ある春の日の決意
僕は小さなころ、食べ方が汚いとよく母親に怒られた。その癖は残念ながら治らず、28になった今でも食事に数枚のティッシュを要する男になってしまった。
さて、そんな食べ方の汚い男。どんな人生を歩んできたのか聞きたくはないかい?ない?あ、そう。じゃあ僕が話したいとこだけ話すね。
僕は見ての通り陰気なやつで、中高と教室の隅で過ごし青春とはほど遠い人生を歩んできた。スポーツのできるやつや顔のいいやつ、なんだかんだ言って勉強しかできないやつも誰かしら仲間と楽しい時間を過ごしていた。つまり僕はそのどれも人並みにすることができず、しかもクチャラー(口をくちゃくちゃ鳴らして食事を食べる連中の総称)なのだ。無論友達はいない。
友はいなくとも夢くらいは持っていた。自分の内に秘めていれば誰の迷惑にもならないだろう。僕の夢はただ1つ。かっこいい旦那さん、だ。
あー恥ずかしい恥ずかしい!かっこいい旦那さん!?こんな乙女のような夢、恥ずかしくて誰にも言えやしなかった!それなりの仕事について、それなりのアパートに住んで、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ人並みより可愛いお嫁さんを貰って、かっこいいと慕われたい。大それた夢だ!分かっていたさ!
こんな恥ずかしい夢でも、夢は夢。叶えるために無い頭と親のスネを利用して大学に進んだ。出会いを求めるなら様々な手があっただろう。しかし僕はそうしなかった。テニスサークルなんて柄じゃ無いし、いかがわしいサークルは下品な女しかいなかった。と、なにかと理由をつけて怖じけずいてしまったのだ。僕は大学内での出会いを諦めようと、自分の趣味で地質研究サークルに入った。これまた僕らしい地味なサークルであろう。ここで同じように日陰で生きてきた同胞たちと歩んでいこうと決めた、その時!1人の女神が現れたのだ!
彼女の名前は更科日和1つ上の先輩で、このサークルの副長を務めていた。あまり大きな声では喋らず、丸いメガネの奥の瞳はいつも申し訳なさそうに伏せられている。一目見た時から我らと同じ日陰で過ごしてきた人種であると確信していた。始めはここで妥協する自分では無いと、意味もない虚勢を張っていたが僕が彼女に恋をするまでにそう時間はかからなかった。まあいろいろあって彼女に想いを告げて付き合い始めて今年で7年になる。なに?もっと詳しく!?やだね!話したいところだけを話すとあらかじめ断っていたはずだ!
付き合って7年目、春の日差しが柔らかく人々を包んでいる今日。ついに僕は彼女のご両親に挨拶をしに行くと決めた!ぶっちゃけ遅すぎる決断ではあったが、僕たちにはのんびりした歩みが似合っているとも思う。
彼女のご両親は彼女に似ておだやかな人であったが、心配性な性格であった。ノストラダムスの預言を信じていたし、ささいなミスで自分の死後は地獄行きだとすぐ悲観的になる方々であった。その反面、日和さんは少し楽観的でちょっとの失敗ならむしろ楽しいねと微笑んでくれる女性であった。そんなところにも僕は惚れ込んでいる。
そんな心配性なご両親に安心してもらえるようにしっかりと挨拶をこなさなければならない。したがってまずは格好から入った。清潔感あふれる好青年となるために、白いシャツとグリーンのジャケット、下は細身のパンツでびしっと決めた。当たり前だが普段はこんな格好をしないので急いで買って来たものである。多少普段着ている服より割高であったが、こんな大事な日にケチケチしている場合ではないだろう。
彼女のご実家は山間の温泉街に近い集落にあった。ご両親は農業を営んでおりへーべー単位の敷地を管理し、じゃがいもやキャベツなんかを栽培している。道のりは険しかったが私の普通車免許(AT車に限る)が唸りを上げ一度サイドミラーを擦るだけの犠牲でたどり着くことができた。
「滝を見に行きたいんだ」
「た、たき?」
突然の義父さま(仮)からの申し出だった。なんでも隣山に滝の名所があるらしい。この時期は桜並木と相待ってそれは絶景だという。ぜひとも茂くんにも見せたいと、その優しさを嬉しく思いながらも再び命がけで山道をひた走ることになった。
到着するとそこはなかなかの賑わいを見せていた。連休が近いこともあるのだろう、家族連れが目立っていた。以前の僕ならば目が潰れてもおかしくない光景だが今の僕の隣には日和さんがいる。ほうけている僕の手を彼女がさらりと握ったおかげでくらりとめまいがした。幸せの致死量はどのくらいなんだろうかと馬鹿なことを考えるくらいには幸せだと思った。
さて、のろけている場合ではないのだ!今日の目標は2つ。その1!ご両親に清潔感があり頼れる彼氏であるとアピールすること。その2!娘さんを僕にくださいと宣言し承諾していただくこと!
「わ、すごーい!思ってたより滝おきいね!」
「ほんとだ…圧倒されるね…」
目的であった滝は想像の3倍ほど大きく、桜並木は想像の1/2ほどの量であった。それでも散る桜と滝のコントラストは幻想的で、これぞ日本といった感じだ。日和さんが丸太でできた柵に身を乗り出して滝を見つめている。子供っぽい笑みを浮かべる日和さんは可愛く見えたが今は安全が最優先だろう。
「あ、そうだね…」
身を乗り出さない方がいいという私の注意にしゅんと肩を落とす姿がなにか小動物のようで可愛らしく思え、ついつい見つめてしまった。日和さんはそれに気づくと顔を赤くしてもうっと可愛く鳴いた。
はっと今自分達が2人きりでないことを思い出し、振り返るとニコニコと暖かい視線を送るご両親と目があった。日和さんも同じようにご両親の方を向き、照れながら手を振った。
ニコニコとしていた義母さまがじっと日和さんを見つめて首を傾げる。まるでミーヤキャットかなにかのような姿だが、その意図がわからず揃って同じように首を傾げ返すしかなかった。
「ちょ、ちょっと日和!」
すると突然血相を変えて義母さまが走ってくるではないか。その手には絆創膏が握り締められている。まさかと思い日和さんを見ると手のひらの皮がうっすらと剥け、血が滲んでいたのだ。先ほど手をついた丸太に奪われたのだと察し、ひどく自分を恥じた。なにを呑気にいちゃついているのだ!隣にいる自分の恋人くらい守れずしてなにがプロポーズだ!なにが頼れる男だ!こうして自身を責めている間にも義母さまが心配そうに手当てをしている。
「大丈夫かしら…ばい菌が入って感染して…壊死しちゃったらどうしましょう…」
「もー心配しすぎだよ、お母さん」
日和さんは呆れたように笑っている。しかし義母さまは暗い表情で最悪の結果を想像しているようだった。
自身を情けないと思う反面、このご家族にほんとうに認めてもらえるのか不安になった。こんな僕がほんとうに彼女にふさわしいのだろうか…もしかしたらご両親のネガティブが移ったのかもしれないと頭を振るう。気を確かに持つのだ佐藤茂!この7年間彼女と過ごして来て、やっと決めたのではないか!彼女と生きていきたいと、彼女と家族になりたいと!もう夢とか、かっこいい旦那さんとか、そういうことではないのだ。
ただ僕は、日和さんの旦那さんになりたいだけの1つの生き物であったのだ!
少し長くなったので切ります。




