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毎日コツコツ読めてるかい?  作者: てれびん
2/2

映画『SCOOP!』ネタバレ感想

映画『SCOOP!』


「……おれはさ、たぶん何者かになりたかったんだ……」


今年は邦画が実に面白い。

庵野秀明『シン・ゴジラ』に続き、記録的な大ヒットとなった新海誠『君の名は。』

週刊少年マガジンの連載時代から先進的な取組を続けていた『聲の形』など邦画の当たり年といってもいい中、またひとつ面白い映画に出逢えた。

もし酒を飲める歳ならビール片手にフラリと立ち寄ってもらいたい映画が福山雅治主演の『SCOOP!』である。

一応言っておくと、最近ネタバレとか気にしなくなったので(しかもこれは将来の自分のためのメモであるし)、注意してもらいたい。


福山雅治演じる中年パパラッチ都城静が、二階堂ふみ演じる新人記者行川野比とコンビを組んで芸能人のスキャンダルを追いかける話である。

観る前は「まぁ、エンタメしてて楽しいんだろうなぁ」というテンションだったのだが、観終えた今は「すっげーー。たっのっしー」というテンションとなっている。

おそらく若い子よりちょっと歳を取った人たちのほうが楽しめるんじゃないかな。レイトショーか何かでビール片手にゆったりと見て欲しい映画だ。


この映画を見ながら、やはり今年公開された『日本でいちばん悪いやつら』という映画を思い出す。

何処となく退廃的で救いがなく、それでも終わる直前に打ち上がる花火が実に魅力的に映るところが共通している。

決してマネをしたい人生ではないのだが、魅力的にうつるのは、そこにぼくが多少なりとも憧れを抱くものがあるからかもしれない。人生のレールを外れ、そのなかで不自由ながらも自由闊達に動くことのできる静は、ぼくが少年の頃に大好きだった『敵は海賊』のラテルとアポロを想起させる。

静たちが今の時代では通じない野球の喩えを多用するところが、平成に生きる昭和の終末を感じさせる。この空気感があるからこそ破滅一歩手前を渡る緊張感を描き出せたのだろう。


いまでもこの空気感はあるのかしら。まぁ、あるのだろう。

そうはいっても、ぼくの目の届きにくい領域のはなしなのだろう。まぁ、ぼくなんかは行っても居酒屋だからね。あんな派手派手しいところに行かないから知らないだけかもしれないけれど。

ところで『異世界人の手引き書』でも度々夜のお店は出てくるが、どうにも退廃的なものにはならない(主人公が望んでいるのはそういう空気感のお店だとおもうのだがアルバートが見つけてくるのは常々明るい空気感のお店である)。そこが何処となくユーモラスでぼくは好きです。

別に好きだと言いたかっただけなので話は続きません(笑)


そこで『SCOOP!』の話に戻るけれど、この映画の良いところはぼくとしては2点ある。

1つが、エンタメに徹しているところ。

野比ちゃんは最初は「人の秘密を暴くなんてサイテー」って言っているんだけれど、政治家と有名女子アナの不倫スキャンダルを取材した時に興奮のあまり「だからこの仕事ってサイコー」言うようになる。

これ、ちょっと分かるんだよね。秘密を暴くことは実に下衆い行為だけれど、その下衆さに興奮を覚えてしまうのも確か。

人の秘密を覗き見る昏い喜びがエンターテイメントとして見事にかたちになっているのが、第1点の面白いところ。後ろ暗い行為のはずが徐々に快感に変わっていく様が楽しい作品です。

政治家のスキャンダルを巡る夜の東京のカーチェイスや、少女殺人犯の秘密を暴くために警察に立ち向かっていくところなんて良くやった!と喝采したくなるほどにスカッとする作りとなっていた。もちろん現実にやれば臭い飯を食べることになるんだから全然良くはないんだけれどね(笑)

そう思わせてしまう映像力のある映画だった。


2点めは中年男の友情がホントにグッときた。

『日本で一番悪いやつら』では覚醒剤の違法売買(合法でもないと思うが)を背景とした男たちの友情と崩壊が描かれていた。金のある間はうまく回っていたけれど、ひとつネジが外れたら崩壊していくのが「ああそうだよな」という納得とともに描かれていた。

『SCOOP!』にも類似する関係性がある。

それが、静とリリー・フランキー演じるチャラ源である。

チャラ源がこれまた酷いやつなのがいい。シャブ中なのだ。

結局チャラ源のせいで静はその人生を終えることになるのだが、彼はそこに至るまで決してチャラ源を見捨てようとしない。『日本で一番悪いやつら』の諸星たちのような破天荒な関係性だったことや、何らかの事件によって互いの人生のレールが外れてしまったことは物語で示唆されている。

なぜ諸星は闇の友情を失ってしまい、静は保つことができたのか。

きっと運とか偶然って要素のおかげに過ぎない。

でも、その人生の揺らぎを感じることができるだけでこの映画は傑作だなぁと感じることができる。

二階堂ふみが男たちに乱暴されそうなときに福山雅治が格好良く飛び出して行きワンパンでやられ、それをシャブ中のリリー・フランキーが助けるという流れはいま思い出しても素晴らしかった。

そこから描かれる男たちの友情は今年観た映画の中でもトップクラスの美しい光景だった。一撃でのされた福山雅治を乱暴者たちを倒し尽くしたリリーが助け出し「静ちゃん今日は久しぶりに六本木で遊ぼうよ」っていうだけの下衆いシーンなんだけれど、それが彼らを形作っている本質の一つなのだから美しく映っても仕方ないだろう。

チャラ源は自分が静を崩壊させるかもしれないことを理解し、静も自分がチャラ源に崩壊させられるかもしれないことは感じ取っている。それでも手を取り合いながら破滅への道程を歩む。

おそらくそれが彼らの業としか呼べないのだろう。

昭和の名残を残したまま爽やかに死に切った姿にはなんとも言えない感動がある。


何者かになりたかった少年は、結局何者にもなることはなくスクープ写真の表紙を飾ることでその人生の幕を閉じた。

それを意味がない人生ということもできるかもしれないが、意味のある人生など歩き切れるひとがどれほどいるのだろうか。意味がなくとも志半ばで運悪く死んでしまおうとも、それでもなにかのケジメを渡りきったんじゃないかなというのが感じられてすごく楽しかった。

ほんに見てよかった。



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