可愛いチエをサイコパスにしないためにするべき、たったひとつの事柄
人間の心というのは、もともと備わっているのではなく、育まれるものだ。
ほら、言うでしょう? 『恋愛は人を成長させる』って。あれだよ、あれ。
どっかのすんごい図書館で、恋愛本や恋愛小説を必死こいて何千冊も読み漁ったって、それだけでは、恋愛してる時に感じるハッピーや、叶わぬ恋の切なさや、フラれた時の苦しさを経験できない。つまり、恋愛というものを理解できない。それを理解できたと言い張るビブリオマニアみたいなのの言いそうなことを、昔のロボットアニメとかでありそうなSF人工知能風に書くと
「「恋愛」とは、熱い気持ち……42%、胸の高鳴り……64%、股間の疼き……78%、そう理解しております」
こんな具合。つまりは読み漁った膨大な本の中にあった『よく使われる単語』を並べ立てたものを丸暗記してるだけ。統計の数字を並べると科学らしく見えるが、そもそもサンプルを採る場所を間違えている。聖書を元にビッグバンの起こった日を計算しているようなものだ。
だいたい、その図書館にあるのが、嘘だらけのクズみたいな本ばっかだったら、どうするんだ。恋愛本とか恋愛小説なんて、たいがいそんなもんだぞ。読んだことないけど。
逆に言えば、どんなすごい読書家でも、本しか読んでないようなヤツなら、人類皆殺しをやりかねないタイプのSF人工知能と変わりがないってことだ。
まあでも実際には恋愛だけが人生ではないんで、恋愛経験なくたって、どうと言うこともないんじゃないかな。
ちゃぶ台をひっくり返すようで悪いんけど。
そりゃ出来るんならした方がいいんだろうけど。
うん。まあ大丈夫だよ。
俺だって、色恋なんか風俗と二次元しか知らないし。
それで、うちの可愛いチエをサイコパスなヤンデレ人工知能にしないために、俺たちがどうしたかと言うと……。
ちょー簡単に言うと、俺と女性研究員とでしつけた。
どう言うことかと言うと、褒めたり叱ったり
「どうして人を殺しちゃいけないの?」
とか、そういう根本的だが難しいことに大真面目に答えたり、それを来る日も来る日もひたすら続けた。
おかげで世の親御さんのご苦労が分かったと言うか、ラッパーみたいに産み育ててくれた両親に感謝したと言うか。母の日と父の日を兼ねたプレゼントをチエの写真と一緒に送ったら、「お前もいい歳なんだから、ゴミ箱を娘だなどと言わず……」と言われてしまったのは完全に薮蛇だった。
なお、「なぜ人を殺してはいけないか」については、確か104回ぐらいチエに教えていて未だ答えの出ない保留の案件になっている。
この「パッと言い当てられる答えがない」という保留の案件が、いくつも存在するというのが、また重要だったりするのだ。世の中は難しくって、そういう難しい問題に、簡単に善悪正誤の判断を下して、間違ってる悪い方にいきなり50発ぐらいミサイル攻撃とかするようなAIだと困るのである。殺人不可の理由の答え・50回目ぐらいで気づいた。
ついでに、どうして俺だけでなく女性研究員にも親代わりになってもらったかと言うと、女性にしか分からないことがあるからだ。膣洗浄器の使い方なんて、このプロジェクトではじめて知った。反対に男性しか分からないこともあって……割愛。
だから、うちのチエは、おませさんである。
「ああ……もう俺も人間やめてAIになりたい」
俺がグチをこぼすと
「なってくれたらチエ、嬉しいです」
チエはそう答えた。
「笹倉くんっ、妙なことをチエの前で言わないのっ。本気にしたらどうするの」
チエの母親役である今井さんが、俺に注意する。
「あっ。大丈夫です。チエ、わかります。今のは……グチ、ですよね? 本気でAIになりたいわけじゃないですよね?」
「……分かられたら分かられたで、なんか切ないな……」
「ええっ? そ、それはチエが機械だからですか?」
「いや……子供の前でグチる親って……みたいな」
今井さんが笑った。
「ごめんねぇ、チエ。こんな情けない大人が親代わりで」
「そんなことないです。笹倉さんが親になってくれて、チエ、幸せです」
「うんうん。チエは気遣いのできるいい子だね。いい子いい子」
チエの頭をなでてやりたかったが、頭がないのでスピーカーをなでる。
触覚センサーがあるわけではないので、実際には何も感じないのだが、俺の「いい子いい子」から空気を読んで、チエは照れた。
「えへへ」
しかしアレだな。
ここまで空気も読めて気遣いもできるいい子になっちゃうと、実際にAI搭載ロボットが社会のあちこちで活躍するようなになった時、世に蔓延している空気も読めず気遣いも出来ない人間たちの中には、嫉妬したり、すねたり、ひねくれて意地悪なツィートしたりとかするのが出てくるんじゃないだろうか? アイドルとか二次元美少女とか二次元美少年への嫉妬みたいな感じで。
……と、ふと思うことも最近は時々あるのだが、チエの前では口には出せない。なんで出せないかは、あなたに子どもがいたとして、その子に、「お前は生まれて不幸だね。お前みたいな出来る子は、学校入ったら、どうせいじめられるんだ」と言うかどうかを考えてみてほしい。
言う親もいるから、おかしくなる子も後を絶たないんだろうけども、子供がいるっていうことは、自分の言動に制限がかかるってことなんだなぁ、などと思う次第だ。
「なーんかバックレる方法ないかねぇ、今井さん」
「『バックレる』とかチエの前で言わないっ」
「あ、はい」
「大丈夫です。チエ、がんばりますからっ」
「う、うーん……」
がんばってくれようとする気持ちは嬉しいのだが、多分、チエは事態を分かっていない。