します。
・生きた英語:仕事や趣味において、日本語が使えない外国人とコミュニケーションする手段として英語を使う場合、順調にことが運ぶための英語力。
・死んだ英語:学校の入学試験、会社や役所の入社試験、検定試験で高得点を取り、合格することを最終目的とする英語力
いかがでしょう。
この新定義によれば、大学入学共通テストの英語に民間試験を導入するにせよ、しないにせよ、受験生たちは「死んだ英語」を一生懸命勉強していることになります。最終目標が試験に合格することだからです。
私は仕事で海外企業と英文メールでやりとりし、自社製品を販売することがあります。この場合、自分が書いた英文メールにミススペルがあっても取引が無事成立すれば”合格”、英文が完璧でも取引が成立しなかったり、取引上何らかのトラブルが生じれば”不合格”なのではないでしょうか。
この他、自社新製品開発時に、海外企業の半導体メーカー、ソフトウェアメーカーに英文メールで技術的な質問をすることがあります。この場合、開発している機器が正常に稼働すれば”合格”、動かなければ”不合格”であって、私が書いた英文が文法的に正しいかったかどうかは二の次です。
また私はFacebookで「Cooking with dog」というコミュニティーに入ってます。「Cooking with dog」は有名なYouTubeの番組で、Facebookには番組主催者側(日本人女性シェフ?)が立ち上げた公式コミュニティーもあるのですが、私が所属しているのは米国女子大生?が主催した方で、参加者は米国人を中心に世界各国から集まっています。自分が作った料理、またはレストランで外食したときの料理をアップし、英語で書き込むのですが、学校の英語ではバツになるようなネットスラングも多く飛び交っています。
「lol(笑)」、「Yummy or Yum (うめー)」など、学校では教わらないスラングを覚えると、かえって自分の英語力がアップした気がします。
Facebookのコミュニティーでは英語での書き込みが楽しめれば”合格”、楽しめななければ”不合格”といったところでしょうか。
英語はコミュニケートの”手段”であり、”手段”の上位にあるはずの”目的”を達成することが重要なのです。
3. 嫌いな有名人はポール・ボネ
ネットの書き込みをみると、日本人は社会に出ても英語など使わないから英語教育は無駄だ、という意見を見つけました。こういう人もいるのかもしれませんが、私は彼と真逆の人生を歩んできました。
私は学校卒業後、会社を次々と転職し、現在四社目(この他、自営の時期もあり)ですが、英語を全く使わなくて許されたのは、このうち2番目の会社だけです。
転職する度に会社の規模は小さくなっていきましたが、大企業でも中小零細企業でも英語は使います。大企業では社内英検なるものがあり、新入社員は強制的に受験させられます。ただし大企業では社内英検で上位資格者だけに海外営業の仕事が回ってきます。一方、中小零細企業の場合、英語が苦手でも海外企業の問い合わせに誰かが回答しなくてはならず、泣く泣く英語を使うはめになります。
ポール・ボネだったでしょうか。学生時代、「日本人は英語を勉強するより、自国の文化や歴史について理解を深めるべきである」とったエッセーを読み、私は「なんだ、そうなのか」と早合点して、英語をあまり勉強しませんでした。しかしながら、今ではこれを大変後悔しています。社会人になってから、これほど英語に付き合わなければならないとは......。
こういうわけで、嫌いな有名人というと、私は真っ先にポール・ボネを思い出します。彼がエッセーであんなことを書かなければ、私は若いときにもっと英語を勉強していたはずだからです。
社会人になってから、私は多くの英会話教室に通い、多くの英会話教材を購入し、これまで累計で自動車1台分程度のコストを費やしたと思います(ちなみに私の家内は、結婚してからサプリメントやフィットネスクラブなどダイエット関連に、累計で自動車1台分以上のコストを費やしました)。
4. 陰謀論者の英語力
ネット・ジャーナリストのリチャード・コシミズ氏によれば、日本人は英語教育より、まず日本語でしっかりした文章が書ける国語力を身に着けるべきと主張しています。母国語での思考力を鍛えることが大事だからです。
私はこれに異論と唱えるつもりは全くありません。しかしながら、彼が主催する独立党の人たちの書き込みをみると、日本人は英語を勉強しなくていいといった論調に思える内容を目にすることがあり、これが少し気になります。
こういう人たちには、是非、みなさんが尊敬するコシミズ先生自身をよく観察してください、と言いたくなります。
元商社マンの彼は日本語で本を書き、日本語で講演する一方、英文サイトから情報を取集し、英文で陰謀論を唱え、英語でスピーチもします。つまり母国語でのしっかりした思考力にプラスして、英語も自在に操る知性を持っているのです。私たちが目指すべき知性もこのレベルではないでしょうか。
コシミズ先生と同等の知性を持つなんて、草野球のおっさんにイチローなみのプレーを要求するような無理な話だよ、という声が聞こえてきそうな気がします。しかしイスラエル人は母国語がヘブライ語なのに国民の90%以上の人が英語を話せることを思い出してください。
この他、イスラエルは食料自給率が90%、常任理事国以外で戦闘機を自国で生産できる数少ない国です。英語、食料自給率、戦闘機の自給......ユダヤ人は世界を支配するには何が重要なのか理解している気がします。
その一方で、英語が操れない日本人の知力は彼らから”ゴイム”に見えるのかもしれません。”ゴイム”から脱出するためにも、まずは知力で彼らに負けないことが大事でしょう。
YouTube番組「国家非常事態委員会」に、最近、ベンジャミン・フルフォード氏があまり出演しなくなりました。
ベンジャミン氏は日本語を話しますが母国語は英語でしょうか。カナダ出身なので彼がフランス語を話したときは驚きませんでしたが、この他、同番組でスペイン語やイタリア語でもスピーチを披露しました。ドイツ語やロシア語は? すべてをフォローしていませんが、彼は欧米の多くの言語を自在に操れるようです。
「国家非常事態委員会」の冒頭では朝堂院大覚氏が、刀を振り回し、イラストで自分の腕に突き刺すヤクザパフォーマンスが出てきます。10代のころでしたら、こうしたパフォーマンスを勇敢だ、カッコいいと思ったかもしれませんが、今は違います(嫌悪感しか催しません)。
むしろベンジャミン氏のように、小太りでも複数の外国語がペラペラの人こそ、最高にカッコいい男、最高にイケてる男だと私は思います。
(続く)




