最終話 今の私とウツ
今の私は、どうかというと、平凡な毎日を、一日一日乗り越えている。
「乗り越える」という言葉をなぜ使うか?という理由は、
平凡に見える毎日に、「がん」の影響が残っているから。
あれから、7年、最初の一年はがんセンターに定期健診に行っていた。
そのあと、5年間も人間ドックや、婦人科の定期健診を受けた。
私は、まぎれもなく「健康」だ。
それなのに、次々と、腰や、首、足、背中、に痛みが襲ってきた。
そのあとには、呼吸が苦しくなって、「息が吸えない」と言ってパニックになり、何度も病院に行った。
さらに、ガン系痙攣。(←石原、東京都知事と同じ症状)。目が絶えず痙攣する。
目を閉じても絶えず痙攣する。見た目よりずっとつらい。
などなど、 などなど、 次々に様々な症状が襲ってきて、私を不安にさせる。
私が行きついたところは「心療内科」だ。
体が健康になった私は「心が病気」になっていた。
それが「がん」のつめあと。
先生にうかがうと、大きい病気をした経験のある人は、知らず知らずのうちに
「また、なるのでは?」とか、「今度は違う病気になるのでは?」
「またあの治療をやるのか?」「また あの苦しみを、、、」
という不安が心の中に巣をつくっていてそれが、色々な症状を引き起こしたり
ウツになったりする傾向がある、とのこと。
私の場合はまだ「ウツ病」ではないが、「ウツの症状」が色々と出ている。
私は抗ウツ剤と、心療内科の受診を定期的に行い、またそれ以上に
「自分と向き合う」ことで、毎日を乗り切っている。
この小説の執筆も、紛れも無く、その治療のひとつだ。
はじめに書いたように、テレビや雑誌、映画などメディアでは、毎日のように「がんで死ぬ話」がやっていて
私は必死でそれらから、目をそらして生きてきた。
でも、この小説を書き始めてから、チャンネルをかえるのをやめた。
私が、今、何を書こうとしているのか、何がそんなに不安で怖いのか、見なければ書けないからだ。
最後まで書いてみて、私は何を伝えたかったのだろうか?
昨今、私の周囲の人は皆、多かれ、少なかれ「ウツ」の要素と症状を持っていると思う。
そんな、私たちを、そんな世の中を、そんな自分を、
どうしたら、勇気づけられるか?
どうしたら、元気づけられるか?
どうしたら、力を与えられるのか?
私は絶えず考えている。
毎日、会社に行ったり、バイトしたり、勉強したり、遊んだり、
友達つくったり、恋人つくったり、友達無くしたり、恋人無くしたり、
そうやって生きていることは、本当に大変なことだ。
こんなにもギスギスした世の中で、キリキリした人の心の中で、
つらいことが沢山ある世の中で、毎日、毎日生きていくことは大変だけど
それをがんばっているみんなは、すごいと思う。
そのことが伝えたかった。
生きている限り、生きることに終わりが無いから、つらいね。
って、言ってあげたい。
だけど
生きていれば、また会えるし、生きていれば、「いつかきっと、、」があるから
生きることだけは、あきらめないで。
って、伝えたい。
沢山のことが、重くのしかかりすぎてつらい時は、そんなに無理しなくてもいいから
生きていることだけは、やめないでほしい。
と伝えたかった。
自分の命を奪わないでほしい。
人の命も奪わないでほしい。
と伝えたかった。
それだけでいい。
それだけで充分だから、そんなにがんばらなくていいから、、、、。
命を奪わないでほしい。
「あなたが生きている」というだけで、私はそのことに、いつもエールをおくっているから。
あとがき
私はまだ、父に「ありがとう」を言っていない。
私につきあって、坊主頭にした父。
あれほどの愛情をかけてくれた父が、
私を「はい、そうですか」と、すんなり嫁に出すわけはない。
今年(2008年)に結婚式をしたが、出席してもらえなかった。
だけど、そんなことはたいした問題じゃないと思っている。
父は私の父だ。
私は、父の娘だ。
生きている限り。
私は絶対に父より長く生きる。
生きているかぎり、私の中には「親孝行をしたい」という壮大な夢がある。
だけど、私は、父の言うことはきかない。
なぜならば、私は父にそっくりだからだ。
父もまた、おじいちゃんの言うことなど聞かずに、
「自分の道」を見つけたに違いない。
私の中には「親孝行」という壮大な夢が、
生きている限りあるだろう。
達成できるのか?
達成できないのか?
ぎりぎりセーフか?
私のゆっくりとした歩みでは間に合わないかもしれないが、
「親孝行」という壮大な夢がある。