見城氏 実売部数さらしツイートについて
幻冬舎社長、見城徹氏がツイッターで小説の実売部数を公表したことが話題になっています。
津原奏水氏の小説が、第1作目は発行部数5000部で実売部数1000部、第2冊目の実売部数は1800部とツイートしました。
実は津原氏は百田尚樹氏のベストセラー「日本国紀」の一部の記述が著作権侵害だと訴えたところ、幻冬舎は報復として津原氏の小説の文庫化をやめました。これに津原氏が反論したところ、見城氏が津原氏の小説の実売部数を公表ました。
「日本国紀」のパクリ問題とリンクしたのでなく、これだけ売れてないから津原氏の小説の文庫化をやめたのだ、と見城氏は主張するつもりだったのでしょうが、高橋源一郎氏をはじめ、多くの作家が見城氏を批判。本が売れてない場合、その数値を公表するのは作家の沽券にかかわるからです。
これに対し、見城氏は謝罪声明を発表しています。一方、「日本国紀」の著者、百田氏は実売部数を公表すること自体は問題ないとしています。
さて、ここで問題です。
Q:見城氏が津原氏の小説の実売部数をツイートしたことをどう思いますか?
A:よくない。売れない作家に対して失礼だ
B:悪くない。百田氏の意見は正しく、政治思想まで含め百田氏を全面支持する
みなさんの”富士山回答”はいかがですか?
それにしても津原氏の小説の実売部数が第1作が1000部、第2作が1800部とのこと。
「なろう」ユーザーのみなさんの中には、自分の小説の方がプロ作家より多くの読者に読まれてる、とひそかにほくそ笑んが方もいるのではないでしょうか。
しかしながら、「なろう」小説は無料だから多くの人に読まれるのです。もし有料にしたらどうでしょう。それでもあなたの小説は1000部以上、あるいは1800部以上、売れる自信はありますか?
もし答えが絶対的にイエスなら、そろそろあなたに出版社から書籍化の話が届くかもしれません。
それはともかく私が気になったのは、このニュース自体が「日本国紀」のステマではないか、ということです。
1. 日本国紀は国威掲揚プロパガンダ本
私は「日本国紀」を読んでいません。と言うか本屋で立ち読みして、この本は日本の歴史について書いてあるということだけ知っている程度です。
著者の百田尚樹氏は戦争小説「永遠のゼロ」を執筆し、村上春樹氏の「騎士団殺し」にクレームのツイートをしました。クレームは南京大逆説を描いている箇所に対してです。百田氏はいわゆる典型的な右翼思想家でしょう。
日本は戦前、今のような平和主義国家でなく、”天皇万歳”の軍国主義国家でしたが、百田氏は日本をこういう国に戻したいのでしょうか。
「日本国紀」は日本民族をほめ、日本の文化をほめ、日本の歴史をほめます。それ自体が悪いとは言いませんが、民族主義を煽り、アジア周辺国への憎悪を高めるよう国民の感情を誘導する懸念があります。
中国、韓国、朝鮮への憎悪を煽り、極東戦争を惹起する。こういうプロパガンダに「日本国紀」という本が利用されるのではないか。私はそう懸念しています。
安倍総理が「日本国紀」の販促に協力している、という話をネットで見つけました。この本がベストセラーなのもこうした裏があるのではないか、と私は邪推しています。
私の”富士山回答”は以下のとおりです。
「見城氏が書籍の実売部数を公開したことは悪くなく、むしろ情報公開の時代、望ましいことと考えるが、そんなことはどうでもよく、ベストセラー日本国紀を利用して、政府が極東戦争を惹起しないかどうか国民は目を光らせる必要がある」といったところです。
つまり、実売部数公表問題に関しては今回の百田氏の意見を支持するが、極東戦争を誘発しかねない、百田氏の”街宣右翼的”愛国主義は警戒する。これが今回の「C:富士山」でしょう。
2. 英文学史の「出版の汚名」
話を実売部数に戻します。
多くの作家が1000部、1800部といった実売部数が小さいことを恥じているようですが、私はベストセラー本が絶対面白いとは思っていません。上記のベストセラー「日本国紀」のことを考えてください。
英文学史ではチューダー朝時代――ちょうどシェークスピアが活躍した時代ですが――「出版の汚名:stigma of print」という語があるそうです。
この時代、イギリスの貴族たちは交換日記のようなものに詩歌などの文学作品を執筆し、親しい友人たちの内輪だけで作品を読ませていたようです。自分たちの文学作品が出版社から書籍化されることは不名誉なことという考えが彼らたちにあり、これが「出版の汚名」なのです。
いかがでしょう。書籍化を目指す多くの「なろう」ユーザーとは真逆の価値観でしょう。
広義の文学は人類発祥から続いているかもしれませんが、商業出版社の文学はその全歴史の中でごく最近の現象ではないかと思います。
情報公開の時代、見城氏が小説の実売部数を公開したこと自体は喜ぶべきことだと思います。また1000部、1800部という数字は決して恥ずかしくないと思います。
つまり津原氏の小説は1000人、1800人の読者に読まれたのです。
工業製品は多品種少量生産の時代と言われますが、小説もこれに当てはまるかもしれません。




