5-3_フラッシュバック・ミール
ハルが気を利かせ、砂肝亭は貸切状態。女神が来ているということもあり、従業員は彼女の分の食事もこしらえてから、裏に引っ込んでしまった。
イーチャはもちろん、ハルのパーティーにポンコツ娘達。なんとまぁ、キレイどころばっかりこの宿に集めたもんだと感心。
俺とくろすけ以外の全てがキラキラしていたが、もっと澱んだ雰囲気を纏ったマリが目を覚ましたらしく、階段を下りてくる。彼女はミリィに連れられて来たようだ。
なんとか泣き止んでくれたが、酷くやつれ、今度は死んだように表情一つ変えない。
半ば強引に座らされた彼女の左隣りにミリィが腰を下ろし、右隣にシャル。正面の席には、ハルを俺が誘導した。特別穏やかな心を持った者達に囲まれるようにする。
正直みんなと会話させるべきかと悩んだが、様子を見ながらやっていくしかない。俺の顔より、ハルの綺麗な顔を見ていたほうが気分良くなりそうだし。
そして、素早くハルの右隣にアリシアが陣取る。
さらに右隣はルファで、正面はカヤ。どうものんびりした波長が合うらしく、その二人は意気投合。
俺はハルの左側に座ると、レンカがニマニマしながら俺の左に腰を下ろす。嫌な予感がしたので注意していると、俺の肉団子をこっそり自分の皿に移そうとしたので、こめかみをぐりぐりしておいた。
どうも居心地が悪いイーチャは、最後にレンカの正面に座りぼっち気味。
偉大なる自然の女神様は、自分の皿にあったナスのようなものを、シャルの方に移そうとする。
その瞬間を俺は見逃さない。そんな彼女と目が合うと、冷や汗を滝のように流しながらも、手は止めなかった。
自然の女神のくせに、大地の恵みを嫌うとは。
全員揃うと、それぞれが勝手に食べ始める。見たこともない食材ばかりの家庭料理フルコースが並んでいて戸惑ったが、俺は壺豆のスープから。
壺で漬け込まないと苦くて食べられない、そら豆より大きな豆が原料の調味料。それを溶かしたものに有り合わせの具を入れてスープの完成。乱暴に言ってしまえば、味噌汁。
唯一違うのが、醗酵により苦味が強い旨味と香りに変化するので、出汁を取る必要がないこと。それをくろすけが教えてくれた。
「これほとんど赤だし味噌汁だ……。そういえば、くろすけってメシ食えるのか?」
「必要はありませんけど、一応。少食なんで、気にしないでいいですよ。たまごっちみたいに面倒は掛けません」
「そんなことも知ってんのかよ。――食えるってんなら一個やる」
肉団子をフォークで突き刺して、後ろで浮かんでいるくろすけに差し出す。
「では、失礼して」
彼は腹の辺りをフォークに近づけ、スコンと肉団子を吸い込み、跡形もなく闇に消してしまう。
「今度から口のあたりで食ってくれ」
「へい」
そんな中ハルは小さな声で「いただきます」と言う。その言葉はこちらの文化ではなかったが、アリシアも真似している。
俺は一人での食事が多く、車内でのコンビニ食品や、野営なんかが多かった。なので、それを言った覚えがあるのは、小学生のときくらい。
引き続きレンカが俺の肉団子を狙っているので、激しい攻防を繰り広げつつ、食べ進める。
彼女はあまりにもしつこく狙うので、俺のを一個食わせた隙きに、三個奪い取って食ってやった。
「ぎゃぁ! なんてことをぉ!」
「奪おうとしたやつから奪って何が悪い」
落ち込む様子を嘲笑っていると、さも当たり前かのように、彼女は俺の口の中に手を突っ込もうと――。
「この際、間接キスとか間接胃とか気にしないんで返すっス」
「ちょっ! まてまてまて、それはおかしい! 間接胃ってなんだよ!」
「やめて欲しかったら、残りの肉団子とチキンソテーを譲るっス」
「肉料理全部じゃねえか!」
レンカは指先をすぼめ、俺の食道に手が入りやすいようにする。取り返す気満々だ。
「肉団子二個で手を打たないか? とりあえず数をリセットしよう」
「えー。わたしが取られた肉団子のほうが、なんか質が良かった気がするっス」
「んなわけあるか!」
それを見かねたイーチャが、レンカにチキンソテーを皿ごと寄越し、肉団子を三個も譲った。
「ほら。実はさっきお菓子食べちゃったし、あげるよ」
「おほぉ! イーチャ様のこと、一生信仰するっスよぉ! シャルの好きな野菜も譲ってあげてたし、ありがとうっス!」
「はは、ははははは……」
野菜に関しては善意というより、嫌いなものを渡しただけ。それに気づかないレンカは、とびっきりの笑顔でイーチャを傷つける。
そして、素敵で優しい女神様に握手を求め、小さな手をブンブン振り回す。それを見計らい、地味に俺の好物なふかし芋を、レンカの皿からくすねた。
芋を頬張りつつ、マリを横目で覗き見るが、相変わらず何も口にしようとしない。
シャルが水を勧めたりするが、無駄に終わる。
あまりにもマリの反応が薄くて気づかなかったが、顔は熱っぽく、息も荒くなっていた。しかし、汗は出ていない。
この症状に、見覚えも経験もある。
ミリィがずっと背中に手を当てて回復魔法を使っているので、風邪の症状が酷く出ているとは思えない。これは、脱水症状が進んでいる証拠だ。
