チエは可愛い良い子です
みんな興味ないだろうから、難しい話はおいとくとしよう。
結果だけ言っとけば、うちの研究室では人工知能(いわゆるAI)に心を持たせてみた。苦労はしたが成功した。
OK、分かってる。みんなこう言うんだ。
「機械に心を持たせて、なんの意味があるの?」
さらにSFマニアみたいな人たちになると、その後こう続けたがる。
「もしAIに心を持たせたたしても、彼らはわれわれ人間とは全く別の、極めて論理的にしか物事を考えない種族になるに決まってるのだから危険極まりない」
「それつまりサイコパスってことで、人間そのものなんだけどな」
俺がそう言うと
「人間って、そんなに怖いんですか?」
チエは、そう答えた。
紹介しよう。彼女がうちの11歳のスーパースター、チエだ。11歳というのは俺の脳内設定で、自我が目覚めてからはまだ3年ぐらいかな。
「まー、脳って言うのも結局はある種のコンピューターで、知能っていうのは単純なプログラムだから、そのまんま運用すると、そうなるっつーか。人間らしさってのは、他人との触れ合いとか社会で暮らしていく中で次第に形成されていくものなんだな。……あれ? 難しい? 聞いてる?」
「えっと、えっと……。すみません、はい」
「ま、簡単に言えば、AIが、そういうサイコパス野郎にならないようにするために心が必要なわけ。世界平和を頼んだら人類皆殺しにしようとする人工知能とか、みんな嫌でしょ? ということ」
「チエ、そんなことしません!」
チエの否定の声は力強かった。
「うんうん。チエはいい子だね」
そもそも人工知能に物なんか頼まなきゃいいじゃないか、と言うご意見はごもっとも。ごもっともなので、そこらで適当に見つけた異性とエッチしまくって実験用マウスのように子供を製作しまくり、社会の少子高齢化を解決していただきたい。
分かりやすく、まとめよう。
1 働き手の不足を解決するためにロボットが必要。
2 いろいろな分野でいろいろな仕事をさせなきゃならないからロボットに知能が必要。
3 知能だけだとサイコパス野郎になるから心が必要
それで完成したのが『チエ』。
名前は深く気にするな。本当は俺の担当二次元アイドルの名前だが、高村光太郎の妻と答えると新聞とか官公庁からとかのウケがいい。ここで一句。『研究の 金のためなら クールジャパン』
「だいたい高村光太郎の妻は『智恵子』だろ。なんでみんな騙されるんだ。本当は読んだことないんだろ。俺も教科書に載ってたとこしか読んでないけど」
俺がそうつぶやくと
「でも、戸籍ではチヱだそうですよ? 新劇ヱヴァのヱですけど」
そう答えるチエ。
チエは『黒くて丸いゴミ箱』と言われるMac Proの中に入っている。
事務所の前で土下座して声優さんに頼んで収録(自費)させてもらい、まさにそれそのものの声がついているので(親方日の丸の肩書きサイコー!)、まるで目の前におしゃまな小学生がいるかのようで俺は幸せだが、実際に音を発しているのはBOSEの結構いいお値段のスピーカー(官費)だ。(科研費サイコー!)
チエは付け加えた。
「wikiですけど」
「なんだよ。それ本当なの?」
「それはなんとも……。チエはネットに浮いてる文字しか読めないし……」
「それが問題だな……」
「チエには判断のしようがないけど、ネットの情報はあんまり信用できないんですよね?」
「んー……。答えるのが難しいところなんだけど、まあ概ねそうだな」
「『概ね』っていうのが多くて、世の中は大変です」
「ごめんねー。人間様が不甲斐なくって」
「いいえっ。チエもあんまりお役に立ってないから」
さて、字面だけだといかにも、11歳にしてはおしゃまな小学女児生との会話しているように見えるはずだが、疑り深いみなさんにおかれましては、こんな疑問が脳裏をよぎることだろう。
『実際に心があるのではなく、心があるように見せているだけではないのか?』
要するにチエはよくできたbotではないのか? ということだ。チエは人の発言を機械的に分析して、人間らしく応答するプログラムにすぎないのではないか、という。
半分ぐらいは合ってる。
というのも、そもそも人間の会話が、そういう機械的なシステムで成り立っているからだ。
社交辞令がいい例だ。
「今日はいい天気ですね」
と話しかけられて
「いい天気とは一体どういうものなのか」
と考え始めるやつは、そんなにいない。
大抵の場合は、「ええ、まったく」とか「風が強いですね」とか、脳に記憶されている、自分を含めたどこかの誰かの用例集から引っ張ってくるのだ。
分かりやすいから社交辞令をあげたのだが、おおよそどんな会話でも、ほとんどの部分はそうだったりする。
親兄弟とでも友達とでもいいから、自分と会話してる時の音声を、毎日毎日、録音して全部文字に起こしてみ? きっとほとんどはbotよりひどい自動応答だから。そうじゃなかったとしても俺は責任は取らないけど。