6.素数定理
(美しい規則性を保ちつつ素数は散らばっている)
「青井岳さんが竜ヶ水先輩に好意を抱いていることには、かなり前から私は気づいていました。そうですね、たしかに分かりにくいかもしれません。彼女はあまりはっきりと意思表示する子ではないですからね。でも、赤瀬君は絶対に気づいていたと思います。だって、赤瀬君にとっては、青井岳さんのありとあらゆる仕草や振る舞いが胸を痛める要因となっているはずですから、彼女が竜ヶ水先輩へ無意識にたびたび送っている好意的な眼差しに気づかないはずがありません」
影待千穂は楽しそうに話を続けた。
「さあ、いよいよ犯行の動機について考えてみましょう。いったい研究室の誰が竜ヶ水先輩を亡き者にしたいと思っていたでしょうか?
まず、動機が全く思い当たらないのが如月君。おそらく、竜ヶ水先輩とはあの日が初対面でしょう。もっとも、私たちの知らない所で、二人の間に接触があったというのなら話は別ですが。
次に、除外できるのが青井岳さん。なにしろ彼女からしてみれば竜ヶ水先輩はぞっこんのお相手ですからね。殺意なんかあるはずがありません。
えっ、二人の間には、実はすでに深い関係ができていて、逆にそのための遺恨が生じていた可能性はないか、ですって?
それもあり得ませんわ。理由はですね――、これは私の個人的な見解に過ぎませんが、まず間違いないでしょう。青井岳さんは竜ヶ水先輩と接吻どころか、手をつないだことさえもないはずです。そんなの、見れば分かりますよ! まだ毒牙にかかってはいなかったのか、ですって? 下品ないい方ですこと。でも、それが真実だと思います。もっとも、竜ヶ水先輩が近い将来、青井岳さんを狙っているのも疑いのない事実ですけどね」
ここで千穂はひと息吐いた。無理やり落ち着こうとしている様子が、教授にも何となく伝わってきた。
「その他には、教授と枕崎先輩についても、私の見る限りでは、竜ヶ水先輩への殺意があったとようには思えませんでした」
「枕崎君は直前に竜ヶ水君と口論していたじゃないか?」
「たしかにそうですが、それと殺意とは別です。枕崎先輩にしてみれば、竜ヶ水先輩なんてわざわざ殺すに値しないちっぽけな他人です」
「君には分からなかったかな? 実は、僕には竜ヶ水君を殺す動機があるんだよ!」
この教授が発した言葉は、影待千穂に取ってはかなり意外だったらしく、彼女は長いまつ毛の眼を何度もぱちくりさせた。
「えっ、どういうことですか? いつも冷静な教授が、竜ヶ水先輩にそのような感情を抱くとは、とうてい考えられませんが……」
「理由は君だよ。君に対する竜ヶ水君がしてきた数々の仕打ちは、僕からしてみれば、殺意に十分値するね」
教授の言葉を聞いて、影待千穂はキッと教授を睨み付けた。
「そうなんですか……。でも、もう済んだことです。竜ヶ水先輩に遺恨は、私にはもうありませんわ。二人は一年間付き合ってきて、つい最近になって別れた。ただ、それだけです」
「でも、その際に、君は女性として大切なものを失ってしまったのではないかね?」
「そんなこと……、教授の知ることではないでしょう!
すみません、急に意外なことをいわれたから、思わず取り乱してしまいましたわ。私らしくなかったですね。でも、なんで教授はそんなことまでご存じなのですか?」
「僕だけじゃない。研究室の人間なら、四年生の青井岳君を除いて、少なくとも院生はみんな知っているよ。なぜなら、竜ヶ水自身が得意げに君との関係をべらべらとみんなにしゃべりまくったからだ。とんでもない悪党だ。あいつは。僕は腸が煮えくり返ったよ。それを聞いた時には……」
「彼という野獣のことをよく理解していなかった私の、軽率なるたった一度切りの小さな過失に過ぎません。どうぞ、お気になさらないでください。
されど、こうなってはもう言いわけもできませんね。私には竜ヶ水先輩を殺したいという純然たる動機があることになります。でも誓って申し上げますが、私は下劣な外道のためにわざわざ自らの手を汚すほど弱い人間ではありません。
でも、これで、教授と私には動機があることになりましたね。だんだん面白くなってきましたわ。じゃあ、枕崎先輩はどうなのかしら? 先輩が私に興味を持っているなんて、ちょっと想像ができませんが……」
「君に好意を抱かない男はいないよ。枕崎君だって、口には出さないけど、君を好いているのは間違いない。つまりは、彼にも殺意があったということだ」
「そして、最後に赤瀬君――。私の個人的な見解では、彼が最も殺意を強く持つ人物のような気がします。なぜなら、青井岳さんが竜ヶ水の――、ああ、ついにいってしまいましたわ。今までずっと我慢して、『竜ヶ水先輩』とお呼びしてきましたのに……。でも、もう止めましょう。畜生を畜生と呼んで咎められる筋合いなどありませんからね」
千穂の整った形状の目じりは徐々に吊り上っていった。鬼気迫るその表情からは、彼女が潜在的に有するもう一つの隠れた美貌が一気に解き放たれていた。
「――赤瀬君には竜ヶ水に対する明確なる殺意がありました。理由は、愛しの青井岳さんが竜ヶ水の毒牙にかかってしまうのも、もはや時間の問題となったからですわ」
「楽しくなってきたじゃないか。結局、如月君と青井岳君を除いた全員に、竜ヶ水を殺す動機があったことになる」
「そのようですね。さあ、それではいよいよ核心へ進みましょう。
この恐ろしい事件を企てた真犯人はいったい誰なのでしょうか?」