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海怪  作者: 五十鈴 りく
❖ 判じ絵

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43/70

判じ絵 ―捌―

「おお、待っておったよ」

「へ、へぇ」


 にこやかにそんなことを言われた。

 この老爺、特に怪しいところはない。上等の着物を着て、髷も綺麗に結っている。裕福な家の隠居だろう。ただ、その隠居が甚吉に用があるとは思えなかったのだ。

 しかし、隠居は嬉々として言った。


「あの本を読んだのだな」

「あの、って、判候はんじそうろう――でございやすか」


 マル公がそう言っていた。だから言ってみただけなのだが、隠居はさらに嬉しそうに拳を握った。


「おお、そうだ、それだ。読んでみたのなら、どう感じたのか率直に教えておくれ」


 教えて欲しいと言われても困る。甚吉はこんな難しい本など読めない。読んだのはそう、そこで泳いでいる海怪である。

 しかし、そんなことは言えない。だから甚吉は嫌な汗を掻きながら言った。


「へ、へい。空とか梅とか若侍の見た景色が綺麗でやした」


 マル公が確かそんなことを言っていたはずだ。隠居は納得したようだった。ふむふむ、とうなずく。


「おお、そこに目をつけるとは、なかなかの通人よ。それで?」


 それでと来た。マル公は生け簀から円らなまなこでじぃっと甚吉たちの方を見ている。


「お、面白かったと思いやす」


 そうとしか言えなかった。

 すると、その老爺はやっと前のめりになるわけを教えてくれた。


「ふむ、そうかね。それはありがたいことだ。それは私が書いたものでね」

「へ――」

「正月に恵方へ詣でた時にその話が思い浮かび、それで三が日家に籠って書き上げた。それで恵比寿えびす初詣はつもうでと」


 まさかの恵比寿初詣がこんなところにいるとは。しかも、何度も来ている。

 あんぐりと口を開けた甚吉に、初詣は童子のように目を輝かせて言った。


「その話の中に判じ絵が出てくるだろう? 姫の居場所を解くための手がかりになるのだが、こう本になって流布してから気になり始めたのだよ。ふと判じ絵が落ちていて、それを解く者がどれくらいいるのだろうかと」

「あ、ああ――」


 落ちている判じ絵。ここに落ちていた判じ絵は――


「それで、あちこちに私が描いた判じ絵を撒いてみた。その成果が出たのかどうか、まだ聞き込みはしていないのだが。おぬし、ここにも判じ絵を落としておいたのだが、知らないかね?」

「ま、まんじゅうのっ?」


 甚吉は袂から折り畳んだ二枚の判じ絵を取り出す。そう言われてみると、判じ絵の左下に落款らっかんがある。その字は『詣』――


「おお、二枚も持っておるのか」


 初詣は嬉しそうに、今にも小躍りしそうに見えた。甚吉の方がなんとも言えない。


「まんじゅうは解けたようだな」


 そう問われ、甚吉は思わず答えた。


「へい。まんじゅうで。これはどうして巽屋さんのなんですかい?」


 初詣は甚吉の手から判じ絵を奪い、それから二枚目を見遣った。


「ここへ来る時に通りかかる饅頭屋が巽屋だからだ。着物の柄にまで気づいたのもえらい。それで、この二枚目は?」

「水からくり――で」


 マル公はそんなやり取りをじぃっと見つめている。目が怖い。いや、怖いというよりももどかしいのかもしれない。甚吉よりもマル公の方が初詣と実のある話ができるはずなのだ。

 そんなマル公の視線には気づかず、初詣は嬉々として言った。


「おお、正解だ。おぬし、なかなかやりおるな」


 やりおるのはマル公であって、甚吉ではない。しかし、そのところは上手く言えない。はあ、と曖昧な声を上げる甚吉に、初詣は大きくうなずいてみせた。


「おぬしのおかげで自信がついた。うむ、人は謎が落ちておれば解かずにはおれないとな。よしよし、これで心置きなく次の作に取りかかれる」

「そ、それはよござんした」


 すると、初詣は顎を摩りながら急にマル公を振り返った。マル公は急に振り返られると思っていなかったらしく、少々素の顔であった。慌てて猫かぶり顔に整え直したように思う。


「ヲォ」


 獣らしく鳴いて首を傾げる。甚吉にはとぼけているようにしか見えないけれど。

 初詣はそんなマル公を眺めつつ、ぽつりと言った。


「あれの目を見ているとな、どういうわけだか落ち着くよ。だから、戯作の続きに詰まるとこうして眺めに来るのだ。あれは人が思う以上に聡い生き物なのだろうな」

「へ、へい」


 よくご存じで――とは言いづらいけれど、初詣は戯作者だから、この海怪が実はべらんめえでよく喋り、無類の食いしん坊であると言っても喜びそうではある。

 初詣は楽しげに甚吉を見遣った。


「――ところでおぬし、この生き物の名を知っているかね?」

「へ? 海怪うみのばけものの?」

「それは名を知らぬ者がそう呼んでいるに過ぎぬ。源平の時代、奥州藤原氏の献上品の中にはこれの皮があったという。『和名類聚抄わみょうるいじゅしょう』という書物にある『阿佐良之あざらし』――それがこの海怪の名だな」

「ア、アザラシ――」


 なんとも妙な名に思える。ちらりとマル公を見遣ると、なんだよ、なんか文句あんのかコラという目である。


 アザラシ。

 ウミノバケモノもどうかと思うので、どっちもどっちかと甚吉は納得した。


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