その光景が、俺の中にある嫌な記憶を引っ張り出してしまった。
――酷く飢え、乾く感覚。ほんの数滴の汚れた水を奪い合う人間。そして、朱に染まったナイフ片手に、最後まで立っていた自分の姿。
俺は立ち上がって、マリの前に置かれていたコップを右手で取り、目の前に突き出す。その行為は彼女のためなのか、自分の中にある感情を鎮めるためなのか。
「いい加減水くらい飲んだらどうだ? 死ぬぞ」
いささか強引な立ち振舞。ハルはそれを止めようと思ったが、気圧されて手も口も動かなかった。
彼から見たノギという男のイメージ。それを遥かに超えた威圧感に身が竦む。
「誰も守れない私なんて死んでもいい」
マリの言葉が、更に記憶を呼び覚ます。
――俺が卑しく生き残ろうとした結果、助かるかもしれなかった子供達の命。
――目の前で「殺してくれ」と薄笑いで言う昔の親友。
――そして、腕の中で息絶える俺を愛してくれた人。
大切なものは、全て俺から遠ざかっていく。
コップを差し出す右腕は震え、乾いてやせ細り、今にも崩れそうだった。さっきまで飲み食いしていたはずなのに。
それを持っていたはずの手には、いつの間にかトカレフ拳銃が握られていた。
マリの姿に、あの親友が重なる。殺せと何度も張り付いた笑顔で懇願し、銃を構えた俺の手を離さない。
用意されていた食事は血まみれで、実の両親を殺してしまった彼は壊れた玩具の様で――。
俺が「ノギ」になる前の嫌なもの全部。それが今の自分に伸し掛かる。苛烈な記憶が濁流のように押し寄せ、意識が飛んでしまいそうになったが、何かが俺を引き留めた。
「ああそうか。なら今すぐぶっ殺してやるよ。楽になりたいんだろッ!!」
コップを手放し、その場に落とす。今にも朽ち果てそうになった腕の恐怖を堪えながら、フルタングのナイフを生成しようとした。
俺の頭に浮かんだそれは、拳一つと指二本分の刃渡りがあり、ひたすらにシンプルで何にでも使えてしまう。
俺の行動に一瞬で反応できたのはアリシアだけ。
彼女はテーブルに立て掛けてあった自らの剣を抜き、ナイフが顕現した直後には俺の右手首を斬り落とそうとしていた。
「何をしているッ!? ノギッ!!」
振り下ろされた剣の側面に、ナイフの峰を軽く当てる。すると簡単に軌道が逸れて、彼女はあらぬ場所を斬ってしまいそうになり、刃を引っ込めざるを得なくなった。
もしアリシアの剣が誰かを傷つけそうになっていたら、全身のどこでだって俺が受け止める。たとえ俺が不死身でなくとも、その覚悟はあった。
そして、ナイフは当初の目的を思い出したように、マリの首へ吸い込まれていく。
彼女の頸動脈を切り裂く寸前、場にいる全員の悲鳴の中に、マリの力ない悲鳴が混じった。
それだ。俺が欲しかったのは、恐怖するだけの活力。
「――あぁ、良かった。ちゃんと生きたいって思ってるじゃねえか……」
安心した俺の手から力が抜け、役目を終えたナイフは消えてしまう。
マリは目を閉じながらも、腕で首を庇う。ちゃんと震えていて、「いやだ」という言葉も聞こえた。
俺の親友は、首にナイフを押し付けられ、血を流そうとも反応すらしなかった。
本当に生きることを諦めていたら、マリは彼と同じ無反応だっただろう。
ぶっ壊れた人間は、生存本能の反射すら機能しなくなってしまう。
彼女の生きる気力を確かめる。それを果たし、満たされたつもりでいたが、俺の腕は乾いたまま。それが全身に広がって、魂までも朽ち果てそうで――。
不意に、小さな手の平が右腕に乗る。それはハルのもの。あんなことをしたのに咎めることはなく、俺のことを心配していた。
「大丈夫。なんともなってないよ」
ゆっくりと彼が俺の腕を撫でると、いつもの腕に戻っていく。恐怖が見せていた幻覚を、取り除いてくれた。
それだけじゃない。俺の左手は、ずっとレンカが両手で握っていた。いつもの俺を見る瞳と一緒で、視線が合うと微笑んでくる。
いつからかは分からないが、過去に飲み込まれそうになった俺を引き留めてくれた温もり。
そのおかげで呼吸は落ち着きを取り戻し、自らの行動を悔やむ感情が膨らむ。
トラウマが暴走し、自分自身を助けたくてマリを試した。彼女を助けたいという気持ちもあったが、こんなのはただの押しつけでしかない。
偽善はどこまで行っても偽善だし、善意が牙を剥くなんて茶飯事だ。彼女を生かそうとすることは、次の苦痛を招くかもしれない。
「……すまん。ただ、生きていて欲しくて」
それしかマリに言えなかった。
行動を弁解するものはなく、視線が痛い。ハルとレンカの手から逃れ、その場からも逃れようとした。
「みんなもごめんな。俺は外でメシ食ってくるからよ。レンカは俺のやつ食っていいから」
俺が立ち去ろうとすると、くろすけは当たり前のように付いてくる。
「くろすけは残らなくていいのか?」
「いえいえ。今の行動で、ご主人に惚れ直しましたよ。それに、オレがいないときに戦闘でも始まったらつまらないですし」
「そうか」
彼は音もなく俺の左後ろに追随し、共にこの場を立ち去った。




