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海怪  作者: 五十鈴 りく
❖ 富くじ

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60/70

富くじ ―壱―

 この日も、両国広小路にある見世物小屋は大盛況であった。


 ()()にプカリと浮かぶ可愛い海怪(うみのばけもの)をひと目見ようと――いや、ひと目見てもふた目見ようとする。

 ごった返す人の中、押すな押すなと大騒ぎ。世話役の甚吉(じんきち)は突き飛ばされて端っこの方で小さくなっていた。


 齢十四歳でしかない甚吉は、気が弱くて何せ大人しい。突き飛ばされて、『何しやがるこのすっとこどっこいがッ』などと怒鳴り返せるものでもなく、突き飛ばされておきながら平謝りする体たらくである。


 そんな甚吉を生け簀から眺め、海怪はやれやれとため息をつくのだった。



 客が去った後、生け簀のそばには塵芥(ちりあくた)だけが残されている。天麩羅や団子の串、汗を拭いて丸めた懐紙、時々はそんなごみに紛れて小銭が落ちていることがあり、それが甚吉の小遣いとなる。給金などもらえない見世物小屋では、それくらいしか自由に使える金はなかった。


 それでも、盗みを働くこともなく、清い心で健気に働く。それが甚吉という子供だ。

 そんな甚吉の清らかさに神仏が感心して――なんて理由かどうかはわからないが、甚吉には人とは違う能があった。それは、人外の声を聞くというものである。


 本来ならば聞こえないはずの声が、どうしたわけか甚吉の耳には他の人間が発するのと同じような言葉となって聞こえてしまうのだった。

 甚吉は、毎日甲斐甲斐しく世話をしている海怪と呼ばれる不思議な生き物とも話ができる。だからこそ、上手く世話ができているとも言えた。ただ――。


 いつもありがとうよ、と、そんなふうに可愛く声をかけてくれるのならばいい。

 しかし、あんなにも愛くるしくつぶらな(まなこ)をした海怪は、実はとんでもなく口が悪かった。


「オイ、甚。まだ屑拾いは終わんねぇのかよ? ったくよぅ、こちとら千両役者も真っ青(まっつぁお)なほどの稼ぎ頭だかんな。このオイラの膝元にごみは捨てんじゃねぇって注意書きを貼っとけってんだ」

「それがさ、貼ったそばから剥して丸めて捨てられるし、誰も読まねぇらしいんだ」

「はぁあ? おめぇみてぇに無学で読めねぇだけじゃねぇのかよ?」


 ――と、こんな調子である。

 傍目には甚吉が一人で喋り、海怪は『ヲヲッ』と可愛く鳴いているようにしか聞こえないはずだ。

 それが、甚吉にはこんなにもはっきりと悪態が聞こえてしまうのである。


「っとに、莫迦(ばか)しかいねぇのかよ、この界隈はよぅ」


 ハン、と鼻で笑われた。

 まさかこんな獣に笑われているとは、江戸っ子たちが知る(よし)もない。


「マル先生、もうちっとで終わるから待ってておくんな」


 マル――それは名のなかったこの海怪に甚吉がつけた名である。ただし、マル公と気安く呼ぶと怒られる。敬って『先生』とつけた時にのみ許されるのであった。

 なんとも面倒――いや、面妖な生き物である。


 甚吉は、せっせとごみを拾い集めて籠に入れた。

 何かいいものがないかなとほんの少し期待してしまうのは、何も甚吉ががめついからではない。

 できることなら、美味いものを買ってきてこのマル公を喜ばせてあげたい。そんな善良で健気な心持ちからである。甚吉には欲がないのだ。


 残念ながら今日は金目のものなどなく、鐚銭(びたせん)ひとつ落ちていなかった。紙屑だらけである。

 この紙屑はごみでも、集めておけば引き取ってもらえる。紙は何度でも新しい紙に生まれ変わることができるから、こうして集めて貯めておく。


 ただ、何でもかんでも紙屑だとして籠に放り込むと、たまに大事な証文だったりするかもしれない。あとで探しに来る客がいると困るので、甚吉は一応落ちている紙は広げて確かめるのだ。たまに鼻水がみっちりと挟まっている、なんてこともあるけれど。


 甚吉は拾った紙を恐る恐る――鼻水がついていないことを願いつつ開いた。そうしたら、その細長い紙切れには太い文字と判がたくさん並んでいた。思わず、ああっ、と声を上げた。


「なんだぁ?」


 マル公が生け簀から身を乗り出す。甚吉はその紙をマル公に見せた。この海怪、字が読めるのである。


「お札が落ちてたんだっ。どうしよう、落としたお人が困ってるんじゃねぇかな」


 どこの神社の札でもありがたい代物だ。こんなふうに落として人に踏みつけられ、下駄の歯の跡までついてしまっても御利益はあるのだろうか。


 甚吉は狼狽え、札を持つ手が震えた。

 しかし、マル公はとろんとした半眼になる。呆れているらしい。


「おめぇはよぅ、数も読めねぇのかよ」

「数?」

「その真ん中にでかでかと縦に書かれてるだろ。そいつぁな、札は札でも売札ってヤツよ」

「うりふだ?」


 きょとんとした甚吉に、マル公は偉そうに勿体ぶって教えてくれた。


「いいか、よっく聞きな。そこに書いてある字はな『鶴、千百五十三』だ」

「つる――?」


 鶴というのは鳥のことだろう。庶民が迂闊に殺したら自分の首が飛ぶくらい、鳥の中でも偉い鳥だ。その鳥が千百五十三匹もいたら、甚吉は恐ろしくて息もできない。

 そんなことを考えてゾッとしていたら、マル公が教えてくれた。


「鶴ってぇのは、『組』だな。数が数だから、通し番号だけじゃ面倒だからよ。鶴と亀で分けてんだな。松竹梅なんてのも使うし、まあなんだっていいんだけどよ」


 わかるようでわからない。一体この札はなんなのだ。


「マル先生、売札ってぇのにはどんな御利益があるんだ?」


 思いきってそう訊ねたら、やはり返しは冷ややかだった。


「んなもんあるかよ、この唐変木がッ。こいつぁな、『富くじ』だ」


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