富くじ ―漆―
甚吉が着いた時、太鼓の音が鳴り響いた。
きっとあれが始まりの合図だ。甚吉の繊細な心の臓がきゅっと縮む。
恐る恐る近づくと、本堂を囲むように人がみっちりと並んでいた。本堂からは重々しいがよく通る声で大般若経が朗々と読み上げられている。
甚吉は背が高い方ではないから、人の中に埋もれると前が見えない。見えないと困るのかもしれないと思い、本堂が見える位置を探したのだが、やはりどこからも見えなかった。
それでもちょこまかと動き回ったせいで、甚吉は気が立っている連中に怒鳴られてしまった。
「この糞餓鬼が、うっとうしいんだよッ」
「す、すいやせんッ」
謝っているのに蹴られた。痛いし、あんまりだ。
蹴られた脛が痛くて、甚吉はよろけて後ろの人にぶつかってしまった。また怒られる、殴られる、と顔を庇ったところ、その人は甚吉を受け止めてくれただけだった。
「おお、危ねぇや。こんなところで倒れたら頭踏まれちまう」
考えただけでゾッとする。甚吉はここへ屍をさらしに来たわけではないのだ。
縞の仕着せに何やら屋号の入った前垂れをした若い男だった。若い男と言うと、全員がこの札の落とし主であるように見えてしまうけれど、この男は見るからに店者である。きっと違うのだろう。
特別目立った顔立ちでもなく、平々凡々といったところだが、先ほどのことからもわかるように漢気に溢れる人だと思った。こんな人ならきっと大事なものは神棚にでもしまって無くさない気がする。
甚吉は、一ノ富の突札が突かれるまで、こっそりこの頼りがいのある人のそばにいようと思った。
「お前さん、見たところまだ若ぇのに富くじを買ったのかい? 豪気だねぇ」
「え、ええ、と――」
嘘のつけない甚吉である。拾ったとか余計なことは言うなと釘を刺されてはいるものの、買いましたと偽れないので歯切れが悪い。
そうしたら、男は笑った。
「なんだ、札も持ってねぇのに参加したくって見に来たクチかい?」
「え、ええ、と、その――」
「どっちだ? まったく、はっきりしねぇなぁ。ま、いいけどよ」
すっかり呆れられてしまった。男は甚吉に興味を失ったようだった。というよりも、それどころではなかったのを思い出したのかもしれない。正面に向き直る。
甚吉も人の頭と人の頭の間から本堂を見遣ると、大きな木箱がまるで御本尊のように堂々とそこに置かれていた。周りの世話人はきりりとした裃姿だ。
そんな中、僧侶にしては逞しい禿頭の坊主が墨染を襷掛けにし、銛を構えた漁師さながらに柄の長い錐を手にしていた。
周囲の人々が手に汗を握ったのがわかった。唾を飲む音も聞こえてくる。
そして、ついに坊主が箱の上に開いた穴へと錐を差し込んだのだ。あれだけ騒がしかった場が、この時ばかりはシンと静まり返った。息をするのも忘れ、甚吉は錐の先に貫かれた小さな木札――突札を群衆と一緒に見守った。
「一番ッ。鶴の八百五番ッ」
――違う。
鶴は同じだけれど、数字が全然違う。
穂武良はこの落とし物が当たりだと言ったけれど、違った。甚吉は、あれこれと思い悩んだのが莫迦らしくなるほど拍子抜けしてしまった。
なんだ、このくじは外れなんだ。じゃあ落とし主を探す必要もないんだ。
正直に言ってしまうと、がっかりしたのと同じくらいほっとしている。
しかし、それは甚吉の勘違いであった。
一番が『一ノ富』、つまり百両の大当たりではなかったのだ。
当たったらしき職人風の男が名乗り出て、野次馬から囃し立てられていた。皆、あやかりたいのだろう。
それからも、本堂では次々と札が突かれていく。甚吉は、富くじの仕組みがよくわからなかった。
思わず、先ほど助けてくれた男に訊ねる。
「あ、あの、これってどうやったら当りなんですかい?」
すると、さっきの男はちょっとうるさそうにした。やはりこのくじに人生を賭けているのかもしれない。それでも教えてくれた。
「百回札を突くんだ。突き留めの百番が一ノ富、つまり百両だ。一番が二ノ富。五十番が三の富。それから、十番ごとに多少の額は出るがな、皆狙ってるのは一ノ富よぅ」
なるほど。一番が一ノ富だったらすぐに終わってしまう。それでは面白くないのだろう。
そんな話をしているうちに八番まで進んだ。
これを全部聞いていると、半日は潰れてしまうだろう。皆、仕事はいいのだろうか。ほっぽり出して抜け出してきたのかもしれない。
どうも富くじは男が買うものらしく、女っ気はあまりなかった。八割方が男だ。
そんな状況だから若い男なんて溢れかえっている。おかげで汗臭いほどだ。
穂武良もいないのではとても探せないな、と甚吉は途方に暮れていた。
それでも、突き札はどんどん順番を進めていく。




