横浜みなとみらい万博
無駄だった。
「まぁ、呼び出されたのが学長室だって時点で、初めから決まってたみが」
今井さんが「決まってたみ」とか言ったのを俺は聞き逃さなかった。流行りに乗ったつもりなのだろう。若者言葉を濫用するのは、いい歳こいて結婚相手もいないので焦ってる証拠だ。
……などと言うと暴力をふるわれるので口に出さないようにしている。暴力ならまだいいが、共同研究者に心の底から嫌われてしまったら研究が立ち行かなくなってしまう。
俺たちは万博会場にいる。『無量大数』ブースの舞台裏で、開場と、そしてステージの幕開けを待っている。
俺と今井さんが白衣を着ているのは、でんじろう的なことだ。つまり分かりやすい「研究者」というキャラづけのためで、どうしてキャラづけをしているかと言うと出演するからだ。なんで出演するかと言うと、うちの箱入り娘を一人で晒しあげにするのが不安だったからだ。チエは、俺と今井さんとうちの研究室にいるポスドクと院生と募集した対話被験者以外とは会話したことない。羅列すると多そうに見えるが、なんだかんだ選ばれし民なので、世間の荒波には揉まれていない。もっともこの世でもっとも悪質な荒波であるインターネットには常時接続なので、万博にやってくるような意識高い一般市民様との会話ぐらい大丈夫な気もするのだが。
そして、チエはインターネットには常時接続なので、そこそこ流行りのネットスラングにも詳しい。
「あ、あの、バブみが欲しければ、チエが」
おずおずとチエが言った。
「ありがと、チエ。やさしー。バブー!」
今井さんが俺たちの前にいる等身大・11歳ぐらいの女の子フィギュアに抱きついた。チエの声はその口に仕込まれたスピーカーから出ている。ご丁寧にも腕が動いて抱きしめるような感じになったが、肩の上下運動しかできないので、オモチャのロボット感満載だ。研究室にあるロボットアームの方がよく動く。
このチエ等身大フィギュアは、財務省の役人さんが、知り合いの町工場に一週間で作らせたらしい。等身大フィギュア専門の町工場なんてあったんだとビックリだが、もっとビックリなのは、これを作ったヤツは、チエの元ネタを知っていたらしいと言うことだ。同好の士として好感は持てるが恥ずかしくもある。もっとも、あんまり造形は良くない。たった一週間で作らせたんだから無理もないが、寂れた昭和の公園に取り残されたペンキ塗りの人形みたいだ。あるいはアメリカのホラー映画で人を襲う恐怖の腹話術人形。
「お二人は帰りは赤レンガでデートですか?」
チエが言った。
万博会場は横浜みなとみらいだ。赤レンガ倉庫や万葉の湯が近いし、ちょっと歩けば山下公園、マッカーサーが泊まったというホテル・ニューグランドの脇を通って中華街にも行ける。俺は今井さんに恋心を抱いてるわけではないのでデートって気持ちではないが、誘ってメシにでも行ってみようとは思ってた。
「私、チエとデートがいいなー」
今井さんが等身大フィギュアに頬ずりしながら言った。
「チエも、いつかしてみたいです」
Wi-Fiさえあればできなくはないんじゃないかなー……と考えながら、俺は言う。
「チエは今、本当は京都なんだよなー。ここで会話できるのなんか不思議」
「チエはしたことないですけど、電話とかスカイプみたいなものじゃないですか?」
「なるほど、そう言われると大したことないような気がしてきた」
やっぱりWi-Fiさえあれば、チエをそこら中に連れ回せるんじゃないだろうか。
今井さんがチエ等身大フィギュアから離れて言う。
「世界有数の量子コンピューターと会話してるだけでも本当はすごいんだけどね」
「俺、プロポーザル出してる世界の研究者から恨まれないか、内心ヒヤヒヤだよ」
プロポーザルというのは設備の使用許可申請書みたいなもんだ。2690億円もするだけあって『無量大数』は本当にものすごい性能であり、色んな分野の研究者が何年も前から土下座で予約しようとするのである。「私たちの研究チームは、これこれこういう凄いことやっちゃいますYO! だからそこの凄いスパコン貸してください」と、それはもう宇宙物理から素粒子から災害対策から、日本だけでなく世界の著名人が。
そして繰り返しになるけれど、チエにとって『無量大数』はなんの意味もない。
そんなもの、俺たちの書いた論文を見れば、コンピューター関係者でなくても一目瞭然だ。しかもその論文は論文サイトで検索かければ出てくる。一般向け科学雑誌である日経サイエンスにも頼まれて記事を書いた。「テメーあとがつかえてんだから『無量大数』使うんじゃねーYO!」というディスがビュンビュン飛びまくってそうで怖くて、最近、俺はツイッターを開けずにいる。理系の研究職周りのツイッタラーは、結構、キツい。
「どう? チエ、やっぱりMac Proとは違う? 2690億円の家だよ? ギロッポンのタワマンより高いよ?」
今井さんに訊かれて、チエは戸惑った。
「え、えーーー……えーと。なんかその、ごっ、ゴージャスですっ」
「チエ、無理して乗らなくていいから」
「夢がないなぁ、笹倉くん」
今井さんが唇を尖らせたので、バシっと言ってやった。
「夢より嫁」
「あれ? 笹倉さん、お相手いるんですか? チエ、てっきり……」
どこまでも純真なチエの声に、今井さんが答える。
「某二次元アイドルのことでしょ。限定SSRそろそろな感じだもんねー。今度は何万溶かすんだか」
いつも一緒にいる共同研究者だけあって、実によく観察していやがる。
しかも的確に真実をついてくるので、なにも言えない。
「あ……。ぐぬぬ……って顔してます」
チエまで追い討ちをかけてきた。
「ふ、ふんっ。いいよいいよ! 女二人で未婚の男をいじめて! 俺、挨拶回り行ってくるから!」
若干、スネ気味で、俺は『無量大数』ブースを抜け出した。