異世界に迷い混んだ少女
桜の花びらが木の枝から一枚また一枚と春のそよ風に揺られひらひらと舞い上がる。桜の花吹雪を眺めながら登校する生徒たち。まだ見ぬ世界への希望と不安。生徒たちは思い思い胸に抱きながら校舎の門を潜った。
……学校のすぐ目の前の交差点で、とある少女が信号が青になるのを今か今かと足踏みしながら待っていた。
彼女の名前は『大瀬凛』。高校1年生。おろしたての上下黒の制服を見に纏い、化粧は薄く、ストレートボブの髪型は中学生の頃から変わらない。手には学校指定の革でできた鞄を持っていた。
凛は信号がなかなか青に変わらないので、今まで歩いてきた道を振り返る。
「お母さん、忘れ物を取りに行ったけど、まだかな?」
まだ履き慣れない黒いローファーの片方をコンクリートの地面にトントンと着け微調整する。中学生の頃のセーラー服とは違って、大人っぽいブレザーの制服に胸元の赤い細身のリボン。
それは凛がずっと憧れていた制服だったーー……。
すると、右から巨大なコンクリートを積んだトラックが右折してくる。
考えたことはないだろうか。
目に見えているものは、全て偽りの姿だということを。
目の前の青い信号機の灯りも。
彼女の存在を無視して突っ込んできたトラックも。
それに巻き込まれていること全てがーー……嘘。
本当の自分は安全な場所に避難していて、もうすぐやって来る母親を待っているのではないかとーー……。
まさか、私がーー……。
交通事故にあうだなんてーー……!!!
*
*
*
………。
遠くで水の音が聞こえる。
コポ……という気泡を含んだ音が。
その音がだんだん大きくなり、凛は呼吸が出来なくなる。
(うっーー……! 息が苦しい……!? 私、まだ生きているの……!?)
沢山の水が凛の口の中に入ってきて、水の中にいることを自覚する。どちらが下でどちらが上なのかわからないけれども、必死で這い上がろうともがいても水を吸った制服が重くて、体は沈んでいった……。
制服の赤いリボンがほどけてゆらゆらと水中から上へと上がっていく。
(……あっ! ……あっ! 待って置いて行かないで! 誰か助けて……!!)
《バシャン……!!!》
するといきなり何者かが水中に入ってきて、水を含んで重くなった制服ごと一気に凛の体を地面へ引き上げる。
「……大丈夫か?」
全身は濡れていたが、体に目立ったような損傷はなく、凛は生きていることにほっと胸を撫で下ろした。
目の前の男性が、凛の濡れた髪にそっと触れる。
琥珀色の髪の毛からは水が滴り、その間から透き通った硝子玉のエメラルド色の瞳がじっとこちらを見つめている。
彼は首に長い青いマフラーを巻き、白いブラウスを着ている。首から下げた懐中時計がキラリと輝いた。
「ありがとう……ございます……」
男性の背中には巨大な塔が建っていて、塔の終わりを目で追いながら空を見上げると、長い長い塔の先にカラスが集まって、弱った獲物に追い討ちをかけるチャンスを狙っていた。
この世の終わりのような真っ黒い雲が辺り一面を支配する。
(私は何か変な夢を見ているのーー……?)
どうやら凛は現実の世界とは違う、別の異世界へ来てしまったようだーー……。