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海怪  作者: 五十鈴 りく
❖ 東両国

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57/70

東両国 ―拾―

 その翌日も、拾吉は新兵衛座にいた。まだ何も思い出さぬらしい。

 しかし、居心地はよさそうに見える。このまま思い出せぬとしても、拾吉は案外仕合せなのではないだろうか。

 甚吉が葦簀(よしず)の陰で焼きもちを焼きつつ考えていると、その背後に、いつの間にやら穂武良がいた。


「おぬし、何をしておるのじゃ?」


 思わず、ギャッと悲鳴を上げたが、幸いなことに誰にも気づかれなかった。この狐は誰の目にも映らない。甚吉が一人でおかしな動きをしているに過ぎないのだ。


「あ、いや、その、この間穂武良様に助けて頂いたお人が、実は自分の名も思い出せなくなっておりやして。さんざっぱら殴られたせいじゃねぇかと」


 疚しさは横へ置き、甚吉は語った。穂武良は上を向いていた白い鼻面を、うなずくようにして一度下げた。


「ほう、そうか。それは難儀な」


 穂武良はそう言ったかと思うと、ふと姿を消した。一体何をしに来たのだろうと思ったけれど、もしかすると、この間のことを気にかけていてくれていたのだろうか。

 甚吉が再び拾吉を見遣ると、消えたと思っていた狐が拾吉のすぐ後ろに表れていた。


 あ、と甚吉は小さく漏らした。

 穂武良がフサフサの尻尾を拾吉の足首に当てたのだ。その途端、拾吉はもんどりうって派手に倒れた。穂武良は拾吉の頭の方に回り込み、前足をにゅっと突き出すとその額を踏んだ。


 ただ踏んづけたのではない。手を当てたと言った方がいいのかもしれない。

 転んで目を回した拾吉に真砂太夫が駆け寄る。真砂太夫には穂武良の姿は見えていない。甚吉も拾吉に駆け寄った。


「ひ、拾吉さんッ」


 甚吉が呼びかけると、拾吉はハッと目を覚ました。そして、勢いよく目覚める。


「こ、ここは一体――」

「ここ? ここは西両国広小路さ。もしかして、何か思い出したのかい?」

「思い出す?」


 真砂太夫に、拾吉は呆然と顔を向けた。真砂太夫はうなずく。


「あんた、ここ数日、自分のことを全部忘れて過ごしてたんだよ」

「数日ッ」


 それを聞くやいなや、拾吉は飛び起きた。そして、一も二もなく駆け出した。そのまま、一度も振り返ることなく去ってしまったのだ。

 何やら、とても急いでいた。火急の用があったことを思い出したようだ。

 今さら駆けつけて間に合うのかはわからないが――


「おや、本当の名も告げずに行っちまったよ」


 呆れた口調で、真砂太夫は言った。けれど、その中に一抹の寂しさも含まれていたように思う。そんな真砂太夫を見ていると、甚吉も何か言わねばという気になってしまった。


「あ、あの、拾吉さんはどこぞの料理人なんじゃありやせんか? 評判の店を探したら、もしかするとまた会えるかも」

「そうだねぇ」


 苦笑する顔が、真砂太夫にしては珍しく思えた。

 その背中を見送ると、甚吉の隣で穂武良が首を傾げている。


「うん? なんだ、湿っぽい顔をしおって」


 拾吉にももとの暮らしがある。思い出したのなら家に帰るし、ここにいる理由もない。

 それはそうなのだが、あまりにあっさりと去ったものだから、関わった者たちの心には穴が空いたままだ。

 とはいえ、もう考えていても仕方がない。

 甚吉はため息をつき、穂武良に言った。


「袖振り合うも他生の縁って言うけど、今回のはなんの縁だったのかなぁ? 呆気ねぇや」

「おぬしの縁はヒトよりも人外に結びついておるのではないか?」


 ぐうとも言えない。

 けれど、マル公や穂武良との縁もまた、甚吉にとっては大事な縁である。

 ハハ、と軽く笑った。


「穂武良様、マル先生に会っていっておくんなせぇ。ちょいと最近色々とあって」

「色々と?」

「へい。鬱憤が溜まってるかと」


 身から出た錆と言えなくはないが、銭を失って美味いものは食えず、料理人らしき男からは食材を見る目つきを向けられ、このところのマル公は散々である。


「鬱憤なぁ」


 穂武良はほぅ、とひとつ息をついた。


「今日はお染のところに行こうかと思っておったが、まあ明日でもよいか」


 縁側で猫のフリをして昼寝しようとしていた狐を捕まえ、マル公は口角泡――の代わりに水飛沫を上げながら愚痴を零した。


「なんでぇなんでぇ、やっとけぇったのかよ。ったく、おめぇら、物騒なモン拾ってくんじゃねぇよ」

「はて、物騒とは? 穏やかな男に見えたがな」


 甚吉が穂武良に事情をボソボソと耳打ちする。大きな耳なので耳打ちせずともよかったかもしれないが。

 ピコンと立った狐耳で話を聞き終えると、穂武良はクク、と笑った。

 クク、と上品に笑っていたのは最初だけで、我慢しきれなくなったのか、そのうちにヒィヒィいって笑ったものだから、マル公もご立腹である。


「笑い事じゃねぇッ、このトンチキがぁッ」


 実際に包丁で下ろされ、鍋で煮られたわけではないから、まあ笑い事でいいかと甚吉も穏やかなものであった。

 

 さて、そうして去った拾吉ではあるけれど後日、西両国広小路を訪れたのである。


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