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海怪  作者: 五十鈴 りく
❖ 富くじ

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63/70

富くじ ―肆―

「――バッカじゃねぇのか?」


 穂武良との話を聞かせるなり、マル公にはやはりそう言われてしまった。


「八十両ありゃあ何ができるか考えてみな。人に使われてひぃこら言わなくっても済むんだぜ。美味いもんもたらふく食えらぁ」


 マル公は生け簀でくるんくるんと浮かんだ樽のように体を横に回し、それに飽きると頭だけを水からひょこりと出した。


「で、でも、おれ、別に今の暮らしは嫌じゃねぇんで」

「はぁ?」

「別に虐められてねぇし、楽しいこともあるし、マル先生と一緒だし」


 金があるからと言って、マル公と離れて暮らしたいとは思わない。かといって、逆に八十両ではマル公を引き取って養うのは難しいことくらいわかっている。


 マル公は、すぅっと甚吉の方へ泳いできたかと思うと、生け簀の縁にてん、と手を突いて言った。


「ハァン? だからおめぇは莫迦(ばか)だってぇんだよ」


 ――そこで返す言葉は、『ありがとう』とか『嬉しい』とかではないのか。

 マル公の場合は違うらしい。ちょっと悲しい。


「莫迦だけど、さ」


 認めたら、マル公はげっぷのようなため息を盛大についた。


「九日までにちっとは知恵をつけなッ」

「三日じゃ無理だ」

「このすっとこどっこいがッ」

「うぅ」


 どうして落とし物を拾っただけで罵られなくてはならないのだろう。切ない。



     ❖



 ――ひと晩明けて、朝。

 なかなか寝つけなかった甚吉が眠たい目を擦って朝陽を浴びていると、隣の新兵衛座(しんべえざ)の花形、水芸人の真砂太夫(まさごだゆう)が朝早くから稽古に精を出していた。


 爽やかな光が、真砂太夫の放つ水の飛沫を煌めかせる。真砂太夫の芸は見事で、娘盛りに麗しい面立ちだけで人気を博しているわけではないのだと常々思う。――美女であることに変わりはないが。


「ああ、甚吉。おはよう」


 にっこりと赤い唇で微笑む。真砂太夫は綺麗なだけでなく、気風がよくて優しいのだ。甚吉のような目立たない子供にもそれは優しい。


「おはようございやすッ」


 真砂太夫の姿を見たら、もやもやとした気分が晴れた。


「今日も一日、しっかりね」

「へいッ」


 ついデレデレしてしまうが、この時の甚吉はいつもよりも少し早く落ち着いた。気になることがあるからだ。


「あの、真砂太夫は富くじを買ったことがありやすか?」


 この唐突な切り出しが不自然には思わないほど、世間は富くじに浮かれているのだ。真砂太夫はひとつふたつ(またた)いてから答えてくれた。


「富くじかい? あるよ。一度くらいは誰でも買ったことがあるんじゃないかい?」

「当りやしたか?」

「いいや、かすりもしなかったよ」


 そう言って、真砂太夫は朗らかに笑った。真砂太夫なら運気も喜んで寄ってきそうなものだから意外だった。


「富くじなんてそうそう当たるもんじゃないよ。お祭りみたいなもんで、楽しんで参加する分にはいいんだけど、外れて笑っていられないようなヤツもいるからね。あんまり富くじに望みを託しすぎない方がいいのさ」


 そうそう当たるもんじゃない当り札が甚吉の近くにあるのだ。

 甚吉はなるべく、それとなく訊ねる。


「あの、外れて笑っていられねぇってのは、有り金全部賭けちまったってことですかい?」

「そうそう。富突の場は盛り上がって華やいで見えるけど、その裏では毎回首をくくっちまうヤツがいるんだって」

「く、くびッ」


 真砂太夫は驚かせすぎたと思ったのか、驚きが勝ちすぎてのけ反った甚吉の頭をよしよしと撫でてくれた。


「甚吉は金に困っても富くじに手を出す前に、まずあたしに相談するんだよ。いいね?」

「あ、ありがとうございやす。どんなもんかなって思っただけで、おれは買ったことねぇんで」


 甚吉は朝から仕合(しあわ)せだった。

 そう、甚吉にはこういう幸せでいい。大枚で買う仕合せではない。


 しかし、首をくくる者まで出るとは、富くじとは恐ろしいものなのだと改めて思った。

 真砂太夫のおかげで朝からふわふわと足元が覚束ないながらに、心の奥底に差し込む冷たさも感じずにはいられなかった。


 ――顔がにやけていたのは間違いないが。


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